『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』斑猫独語(44)**<2011.3.&5. Vol.68>

2011年05月02日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<言行一致>

 福島原発事故は「想定外」の津波による天災とする考え方に立った人もいたようだが、事故発生から一月もたち、何がどうなったのか、そこがはっきり知れて来るとさすがに「天災だった」と言う人は影を潜めたようだ。あれは人災だったのだ。原発は安全だ、心配ないと言って人々を安心させて造ったはずなのに安全ではなかったのだ。大きな津波が来るかもしれない、ということを気にもかけず、注意をおこたって来たことがこの災害をうんだのだから、これはもうはっきり人災なのだ。そして補償という言葉まで東電から出るようになったのである。

 それにしてもあの事故の始めの頃、テレビのニュース番組で原発や放射能について語っていた科学者たち、彼等のほとんどは平気な顔で大丈夫、大したことはない、と言っていたのではなかったか。あれは人を欺きおとしいれる犯罪だと私は憤慨していたのである。ある民放の番組に出ていた学者が「あの放射能ぐらいなら何も心配はいらないのだ」と座して言ったのをとらえて同じ番組に出ていた芸人が「先生それもっと大声で前で言いなはれ」と言ったのだが、番組はそれをさせることなく終った。私は腹が立ちTV局に「なぜあの先生にあれを言わせなかったのか」と抗議の電話をした。きれいなお姉さんと思う声の方が、はいはい、と聞いてくれた。それだけだった。NHKでも腹が立つことがあった。これもさる学者が半径30Km内なんてなんでもないと言うではないか。私はこれには電子メールを送った。その先生を半径30Km内で生活させその映像を映せ、それは説得力を持ったものになると。これをお姉さんが読んでくれたか、おじさんがよんでくれたか、分からず終いである。まあ当座のうっぷん晴らしにはなったけれど。

 人をあげつらいこうは言っても、私自身あまり大きなことは言えないと内心忸怩たるものがある。なぜなら、たった一行か二行の原発反対の署名をしたことで、私は反原発である、と思っておりながら、私の日常はこの福島原発事故が起きるまで原発の危険な存在について考えてもいなかったのと全く同じだったのである。これでは原発推進者とどこもちがわないのだ。ここに来て、私は何々に反対する、と言うことの重さ、真剣さ、を考え直さねばならないと肝に銘じたのである。

 山手幹線反対運動は私達の仲間が本当の反対を身をもって展開した貴重なものであった。私もかすかにかかわれたことを誇りに思うのである。これからは何事においても言行一致の行動をとるのが、自分に正直であり、健全な精神が健康な体を呼ぶのである。そしてそんな仲間たちと楽しく酒を呑みたいものだ。あ、禁酒節酒の誓いを破らねばならない、言行一致の難しさ目の前に現れたではないか。まだまだ笑われる姿がちらつくようで。

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