●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

成長するクリスチャン

2018年10月31日 | 日記


普段から、夫とクリスチャンの成長について話しています。

先ずは、成長する人としない人では、何が違うのか?

元々言われて来た事は、

「謙遜にイエスさまに従って来た人は、変えられて行く」

「常に渇きを持って、イエスさまを求めている人は変えられる」

「忠実に主に仕えて来た人は、変えられる」

などありますが、どれも素晴らしい事なので、正にそうだと思います。




しかし、それは凡人にはなかなかハードルが高くないですか?

フルタイムの献身をして、多くの人に仕え、立派な働きをしていらっしゃるような、

特別な方にしか届かないようにも思えて来ます。




イエスさまは、もっと普通に自分のような凡人にも、

成長する道を用意して下さっていると思います。

先日書いた「砕かれる事」もそうですが、

根底に流れているのは、一方的な神さまの愛です。

どんな人にも、小さな生活の中で神さまが働いておられて、

その中で、成長出来るようにして下さっていると思います。




しかし、その過程で「神さまの御手」を全く認めないとか、

かえって、不平不満でつぶやいてしまい、退けると成長には繋がりません。

自分が間違った事は、イエス様にその通り申し上げて十字架の前で告白します。

自分では、どうしようもない環境の中にいる時には、

そっとそっとイエスさまに信頼して、委ねて淡々と日常をこなして歩みます。

(そう言う辛い時って誰にもありますよね)



そうですね、ポイントは「イエスさまといつも一緒に!」でしょうか?

自分の力では、「謙遜になること」も「間違い(罪など)を認めること」も出来ません。

自分の力では、「日常を淡々と歩む」事も出来ません。

そう!私たちにはどんな「良い事」も自分の力では出来ないんです。

(ここで自分を諦めるって必要ですね)

しかし、そうこうして居る内に、「ちょうど良い時に神さまは私たちを高く上げて下さいます。」




ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。

神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

(ペテロの手紙第一5章6~7節)




前よりも少し「成長したクリスチャン」に変えて下さるんです。

ですから、とても希望があります!

どんなクリスチャンにも成長するチャンスがあるからです。

成長している人と、そうではない人の違いは、

「神さまの御手を認めて、主に信頼して歩む」か?

「環境や状況に不平不満を言い、自分の力に頼る」か?

でしょうか?




最新の画像もっと見る

コメントを投稿