頑として譲らなかった笑顔と細やかな気遣い
熊野より 三橋康志
あれは震災の直後だったろうか。砂場さん、藤井さんらと、ネットワーク立ち上げの準備会を重ねている時だった。震災直後のドサクサで車を壊し、さりとて車を右から左へと調達も出来ない時で、バイクが頼りの足だった。一度は雨の土砂降りに、尼崎まで山口町からの往復はかなりきつかったのが、砂場さんの柔和な面影とダブって懐かしい。
「みちしるべ」の命名にはあれやこれやの候補が乱立して結構難航した記憶がある。我が家では、子どもが生まれた時のように候補名をあれこれ思いつくまま羅列して行ったが、砂場さんのこだわり、確か、横文字っぽいカタカナ名はよそうよ、というような見識ある一線は頑として譲らない気骨に触れた覚えがある。にもかかわらず、柔和な表情は絶える事がなかった。
その後この会から遠ざかって出席も途絶えがちになったのは、全く我が方の内なる心理的事情だったが、砂場さんはネットワークの内側にもしや原因があるのでは?と気遣っておられた、と藤井さんに聞いた。わが「西宮北部の自然と環境を考える会」の目指すものは、目の前に迫るグロテスクな高速道路新設の槌音にことごとく敗れ、虚脱感と嫌悪感にまみれていた。かの大震災で、無残に崩れ落ちた高速道路を目の当たりにして、被災者に対しては誠に不謹慎とは思いつつ、「やったー、これで高速道路神話も崩れ去った!如何に高速道路が無力でぶざまな実体であるかが露呈された!」と軽々にも小躍りしたものである。かのロスアンジェルス地震時の高速道路崩壊には、日本の高速道路はあんなヤハな物ではない!と当局は豪語していたからである。ざまーみろ、日本の高速道路もヤハな実態は同じじゃないか!と。
しかし現実はこんなことにびくともする相手ではなく、今建設計画のものは遥かに頑健な設計で問題なしとし、「災害時の道路整備の急務」が「高速道路の必要性」の口実にすり替えられて高速道路建設への驀進は揺るぐことがない、それに対する非力にほとほと嫌気と疲れが出てしまったのが真相だった。それをもっと率直に、砂場さんに吐露しなかったのが悔やまれる。余計な心労をかけてしまった。しかし、これから多様な団体が一致団結して新しい力を結集しようとしている折に、胸中を伝える機会を失してしまった。
「みちしるべ」に遅刊や合併号はあっても、休刊に至ることなく途切れないのは、この名称に拠るところが大きいように思える。みちしるべが路頭に迷っては格好が付かない。これからも砂場さん、笑顔で「みちしるべ」のみちしるべであり続けてください。
合掌
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