2月16日付の紙面で、京都新聞の「くらし塾」というところに円形脱毛症の特集が組まれました。
サブタイトルは「円形脱毛症!?でも大丈夫」となっています。
見出しだけちょっと紹介いたします。
上に大きく「症状さまざま 焦らないで」と横書きで書いてあり
「何が原因」「何の病気?」募る不安
「かつら利用も選択肢に」
「ネットなどで情報交換」
「ストレスとの関連不明、早めの治療を」
紙面の約半分を割いて、円形脱毛症の種類について、現状について、当事者の声、
カツラの紹介、円形脱毛症を考える会の情報、医療情報と詳しく掲載されております。
お恥ずかしいですが、私の写真も円形脱毛症を考える会の副会長と紹介されました。
先日のインタビューの時のお話では生活面に掲載されるとのことでしたので、どんな仕上がりになるのかな?と、思っていましたら、本当に一生活者の視点に立った、わかりやすい、しかも大変ポジティブな内容の記事になっていて、ああ、あの記者さんに取材されてよかったなと思いました。
誰もがかかる可能性のある疾患ですし、悩んでいる人も決して少なくはないと思いますので、
地方紙とはいえ、大きく購買者層に共感してもらえる内容になっていると思います。
医療情報としてメディアに掲載されるときは、大概、ちょっと「かわいそう」なバイアスがかかった記事が多い中で、こういうふうに中立的な読者の視点に立った記事を書いてもらえるのは、私たちにとっても大変ありがたいことです。
この「かわいそう」ということについて少し。
先日Facebookでちょっとしたノートのようなものを書いてみたんです。タイトルは「ハゲについての考察」内容はハゲはそんなに悪いことなのか?そんなに社会的地位が低い、隠さなければならないものなのか?ということを問うような形で。
それに対するコメントがいくつか興味深かったので、ちょっとご紹介します。
*「かわいそう」という言葉を発する時は、どこか自分の方が(そのかわいそうな対象者に比べ)上から物を言っているように感じる。
*「かわいそう」は誰しもが抱える自然な感情。愛情といってもよい。
*「かわいそう」という言葉は言う方はそれほど気にしていなくても言われた方は傷つく
*病気やしょうがいのある人を皆と同じにしてあげられない状況を「かわいそう」というのではないか。それを個性としてとらえることができない。
*自分自身は決して「かわいそう」という言葉を困難な状況の人には使わない。そうされた
経験があるので。
多少わかりやすいように私が編集しましたが、ざっとこんな感じでした。
ハゲとはちょっと逸脱した感じになったのですが、なかなか、この「かわいそう」という言葉、
引っかかる人には引っかかるのかも知れませんね。改めて気づかされたことも多かったです。私もスキンヘッドで出歩いているので、あからさまには言われませんが、「髪の毛がなくてかわいそうね。」と、思っている人も多いのかも知れません。
それほど本人は気にしてなくても、周囲が勝手に「かわいそう」な人としてレッテルを貼ってしまっていることも多々あるのかも知れません。
私自身にその「かわいそう」という感情がないかと言えば嘘になります。私もどこかで病気の人や障害を抱えている人に対して「かわいそう」と思っている部分もあります。その度合いはきっと一般の人に比べれば多少は低いかも知れませんが、ないと言えばうそになりますね。
この「かわいそう」という言葉の意味や使い方に関してはもう少し、熟考したいと思います。
それから最初に述べた京都新聞の記事はネットでは読めません。
どうしても読みたい方はリンクを張りましたので、そちらにアクセスしてバックナンバーを取り寄せてください。よろしくお願いします。