ペパキャンのサバイバル日記

円形脱毛症で髪の毛がなくなりました。今はスキンヘッドライフ満喫です。
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「ルポ 虐待 大阪二児置き去り死事件」を読んで

2013-10-02 11:06:50 | 本と雑誌
ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書) ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)
価格:¥ 882(税込)
発売日:2013-09-04

この事件はどうしても何か引っかかるものがあったので読んでみました。

テレビなどでセンセーショナルに報じられたのでご存知の方も多いと思います。

以下多少内容について書きますので、まだ読んでない方でこれから読むおつもりの方はご注意お願いします。

マスコミでは若い風俗嬢の母親が炎天下の中、子ども(3歳と1歳超)をマンションに放置して、食事も水も与えず、次々と男遊びや夜遊びなどの放蕩を繰り返した挙句、子ども達を50日以上放置して死なせてしまったと報じていたと思います。たぶんネットなどでも、「母親のくせにけしからん」とか「ビッチ」だとかボロクソに書かれていましたね。

実際彼女がやってきた行為を見るとそれは事実で、えげつない事件だなというのが率直な印象です。

しかし、彼女の肩を持つわけではありませんが、この事件、本当に母親だけが悪くて、他の人は一切関係ないかと言われればまさしくそれは微妙で、そこが私の心にチクチクと刺さるのではないかと思ってしまうのですよね。

例えば、今回の事件、母子家庭で起きた悲劇ですが、これが父子家庭で起きた事件だったら世間はマスコミはこんな伝え方をしただろうか?と。

男性の風俗的仕事があるのかないのかよくわかりませんが、仮にホストクラブの男性が、女性達と遊び歩いて子どもを放置し、死なせてしまったとしたら、世の中の反応はどうなんだろう?と考えてしましました。

「やはり男手一つで二人の幼い子どもを育てながら夜の仕事を続けるのは無理があったのではないか?」とか「シッターを雇うって選択肢はなかったのか?」とか「もし、申し出があれば手伝って差し上げたのに」とかもう少し加害者に同情的なコメントが付くのではないでしょうか。

あるいは「離婚したのに子どもを母親が引き取らないとは何事だ!これは間接的に母親が殺したも同然だ」みたいな極端な意見も出てきそうです。

それだけ「育児=母親の仕事」という認識が世の中に蔓延しているといっても過言ではないでしょう。仕事と言うよりもう育児は母親抜きには成立しないというくらい、母親の負担は重い、重すぎると思います。

このルポを読む限りでは子どもを死なせた若い母親は、もともと成育歴においても自身もネグレクトされていて、父子家庭で育ち、充分な愛着形成ができないまま母親になっています。

こういう人は自身が母親になってもやはり子どもを虐待しやすい傾向にあることは、今ではかなり多くの人が知るところでしょう。

実際、元夫と離婚するまでは周囲の助けを借りながら(要は支えられながら)幸せな家庭生活を営んでいたようなので、やはり彼女が孤独と対峙した時にこの虐待が発生したと考えるのが普通だろうと思います。

元夫や、義両親、実両親など彼女に近しい人物がそのこと(虐待)を予見できなかったのかと思うと彼らにも何がしかの責任はあるのではないかと私は思うのですが。

特に元夫の不作為(何もしなかった)罪は大きいと私は思います。月に一度か二度送られてくるメールに「元気だ。うまくやっている。」といくら書かれていても、実の子どもを連れて元妻が職場や住居を転々としているのを知りながら、何一つそのことに疑問を抱かない状態って、人間として、父親としてどうなんだろうと思いますね。

裁判ではこの元夫が「託児所の料金はいくらぐらいかかると思いますか?」と聞かれ、「知りません」と答えるこの有様。どこまで無関心なのだろうと腹が立ちました。子どもを抱えたシングルマザーが最初に確保しなければならない託児所。そのことに思いが至らない元夫。

「無関心」というのもこの事件の大きなキーワードの一つだと思います。

近隣住民の無関心。子どもの泣き声が聞こえてきたと児童相談所に電話連絡をしてきた女性がただ一人。その女性も最後の最後まで自身の名前を明かさず、住居も特定できていない。

他の住民はもちろんそんなことに関心を持たない。母親が遊び歩いている相手は数多くいて、ホスト、美容室で知り合いになった人、風俗関係の人、四日市の同級生、ママ友などなど。若い母親は男には子どもがいることを隠し、子どもがいることを知っている同級生などには「祖父母の家に預けた」とか「妹の家で預かってもらっている」と嘘をついて、実際は子どもをマンションに閉じ込め、放置している。彼女に昔から虚言癖があり、都合が悪くなると「飛ぶ」(逃げる)という性格を知りながらも誰も、子どもに注意を払わない。関心を持たない。もっと言えば若い母親と同様「なかったことにした。」となっています。

たくさんの付き合いのある誰か一人でも本気で彼女のことを心配したり、案じたりしていれば、そこにはひも付きで彼女の子どもたちの存在が浮き彫りになるに違いないのだが、誰ひとりとしてそこまで踏み込んでは彼女と付き合わない。そうなれば何人の男たちと付き合ったところで彼女の本当の孤独は救われることはないということが容易に想像がつきます。

行政を責める向きもあったようですが、私は今現在の児童相談所が抱える問題件数と予算、人的パワーを考えるとそれは少し無理があるように思います。住民票を移していない子どもの数や虐待情報をどうやって行政が把握し、未然にこういう事故を防げるかというと、それは疑問の数の方が多いですね。いっそのこと現在七五歳以上のお年寄りに払っている年金を半額にして、その予算をすべて児童福祉の方に回せばできないことはないでしょうけど、この国はそんなことをするほどお年寄りをそっけなく扱いません。選挙に票も入れてくれますしね、お年寄りは。

後、感じたことはこの若い母親自身が自分の気持ちや心情を語る言葉を持ちあわせていないということ。筆者との面談、医師との面談、裁判での証言。どれをとっても何とも心もとないというか、的を得ないというか。自分でも自分の感情をコントロールできないのか、それとも、その状態を語る語彙を持ちあわせていないのか。何しろ「わかりません。」「覚えていません。」があまりにも多くて、精神鑑定が必要なくらい(裁判では責任能力があったとされた)で、これも彼女が孤立していった経緯と関係あるのではないかと推測されます。本当に助けが必要な時にきちんと「助けて」と言えるというのも一つの能力なのかも知れません。

最後に、今、私たちが生きている社会では子どもを産んだ瞬間から「母親なんだから。」「母性本能がどうのこうの」「母親として当たり前」と言ったことをたくさん言われます。言われる私たち女性もそんなものかと自分で自分を半ば強引に納得させて、子育てや仕事や家事に振り回されているわけですが、誰もがきちんとした母親になる資格試験に合格したわけでもないし、誰もがいわゆる「いい母親」に向いているとは限らないということをもっと自覚してもいいのはないでしょうか。

この母親みたいに始終男にちやほやされたいという気持ちは、女性なら誰でも持っているごく自然な気持ちです。「いや、私はもう人の親なんだし、夫もいるし、そんな気持ちはこれっぽっちもない。」などと綺麗事を言っている人は一度、誰かに頭を思い切りひっぱたいてもらうとよろしいです。そして、このちやほやされたい願望はたぶん70歳になっても80歳になっても、持ち続けるものだと思います。いわゆる「灰になるまで。」っていうヤツですね。

現に男の人は所帯を持ったって、子どもができたって、水商売や会社の部下の女性達とこんなにもたくさん不倫をしているではないですか。女性にその願望がないとは言えないでしょう。

もちろん皆、理性というものを持っているので、この若い母親のようなことはしない人がほとんどですけど、実は本当は彼女がやったことと普通の母親が子育てしていることは真逆のことではなく、崖っぷちで皆、ギリギリのところで耐えていると言った方が近いような気がします。

それは周囲の目かも知れないし、夫や祖父母など周囲の人の協力や理解かも知れないし、自分の中にある「母親とはこうあるべし」的物差しかも知れません。でもそういうタガががくっと外された時、若い母親のように自分だけはならないと言い切れる人はそんなに多くないと思います。だからこの事件はいつまでも私の頭にこびりついて離れないし、母親だけに懲役30年と言う重たい刑を処しても、それはまったくもって解決策にもならないし、このような事故を再発防止する手立てにもならないと思うのです。

うーー、今日は長くなってしまいました。

読みづらくてすみません。これでもうまくまとめようとしたのですが、なかなかまとまりませんでした。