今日は、月例法座でした。
1月から読み進めてきた平野恵子さんの『子どもたちよ、ありがとう』(法蔵館)も、来月で読み終わりそうです。
今日は、後半の「優しい人びと」の部分を読みました。二つほど、紹介させていただきます。
少し説明しておくと、平野恵子さんは、1988年2月に癌を告知されました。これ以後、残してゆく子どもたちに、文を書き始められたのでした。次に紹介する「病院までの小道」は、その年の6月5日、40歳の誕生日に書かれたものです。
「 病院までの小道
病院までの小道は、
神社の横を抜ける、細くて静かな通りです。
梅雨の季節だから、緑の木々が鮮やかに両側を飾り、
通る人の心まで、染めてゆくようです。
この道を通る人は、
誰もが優しくなれそうな、そんな素敵な小道です。
立ち止まり、立ち止まり歩きながら、
重い身体を、重い心を、
ようやく運んでいる私です。
「誰か、私を助けてください!」
かなわぬ夢と分かっていても、小さな声でつぶやきます。
私の内に巣くう、恐ろしい病魔を
退散させるためならば、
この世を支配する、全能のサタンに
魂を売り渡すことをもいとわない。
奇跡というものが、
もし、本当におきるならば、
天地に満ちる、あらゆる奇神(鬼神)達に、
供物をささげ、
祈りざんまいの生活を送ってもよい。
ああ、でも、愛する人達よ、
私が一日でも生きながらえたいと願うのは、
ただ一つ、あなた達と
共に暮らしたいからなのです。
笑って、怒って、泣いて、
暖かいその身体を抱きしめて、
料理を作り、洗たくをして、
一緒に本を読んだり、テレビを見たり、
なんて嬉しい生活でしょう。
そのことだけが望みならば、
やはり、心だけは、
売り渡さないでおきましょう。」
続いて、同じ6月の文章「愛する人達よ」です。愛する人達とは、3人の子どもたちのことでしょう。「いたずらばかりして」「よく問題を起こす子」であった長男、「重度の心身障害児であることを告げられて」「もう二度と歩くことも、しゃべることもできないだろうと言われ」た長女、手術入院から帰ってきた夜に布団の中で「お母さん、お母さんがいない間、僕、物足らないことがいっぱいあったんだよ。でも、がまんしてたからね」と言ったまだ小学二年生の次男。
「 愛する人達よ
愛する、愛する人達よ、
一日でも長く一緒にいたいから、
今日も、細い小道を歩いてゆきます。
木々の小鳥に呼びかけながら、
名も知らぬ草花にささやきながら。
気が付けば、私は、今、
なんと豊かに息づいていることか。
まぎれもなく、元気に歩いているのです。
恒沙塵数の諸仏に見守られ、
「生きよ、生きよ」と励まされながら……
大自然から生み出された私です。
再び大地にかえる、その日まで、
素直に、力いっぱい、
生きてゆきたいですね。
そう、あなた達がいてくれるから、
私は、こんなにも明るく、のびやかに、
生きてゆけるのです。
どうぞ、優しくしてください。
そして、許してくださいね。
何一つ、恩返しもできないけれど、
何一つ、力になれないけれど、
毎日、あなた達を傷つけてばかりいる
私だけれど、
しあわせな私です。
愛されている私です。
拝まれ、願われている私です。」