●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

私にとっての十字架の意味

2014年12月22日 | 思うこと



そうですね~もう十数年前の事でしょうか?

私は、捨てられたと思いました。

人にも捨てられたけど、神さまにも捨てられたと。

それも仕方のない事だと、すっかり諦めていました。

私は、捨てられても当然の人間だと思いました。

それ程、私は救い難い悪に満ちた人間だと思い知りました。

救われるはずもない、捨てられて当然の私。

突きつけられた現実は、厳しく無情でした。

私は、やっと神さまに対しても人に対しても黙りました。

弁解する言葉も全くなくなり、神さまにも顔を上げられません。

ただ、悲惨な現状を認め静かに黙るしかなかったのです。

もう私は自分を救おうとはしませんでした。

捨てられて当然だと悟ったからです。




その時がいつだったのか分かりませんが、

ある瞬間、ふと「愛されてる…」と分かったんです。

静かに思いました。

「なぜ愛されているんだろう?」

私は愛されるはずないのに。

この静かな気持ちは何だろうか?

それから、ある聖書の言葉が心に浮かびました。


「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」

(マルコ15:34)


あ~私が捨てられる代わりにイエスさまが捨てられたんだ!

本当は、私が捨てられるはずだったのに、

イエスさまが捨てられて下さったんだ!

と、頭では知っていた事実を初めて本当に知りました。

多分、それが私が最初に本当に十字架を知った時だったと思います。

クリスチャンになって随分と経ってからの十字架体験でした。

その後も、ゆっくりした歩みですが、あの日があったから、

今のクリスチャン生活があるのだと感謝しています。

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