凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

日本のはしっこを歩く 2

2007年01月14日 | 旅のアングル
 前回の続き。

 日本最西端の地。それは与那国島である。ここは日本の正真正銘の最西端である。前回書いたように、日本の東南北のはしっこはそれぞれ曰くつきでもある。現状でもそれぞれ弁天島(北)、南鳥島(東)、沖ノ鳥島(南)であり、北方領土との兼ね合いもある。実際、普通に旅をしていれば行けない所ばかり。しかし与那国島だけは、公共の交通機関を使って誰もが訪れることが出来る。
 場所は、石垣島から西方124km。台湾までは111kmであり、正に「国境の島」だ。かつては怪力無双の巫女として君臨したサンアイ・イソバによって統治されていた独立国。後に琉球王国に併呑され琉球処分により日本となったが、地勢的に台湾に最も近く、第二次大戦後の米軍統治も経ているので、独特の文化がある。ついこの間まではカイダ文字と呼ばれる象形文字も実際に使われていたらしい。神秘の島である。

 近頃は与那国島もメジャーらしい。例の海底遺跡の発見によりメディアでもしばしば登場する。また僕は観ていなかったのだがドラマ「Dr.コトー診療所」の撮影地にもなってロケ地めぐり観光も増えている由(富良野や尾道みたいなもんだな)。
 僕は与那国島には一度しか行った事がない。それはもう21年も前のことである。なので少しズレたことを書いてしまうかもしれないが了承していただきたい。
 与那国島に行く手段としては、もちろん飛行機がある。石垣からだけではなく那覇からの便もあるし、たいていの人はこれで行くだろう。しかし21年前の僕は当時学生であり、貧乏旅行で飛行機などとんでもなかった。船だ船(笑)。石垣島から船が出ている。今では週二便、ということになっているようだが、当時は「だいたい4日に一便」というアバウトなものだった。
 ところがその船がなかなか石垣島を出航しない。僕が行ったのは3月だったのだが、どうも荒れた季節だったようである。与那国へは外海を行くため、石垣から西表や石垣へ行くのとはちょいと様子が違うようだ。海が荒れてずっと出航を延期していたらしい。
 しかし、それも一週間ともなると「島に物資が不足する」という事態になっているらしい。そこで「ちょっと無理をして出航」という運びになった様子。石垣島で与那国島行きの船待ちをして、ずっと呑んだくれて滞在していた僕はこれ幸いとその船便の切符を買った。しかし船会社の窓口のおばちゃんは「海が荒れる中無理やり行くのです。相当揺れますよ。大丈夫ですか?」と念のため聞いてきた。僕は船酔いなど全くしたことのない人間であるし、そんなの大したことじゃあるまい、とタカを括って「大丈夫大丈夫。チケット頂戴」とお気楽に乗り込んでしまったのである。
 乗ってみて驚いた。いちおう「フェリー」という名目であったがかなり小さな船である。つまりこれは貨物船なのだ。乗客のスペースは、まあ20畳くらいのもんだっただろうか(記憶であり正確ではない)。狭い座敷だ。その中に乗客が20人くらいである。みんな肩寄せあってという風情である。出港は朝9時。時刻表によると15時半着ということになっている。6時間半の船旅だ(現在は4時間くらいで行けるらしい。船のグレードが上がったのだろう)。

 船は定刻に出港した。港を離れ外海に出ると、驚くほどの揺れである。文章でこの揺れを表現できるかどうかよく分からないが、外海に出てしまえば船はまあ枯葉の如き存在だった。ローリング(横揺れ)とピッチング(縦揺れ)が激しく同時にやってくる。大きな「8の字揺れ」をしているとでも言えばいいのだろうか。船室に座っていたのだが、座ることすら覚束なくなってきた。みんなダルマのようにゴロンゴロンとひっくり返ってしまう。立つことなどとても出来ない。
 乗客の顔が全員青ざめた。船酔いが襲ってきたのだ。三半規管がここまで苦しめられた経験などない。僕の、船の揺れなんぞたいしたことないという自負は木っ端微塵である。
 そのため、ちょっとこういう場では書けない惨状が船室内で繰り広げられた。簡単に言えば全員「嘔吐」なのだが(読みたくない人は飛ばして下さい)、金盥が用意されているものの全員分ではない。トイレは(簡易トイレだったが)船室にはなく別のところにある。なので、そりゃヒドいこととなった。
 サトウキビ刈りの援農目的で乗船していた筋肉自慢の兄ちゃんはたまらず船室から這い出し、波洗うデッキで海に向かって吐いた。船員さんの「外に出ちゃいかん! 危ない! 」という制止の声に「俺は力があるから大丈夫だぁ」と叫び返しながら吐いている。
 女の子が三人乗っていた。その子たちはどこかの大学の旅行研究会だったかの人だったのだが、さすがに面前で吐くのは恥ずかしいと思ったのだろう。必死でトイレにまで向かった。だがトイレまでには階段があり、揺れが激しくてなかなかたどり着けない様子。「キャー」という声が何度も聞こえる。ひっくり返っているのだろう。気の毒に。
 しばらくして、アタマを抱えて丸くなって寝ている僕の上にドスンと重いものが降ってきた。衝撃に思わず見上げると、トイレから帰ってきた女の子が僕の上に乗っかっている。揺れで転んでしまったのだろう。僕は青春真っ盛り、普通なら女の子が乗っかってきて嬉しいところだが今はそれどころではない。その子はゴメンナサイを繰り返し立ち上がろうとするのだが再び揺れてまた降ってくる。何度もヒップドロップをお見舞いされて相当ダメージ与えられてしまった。
 ここに書いていることは誇張ではない。凛太郎はいつも話にオヒレを付けすぎるとよく言われるが、これは本当の話である。さながら地獄絵図(これは言い過ぎかも)であった。

 船はエンジントラブルもあった様子で、大いに遅れて夕刻17時過ぎに与那国島へと到着した。あの狭い大揺れの船室で結局8時間である。外へ出てもまだ身体がグラグラと揺れている。三半規管がやられ、平衡が保てなくなってしまったのだ。そうしてようやく日本最西端へと足跡を残すことが出来たのだ。ふぅ。

 翌日からは与那国観光である。もちろん、西崎(いりざき)には日本最西端の碑が立っている。ここに立つことが目的だったのだ。船旅で苦労したこともあり、実に感慨深い思いにとらわれた。西方には台湾がある(この日は見えなかったが晴れた日には望めるらしい)。そして遥か東方を見て、日本で自分が一番西の地にいると思い悦に入ってしまう。まあ暫しの満悦感である。
 景勝地も史跡もこの島にはたくさんある。久部良バリ等島の悲しい歴史。軍艦岩や東崎等の景勝地も多いが、やはり島の歴史というものが迫ってくる。風景もなんだか厳しい。もちろん牧歌的な牧場風景もあるのだが、それ以上に「孤島」のイメージが強い。八重山諸島(石垣島や西表島、竹富島)を巡っていた時には感じられなかったものである。この島は「どなん」と呼ばれていた。つまり「渡難」である。ここは与那「国」。ひとつの国なのだな。

 呑んべの僕は泡盛が大好きである。この島にも酒造所が三軒ある(この島の規模でこれはすごいと思うが)。そのひとつである「国泉泡盛酒造」を訪ねてみた。
 与那国島といえば「花酒」。この島は日本で唯一60度のアルコールの製造販売が許されている島。本来は、乙類焼酎のアルコール度数は45度以下と定められているのだが、これは特例措置である。本土復帰の時に島の経済振興に配慮した結果であると言われているが、事情の詳細はよく知らない。もちろん泡盛なのだが、酒税法上「泡盛」と名乗れないので「花酒」と呼ばれる。
 で、工場見学させてもらった。工場と言ってもごく小さな酒造所である。ひとわたり見させていただいたあと、試飲をさせていただいた。花酒は60度なのだが、ここにはモルツがある。
 「72度なんですけれども呑みますか?」はいはいもちろん呑みます。
 一口含んで…嚥下出来ない(汗)。強烈。火を噴く、という表現があるけれども、口当たりは滑らかで美味いのだ。もっとピリピリくるかと思ったけれども。しかし喉に通すとなると…思わずむせてしまった。口中が燃えるよう…ではなくかえってひんやりする。そうかこれはアルコール消毒と同じ現象だな。おそるべし花酒。しかし美味い。

 夜は民宿で酒盛り。呑んだくれてまた翌日は島を歩く。そんなことをいつものように繰り返して与那国を堪能した。独特の雰囲気のある島だが、訪れる価値がある。
 帰りの船は、うそのように波が凪いで揺れもほとんどなかった。離れていく島を船上で見ながら再訪を誓ったが、未だそれはなしえていない。また行きたいなぁ。ものすごく遠いけれども。

 最西端の話が長くなった。日本の東西南北はこれで終わりだけれども、もう少し蛇足をつけたいので次回に続く。


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与那国 (たけちゃん)
2007-02-02 19:03:42
初めまして、「やしきたかじん」でgoogleで検索して何故かここにやってきた者です。この記事にも目がとまりました。

私もきっとほぼ同世代の人間です。北海道とかもバイクで走り回ったりしていました。実家は大阪なんですが10年ほど前から東下りして、いまは千葉に住んでおります。

あれは3年前のことです。誕生日の朝、3時に起きた私は、風呂に入ってそのまま車に乗って羽田へ。朝一番の石垣行きの飛行機に乗りました。3時間すこしの機上の旅のあと、すぐに乗り継ぎで与那国島に行くことが出来ます。そして午前11時、日本で一番、西の端のちっぽけな空港に降り立ってました。

レンタカーもレンタバイクも予約してなかったので、歩くことにしました。暑い中、6kmほど歩きます。そして12時半、西崎の絶壁の上に立っていました。ついさっきまで布団の中にいたとは信じられない、非日常的なすばらしい体験でした。

そしてそのまままた空港まで歩いて引き返し、夜9時頃には羽田に帰ってきていました。日帰りです。人間、誰でも端っこにいきたいものですよね(笑)いわば本能だとおもいます。バースデー割引が廃止されるので、ちょっとなかなかもうできない体験かなとは思いますが、私も今年で40歳、次は娘を連れてこようかなとか思っておりますが・・・嫌がられるかな(笑)

それでは失礼。
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>たけちゃん様 (凛太郎)
2007-02-03 10:16:59
ありがとうございます。検索で来ていただいて他の記事を見ていただけることは無上の喜びです。

しかしそれにしても…関東から与那国島に日帰りとは(笑)。そういうことが可能であるということを知って驚くと同時に、実行されることにまた驚きです。そういう腰の軽い方は大好き(笑)。

なんだかねぇ、20年以上前の話を書いてしまったのですが、彼岸のことですね。あの頃、与那国空港は確か工事をしていました。当時はまだ空港が小さくて19人乗りのラジコンのようなDHしか発着できず、YSを何とかして乗り入れたいんだとおっしゃっていました。ジェットが飛ぶ今とは本当に隔世の感がありますね。

当方も若い日は旅行ばかりして北海道も走り回ったくちです。娘さんも是非つれていってあげて「旅好き二世」をお育てになってください(笑)。
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Unknown (たけちゃん)
2007-02-07 14:13:02
こんにちは。

飛行機の値段が劇的に安くなったことが大きいですね。
そんでもって、各社のマイレージにすっかり乗せられてしまい、今日に至っています。

学生の頃は専らバイクかクルマだったし、北海道はもちろん舞鶴か敦賀から新日本海フェリーでした。飛行機に初めて乗ったのは、30歳越えてからです。初めて空を飛んだのも、31のときだっかに菅平でヘリスキーに乗ったのが最初で、、、片寄ってますね(笑)

北海道は、来週末、流氷見に一泊二日で釧路からはいって女満別(網走ですね)に抜けてきます。流氷も食べ物もスノードライブも、みんな楽しみです。

今後もお互い楽しく参りましょう!失礼致します。
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>たけちゃん様 (凛太郎)
2007-02-08 21:00:24
本当に飛行機の料金は下がりましたね。旅行会社もどんどん激安プランを出してきて…沖縄なんて関西からですと一泊つけて往復で2万円代ですからね(オフですけど^^;)。デフレも時として本当にありがたいです。

そんなこと言いつつ、僕は北海道に今まで20何回か行っていますが一度も飛行機を利用したことがありません。別に怖いわけではないですよ(笑)。もちろん学生時代は金銭的理由でしたが、それからも北陸に住んでいていい便がなかった(夜行の方が時間的に使えた)ことや、車を持ち込む場合や、女房の実家(青森)経由が多かったことなど様々な理由がありますけれどもね。

いいですね一泊二日の旅♪ 流氷はもう接岸しているのでしょうか。凍結にはくれぐれもご注意なさって、いい旅を! ! 
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