館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

キャロル・スローン 僕の育った音楽Sの仲間たちその2。

2018-01-20 06:14:35 | 僕の育った音楽
木曜に鼻水が止まらなくなった・・・結構な風だったので、アレルギーかなと市販薬でおさまる。
金曜日・・朝、なんだか少し関節が痛くて、起きるのがおっくうだった。
やがて、夕方、微熱?

風邪ひいたなぁ・・・・

市販薬で収まってるかんじなので、今日、医者に行くか考え中。

皆さまも、そんな季節です・・・お気をつけくださいませ。

さて、土曜は音楽だ!(ひさびさ)




キャロル・スローン!

このボーカルベーベーにははまったな。

「ロードアイランド州プロビデンスの出身で、14歳のときにエド・ドリュー楽団と地元で共演したのを機に、プロとして芸能活動に入る。1958年にはエルガート兄弟の楽団と共演した際、ラリー・エルガートの助言で芸名に変え、キャロル・モーヴァン(Carol Morvan)と名乗っている。1961年にランバート、ヘンドリックス&ロスがニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードでコンサートを行なったとき、アニー・ロスの代役を務めた。同年のニューポート・ジャズ・フェスティバルにおける成功から、コロムビア・レコードと契約し、アルバムを出す[2]。しかしながら彼女は、巨大レーベルが自分の温かで心安らぐフレージングを認めようとせず、バーブラ・ストライザンドの亜流と見られていると悟った。1960年代の初頭に一連のアルバムが録音されたが、現在これらの音源は廃盤である。
1970年代にしばらく活動が低迷したが、1980年代に活動を再開させ、円熟したジャズ・シンガーに成長した。コンテンポラリー・レコードやコンコード・レコード、ハイ・ノートなどの弱小レーベルと契約して録音し、その後もアート・ファーマーやルーファス・リード、ケニー・バーロン、フィル・ウッズ、スティーヴ・テュレー、フランク・ウェスらのジャズ・ミュージシャンと共演した。最近は主に日本で演奏活動を行い安定したファン層を獲得し、さらに米国北東部やニューヨークでも活動を続けている。」などと、ウィキには書いてあるぞ。

おしゃれで、抜群のスイング感がたまらないぜ。

そういや、銀座までコンサートに行ったなぁ・・・・

もはや、かなりの落としだなぁ・・・

もし、まだ、日本でライブなんぞあったら、聴きに行くのだ!

こんなの如何ですか?聴いてみませんか?
コメント (2)
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