小山 青巖寺

三重県津市一志町小山にある真宗高田派のお寺です。

忘れ物

2017年09月23日 | 日記
 今日は、小学校の運動会でした。
 場所取りのため、学校へ行きました。
 学校に着いてから、シートを忘れてきたことに気づきました。
 シートで場所を取るのに、一体何しに来たんだか…(^_^;)

 家まで取りに戻って、また学校へ行き、シートを敷きました。
 昨日の雨で随分とぬかるんだグラウンドでしたが、先生たちが一生懸命整備してくださっていました。

 午前8時から、八太のお汁に出掛けました。
 八太に着いたとき、永代経法要の案内状を忘れてきたことに気づきました。
 いつもお汁の時に渡していて、そのために昨日作成して用意していたのに!
 どうやら今日は、忘れ物が多い一日になりそうです。(-_-;)気をつけなければ!

 また家まで取りに戻って、3軒のお汁の宿それぞれで読経致しました。
 本当は、もう少し遅い時間にまわって、3軒目の宿で、お非時を頂くのですが、今日は本山に行かなくてはいけなかったので、特別に時間を早めていただいたのでした。

 その後、本山へ行き、讃佛会の御親教を拝聴し、復演させていただきました。
 腕時計を持って行くつもりだったのに、やはり忘れてしまいました。もうそれは取りには戻りませんでした。
 復演させていただいた時、参詣者はそれほど多いというわけではありませんでしたが、でもそれなりにいらっしゃって、しかもみなさん、熱心に聞いていただきました。ありがとうございました。

 その後、お葬式がありました。今年、祖師寿だった満89歳の男性の方でした。

 初七日も終えて、家に帰ると、ちょうど運動会を終えた娘が帰宅したのと同時でした。小学6年生なので小学校最後の運動会でしたが、満喫してきたようです。

 午後7時半からの、七回忌の夜の報謝念仏を終え、今日のお寺の仕事は終わりました。

 その後にやってた、子供をお風呂に入れるとか、迎えに行くとか、寝かしつけるといった日常のこまごまは別にして、ですが。(^^ゞ

 そして、最後、忘れていたことを思い出しました。そうそう、ブログを書かなきゃ!(笑)
 てなわけで、今日一日のご報告でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山際さんのこと(3)

2017年09月19日 | 日記
   発見

 平成27年(2015年)8月、お盆参りに、堀之内の山際さん宅へお邪魔した時、お仏壇の前に置かれていた額が目に入りました。
 和歌が何首か書かれていました。
 初めの一首読んで、思わず胸が詰まりました。

 後日、山際さんから、お話を聞かせていただきました。
 取材を受けた良さんのインタビューを収めたDVDも貸していただきました。
 そのDVDや山際さんのお話をもとに、この「山際さんのこと」を書いています。
 

 良さんが亡くなって2年が過ぎようとしていたある日、母親の遺品を整理していた正義さんが、ある段ボールを開けると、中には見たこともない額が裏返しに入っていました。

 見ると、山際良という署名捺印があり、紛れもなく母親の字でした。
 けれど、このようなものを書いていたことも、それを額装していたことも、全く知りませんでした。
 すぐに家族を呼びましたが、もちろん誰も知りませんでした。

 そこには良さんが詠んだ和歌が記されていました。

  亡き夫(つま)の 遺骨をむかえ 感無量
   身のしあわせを つくづくと思う

  征(ゆ)きてより 生まれし吾子に 抱かれて
   白木の箱の 亡夫の重きよ

  戦死より 六十年の 歳月を
   越えてむかえし 今日の喜び

  五月二十三日 亡き夫の 帰還にて
   我が身この世で 最高の日

  祭壇の 白木の箱に 向かいつゝ
   過ぎし越しかた 話はつきず
           山際良

 

 良さんは密かにこれらの和歌を清書し署名捺印して、額装し、誰にも告げることなくこっそりと段ボールにしまっていたのでした。

 どんな思いで遺骨を受け取ったのか、どんな思いで生きてきたのか、良さんの秘めた想いの深さが、読むものすべての心を打ちました。

 良さんはインタビューの中で、こう仰っています。

 「いろんなことがあったけど、お義母さんに置いてくれと頼んで、ここに居ったおかげで、遺骨を私の手で迎えることができて、この道を選んでよかったんやなと思いました」と。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山際さんのこと(2)

2017年09月18日 | 日記
 再会

 結婚から60年が経った平成16年(2004年)、厚生労働省から連絡がありました。
 モンゴルから日本に帰ってきた遺骨が正さんのものかも知れないので、DNA鑑定を受けるか、というものでした。

 良さんたちは、二つ返事でDNA鑑定を依頼しました。
 しかし、その後、なかなか応答がありませんでした。
 諦めかけていた2年後のこと、遺骨は正さんのものであったという報告が届きました。

 平成18年(2006年)5月23日、良さんと正義さんたち遺族は、白木の箱に収められた正さんの遺骨を受け取りました。

 軽いものと思っていた良さんは、手渡されたその箱が想像以上に重くて、思わず落としそうになりました。それくらい遺骨の入った白木の箱は、重みがあったのでした。

 遺骨は、正さんの命日である9月18日にお墓へ納めることにして、それまでは自宅に用意した祭壇へ遺影と共に安置することになりました。

 受け取った5月からお墓へ入れる9月までの間、良さんは毎日、遺骨に話しかけました。
 子供が生まれた時のこと、生まれた後のこと、引き揚げてくる時のこと、帰国してからのことなど。
 毎日、毎日、話しました。けれど、どれだけ話しても、話が尽きることはありませんでした。

 この時期のことを良さんは、「私にとって一番張り合いよかった」と、「一番楽しい思いをさせてもらった時期でした」と回想されていました。

 それは、結婚1年目で離ればなれにさせられた夫婦の、61年ぶりの再会でした。

 その7年後の平成25年(2013年)1月に、良さんは往生されました。御年93歳でした。

 実は、良さんのお葬式については、このブログで書かせてもらったことがあります。こちらです。
 ※ちなみに、この2013年1月16日の記事では、正さんが抑留されていた地をシベリアと書いていますが、それは私の記憶違いで、正しくはモンゴルのウランバートルです。

 (つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山際さんのこと(1)

2017年09月17日 | 日記
 さて、昨日アップした『よびごえ』の「再会」ですが、先に述べたように、あの話は寺報に書いたものをまとめたものです。そこで、次に、寺報をアップしようかとも思ったのですが、レイアウト的に難しいので、寺報に書いたものをブログ用に書き直してみます。

  結婚と別れ

 良(りょう)さんは、昭和19年(1944年)に、山際正(やまぎわただし)さんと結婚しました。
 正さんは満州で働いていたので、良さんは結婚式を終えるとすぐに夫婦で満州に渡り、新京(現在の長春)で新婚生活を始めました。

 しかし、翌20年(1945年)5月10日、夫の正さんに召集令状が届きました。
 朝9時に赤札が届いて、その日の夜2時に出発するという慌ただしい出征でした。
 当時、良さんは妊娠していました。夫は「体に障るから見送らなくていいよ。それより丈夫な子を無事に産んでくれ」と言って、出征していきました。それは赤ちゃんが産まれる3ヶ月前のことでした。

 その年の8月9日、ソ連軍が突然満州に攻め寄せてきました。
 そして8月14日、日本政府はポツダム宣言を受け入れ、翌15日に終戦詔書が発布されました。

 良さんが出産したのは、その翌日、8月16日のことでした。
 生まれてきたのは、男の子でした。
 赤ちゃんは、正義(まさよし)と名付けられました。

 良さんは、産まれたばかりの赤ちゃんを連れて、日本へ向かいました。
 敵に見つからないよう隠れながら、日本への引き揚げ船が出ている港を目指しました。
 途中、列車の中で伝染病が流行り、同じように逃げていた人たちが、何人も亡くなっていきました。
 やっとのことで船にたどり着いたときには、もう骨と皮にまでやせ細り、船の甲板に登ることさえできないほどでした。水兵さんに、赤ちゃんごと背負ってもらって、やっと船に乗せてもらいました。

 船には、5才以下の子供は、ほとんどいませんでした。
 母親はたくさんいたのですが、子供のほとんどは、中国に置いたままにされました。
 そうしなければ、逃げられなかったからです。
 泣く泣く我が子を置いてきた母親たちは、無邪気に甲板を這いまわる赤ちゃん(正義)の姿を、じっと眺めていたそうです。

 そんな思いまでして船に乗ったのに、船の上で命尽きる人もいました。
 そういう人たちは、船から海に流され、水葬にされました。
 そうやって、ようやく日本にたどり着いたのは、昭和21年(1946年)8月のことでした。

 同年9月18日、ソ連軍の捕虜となっていた夫の正さんは、モンゴルのウランバートルで、強制労働中に、栄養失調で亡くなりました。29歳でした。

 日本にいた良さんたちに亡くなったことが知らされた後、親族会議が開かれました。
 親族会議の後、その結果を受けて、義母は、嫁の良さんに、こう言いました。

 「あんたはまだ若いんやで、ここの家におらんならんと思わんでええんやに。
 これからまだいくらでも幸せがあるで、出てってもええんやで。
 ただ、正義は、この家の大事な跡取りやで、この子は連れてってもらっては困るで、出てく時はあんた一人で行ってんか」

 なんとしても息子を日本に連れて帰りたい、というその一心で、息子を頼りに生きてきたのに、その息子と離れて暮らすなんて、とても考えることが出来なかった良さんは、「頼みますから置いてください」と、義母に頼み込みました。

 それから良さんは、幼子を女手一つで育てながら懸命に働き、戦後の厳しい時代を生き抜きました。

 (つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月の日曜講座、休講

2017年09月17日 | 日記
 本日予定していた仏教入門日曜講座は、台風が近づいていたため、お休みさせていただきました。
 次回の仏教入門日曜講座は、10月22日です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よびごえ 第68号 「再会」

2017年09月16日 | 日記
 『よびごえ』第68号(秋彼岸号)に「再会」というタイトルで、コラムを書かせていただきました。そのコラムをそのまま、アップさせていただきます。

 本当は大きな文字で見ていただきたいのですが、画像が大きくなってしまうので、このサイズで。これでも、場合によっては画像が大きすぎて、読みにくいかも知れません。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞台裏

2017年09月15日 | 日記
 昨日、『ひとりふたり・・』144号(平成29年 秋・報恩講号)について書きましたが、あれは非常に時間のない中で書いたものでした。
 というのは、『ひとりふたり・・』の締め切りは8月10日でしたが、その前に『よびごえ』の原稿の締め切りがあり、またその前には寺報を書かなくてはならなかったからです。

 ※ちなみに、『よびごえ』とは、関東の高田派の若き寺族さんたちが出している冊子のことです。
 

 時は、8月、お盆の季節です。当山では、8月1日から7日まで初盆のお宅をまわり、8日から15日までお盆参りに各地区をまわります。ですから、本当に、全く時間がありませんでした。

 寺報は「お盆の期間、いつどこを回るのか?」ということを記すものですので、お盆の前、遅くとも8月5日までには配らなくてはいけません。その寺報の原稿を書き上げたのが、8月3日でした。そして、8月7日の夜に『よびごえ』の原稿を完成させました。

 なので、『ひとりふたり・・』の原稿に取りかかったのは、8月8日からでした。締め切りの2日前。(^_^;)

 8日の朝、まず何を題材に書くか、その題材選びから始めました。9日から原稿を書き始め、10日に完成させ、編集者にお送りしました。
 編集者の方は、さぞやきもきされたことと思います。本当にご心配をお掛けいたして、すみませんでした。
 いや、でも、ホントに、間に合って、よかった。(-。-;)ホッ

 さて、『ひとりふたり』の原稿は新しく書いたものですが、『よびごえ』に書いた原稿は、実は、寺報で書いたことをまとめたものです。寺報でも、『よびごえ』でも、青巖寺同行である山際さんについて書かせていただきました。
 明日から、この山際さんのお話を、このブログでも書いてみます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひとりふたり・・

2017年09月14日 | 日記
 昨日は、恭敬部で研修があったので、本山に行っていました。その際、「ひとりふたり、読んだよ」と声をかけていただきました。

 

 『ひとりふたり・・』とは、法蔵館さんが出している季刊誌です。
 その中の「歳時法話」のコーナーで、文章を書かせていただきました。
 また機会がありましたら、お読みください。

 

 ※なお、青巖寺同行のみなさんには、後日、お配りさせていただこうと考えています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月の清掃奉仕

2017年09月10日 | 日記
 今日は、清掃奉仕の日で、白山・久居地区の方々に集まっていただき、境内等をお掃除していただきました。
 日曜日ということもあって、大勢の方に集まっていただきました。本当にありがとうございました。
 途中、お参りに出かけ、最後の挨拶ができないかと思っていましたが、間に合って、よかったです。
 ありがとうございました!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一炊の夢

2017年09月08日 | 日記
 今日は、坊守会の月例会がありました。
 月例会で私は『高田勤行聖典』を用いて、日頃よく使うお聖教を解説し、最後に御書を一つ解説しています。

 今回から「文類偈」に入り、冒頭部分を少しお話ししました。
 そして御書は、堯秀上人の「無常の御書」を読みました。
 「つらつら世間の転変を観ずれば」から始まる御書です。

 初めに、堯秀上人のご生涯をお話ししました。それは波瀾万丈のご生涯です。それから、御書の説明に入りました。
 御書の最後の方に「一炊の夢」という言葉が出てきます。それは、唐の沈既済(しんきせい)の小説『枕中記』(ちんちゅうき)に出てくる故事がもとになっていて、一人の男が夢の中で栄枯盛衰を経験する話です。
 その話が、堯秀上人の波瀾万丈のご生涯とあいまって、なおのこと無常の儚さ、そしてまた、だからこその大悲の恩徳を感じさせられる御書でした。

 坊守会の月例会、次回は10月6日です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする