小山 青巖寺

三重県津市一志町小山にある真宗高田派のお寺です。

工事始まる

2015年05月28日 | 日記
 今年11月に一光三尊仏をお迎えいたします。その準備として、新駐車場の工事が昨日から始まりました。

 

 2歳2ヶ月になる末っ子と一緒に工事現場を見て来ました。最近彼は、急に話せる言葉が増えだして、今日は「ブルドーザー」と言えるようになりました。

 ただ、彼がブルドーザーと呼んでいるのは、ブルドーザーじゃなくて、ホイールローダーなんですけどね。(^^ゞ

 

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楽しみ

2015年05月27日 | 日記
 今日は、和顔愛語論の2回目の講義でした。私が講義するのは、今日で終わりです。

 とりあえず精一杯お話しさせていただきました。

 どんなレポートを書いてくれるか、楽しみです。

 
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学生の感想

2015年05月26日 | 高田短大
 今日は、短大で授業でした。授業の後、アンケートを行い、これまで仏教の授業を受けてきた感想を書いてもらいました。少し紹介します。

 「仏教はただ念仏を唱えているだけだと思っていた。しかし、四苦八苦や煩悩の種類などを知り、今の自分の心情はどうかと考え直すことができる授業だった。私は欲深い一面がある。思い通りにならないことまで思い通りにしようとするからだ。社会に出たら、このように思うことが多々出てくると思う。ありのままを見て受け止めていくことを意識したい。」

 「自分のことについて、とても考えさせられる授業です。思い通りにしようとするから苦しむ、思い通りに行かないと気にくわなくなるという言葉が、一番心にしみました。「あぁ、そうか。」と思いました。」

 「命の大切さを学び、一分一秒むだにせず、自分なりに精一杯生きていこうと思えました。勉強、サークル、何もかも全力で生きていこうと思いました。これからもたくさんのことを学び、たくさんのことを知っていきたいと思いました。」

 「最初はまったく仏教に興味がなく、保育士になるだけなのに必要な授業なのかなと思いました。しかし、授業の内容は興味深く、仏のような心を少しでも持てるようになりたいと思いました。」

 「生老病死について今まで深く考えたことがそんなにありませんでした。でも、授業の中で心理や教えの話を聞いている内に、苦しいことや辛いこととは本当は何なのか、考えさせられました。お釈迦さまほど寛大にはなれないかもしれないけど、自分のものさしや人に対する思いを見直そうと思える機会になりました。」

 「幼い頃からお寺へ行ったり説法をよく聞いていたので、より深く勉強できることはとても自分のプラスになります。私は割と仏教と触れ合う機会がありますが、あまり今の世代の人は宗教と無関係になってきています。ちょっとしたことでも、怒りや苦しみがなくなる手助けになるのにと思います。」

 「とっつきにくい仏教を分かりやすくかみ砕いた授業なので面白いです。自分自身の価値観の形成に取り込んでいければ、豊かな考えを持つことができるのではないかと思います。何年生きても苦しみはつきまとうもので、解決はしなくとも考え方を少し変えるだけで生きやすくなるのではと思いました。それを知っているのといないのとで、生の見方が変わるな、と思います。」

 「今まで仏教にあまり興味がなかったけど、「へぇ~え、そうなんだ!!」と思うことがたくさんあるのでおもしろいです。」

 「今まで仏教知らなくて、一体何なのか、と思っていたけど、授業を受けていくうちにだんだんとおもしろいと思う自分がいてビックリ…。分かりやすい授業でもっと受けたい!」

 「仏教の授業を受けて、改めて心が洗われた気がしますJ もっと仏教の授業は難しい勉強かと思っていたが、自分に結びつけやすい内容なので分かりやすい!!」

 「生きることへの考え方が変わった気がします。悩んでいる時間がもったいなく思います。」

 「私は仏教で自分の心や生き方を改めて見直すことができた。この世に生まれたすべての人の命が尊い、だから決して傷つけたらだめだということが印象に残っている。人に優しくしたいと思った。生きる喜びを学んだ。」

 「人に感謝する心、迷惑をかけたことに対する謝る心は、大事だと思いました。仏教を勉強することによって、自分が見直されるように感じます。」

 「仏教の授業を受けるとシャキッとします。悩んでいることがあっても、授業が終わる頃には、大したことがないと思えます。家族とケンカして家を出た日も、申し訳なかったな、帰ったらありがとうと伝えようと思えます。」

 みんな、ありがとう。
 
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聞思

2015年05月25日 | 聞法会・月例法座
 今日は、聞法会でした。(本当は30日なのですが、今月だけ少し早めて25日にしていただきました。)

 ずっと都路惠子さんの『アジャセからの贈りもの』を読んできましたが、いよいよ今日で最後です。

 今回は、「聞思」ということ、特に「聞」について、お話しさせていただきました。

 仏教の教えは、出世間の教えなので、世間の常識にはおさまりません。たとえば、「仏が私に呼びかけている」と言われても、世間の知恵で考える限り、理解不可能です。無理に理解しようとすれば、「きっとこういうことなのだろう」と自分勝手に誤解することになります。では、どうすればいいのか?

 それは、ただ「聞く」だけです。こちらの世間的な浅はかな知恵を差し挟むことなく、ただ「聞く」だけです。

 「聞く」という行為は、自分一人だけでは成り立ちません。無音の状態では、何も聞くことができないからです。「聞く」という行為は、他からのはたらきかけがあって成り立つものです。すでに他からはたらきかけてもらっているからこそ成り立つ行為です。「聞く」だけではなく、「食べる」ことも、「着る」ことも、「話す」ことも、すべて、すでに他からはたらきかけてもらっていたからこそできるようになったことばかりです。

 このように、「聞く」という行為を通して、私たちの行為はすべて、先に他からのはたらきかけがあってこそ成り立っていること、しかも私たちは普段そのことに気づいていないこと、そしてその気づいていない私に気づかせようとはたらいているはたらきこそお念仏であることをお話しさせていただきました。

 そして、「聞いた」ことが、自分の中で、自分の人生を通して「思」に熟成される時、「仏に呼びかけられていた私」に気づかされます。その時、自分勝手な誤解ではなく、ありのままをありのままに知らさせていただくことになります。そして、それこそが「アジャセからの贈りもの」だったのです。そのようなことをお話しさせていただきました。

 さて、来月からは、新しく『仏説無量寿経』を読んでいきます。楽しみにしてください。

 
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お通夜

2015年05月24日 | 日記
 今日は、四日市の誓元寺さんへお通夜に行きました。前住職の栗原弘音師が94歳で往生されたからです。

 お通夜の後、喪主の栗原廣海先生がご挨拶されました。栗原先生らしく、前住職の最期、そしてそのご生涯をとても分かりやすく、コンパクトにまとめてお話くださいました。

 焼香させていただいた後、先生の娘さんからさらに詳しいお話を聞かせていただきました。

 息子さんである先生も、お孫さんも、しっかりと跡を継いで、立派になられていて、その姿を見届けての往生、すばらしいなぁと思いました。

 また、いずれ死ぬ人生、次の世代へしっかりと仏法を伝えていかないとと改めて思わされました。

 94年のご生涯、お疲れさまでした。
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質問大歓迎

2015年05月23日 | 日記
 今日は、夜を除いて、ずっとお寺参りでした。

 お参りの後、いろいろ質問してくださる方がいらっしゃいました。

 お答えしながら、質問してくださるありがたさを感じていました。

 質問は大歓迎です。みなさんも、法事の際には、ぜひ、いろいろ質問してください。(^-^)/

 
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黒いアゲハ

2015年05月22日 | 日記
 トイレの前に赤いバラが咲いています。

 バラに誘われ、黒いアゲハがフラフラとやってきました。

 クロアゲハ、夏が近づいているようです。

 

 ※調べてみたら、クロアゲハには春型と夏型がいるそうです。(^^ゞ
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みえむ返却

2015年05月21日 | 日記
 午前中、みえむから当山の三尊さんがお帰りになり、お内仏としてご安置していただきました。
 

 今回の「親鸞 高田専修寺の至宝」展では、末寺から16体の一光三尊仏が集められました。三尊さんがずらっと並ぶそのお姿は壮観でしたが、それぞれに共通するところ、異なるところがあり、興味深い展示となっていました。制作年代も割と近いそうです。なんとなく、三尊さんが久しぶりの同窓会に出られたように思えて、微笑ましく感じられました。

 ようこそ、お帰りになりました、お疲れになったでしょうから、しばらくはゆっくりお休みください、と言いたいところですが、休む間もなく、常に私たちを照らし導き続けてくださる三尊さんです。申し訳ないことです。またいつものようにお給仕させていただきます。

 それから、展覧会の図録をいただきました。また、せいがん寺文庫へ入れておきますので、お気軽にご覧ください。
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和顔愛語論

2015年05月20日 | 和顔愛語論
 今日は、三重看護専門学校で、和顔愛語論の授業をしてきました。

 もう何年も講義させてもらっているのに、いつまでたっても、反省点がたくさん出てきます。

 でも、こうやって、昨年よりは今年、今年よりは来年と、少しずつ良くなるように、積み重ねていくことにいたしましょう。

 どのみち、それしかできない自分なのですから。

 
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お育て

2015年05月19日 | 日記
 今日は、朝、お寺参りがあった後、11時に葬儀を行い、午後1時からは、短大で授業して、夕方、初七日のお勤めのため、喪主さんの家へ行きました。

 今からもう15年以上昔、私が法事によく出るようになった20代の頃のことですが、今回の喪主さん宅がある地区の法事に行くのは楽しみでした。

 10名近くのお同行さんの仲がとてもよくて、勤行の後はいつもお手製の草餅や家で取れた果物などを出していただき、みんなで楽しくいただきました。

 まだ何を話していいかもよく分かっていない若造の私にも、みんながあたたかくお話ししてくださり、こちらを立てつついろんなことを教えていただきました。

 亡くなった方もそうやって私を育ててくださった方のお一人でした。冗談がお好きで、いつも笑わせてくださっていた方でした。

 こうやってお坊さんとして育ててもらうんだなぁ、お育てを受けるとはこういうことなんだなぁ、ありがたいなぁ、と、当時、とてもありがたく感じていて、行く度にあたたかな思いに包まれて帰ってきていました。

 今回、その地区へお邪魔したわけですが、十数年の間に1軒1軒家が減っていき、今では3軒しか残っていないそうです。育てていただいた場所が過疎化していくのは、寂しいことです。

 育てていただいたご恩に感謝しながら、初七日のお勤めをさせていただきました。南無阿弥陀仏。
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