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川越城 家老詰所

2018-06-30 20:00:51 | 日記



家老詰所
家老詰所は10畳で思いのほか狭く、人形3体で丁度よい
広さです。
幕末川越藩の家老は3名だったようです。幕末川越藩は、
東京湾警備を命じらえれおり、家老3名が
東京湾警備の検討を行っている場面だそうです。



廊下






入側



記録方詰所



年寄詰所



厠(かわや)













川越城 本丸御殿内部

2018-06-29 21:31:03 | 日記
本丸御殿絵図
本丸御殿と家老詰め所が現存しています



本丸御殿案内図
玄関は豪壮な唐破風で、内部もさぞ江戸城や二条城のように
襖絵・欄間・格天井で立派ではないかと想像していましたが
襖(ふすま)もなく板戸で大広間にわずかに板戸絵と欄間が
有るぐらいで大変質素です。再建されたのが幕末で川越藩に
お金が無かったのか、幕府に遠慮して質素にしたのか・・・?




大広間 36畳
大広間広さは36畳で本丸御殿最大のお部屋です。太平洋戦後
は中学校の室内運動場として使用されていた為、天井にはバレ
ーボールのボール後が残っています。

この大広間でテレビドラマ「JIN」で恵姫の耳の下部分
にあった“こぶ”を手術するシーンを撮影しました。


槍の間側に板戸絵が描かれています。欄間は無く白壁になっています。



使者の間側には板戸絵と欄間があります。






鎧兜
鎧兜は随分小さく子供用かと思われますが、おそらく大人用と
思われます。江戸時代の身長は男性155~158cm”“女性143~
146cm”で現在の中学一年生ぐらいの身長です。

 ちなみに012年における日本人20代男性の平均身長は約171cm、
女性は約158cmなっています。



廊下









槍の間



使者の間



番抜老体詰所



物頭詰所



坊主当番詰



お庭







川越城 本丸御殿

2018-06-27 23:14:50 | 日記
 川越城主は、酒井忠勝・松平伊豆信綱・柳沢吉保など、良く
知られた幕府の要職についた歴代藩主が多く、幕閣の老中数7
名は全国でも最多の藩の1つでした。

 本丸御殿は、幕末の1848年に建てられた入母屋造りで、
大唐破風ついた間口19間・奥行5間の大玄関・車寄せが
あります。本丸御殿大広間は川越城の他には高知城にし
か現存していなくて大変貴重な立てもとなっています。




















川越城

2018-06-26 22:57:55 | 日記



中ノ門濠
川越城のお濠は深さ約7mあります。明治元年に 川越城主・松平康英
が明治政府に恭順の意を示すため、堀を埋めました。唯一中ノ門濠が
残っており当時の姿に復元されています。




中ノ門跡
元々は長屋門のようでしたが、冠木門で復元されています




古地図中ノ門




中ノ門図面









川越城




本丸御殿






川越 時の鐘

2018-06-25 21:38:07 | 日記
江戸時代では時の基準を夜明け(明け六ツ)と日暮れ(暮れ六ツ)とし、
これを境に1日を昼間と夜間に分けその各々を6等分しました。

「明け六つ」と暮れ六つ」の決め方は、明るい星がいくつか見える頃、
手の大筋が三つばかり見える頃が「明六つ」「暮六つ」とされました。
雨の灯や曇りの日はどのように決めたか不思議です。

時の鐘は江戸から始まり日本全国に広まっていきました。
江戸の初めには西洋から伝わった時計の国産化が始まり、時の鐘は
この和時計もしくは、香盤時計を基準に鐘が撞かれました。

 香盤時計とはお香の燃える速度が安定していることを利用した
時計で、灰の上にお香を木型でつづら折りにしき火をつけて燃えて
行く長さで時間を図りました。



川越「蔵造りも町並」に建てられています「時の鐘」は約16mの
高さがり、寛永年間(1624年~44年)に建てられました。
現在の鐘楼は明治時代の川越大火の後再建され現在も一日4回鐘が
突かれています。