「誇」-URAWA REDS-
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観客動員数が伸び悩んでいる。
景気の不透明感や不順な天候も大きな要因だろう。
『行きたくても行けない』
それは無理をしないで欲しいよ。
生活を崩してまでね、やることではないと思うから。
その思いはスタジアムに行くことが出来る者が、
背負えばいいのだから。
スタジアムに足を運べない理由から解放された時、
威風堂々と戻って来て欲しいな。
諸手を挙げて歓迎するよ。
“仲間”じゃないか。
“戦友”じゃないか。

多くの人が詰め掛けた駒場スタジアム。
世界で一番悲しいゴールが決まった日。
その日から約3ヵ月後。
同じ場所で見知らぬチームを迎えた試合。
絶望から立ち直れず、
自分の立ち位置にさえ迷っていた日。
東側は、櫛の歯が抜けたようになっていた。
浦和は浦和なのに。
降格の責任は、僕らにだってあったかも知れないのに。

弱いから?
J2だから?

毒を喰らわば皿まで。
どこまでも付いていこうと決めたシーズン。
勝ってもちっとも嬉しくないなんて、
悲しかったな。
見知らぬ土地を訪れる楽しさと、虚しさと。
勢いを失っていった夏。
苦しみもがいた秋。
そして正樹のVゴール。
あの時の仲間は、今もかけがえのない仲間だよ。
いつも一緒の仲間も、ただ見掛けるだけの人もね。

あの頃より今の方がマシ。
だって、未来に希望があるじゃない。

観客動員数が、伸び悩んでいる。

優勝争いしていないから?
去年のサマに呆れてしまったから?

そんな理由で離れてしまったなら、
深追いしないよ。
美味しいところだけなんてね、
本当の美味しさを知ることは出来ないから。
ウチはね、
赤く染めるんじゃなくて、
赤く染まるチームなんだ。
今はその赤が、少し薄くなっているのかな。
暫くの間“強い浦和”だったから、
堪え性もなくなってきてたしね。
今。
今だよ。
ここを乗り越えれば、本物になれるよ。
僕はね、いつになっても99年、00年の苦しみを忘れなれないんだ。
だからね、少しぐらい情けない試合を見せられても
我慢できるようになったんだ。
ここで我慢して、
ここでもうひと声出して、
もっと頑張れば勝てるかも知れない、なんてね。

4連敗。
苦しいね。
「負けないよ」の後よりキツく感じるよ。
タテに走ってポーン、の方がすっきりするのに
じれったくてさ。
でも、迷ったら負け。
だって、これまでずっとそうだったんだもの。
今。
今だよ。
これを乗り越えた時、
「09年の仲間」が本物の仲間になれる気がするんだ。

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コメント
 
 
 
我が家の「J2落ち前後」 (kobby)
2009-08-05 17:36:55
J2落ちの前後は、私にとってもサッカーとのかかわり方を変えようか悩んだ時期です。本気でシーズンチケットの解約を考えたのは、後にも先にもこのときだけです。

ただ、熱きサポの弟が、「自分は九州にいて行けないから兄貴だけでもサポートして欲しい」というメッセージを送ってくれたので、少なくともリーグ戦のホームゲームは行かないとと思い直しました。

その後は、以前よりもスタジアムに行く回数も増え、自分自身は試合分析という方向にどっぷり浸かっていくのですが、あのとき試合を見ない方向に転換していたら、少なくとも初優勝の瞬間(2004年2ndステージの駒場)は見られなかったでしょう。
 
 
 
初優勝 (otteru)
2009-08-05 23:55:35
kobbyさん、こんばんは。
しばらく実感が湧きませんでしたね。
翌日は休暇を取っていたんですが、
浦和の街もいつもと何も変わらぬ光景で、
昨日のことが幻のようだった記憶があります。
当時は休日出勤当たり前、な職場でしたが
全試合参戦すると決意したのは、
それから間もなくでした。

辛いことばかりのシーズンでしたが、
あの経験があるからこそ、
その後の栄華が心に沁みたのでしょう。
負けて優勝なんて、ウチらしくてウチらしくて。
堪りませんでした。
 
 
 
はじめまして。 (原山)
2009-08-06 19:54:26
あまりに共感してしまって、おもわずそれをお伝えせずにはいられない気持ちになりました。

悲しいVゴールの後しばらくは、思い出すたび、
その事実が嘘でないことを理解するたび、自宅で号泣しました。
若かった自分は、とにかく金を集めよう、選手をつかまえておこう なんて衝動的に思ったりしたこともありました。

覚悟して、全国まわったものの、ペンペン草の生えるスタジアム。トイレの数が足らないスタジアム。広告看板を選手が準備するスタジアムなどなど、なんとも言えないむなしい気持ちが自分を支配していたものでした。

新しい人には新しい浦和があるのかもしれませんが、良いことも悪いことも共に歩める強い浦和でありたいと、あらためて思う次第です。

そんな僕も気づけば、40歳なんですよねw
 
 
 
根っこ (otteru)
2009-08-06 23:46:21
原山さん、はじめまして。
観たくもないニュースや新聞記事が目に入るごとに、
避けようのない事実を突きつけられました。
伸二も暢久もみんな、浦和から去ってしまうのか。
不安で堪りませんでした。
が、結局誰一人浦和を去ることなく、
さらに浦和っ子が2人、帰って来てくれた。
本当に嬉しかった…。
微温湯体質だ、仲良しクラブだと揶揄されますが、
僕はそんな浦和が好きなんですよね。

新しい浦和があっていい。
新しい浦和であるべきだとも思います。
が、古くから大切にしていたものも
失って欲しくないんですね。
最近はウォリアーも威風堂々も軽くていけません。
We are Diamondsも謳い過ぎな気がして。

去年の顛末が果たして良かったのか悪かったのか。
その影響かどうかは定かではありませんが、
結果としてバック1階を自由席にした恩人と、
町場出身の取締役を失うことになりました。
もう、同じ轍は勘弁です。

少しぐらい悪くたってガタガタ騒がない。
根っこの生えた浦和になりたいですね。

あれから10年ですよ。
最近は試合後の疲労がなかなか抜けなくて困ります…
 
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