『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』斑猫独語(10)**<2001.5. Vol.11>

2006年01月04日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<六道の辻>

 辻さん、辻本さん、辻井さん、中辻さんなど辻のついた姓は多い。かたびらのつじ、なぎのつじ、みゆきつじという地名もある。辻という言葉の意味などなんとなく分かっているようだが国語辞典をみると、①ニつの道路が十字形に交差している所。また、四方からの道が集まりゆききする人が出会い別れる交通の要所。辻堂、辻社が置かれ道祖神が祭られることが多い。十字路、四つ辻。②人通りの多い道筋。ゆききする人を相手に辻芸、辻説法、辻商いが行われる。街頭、ちまた、とある。

 私は四つ辻という言葉を使う。子供たちは使わないと言った。それはもう殆ど死語に近いのだ。辻芸、辻説法に似たものは今も見ることが出来るが、街頭パフォーマンスや朝立ちなどと名を変えている。古い言葉を使ってそれを言うと相手は、からかい、なぶられていると取るかもしれないから、そのつもりがなければ使うのはやめたほうがいい。

 知恵のある悪い奴が多すぎる時代だからか、私は単純明快な勧善懲悪の時代劇が好きだ。だからかもしれないが、そこでおなじみの“辻斬り”なんていう言葉を案外身近にリアルに感じている。こんな話を読んだ。「ある高僧が可愛がっていた美童を養子にだしてやろうと、色々ととのえていた。立派な大小も手にいれたが、斬れ具合がわからない。訪ねてきた知り合いの侍にこれを預ける。侍はそれで辻斬りをし、斬れ具合の報告に来て、三日前の日本堤での辻斬りを言うと、その大小をもたせるつもりの美童は三日前日本堤で辻斬りにあって死に、なに者のしわざかと思っていたのに……と高僧は泣きくずれた」。

 六方向へ道が分かれる所、そこは六道の辻と呼ばれた。仏教に言う地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上の六道をあてて名付けたものだ。仏教の教えにあの世の旅の途中ほとんどの人は六道の辻で迷い、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅の道を出たり入ったりして苦しむことになるという。だから生きている時、悪いことをしてはいけない、善根をほどこしておけ、そうすれば迷わずすぐ天上へ行けると言うのだが、この脅しのような教えけっこう怖れられていたのだろう。そんなことから現実に存在する六道の辻はなんとなくまがまがしい所とされていたようだ。

 子供のころ、家の近くに六道の辻があった。小学生の私がそこを六道の辻と知るのは姉たちの知恵によるもので、姉たちは六道の辻のいわれを知っていたし、江戸川乱歩の小説に「六道の辻に迷うなよ」という言葉が出てくるということなども知っており、あそこは六道の辻だから怖いのだよ、夕方遅く通ると特に怖いなどと言う風にしばしば吹き込んだものだから私はそう信じなんとなく速足でそこを通り過ぎたりしていた。「六道の辻に迷うなよ」この言葉を江戸川乱歩の小説に探そうとした。乱歩の精粋ここにあり、なんて書いてある12の話しが入っている文庫本を読み始めたがなかなか見つからない。子供に教えられてインターネットで「六道の辻」と検索してみると、それは「孤島の鬼」という小説の中に在ることが分かった。インターネットはこんな言葉までみつけだすことが出来るのかと感心したが、それよりこんな言葉を検索語として含む資料を提供している者が結構な数いるということに驚いた。

 文庫本には入っていない「孤島の鬼」を川西市立中央図書館へ探しに行った。江戸川乱歩全集全25巻があるのに「孤島の鬼」が入っている第4巻だけが無い。まあ世の中とはこんなものだ。乱歩は「六道の辻に迷うなよ」という言葉を小説の中でどう使ったのだろう。脅しの文句なのか、暗号にでも仕立てたのだろうか、それはまだ謎のままだ。図書館で乱歩は見つからなかったが、栗本薫の「六道ヶ辻」とシリーズ名をつけた小説を見つけた。冒頭――六道ヶ辻にいくたびこの身は迷うとも、六道能化の導きはいらぬ。俺は幾度なりとも畜生道に踏み迷い、天上界へは成仏せぬ――とあった。私もこんな粋な言葉が吐けるだろうか、吐きたいものだ。

 大阪ことば事典(牧村史陽編)で六道の辻をひいてみた。ロクドノツジの見出し語に続いて基本的な説明、古典からの引用と解説があり「大阪では、六つに分かれた道のことを称し、日本橋筋の東方、浪速区日本橋東五丁目に、東の六道の辻、同じく西方、未開谷町二丁目に西の六道の辻があったが、ともに戦災で失われた」と書いてあった。子供の頃のあの六道の辻はご近所だけが知っている無名の小さな六道の辻だったのか、または姉たちが六道と思い込んでいただけの一寸ややこしい辻だったのかもしれない。そんな所は案外あちこちに在ったのだろう。

 こんな事を考えていると町中で一寸複雑な交差点があれば、六道の辻ではないかと確かめるようになり、六道より二道多い八道の辻を螢池中町1丁目に見つけて喜んだ。モノレールが通りその足の部分が新しく道になって古くからの道と合わさって八道になったようだ。後日くわしく見に行ったところ二道は読みすぎだったとわかり、「八道の辻」発見は幻だったが、六道の辻は一つ見つかった。

* 六道能化 ろくどうのうげ 六道の衆生を教化する菩薩の意。地蔵菩薩の別名「孤島の鬼」は創元推理文庫に1999年7月刊の21版がある。

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