お盆休みにどっか涼しいとこ連れてってくれ~~!という我儘な私のリクエストに自称ダンドリくんの夫が選んだ行先は高野山。うん。それはなかなか涼しそうでよさげな響きではないか。
で、どうやって高野山まで行くのん?と、聞いたら、ダンドリくんの血が騒いだ夫が南海電車の特急席往復を予約、昼ごはん場所を予約、朝電車の中で食べるお弁当を手作り、そば茶とスポーツドリンクをそれぞれ別の水筒に入れ持参。私はカメラだけぶら下げてのほほーーんとついていくだけです。いつものことながら。
南海電鉄難波駅。これに乗って高野山を目指します。大阪の南の方がいまいちよくわかってない私は南海電車の行先を見てもちんぷんかんぷんです。
お盆のせいでしょうか。難波もいつもより人が少ないような気がしました。
橋本で極楽橋行き急行電車に乗り換え、そこからケーブルに乗って高野山を目指します。もう、このあたりになると緑が深くてあたり一面山、山、山。渓谷も見えました。
ひゃー、やっと高野山駅到着!と、思ったらここからまだバスに乗って奥の院ということろを目指すのです。え~~、どんだけ山深く登っていくん?って感じです。急こう配の山道を20分くらいかけて登ったところが奥の院入口。後は徒歩です。
奥の院入口にて。左右に無尽蔵にあるお墓と高く生い茂った杉の木。下界と違って、風がさわやかで気持ちいいです。日なたはそれなりに暑いですが、影に入るとめっちゃ涼しいです。それに山から吹いてくる風が何ともいえずいい香りがして、あたり一面に立ち込めるお香の香りと混ざって、すごく気持ちが落ち着きます。
参道を入ってすぐのところは比較的新しいお墓が多くて、墓石も奇麗に磨かれているのが多いです。福助なんか、もう軽くオブジェな雰囲気。
参道をずんずん奥に進んでいくと、杉の木の高さに圧倒され、その杉の木が作る陰がだんだん大きくなり、何やら本当に真言宗の総本山である高野山の霊気が感じられます。お墓もええ感じで苔むしていて、いかにも古い、歴史があるって風情ですよね。ゲゲゲの女房の水木しげるさんの言葉を借りれば、「古いお墓ほどよう死んで、ええ感じになっとる。」と。正にその表現がぴったりです。豊臣家も武田信玄も、仙台伊達家も、石田光成も、みーーんな祀られていました。現世では敵同士でも、この世を去れば仲良く高野山で眠っておられるのですね。
靖国神社でA級戦犯と一緒に祀られることを騒いでいる人も多いですが、そんなの、ここに来ると浅い、浅いと感じてしまいます。何しろ1200年もの間、皆静かに、ここで杉の木に見守られながらずーっとええ感じで死んではるんやから。この1200年というとてつもない時間にとにかく圧倒され、その間ずっとこの高野山を守り続けてきた修行僧の方々に思いを馳せ、やっぱり日本人の心の奥深くには、無意識的にこの仏教と言うものが根付いているんだろうなと
改めて思った次第です。
人間なんて頑張って生きてもたかだか80年だの100年くらいのもので、そんな短い時間は
ここでは塵や澱のように感じられます。奇麗な御影石のお墓が石から朽ち、周りを少しずつ
苔に囲まれ、周囲の緑と同化していく過程を見ていると、やはり「生、老、病、死」の後に
再度「生、老、病、死」と考えるのが輪廻的には普通なのかも知れませんが、私はその死の後にくるものが自然であったり、宇宙ではないかと思えるのでした。仏の教えには必ず、そういう宇宙的な観念が示されていると思います。自分が本当はちっぽけな存在であることを意識するのって、実は大切なことなんじゃないかと思います。
2004年に世界遺産に登録された影響か、ここは京都は清水寺か!というほど外国からの観光客も目にしました。いや、この歴史は十分自慢できるっしょ。
これが高野槙(こうやまき)。皆お供えしてたり、家のお仏壇に飾るのか、買い求めている人も多かったです。
苔のアップです。
苅萱堂(かりかやどう)を見学した後は・・・・。
こちらのお店で精進料理をいただきました。ダンドリくんのおかげで個室でゆったり。
精進料理なのにビールを飲んじゃった!料理の写真はピンボケだったので載せません。
胡麻豆腐と茄子の田楽が美味しかったです。
お昼からはここは押さえておきたい金剛峯寺。山門からしてもう立派ですね。
いくつか写真を並べます。
外観も見事ですが、中も素敵でした。こんな山の奥深いところに石庭を造ってしまうこの美意識の高さ。見事です。板張りを床を歩くと、足元がとてもひんやりして気持ちがいいです。冬の寒さはきっとすごく厳しいでしょうね。ゆく年くる年でいつも雪景色ばかり映りますけどね。冬場は本当に修行らしい修行ができそうですね。
で、この金剛峯寺をゆっくり見て回った後、どこかでお茶でも飲もうかと思ったのですが、
高野山銀座(勝手に名付けた)はどこも人がいっぱいで満席。なぜかそのあたりだけ人も車も多くて妙に暑いし、ふらふらと次のバス停まで歩くことにしました。一軒くらい喫茶店くらいあるやろ!という感じで。
でも。
ありませんでした。
ちーーん。
まあ、ないならないで仕方ないやね。
じゃ、このお寺の中の木陰にでも入って、持参したイオン飲料でも飲むかなと思ったところ、いきなり、住職見習いと思われる若いお坊さんから声をかけられました。
「いらっしゃいませ。ご宿泊の方ですか?」と。
「いえ、違います。お茶飲みたいだけ・・・。」とは言えず、もじもじしていると
「どうぞ、どうぞ、中へお入りください。ご案内いたします。」と。
で、なんとなくお寺の中をじっくりご本尊様から弁財天さん、薬師如来さん、中庭、宿坊の入口まで丁寧に案内してくださいました。お寺の中はとてもひんやりしていて、あれ、喉渇いたの忘れてしまったなと思うほど。若いお坊さんは実家がお寺だそうで、いきなり実のお父さんから寺の仕事を継ぐのも何やなということで、ここ高野山で修行をしているそうです。
玄関を出る時には、正座されて、頭を地面にこすりつけるほど、深くお辞儀をされ、
「お気をつけてどうぞ。」と。
ああ、このホスピタリティーの素晴らしさよ!
これがきっと世界遺産登録の決め手やわ!と。
確かに山も建物も景観も素晴らしい。だけどやはりそこで修行されているたぶん1000人くらいと聞きました、こういうお坊さんやお坊さん見習いの方たちの立ち居振る舞いや、その熱心さ、ストイックさ、そして美しさが歴史、伝統と相まって評価されたのだと思いました。
喫茶店が見つからなかったおかげで、本当の意味の高野山スピリットに触れたような気がしました。
惜しむらくは、昨日はろうそく祭り(万燈会供養会)の日に当たっており、
夜8時から10万本のろうそくが奥の院から約2キロに渡って灯されるとのこと。
それ見たかったぁーーーー。
あのつきあいの悪い梅が居るがために、日帰りせねばならんとは!フン!
次は絶対あのお坊さんのいた宿坊に泊まりたいよ~。
そのお寺はこちら。
ちなみにこれが高野山のマスコット?ゆるキャラ?こうやくんです。
私は高野山はこんなのに頼らなくても十分魅力的だと思いますけどね。
本日のお土産、左からだらにすけまる(胃腸を整えるお薬)、生ごまどうふ、あんぷです。
あんぷはヨモギを練り込んだ生麩にこしあんを入れて笹の葉で巻いた素朴な和菓子です。
梅はパクパク食べていました。
いやあ、涼しくて山の空気をたっぷり吸いこんでリフレッシュできました。
またゆっくり時間が取れる時が来たら、一泊いや二泊ぐらいしてじっくり訪ねてみたいです。