館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ミネさんと行くうりずんの沖縄・・学徒たちの足跡を追う。

2017-04-29 04:51:16 | 旅は続く



ミネさんの希望で「戦跡をめぐる」が、メインのテーマだ。1つは南部戦線。もう1つは「集団自決のあった島・渡嘉敷」を訪ねるである。

南部は、ミネさんは、ひめゆり平和祈念館と、平和の礎は行っているので、時系列でその前後を追うことにした。

ひめゆりはまず最初に召集された壕・・・そして、終焉の地まで。

ちなみにひめゆりは、沖縄師範学校女子部と第一高女の混成である。他たくさんの学校から召集され「呼び名」も違うが、第二高女「白梅」も今回は同時に追うことにした。
訪ねるとわかるが、世界的に知られた「ひめゆり」とひっそりとした「白梅」を体験する・・・いまだ、解けないが、この違いはどうして生まれたか、僕は知りたいと思っている。

さて、まず、南風原の「ひめゆりが最初に少数された場所」・南風原20壕群にやってきた。しゃしんのボランティアのネーネーが壕の中を案内し、そこで起こったことなど説明してくれる。




この日の最初の新発見はこれだ!!!

3年前だろうか?壕の中の「匂い」を、証言をもとに再現したという記事を読んだ。

それを、嗅ぐことができたのだ!!!!!(おそるおそるだったけど・・・)



つづいて、有名な「富森の大獅子」・・・ここは、米軍が陣地を敷き、眼下の最後の防衛ラインとなった八重岳に攻撃を仕掛ける写真が残っているのだった。



その獅子から2・300メートルのところに白梅隊が召集された壕がある。写真は壕から望む先ほどの獅子が建つ丘。



白梅の務めた病院壕。



つづいては、ミネさんが祈念館は見学してないってんで、平和祈念資料館にやってきた。写真は「平和の礎」。



全学徒を慰霊する合同碑が今年できたという情報を新聞で見ていたので見たかった。

この日の「新発見その2」!

ガイドツアーの高校生・・・そして、子供や孫などに連れてきてもらった「明らかに学徒の生き残り」と思われる方など、ひっきりなしに碑の前に立ち、手を合わせていた。





ミネさんが資料館を見学の間、周辺で行ってない場所を散策。




やがてミネさんと合流。この写真はある意味「今日の新発見その3」かも?摩文仁の丘にある都道府県の慰霊塔だが、あきらかにこの栃木は異様だったな・・・
なぜ、沖縄の玉陵など模したのだろう?




このように、他県の明るさ?が無い。青森はりんご・・・岡山は合掌する姿・・・




韓国。



祈念館の公園には、「特攻花」が咲いていた。





鉄血勤皇師範隊・・・沖縄師範学校男子部の慰霊碑。



南部のどんずまり・・・荒崎海岸・・・・ひめゆりの終焉の地の1つである。
ここで、前に広がる海のおびただしいアメリカの戦艦と艦砲射撃・・後ろからは米軍の火炎放射・・・彼女たちと引率の先生が集団自決をした場所だ。

写真はその慰霊碑と遠方に「平和祈念館・・摩文仁の丘」。




本日4つ目にして最大の新発見か?採石場ができ、荒崎海岸への道も広くなったが、この採石場・・・なんと!!!「辺野古埋め立てに使う砕石」を作っているのだ!!!

僕の沖縄の相棒にような、タクシーの運転手氏、Sさんの情報だった。この場所でか?と、怒りがこみ上げた。



次にやってきたのは、白梅終焉の地の1つ「白梅の塔」。



帰りに「バックナー中将」の終焉の地にも立ち寄る。6月18日にこの地で日本軍の砲撃で死亡。過去現在の米軍の戦死者でいまだ最高位の人だ。
この司令官の死で、米軍は弔い合戦・・さらに激しい攻撃になってゆく。その数日後、日本軍は現地最高司令官牛島の自決(「最後マデ敢闘シ悠久ノ大義ニ生クベシ」と言い放って自決だが・・)で組織的戦闘が終わる。6月23日とも22日とも言われる。



戦跡巡り最後は「海軍司令部壕」・海軍の太田少将率いる地だ。



沖縄県民が献身的に戦ったことを打電、「県民に後世特別のご高配を!」と結ばれた打電の後自決した、海軍の現地トップ。

その16歳の孫が、慰霊祭で読んだ文章など残っている。彼は昨今の「集団的自衛権」には当然反対だと言うが、「大田中将の孫」の肩書を背負って、人を説得する自信はない、という。



内部と自決した司令室。



那覇に帰りながら、ミネさんの希望で「泡盛蔵」の見学も行った。

僕の見学した蔵では、今のところ最高に説明が素敵な「久米仙酒造」だ。

このマイスター中村君が見事に素晴らしい見学コースを設定しているのだ。



仕込んで盛んに発酵のタンクと、蒸留にまわる寸前のタンク。蒸留前の「どぶろく」状態を飲ましてもらえるのが素敵。



蒸留は蒸気で蒸留か、直火蒸留なのだが、多くの蔵で採用の「蒸気蒸留」の仕組みが見れたのは、本日5個目の新発見であった。



なぜか、館林ゆかりの「たぬき」が生垣にたたずんでいたのだった・・・・

こうして、2日目、南部戦線、追体験の旅は終了した。

長い記録だぜ!!!!!




コメント (2)
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