●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

他者との和解について

2017年08月24日 | 思うこと



人は、誰かに対して罪を犯した場合に、

自分は悪くないと開き直るか、自分で関係を修復しようと策を練るかすると思います。

時によって、私は両方あります。




20年程前に、親しかった友達と関係がこじれてしまった時には、

最初は、「自分は悪くない」と味方を探しました。

その内に、それはいけないと思い、今度は自分で和解しようと奔走しました。

その和解は、自分の平安を得るためであって、

本当に相手の事を思っての事ではありませんでした。

ですから、近寄れば近寄る程に相手を傷つけている事に、

全く気づかず、更に傷を深める事になりました。

まさに、相手が嫌がっているのに、押し付ける和解です。

和解と言う良きものも、私の自我が覆い被さり、かえって傷つけてる事に、

全く気が付かずにいると言う、愚かな自分でした。




その後、少しずつ彼女と出会う機会があり、普通に話すことが出来ました。

しかし、もちろんもう友達に戻ることはありませんでしたが…





では、本当の和解はどうしたら得られたのでしょうか?

私は、最近こう思います。

相手との和解も、相手を許すことも自分の方策に頼らず、

神さまの方法と、時を待つことだと思うようになりました。

自分の方策は、どんなに「良いこと」と思えても、

所詮、それは自我のなす業です。




本当の和解には、神さまの御介入が必要だと認め、祈って待ち望み、

その時には、心からの気持ちと行為をもって謝罪すべきだと思います。

良い行いは、神さまが用意して下さるのです。

そして全ての栄光を主にお返しして、感謝を受け取ることだと思います。




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