今日は、仏教専門講座の日でした。
高田短期大学にある仏教教育研究センターでは、高田本山寄附講座として、仏教を専門的に学ぶことができる仏教専門講座を開いています。私はその中で、仏教学講読Ⅱを担当していて、今は『観無量寿経』を読んでいます。今日はその第3回目でした。
今回は、「ここではないどこか、憂いや悩みのない世界を教えてほしい。私はそこへ往きたい」と願ったイダイケに対し、釈尊が眉間から光を放ち、その光の中に諸仏の浄土を現すと、イダイケが「この中で私は極楽世界の阿弥陀仏の所へ往きたいです」と言ったことをお話ししました。
ここで、イダイケが阿弥陀仏の浄土を選んだことについて、善導大師は「それはイダイケが選んだのではなく、釈尊が選ばせたんだ」と説明されています。
そして、「諸仏も仏、阿弥陀仏も仏、同じ仏の国であるのに、どうして優劣があるのか?」という問いを立て、「凡夫に優劣は分からない」と答えています。だからイダイケが選んだのではないわけです。ただ仏としては「相手が救われることを望む」と。凡夫が救われるのは阿弥陀仏の浄土だけであるから、阿弥陀仏の浄土を選ばせたんだ、と。
そして、「阿弥陀仏の浄土は、阿弥陀仏の48願からできている」と善導は述べています。
48願が説かれているのは、『無量寿経』(『大経』)だけで『観無量寿経』(『観経』)には説かれていません。つまり善導は、『観経』を解釈するにあたって、『大経』の立場に立って、解説しているわけです。
そして「48願が成就して、果となり、報となって、浄土になった。その悲心は無尽であり、だからこそその智慧も無窮であり、だからこそ、すべての者を救う。だから、如来は、イダイケをして阿弥陀仏の浄土を選ばせたんだ」と解説されています。
仏教専門講座を受講されている方々に、「みなさんがこの仏教講座を受講されたのも、自分で選んだのではなく、如来によって選ばされたのかもしれませんよね」とお話しました。
自分一人の人生と思いがちですが、実は、いつも伴走者がいらっしゃいます。仏さんがいつもずっとそばにいて、一緒にあなたの人生を伴走されています。そう、あなたは一人ではありません。いつも一緒です。