NHKが「大化の改新」をドラマ化するらしい。普段は滅多にNHKなぞ見ないが、どういうつくりにするのか少し気になる。新解釈でも入れるのだろうか。先駆けて放映した「その時歴史が動いた」では「軽皇子黒幕説」を出していた。頷けるところもあるが果たしてどうか。
大化の改新は645年(蒸し殺「645」ろされた蘇我一族と覚えました)に当時権勢を誇っていた蘇我蝦夷、入鹿親子を謀殺して中大兄皇子が天皇専制の治世を確立し、律令制の世の中にした、というもの。公地公民、班田収授法、租庸調…懐かしいですな。
これは中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原)が仕組んだクーデターであったわけだけれども、史書によるとうまく行き過ぎるくらいにうまく成功している。
その時、韓国からのの使者が天皇に謁見する行事があり、入鹿も出席することになっていた。鎌足らは宮中の俳優(盛り上げ役。ピエロだな)に図って、柔らかな祭りの雰囲気の中で入鹿の剣を取り上げることに成功する。用意周到なはずの入鹿の一瞬の油断。この時入鹿の警戒心がピエロによって薄れてしまうのだ。この歴史に名を残さない俳優がクーデターの功労者である。この時入鹿が警戒を強めていたらおそらく成功しなかったに違いない。
この後も危なかったのだ。韓国の使者に代わって上表文を読んだのは鎌足の仲間となった蘇我石川麻呂。しかし彼は気が弱く、読む声も震え、明らかに緊張しているのを入鹿に見抜かれる。韓国の使者に対する緊張だと言い訳をするのだが入鹿は不信感を持つ。斬り込むはずの武者はビビってなかなか前に進めない。このまま未遂に終わる可能性もあったのである。
そうして式典が進む中で、業を煮やした中大兄皇子が自ら突然入鹿に斬りかかり、ようやく入鹿暗殺が成功した。こうなってしまえばあとは流れるまま。父親の蝦夷は自宅にいるところを攻められ自殺。政治は中大兄皇子と藤原鎌足のコンビが主導権を握ることとなり大化の改新が始まっていく。
この企てがもし未遂に終わっていたらどうなったのか。
入鹿は、聖徳太子の息子である山背大兄王を殺したことで極悪人となっているが、最近の説では入鹿が首謀者ではない、とも言われている。有能な人物としての評価も高い。
日本書紀が入鹿を悪者にするのは当然で、これは入鹿を倒した政権が成立させた史書である。自己正当化の論理が働いたことは十分想像がつく。それまでの歴史書は、蝦夷が自殺した折に焼けてしまったとされる。この焼けてしまった歴史書がもし残っていたら…と思うと誠に残念なのだが、これは一種の焚書とみていいだろう。
入鹿が存命なら、中大兄皇子は天智天皇とはならず、鎌足も藤原氏となることはない。おそらく入鹿が推していた古人大兄皇子が即位し、入鹿が摂政のような役割についていたと考えられる。入鹿は既に自分の領有地では戸籍を作ったり、渡来人も多く登用していたため、おそらく律令制の世の中は入鹿でも来ていたと考えられる(実際律令制度は蘇我氏が導入したものという説もあり、藤原氏が手柄を横取りしたと唱える説も有力)。蘇我氏が、ちょうど後世の藤原氏のように、天皇の外祖父となって摂関政治を行い、歴史の流れはさほど大きく変わらなかったことも考えられる。
しかし、同じ歴史を歩んだとは考えにくい。まず、天皇家の血筋がガラリと変わる。ということはその後の壬申の乱もないし、遷都も違った形になった可能性が高い。蘇我氏の地盤である奈良を離れることはなかったかもしれないし、あっても明日香から竹内街道を越えた河内、和泉の国あたりに首都がおかれた可能性がある。交通の便を考えればそちらのほうが自然だ。京都は田舎のままだったかもしれない。
そして、白河・後白河上皇も、後醍醐天皇も出てこない。鎌倉幕府や室町幕府もどうなったことか。当然江戸幕府なんて想像がつかない。
歴史がガラリと変わる可能性を秘めていたのである。入鹿に警戒心を起こさせなかった名もなきピエロの存在が日本史の分岐点だったと言えば面白話に過ぎるが。
大化の改新は645年(蒸し殺「645」ろされた蘇我一族と覚えました)に当時権勢を誇っていた蘇我蝦夷、入鹿親子を謀殺して中大兄皇子が天皇専制の治世を確立し、律令制の世の中にした、というもの。公地公民、班田収授法、租庸調…懐かしいですな。
これは中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原)が仕組んだクーデターであったわけだけれども、史書によるとうまく行き過ぎるくらいにうまく成功している。
その時、韓国からのの使者が天皇に謁見する行事があり、入鹿も出席することになっていた。鎌足らは宮中の俳優(盛り上げ役。ピエロだな)に図って、柔らかな祭りの雰囲気の中で入鹿の剣を取り上げることに成功する。用意周到なはずの入鹿の一瞬の油断。この時入鹿の警戒心がピエロによって薄れてしまうのだ。この歴史に名を残さない俳優がクーデターの功労者である。この時入鹿が警戒を強めていたらおそらく成功しなかったに違いない。
この後も危なかったのだ。韓国の使者に代わって上表文を読んだのは鎌足の仲間となった蘇我石川麻呂。しかし彼は気が弱く、読む声も震え、明らかに緊張しているのを入鹿に見抜かれる。韓国の使者に対する緊張だと言い訳をするのだが入鹿は不信感を持つ。斬り込むはずの武者はビビってなかなか前に進めない。このまま未遂に終わる可能性もあったのである。
そうして式典が進む中で、業を煮やした中大兄皇子が自ら突然入鹿に斬りかかり、ようやく入鹿暗殺が成功した。こうなってしまえばあとは流れるまま。父親の蝦夷は自宅にいるところを攻められ自殺。政治は中大兄皇子と藤原鎌足のコンビが主導権を握ることとなり大化の改新が始まっていく。
この企てがもし未遂に終わっていたらどうなったのか。
入鹿は、聖徳太子の息子である山背大兄王を殺したことで極悪人となっているが、最近の説では入鹿が首謀者ではない、とも言われている。有能な人物としての評価も高い。
日本書紀が入鹿を悪者にするのは当然で、これは入鹿を倒した政権が成立させた史書である。自己正当化の論理が働いたことは十分想像がつく。それまでの歴史書は、蝦夷が自殺した折に焼けてしまったとされる。この焼けてしまった歴史書がもし残っていたら…と思うと誠に残念なのだが、これは一種の焚書とみていいだろう。
入鹿が存命なら、中大兄皇子は天智天皇とはならず、鎌足も藤原氏となることはない。おそらく入鹿が推していた古人大兄皇子が即位し、入鹿が摂政のような役割についていたと考えられる。入鹿は既に自分の領有地では戸籍を作ったり、渡来人も多く登用していたため、おそらく律令制の世の中は入鹿でも来ていたと考えられる(実際律令制度は蘇我氏が導入したものという説もあり、藤原氏が手柄を横取りしたと唱える説も有力)。蘇我氏が、ちょうど後世の藤原氏のように、天皇の外祖父となって摂関政治を行い、歴史の流れはさほど大きく変わらなかったことも考えられる。
しかし、同じ歴史を歩んだとは考えにくい。まず、天皇家の血筋がガラリと変わる。ということはその後の壬申の乱もないし、遷都も違った形になった可能性が高い。蘇我氏の地盤である奈良を離れることはなかったかもしれないし、あっても明日香から竹内街道を越えた河内、和泉の国あたりに首都がおかれた可能性がある。交通の便を考えればそちらのほうが自然だ。京都は田舎のままだったかもしれない。
そして、白河・後白河上皇も、後醍醐天皇も出てこない。鎌倉幕府や室町幕府もどうなったことか。当然江戸幕府なんて想像がつかない。
歴史がガラリと変わる可能性を秘めていたのである。入鹿に警戒心を起こさせなかった名もなきピエロの存在が日本史の分岐点だったと言えば面白話に過ぎるが。
入鹿がいたらどうなってたでしょうか?って言うかご指摘の古人大兄、この方は何者だったのでしょうか?myblog的に言うと物部系だったのでは?なんて思うんですよね。一説によると古人の娘、天智の皇后である「倭姫王」は額田では?ってあるんですよね。
天智が病気になって天武を呼んだ時、天地のことは皇后にお譲り下さい、って言ったのは額田だったからって‥。
もしその説をとるなら古人の次は娘ムコである天武だったのかな?だったら簒奪王朝はやっぱり天智側???
う、、また悪い癖が出てしまいました。
ついついの長居、ごめんなさい
僕が書いているのは「if」に絡めてってことなので、大化の改新についてはほぼ定説通りなぞっています。
倭姫王=額田か。皇后にお譲り下さい…の理由が額田だったからとすれば、実にロマンを感じてしまいますが、物部系の話が入るとロマンなどと言ってはいられませんか(汗)。古人大兄も判りにくいですね(大汗)。
自分のブログなので話を長くしてしまいますが…。
天智が何物か? 簒奪王朝は天智か? と言える根拠がとくに僕にあるわけでもなく、ただ怪しいと思っているだけなのですが…。
トンデモない事を言いますが、入鹿謀殺の時古人大兄は、「韓人、鞍作臣を殺しつ。吾が心痛し」と謎の言葉を残したのはご存知だと思います。僕はどうもずっとこれが引っかかっているのです。
「天智は渡来人か? 百済か?」
だからこそ、百済を助けに遠征軍を出したのではないか? (白村江で散々に打ち破られましたが)。
トンデモない話なので人様のブログでは書けません(笑)。
考えてみたら、蘇我氏も渡来人らしい。大海人も漢皇子だとしたら、漢なんていう字は怪しいぞ(だんだんエスカレートしてきます)。大海人というと海を渡ってきた感じがするもんなぁ。さすれば間人皇女だけが舒明、宝皇女の子供か? (ああもう極限トンデモ話)
自分のブログだとどんどんアホな話は進むのです。お許し下さい…m(_ _;)m
で、物部系は日本古来‥。天皇家系と物部はがっちり結びついてたはずなのに、どの時点かわからないけど物部が蘇我寄りになった‥。
うーん、かえって日本書紀に記述があまりない「高向王」「倭媛王」などがわざと出自を隠してて謎を解く鍵かもしれません。
(高向王渡来説は何かの本で読みました)
やっぱり私は額田がいくらキレイでも才能があっても他の価値がなかったら奪いあわないかと‥。そう考えると額田王の父鏡王も誰???なんて考えてしまいます。
う、、はまってしまいますよねー
また、物部と蘇我が手を結んでいるという考えは本当に僕にとっては斬新。あくまでもこの両氏は対立しているという固定観念がありましたから、何か盲を開かれた思いがしました。 jasminteaさんの知識の深さには本当に敬服です。
僕もまたいろいろ本を読まなきゃなぁ。 jasminteaさんのお話について行きたいですし。(^-^)