今日は、津中日文化センターで「親鸞の生涯とその思想」の講座の日でした。
先月は、お葬式が入ってきたのでお休みにしましたし、12月の分は11月30日に行ったので、実に2ヶ月ぶりでした。
毎回、中日新聞に連載されている五木さんの親鸞を題材にお話ししているのですが、それも12月で終わりました。
だから今回は、その五木さんの「親鸞-激動編」の題材にした最終回でした。
12月に連載された箇所に、「信心を得るにはどうすればいいのですか」と聞かれた親鸞が「分からない」と答えるシーンがありました。
あり得る答えだとは思います。ですが、それは、覚如さんや蓮如さんが主張した「信心正因、称名報恩」という範疇に、親鸞聖人を限定してしまえば、ということです。
しかし、そういう限定を取っ払って、単に親鸞聖人がどう答えただろうかといえば、「お念仏を称えなさい」と答えられたのではないかと思いました。だから、そういう話をさせていただきました。
「信心を得るにはどうすればいいのか、そのことを親鸞は何も答えていない」と、昔からよく聞かされてきました。しかし、本当にそうなのでしょうか?
「信心を得るにはどうすればいいか」と聞かれれば、「お念仏、申しなさい」と答えられていたのではないでしょうか。
お念仏を称えるということは、お念仏を聞くということです。お念仏を聞くということは、「おまえを必ず救うよ」という阿弥陀仏の呼び声を聞くということです。そして、その阿弥陀仏の呼び声が届いた経験を、信心を得させていただいた、というわけです。
だから、みなさん、お念仏を称えましょう。お念仏を聞きましょう。「あなたを救いたいのです」という阿弥陀さんの呼び声を聞きましょう。
南無阿弥陀仏。