小山 青巖寺

三重県津市一志町小山にある真宗高田派のお寺です。

屋根

2013年09月25日 | 日記

 今日は、中日文化センターの講座の日でした。

 七高僧の最後、法然聖人について、お話ししました。

 講座から帰ってきたら、鐘楼堂の瓦はすでに直してもらっていました。

Kawara3

 ただ、今回の処置は応急的なもので、近いうちに葺き替えた方がいいとのことでした。

 鐘楼堂の鐘は大正8年のものです。おそらく鐘楼堂が立てられたのもその頃なので、もうすぐ100年になります。そろそろ屋根瓦としても寿命なのでしょう。

 ところで、せっかく足場があるので、いろいろ写真を撮ってみました。

Kawara4

 これは、鐘楼堂の南側の鬼瓦です。

Fukei

 これは、足場からの風景です。明日には足場もなくなるでしょうから、今だけの眺めとなります。貴重な経験をさせていただきました。

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鐘楼堂の鬼瓦

2013年09月24日 | 日記

 今日から、高田短大の授業が始まりました。

 短大から帰ると、鐘楼堂に足場ができていました。

 鐘楼堂の鬼瓦がずれていたので、明日直してもらうためです。

 

 この間、イチョウの枝を払ってもらった時、鬼瓦がずれていることを見つけてもらいました。前からずれていたそうですが、15日から16日にかけての台風18号の風雨により、さらにひどくなったようです。幸い下に落ちていなかったのですが、危ないので、下に下ろしてもらいました。そして瓦屋さんに連絡して、今日、足場を作ってもらったわけです。

 さっそく足場を登ってみました。

Kawara1

 鬼瓦が外れたところは、土がむき出しになっています。

 さらに別の鬼瓦も壊れていました。

Kawara2

 これは、今回壊れたのではなく、ずいぶん前に割れていたようです。ただ、下から見ているだけでは、まったく分からなかったのでした。

 明日、瓦屋さんに直してもらいましょう。

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臨時世話方会

2013年09月22日 | 日記

 青巖寺では、再来年(平成27年)、一光三尊仏をお迎えいたします。

 その御懇志をお願いするため、臨時世話方会を開き、お世話方さん達に集まっていただきました。

 当初は、本堂の床下の大規模な修理を考えていたのですが、津市教育委員会との話し合いで、今回は応急修理に留めることになりました。

 その他、悪くなっているところを修繕したり、文化財に指定されている軸を修復したりする予定ですが、懇志の大部分は法要費用になります。

 17年に一度の有り難いご勝縁ですので、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

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運動会

2013年09月21日 | 日記

 今日は、小学校の運動会でした。

 ウチには、小学生が3人いるので、種目の半分以上に誰かは出ていました。

 初めは曇りで、風もあって、過ごしやすいかと思っていたのですが、途中から晴れてきて、暑かったです。みんな、パラソルを差したり、テントを張って、観覧していました。

Undoukai

 みんな一生懸命頑張っていました。特に、5年生の組み体操は感動的でした。

 法事が入っていたので、組み体操までしか見れませんでしたが、小学生たちの一生懸命頑張っている姿がまぶしかったです。

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伐採

2013年09月18日 | 日記

 納骨堂の東側にある2本の杉の木が、納骨堂の方へ覆い被さるように傾いていました。危ないから切ってもらった方がいいのでは、と言われていたので、今日、伐採していただきました。

Tree1

 高所作業車に乗って、枝を払い、切っていただきました。

Tree2

 ついでに、イチョウの木の枝もかなり伸びてきていたので、枝を払っていただきました。

Tree3

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優しい人びと

2013年09月16日 | 素敵な文章・言葉

 今日は、月例法座でした。

 1月から読み進めてきた平野恵子さんの『子どもたちよ、ありがとう』(法蔵館)も、来月で読み終わりそうです。

 今日は、後半の「優しい人びと」の部分を読みました。二つほど、紹介させていただきます。

 少し説明しておくと、平野恵子さんは、1988年2月に癌を告知されました。これ以後、残してゆく子どもたちに、文を書き始められたのでした。次に紹介する「病院までの小道」は、その年の6月5日、40歳の誕生日に書かれたものです。

「  病院までの小道

 病院までの小道は、

 神社の横を抜ける、細くて静かな通りです。

 梅雨の季節だから、緑の木々が鮮やかに両側を飾り、

 通る人の心まで、染めてゆくようです。

 この道を通る人は、

 誰もが優しくなれそうな、そんな素敵な小道です。

 立ち止まり、立ち止まり歩きながら、

 重い身体を、重い心を、

 ようやく運んでいる私です。

 「誰か、私を助けてください!」

 かなわぬ夢と分かっていても、小さな声でつぶやきます。

 私の内に巣くう、恐ろしい病魔を

 退散させるためならば、

 この世を支配する、全能のサタンに

 魂を売り渡すことをもいとわない。

 奇跡というものが、

 もし、本当におきるならば、

 天地に満ちる、あらゆる奇神(鬼神)達に、

 供物をささげ、

 祈りざんまいの生活を送ってもよい。

 ああ、でも、愛する人達よ、

 私が一日でも生きながらえたいと願うのは、

 ただ一つ、あなた達と

 共に暮らしたいからなのです。

 笑って、怒って、泣いて、

 暖かいその身体を抱きしめて、

 料理を作り、洗たくをして、

 一緒に本を読んだり、テレビを見たり、

 なんて嬉しい生活でしょう。

 そのことだけが望みならば、

 やはり、心だけは、

 売り渡さないでおきましょう。」

 

 続いて、同じ6月の文章「愛する人達よ」です。愛する人達とは、3人の子どもたちのことでしょう。「いたずらばかりして」「よく問題を起こす子」であった長男、「重度の心身障害児であることを告げられて」「もう二度と歩くことも、しゃべることもできないだろうと言われ」た長女、手術入院から帰ってきた夜に布団の中で「お母さん、お母さんがいない間、僕、物足らないことがいっぱいあったんだよ。でも、がまんしてたからね」と言ったまだ小学二年生の次男。

 

「  愛する人達よ

 愛する、愛する人達よ、

 一日でも長く一緒にいたいから、

 今日も、細い小道を歩いてゆきます。

 木々の小鳥に呼びかけながら、

 名も知らぬ草花にささやきながら。

 気が付けば、私は、今、

 なんと豊かに息づいていることか。

 まぎれもなく、元気に歩いているのです。

 恒沙塵数の諸仏に見守られ、

 「生きよ、生きよ」と励まされながら……

 大自然から生み出された私です。

 再び大地にかえる、その日まで、

 素直に、力いっぱい、

 生きてゆきたいですね。

 そう、あなた達がいてくれるから、

 私は、こんなにも明るく、のびやかに、

 生きてゆけるのです。

 どうぞ、優しくしてください。

 そして、許してくださいね。

 何一つ、恩返しもできないけれど、

 何一つ、力になれないけれど、

 毎日、あなた達を傷つけてばかりいる

 私だけれど、

 しあわせな私です。

 愛されている私です。

 拝まれ、願われている私です。」

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9月の清掃奉仕

2013年09月10日 | 日記

 今日は、清掃奉仕の日でした。

 豊地・中川地区の方40名に来ていただき、きれいにお掃除していただきました。ありがとうございました。

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