●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

全能の神さま

2018年01月17日 | 教会






(創世記17:1)

アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現れ、こう仰せられた。

「わたしは全能の神である。

あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。




今週のメッセージの聖書箇所です。

アブラムに教えられた神さまの自己紹介は、

「全能の神である」でした。

ですからアブラハムは、

「死人を生かし、無から有を生み出される神」(ローマ4:17より)

を信じたんですね。




私は横になってて、ふと思ったのですが、

「自分は、神さまを本当に全能だと信じているのかな?」と。

もちろん、理屈としては信じていますし、聖書を信じています。

でも、現実社会の中で、全能の神を信じた行動をしているのかな?

何でも出来る神さまに期待しているのかな?と。




そして車に乗りながら、心の中で叫びました。

「神さまの全能を見たいです!神さまの全能を見たいです!」

それは、ホントの神さまがどんなお方かを、もっと知りたいって事です。

そしてその前に、先週のメッセージで語られた、

「God is good.All the time.」の愛を信じた上でのことです。




意外に、イエス様を心から信じて、熱心なクリスチャンにも、

神さまの最善を信じていないことがあります。

(って、昔の私ですが・・・苦笑)

愛のゆえに苦悩を与え、練り清め、ぐちゃぐちゃにし、謙遜を身につけさせ、

整えられた有用な器へと、コテンパンに変えられる。。。

(これは私の偏見でした、ははっ(*_*;)

確かに、神さまはそうされる時があるかも知れませんが、

そこには愛と慈しみが覆っています。




アブラムが、アブラハムに変えられるには、

試練を通されなければならなかったかも知れません。

ヤコブが、イスラエルに変えられる時もそうだったでしょうが、

そこには、打たれたイエス様ご自身が覆っておられたと思います。



全能の神さまの時空を超えた偏在ですね。

(注・今気づきましたが私はいわゆる「全能神」とは関係がありません)










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