おうちパン屋

八ヶ岳の麓で、田舎暮らし16年目。ママパン屋しています。

祈り

2012-03-05 10:24:41 | 3.11から
3月2日(土)深夜、宇都宮~二本松先まで雪のため通行止。
東北道のSAで4時間足止め。
陸前高田ボランティアセンターに着いたのは午後1時でした。

他の多くのボランテイアバスも同じ状況にあり、引き返す団体も多く
センターの判断でこの日の活動は正午で打ち切りとなって、
作業自体はすることができませんでした。


甲斐のめぐみから参加したのはバス2台分の70名。
半分が初めて参加する人でした。
70人からの人力と思いを考えるととても残念でした。
スコップ1杯の泥でも掻き出したかった。。。
妹はじめ、他の参加者も同じ気持ちだったと思います。

この記事を書きながら、何度も手が止まり書き直しながらいます。
作業もできなかったのに。。なんて考えてしまって。
またおいでって事なのだと思います。そんな時もあるのだと。


スタッフの方が
「引き返さず、センターには向かいます。
みなさんの気持ちを乗せて現地に立ちましょう。
空気も匂いも、見たこと、感じたこと全て現実なのです。
周りに伝えていくこと、それも大切な役目です。
現地の市場も回ります。買い物も支援のひとつです。」と言いました。

センターでは、前身の陸前高田社会福祉協議会の若者から震災直後からの話を
聞くことができました。
「津波の遺体はどんなだと思いますか?
私たちは遺体の数を「人」とは言えない。人として認識してしまうには凄まじすぎるから」

・・・自衛隊と共に捜索活動を続け、
一番過酷な状況の中生き抜いてきたのは消防団をはじめ現地の人でした。


強い引き潮で父の手を離してしまったことを悔やみ続ける若者のこと。
天井まで水が来て10センチ空いた隙間で息を続けた郵便局員さんのこと。
県外車がボランティアを偽り泥棒が横行していたこと。犯罪も多かったこと。

今も昨日のことのように思い出されているようでした。
そして復興計画がはっきりしない中、
先が見えない不安に疲れ切っている感じもしました。

「若者がパチンコに入り浸っているとメディアは言います。
たくさんの遺体に出会い、多くを失い、狭い仮設暮らしが長く続いて、他の娯楽も全部流された。現実逃避してしまう若者の気持ちもあるということを知って欲しい。」

「みなさんにしてもらいたい事。それは帰ってから「挨拶」して欲しい。
コミュニケーションが近所とあることが自分を守り家族を守ることにもなる。
私たちはそうやって互いに守ってきた。都会で同じことができますか?」と。

ボランティアに行ってきました!と言って、帰ってきたマンションではお隣さんすら知らない・・・
そんな都会の危うさを彼は感じ取っているようでした。
とても考えさせられた。


現地に立ち、手を合わせ向かい合うと悲鳴が聞こえるようでした。
何も無かった。そこに建物があり生活があったとは思えないくらい。
子供たちの恐怖は如何ばかりだったろう。


山梨から来た私には非日常の世界。
あまりに現実離れしていてどこを見ていいかも頭が理解しなかった。
でも現地では3.11以降の日常の光景になりつつあり
仮設が立ち並び、そこで生きている。

中学校
高校




気仙沼


陸前高田の仮設の直売所市場
バックヤードで忙しそうにラベルを貼っているおじいちゃんがいました。

1枚1枚手書きのシール


気仙沼の魚市場
直売所・市場の底力を見たような気がしました。


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