音楽にこんがらがって

音楽制作を生業としている加茂啓太郎の日常

キャプテン・ビヨンドが好き。

2020年04月07日 | ロック
なぜだが分かりませんが王道から少し外れたアーティストが王道のアーティスト同じくらいに好きなんです。

ロキシー・ミュージック、レジロス、ウルトラボックス!(初期)デフ・スクール、B52’S、バズコックス、オンリー・ワンズ、ムーン・ライダーズ、ザ・コレクターズ、モノクローム・セット、ファンカデリック、ムタンチスetc

その中ひとつに僕が偏愛して止まないバンドがキャプテン・ビヨンドというバンドがあります。

去年も新しい発掘音源がリリースされてました。
音質が最悪過ぎだからだと思うのですがレココレにも紹介されませんが、個人的に盛り上がったので、今、時間がある事もあり、数奇な運命(というほどでもないですが)彼らについて私見も含めて書いてみようと思います。

彼らはジャンルとしてはハードロックですね。
レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブラック・サバス、AC/DCも、もちろん好きですが個人的にはキャプテン・ビヨンド(ファーストだけで理由は後述します)
はそれらに勝ります。

プロフィールを紹介すると
1971年 元ディープ・パープルのボーカル、ロッド・エバンス(中央)、元アイアン・バタフライのベースのリー・ドーマン(左上)とギターのライノ(右)
元エドガー・ウィンター・グループのドラムスのボビー・コールドウェル(左)(後のAORシンガーとは別人)でロサンジェルスで結成。

当時、流行ったスーパーグループとして話題になりました。


オリジナル・アルバムは3枚ですが、トリビュート・アルバムがあったり、ここ最近、デモやライブ音源のリリースが相次ぎ、カルトな人気があるんだと思います。

僕のコレクションです。


ボビーの2013年のインタビューを読むと(英語なので事実と違ったらすいません) リーとライノがアイアン・バタフライが洞窟(直訳)に入るので一緒にやらないか、ボーカルはロッドに決まっていると加入の要請がボビーにあったようです。

ロッド・はディープ・パープルをクビになり(理由は力量不足だったとは言われますが、力量不足というよりロバート・プラント的なハイトーンでシャウトするのがロックのトレンドになってきたので、それに合わないと思われたのでしょう)

当時、ジミ・ベンドリックスしかり、シン・リジーのスコット・ゴーハム、スパークスのロン兄弟、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティーなどアメリカからイギリスに活動の拠点を移すアーティストはいましたが逆のパターンは僕の知る限りいないです。

理由は謎ですが、デビュー当時、ディープパープルはイギリスのバンドでもあるにも関わらずアメリカのレーベル、テトラグラマトン・レコードとしか契約出来ずアメリカでしか発売されなかったので、そのツテを頼ったのか、女性関係ですかね(70年代の007シリーズで映画で中盤くらいで殺される悪者みたいなイケメンですから、モテたとは思います)

ボビーのインタビューではオールマン・ブラザースのデュアン・オールマンにたまたまデモを聞かせる機会があり、同席していたカプリコーン・レーベルのA&Rが気に入りデビューが決まったそうです、なのでクレジットに亡くなったデュアンの思い出に捧げるという名前があるかのと思います。

上記のインタビューで「自分たちはカプリコーンはサザン・ロックのレーベルでイメージは違うけれど冒険として面白いと思った」と言ってます。

ちなむにナンバーガールがテキサスのSXSWに出た時に、このカプリコーン・レーベルのA&Rが見に来て名刺交換をした記憶があります。
もし解散しなかったらレーベル・メイトになっていたかもしれません。

そして1972年に大傑作アルバム「キャプテン・ビヨンド」をリリースします。

A面は当時流行りプログレの組曲スタイル。

1曲目から5拍子のドラム・パターンなんですが、変拍子というのは聞いていて『あれなんか変じゃないか!?」と思って指折って数えて確認するののですが、
ドラムだけなのですぐ5拍子と分かるのですごく親切ですね。

演奏は上手いですが、ツェッペリンなどのA級バンドに比べると演奏が突っ込み気味でタメがないので貫禄と風格に欠け、キック、ベースといったロウがちゃんと録れていないので迫力ないのが残念です。

ボーカルはロックというよりラウンジ・シンガーみたいなのですが、良く言えばデビッド・ボウイですが、むしろ布施明に近いと思います。

特徴としては、この時代のバンドにしては歌も演奏も珍しくブルースっぽさが皆無なんです。

アイアン・バタフライもエドガー・ウィンター・グループもブルース・テイストはあるので、それが嫌でリー、ライノ、ボブの3名は辞めて、ブルース・フィーリングのない
ロッドを誘ったのでないかという推察出来ますね。

個人的にブルースは割と苦手なんです。

なのでクリーム(アルバム1枚も持ってないです)やフリー、曲によっては実はツェッペリンも、あまり好きで無かったりします。

なので、そこが僕にはツボなのかもしれません。

週刊文春の桑田佳祐さんのコラムを読んでいたら自分のルーツはエリック・クラプトンからのブルースだと書いてあったのですが、僕がサザン・オールスターズを好きになった事がないのは、そのせいかもしれません。

話が外れました。

70年代のハードロックはコーラスはあまりないのですが、彼らは「パラ〜パラ、パラ〜パラ」みたいな唐突なソフト・ロックのようなコーラスが入り、これがオリジナリティーにもなっていると思います。

歌詞は所謂、宇宙&SFみたいな雰囲気もの、さして意味はないのではないでしょうか。

ギターはジミヘンの影響が多いと思います(機材もストラトにマーシャル、カバーもしてます)
甘めで鼻が詰まったような歪みも独特なのですが、クリーン・トーンも良いんですよね。
チョーキングで溜めず、早いパッセージで攻めるのはアルビン・リーも思い起こします。
単音のリフの跳ねる感じはカントリーの素養もあったのかもしれません。

ドラムはミッチ・ミッチェルが近いです。ミッチ・ミッチェルが叩いていると言っても信じるかもしれません。

ベースは特にこれといった特徴はないです。強いて言えば動画見ると、テレキャスター・ベースを使っているのが珍しいという事くらいです。

プロデュースはバンド名義ですが、エンジニアは録りのエンジニアはウェイン・ディレイーという人でディスコッグス(便利過ぎ!)で調べたら矢野顕子の「ジャパニーズ・ガール」も担当していました。 そう言われれば音が近い気もします。

当時、矢野顕子はキャプテン・ビヨンドを多分知らなかったと思うと残念です。

ミックスは後にオールマン・ブラザース関係のアルバムを多く手がけるジョニー・サンドリン。
さすがサザン・ロックのエンジニア、全体に音が埃っぽいんですよね。

僕がデイレクターなら「ボーカル下げても良いから、もっとキックあげて」とミックスの時に頼んだと思います。

「スティーブ・ウィルソンにリミックスしてもらいたいクラッシック・アルバム」なんていうリクエストがあれば1日一票入れますね。

「後のラッシュ、ジャーニー(多分初期)のプロトタイプになった」と発掘音源のライナーにありますが当たらずとも遠からずです。

このアルバムの特筆すべき点は作詞作曲が全てドラマーのボビーなんです! (実際は他のメンバーも一部歌詞は書いてるようです)
Xですら全曲YOSHKI名義ではないので、こんなアルバムはないと思います。

ジャケットが3Dステッカーでアイコンである「キャプテン・ビヨンド」が立体的に見えるのですが、後にストラングラーズ、松任谷由実などが使いますが、多分レコード・ジャケットでは世界初ですね。よくこんな特殊仕様がデビュー・アルバムで通ったと思います。

バンドがアイコンでキャクターになるのも後にラモーンズ、アイアン・メイデン、ラブ&ロケット、ウルフルズなど思い出しますが、これも偶然だと思いますが、かなり早いアイデアかと思います。

ちなみに思いつきですが、このアルバムを寿司ネタに例えるとツェッペリンがマグロの赤身、サバスはハマチ、ディープ・パープルは雲丹だと、すると彼らはイカ、鯵といった感じでしょうか。

バンドを寿司ネタに例えるというのは、ちょっと面白いかもしれないですね。

アイドルならフィロソフィーのダンスはいくらの軍艦巻き、sora tob sakanaはエンガワ、大阪⭐︎春夏秋冬はみる貝というのはどうですか?

話がずれました。

彼らはこの後、オールマン・ブラザース、アリス・クーパーといったバンドとツアーに出るのですが、実質リーダーであるボビーがインタビューによると「個人的なエゴのため」脱退してしまいます。

バンドはドラム、ピアノ、パーカッションの新メンバーを入れてセカンド・アルバム「サフィシエントリー・ブレスレス(邦題「衝撃の極地」)を73年にリリースします。

このアルバムは、今度は何と、ベースのリーが全作詞作曲を担当しています。
ソングライターが抜けてしまったら、メンバー一丸になって頑張ろうというのが普通だと思うのですが、
不安になったメンバーに「ここは俺が頑張るから」とでも言ったのでしょうか。

涙ぐましいです

アルバムはサンタナに影響されたようなスペーシー・ラテン・ロックというようなかなり独特なアルバムになりました。
面白い部分もありますが全体的に詰めが甘い感じで、残念作という感じです。

ジャケットでメンバーがインディアン、ナポレオン、イギリスの王室の警備兵、バイカー、宇宙飛行士、(もう一人は何だか分からないです)のコスプレをしているのは73年という時期を考えると早いですね。
ビレッジ・ピープルに影響を与えたかもしれません。

それとデュアン・オールマンに続いてバイク事故で亡くなったオールマン・ブラザースのベリー・オークレイの思い出に捧げるとクレジットにあるのですが、2作続けて同じバンドで亡くなったメンバーの名前があるのは不吉です。

その後、何とセカンド・アルバム・リリース直後にボビーがバンドにやっぱり自分の曲はベイビーなので(直訳)自分でをやりたくなったという事で出戻り(ワガママか!)

首になったメンバーは気の毒ですよね。お察しします。

73年にはキング・クリムゾンとツアー(タイム・マシンがあれば2番目に行きます!1番は幕末の坂本龍馬暗殺が行われる直前の近江屋)をしてジョン・ウェットンやビル・ブラフォードと仲良くなったそうです。

良い感じなってきたので、74年に次回作を作る打ち合わせをしようと思ったらロッドがバンドをやめたい(理由は不明)と言い出したため解散したそうです。

出戻り後のライブ音源もリリースされているのですが、解散直前のバンドとは思えないテンションなので、これでトム・ダウト、エディ・クレイマー、アンディー・ジョーンズ
あたりをプロデューサーに迎えてアルバム作って欲しかったです。

ですが1977年、ハイ・トーンが出ないスティーブ・ペリーみたいなウィリー・ダーファン
というボーカリスト(その後ゲイリー・ムーアのG-Forceになぜか参加)を迎えサード・アルバム「ドーン・エクスプロージョン」を突然リリース。
理由は分からないですがメンバーの動向が聞こえなかったので、パンク、NWの時代になり食い扶持が欲しかったのだろうと思います。

当時、ファンなので期待したのですが、ジャケットを見てすでに嫌な予感。
聞くとセルフ・パロディーのような楽曲で、がっかりしたアルバム・チャート人生1位です。
(今聞くと珍品として面白かったりもしますが)

映画「ボヘミアン・ラプソディー」で「俺たちは同じフォーミュラはやらない」とフレディー・マーキュリーが言ったシーンを見せたいです。

当然、売れもせず解散したようです。

80年、ロッドは無断でイアン・ギランやリッチー・ブラックモアががいるかのような思わせる(ルックスが似てるメンバーを入れたそうです)偽ディープパープルを結成。
自分が参加していないディープパープルの時代の曲を歌い、ライブ途中でバレて(当たり前)客にビンなど投げられるという事件を起こしました。

ほぼバカですよね。

この事件でディープ・パープルの全ての印税の権利を剥奪されたそうです。

2016年、ディープ・パープルがロックの伝道入りした時にも彼はメンバーには入れてもらえず(ニック・シンパーはイアン・ギランを入れるために詰め腹切らされたんだから入れてあげれば良いのにと思いました) 生死すらも分からない(ボビーの話ではカルフォルニアで医療の仕事をしてるそうです)というのは、よほど遺恨があり黒歴史として葬り去りたいんでしょうね。


その後も彼らは結成、90年代から結成&解散を繰り返し2000年にはボビーとライノを中心にミニ・アルバム「Future is now」がリリースされました。
名盤のファーストは聴けないのに、これはサブスクで聴けますね(1曲目は日本のアニソンみたいです)

恐ろしい事に去年5月に300人キャパ程度の会場でツアーやってました(オリジナル・メンバーはボビーだけですが、ライノとリーは既に2012年に死去)
動画を見るとトなぜかリプル・ギターの5人編成であまり意味が分かりません。

個人的彼らに思い入れがあるのは高校生の頃、2階の六畳でファーストを「カッコイイ!」とのたうち回って聞いてたのですが、
大人になるにつけて聞かなくなってきました。
CD化された時に聞いて見たのですが、さして感動もなく「大人になると好みは変わるなぁ」と思ったのですが、
10年くらい前にアナログ・レコードが再発されて、期待もせずに聞いたら高校生の時の感覚が蘇ったんです!
これがきっかけで「CDよりレコードの方が良い』と気付かされ、そこから僕のレコード・リバイバルが始まりました。

彼らには、こういう恩義もあるわけです。


長くなりましたが最後に彼らの当時のライブ映像です。ベースのリーの意味不明のパンツ、手持ち無沙汰だから置いたとしか思えないパーカッションと、その適当なプレイも最高です。

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