凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

聖域と出逢う 1

2007年08月19日 | 旅のアングル
 先日、久々に奈良は桜井にある大神神社(三輪神社)の神体山である三輪山に登頂してきた。ここに登るのは約8年ぶりのことである。
 この三輪神社、大和国(現在の奈良県)の一宮であり、日本で最も古い神社ではないかと言われている。こういうことの真偽などはもちろん分からないけれども、そう言ってもちっともおかしくないくらいに古い。その証明とも言うべきことのひとつに、この神社はこれだけ社格が高い神社でありながら本殿を持たない。
 普通日本の神社というのは、神がやどる(依り代とする)本殿を中心として、その前に拝殿があり本殿に居る神を伏し拝むのであるが、この神社はその依り代が後方に聳える三輪山なのである。その三輪山に神が天降(あも)る。三輪山が本殿であり神体そのものなのである。
 こういう形態は、日本の原始宗教とも言える形態であるそうなのである。かつて日本の原始信仰は、木々や磐や滝などに精霊が宿るという言わば「アミニズム」であったと考えられている。その形態を色濃く残しているわけだ。
 もちろんかつて、この神体山である三輪山には人は入り込むことは許されなかった。僅かに特別の場合に(旱魃などの時の雨乞い等)入山がなされたと聞く。今では、三輪神社から山之辺の道を辿ってゆく隣(?)の狭井神社に入山口があり、時間を限って住所、氏名などを明記の上、襷を掛けての入山が許される。誰でも入れるようにはなったのだが、もちろん往復とも指定された一本の登山道を上下する以外は許されない。山中には多くの禁足地があり、何人たりともそこへの侵入は厳禁である。
 
 夏の暑い日の午後、僕は許可を得て入山した。暑い。既に汗が滴り落ちている状況である。入山口にある「入山者の心得」(汚すな・食べ物を持ち込むな・写真撮影はダメ)などを見つつ足を踏み入れる。
 一歩山に入ると、木々が生い茂り陽光は届いてこない。気持ちだけでも涼やかである。木漏れ日が斜光線状に道を横切り、幻想的な風景とも言える。急坂のあと道は沢沿いとなる。
 ここにひとつ磐座(いわくら)がある。巨石を断ち割ったような形態の中に小さな空間があり、注連縄が張られている。実に神聖な雰囲気。思わずこうべを垂れる。
 磐座と言うのは神が天降る依り代である。三輪山には山中にこういう磐座がいくつもあると言われる。代表的なものに「奥津磐座」「中津磐座」「辺津磐座」と呼ばれる三箇所の聖地である巨石群が存し、それぞれ大物主神、大己貴神、少彦名神を祀るとされている。この山道は山頂にある奥津磐座を目指しているわけである。
 ただ、中津磐座と辺津磐座についてははっきりとした案内はなされていない。中津磐座は中腹にあると言われているが、辺津磐座は山麓にあると言われている。
 
 三輪神社の拝殿は、前述したように三輪山山麓にある。この拝殿の奥は当然禁足地であり、そこに辺津磐座が存在するのではないかと言われている。しかし、詳しいことは分からない。
 以前、拝殿に昇らせてもらえる機会があった。その時、僕は不敬だと知りつつこっそりと拝殿の奥を覗き込んだ。
 そこには、重要文化財である「三ツ鳥居」が存する。「古来一社の神秘なり」とされたこの三ツ鳥居は、明神形式の鳥居(鳥居の一番上の横棒が笠のように覆いかぶさっている形式)の両側に、やや小型の脇鳥居が組み合わされていて、つまり柱4本で三つ鳥居を造って並べたような形である。特殊なものだ。
 鳥居というのはくぐるためにあるのが普通だが、ここの鳥居はそうではない。脇の二つの鳥居は塞がれていて、横に伸びる塀(瑞垣)と一体化している。そして真ん中の本鳥居の入り口には御簾が掛けられている。そのとばりの内側には扉があるらしい。この扉は一年一回、元日の繞道祭でのみ開かれるという。
 その鳥居の上部に開く隙間から奥を覗くと、なんだか右側に建物が見える。校倉造みたいだ。あれが噂に聞く宝物殿(神庫)なのか。だがはっきりとはわからない。見えない部分に磐座が祀られているのだろうか。背伸びしてもわからない。ここは絶対の禁足地なのだ。
 
 そういうことを思い出しつつ山道を歩く。山道の脇を流れる沢はやがて尽き、そこに水行場がある。小屋があり、その奥に小さな滝が設えられてある。「三光の滝」だ。そこで水行が出来るようになっている。
 以前ここを訪れたときに、水行真っ最中の方々を見てしまったことがある。「見てしまった」と書いたが、小屋の扉を開けるとそこで女性二人(巫女さんか)が何かを唱えながら(祝詞か何かは聞き取れない)水を浴びていらっしゃる。神聖な行事を覗いてしまった後ろめたさのようなものを感じ僕は足早にそこから離れた。
 水場を離れるともうひたすら山中を登りである。厳しい。以前来たときはもう少し余裕があったと思ったが、やはり年齢か。息が上がる。
 しばらくゼイゼイ言いながら登ると、山の斜面に巨大な磐座が現れる。巨木に囲まれ大きな岩がゴロンゴロンと重なり合い、周りには結界の縄が張られている。実に神聖な光景である。ここが「中津磐座」であるのか。ただ、そういう案内は全くされていない。そうかもしれない、と思うだけである。
 磐座とは何か。僕には神道的解釈も学術的解釈もよく勉強していないのでわからないけれども、感覚として、巨石ないしは石群にはなにやら神秘的な香りがするのは確かだ。僕にも古代人のDNAは確実に受け継がれていると思う。また感覚で言うと、岩自体が神であるということではない。ただ、そこに神が降りてくる可能性のある場所であるというのは何となしにわかる。多分祈れば降りてきてくれるのだろう。だから、その聖なる場所は穢してはならない。神の座であるから。禁足にするのも理解出来る。
 日本各地にこういう巨石信仰は存在する。僕の住む西宮市には「越木岩神社」というのがあり、やはり巨石を祭祀している(HP)。ここはなかなかに凄い。確かに神聖さを感じる。
 話がずれてしまうが、「神が天降る」と感じられる場所は、巨石だけではない。巨木や泉、滝などにもそういう神聖さを感じることがある。屋久島の縄文杉などは正に神の木だ。摩周湖や那智の滝もそうだろう。結局はその神聖さを感じる「場所」がすなわち神座で、究極のところはそれは「何もない空間」ではないかと思うのだが、ちょっと話が進みすぎた。

 「中津磐座」ではないかと思われる場所を過ぎてもまだ急な坂は続く。暑さによりどんどん体力は失われ、ヘトヘトである。休み休みでないともう無理だ。ただ、山の木は非常に繁茂していて、直射日光が当たらないのが救い。この「森の深さ」が静寂を生んでいる。
 しかし厳しい。そもそも、登山道というのは傾斜をやわらげる為にジグザグに刻まれている場合が多い。だが、三輪山は稜線を一直線に進むのだ。少しでも山を傷つけない配慮であり、足跡を減らすためであろうとは思うが、登攀には辛い。
 その木々の間から少し空が見えるようになってくる。頂上が近いのだろう。道もようやくゆるやかになり、視界が広がる頃、高宮神社の祠が姿を現す。あまり大きな祠ではないが、簡素な造りに神聖さが浮かび上がる。祭神は日向御子神。不思議なのは、建っている場所は平地なのだが、そこに穴を掘るように窪みが築かれ、その中に鎮座している。これは濠なのだろうか。よく分からない。まずは参詣。
 その高宮神社の後方、歩いて5分くらいのところだろうか。「奥津磐座」にようやく辿り着いた。
 広さは…一周すると100mには満たないかなぁ(よくわからない)。注連縄で囲まれている。当然禁足だ。そこに大小の磐が重なり合い鎮まっている。ピラミッド状ではなく、上部は平坦、とまでは言わないが岩々で舞台を造っているかのようだ。この上に神が天降るのだろう。聖域、という言葉に相応しい神々しさを感じる。陳腐な表現ではあるが、思わず平伏したくなる。
 この磐座の上に祠でも建てようものならもうブチ壊しだろう。その磐の上にある「聖なる空間」が神秘さを増しているのであるから。大神神社によれば、ここに「大物主神」がおわすらしいのであるが、おそらく大物主神という「国つ神」のトップがここに祀られる以前からここには磐座はあったのではないか。大物主神は大国主神であり大己貴神と同形であるが、大己貴神は中津磐座に祀られている。磐座を後に国つ神のトップに比定したのではないか。もちろん僕は神道のことなど門外漢でありこんなことを書いてはいけないのだが、感覚的にそう思う。
 国造り神話は古事記、日本書紀に書かれてあるが、それ以前の原始的な信仰の姿がなんだか見えるような気がする。三輪山がはっきりと大物主の山になったのは、もしかしたら不比等以降の事であるのかもしれない。それ以前にもずっとこの山には神が天降っていた。あえて言えば、大物主とは「おおいなるもののけのぬし」であり普通名称であるようにも思う。
 いい加減な妄言を書いてしまった。もちろん決して茶化すつもりではない。それほどこの磐座には特定の人格(神格)を超えた何かがあるような気がする。
 拍手を打ち合掌し、その磐座を去る。

 下りもなかなか厳しい。急坂のせいだ。ヒザに古傷を持つ僕には多少堪える。それでも重力に逆らわないぶんだけマシ。そうしてもとの狭井神社に帰って来た。
 厳しい暑さのせいでもうフラフラである。神社に襷を返して神奈備への参詣を終える。
 狭井神社拝殿の脇に神水が湧いている。この「薬水」が湧く井戸があることから「狭井神社」であるわけだが、この神水を思わずガブ飲みしてしまう。飲んだしりから汗となり身体を伝う。薬効のある聖なる水であるはずだが、こうもガブガブ飲んでは効力も期待出来まい。

 以上が三輪山登山のあらましだが、この「聖域」というものについてまたいろいろ考えてしまうことになった。次回に続く。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スタンディングクラッチ | トップ | 聖域と出逢う 2 »

コメントを投稿

旅のアングル」カテゴリの最新記事