夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

鮎図 西村五雲筆 その9

2017-03-27 00:01:00 | 掛け軸
3連休の最後の休日は、先月インフルエンザの流行で会えなかった母のところへ・・。息子も「行く!」と毎回、大乗り気です。



母とは気が合っているようです? 誰とでも気が合うのが長所かな?



母も愉しそうです。母にお茶を点てる?三歳児・・・。今日は90歳の誕生日。



そのうち、姉も合流。3月は14日が姉の誕生日、19日は家内の誕生日。まとめて誕生祝・・



毎回、押して歩いてくれるのですが・・。「ほれ! 前を向いて!」はまだ同じ。



本日はしっかりとした作品を描くことに惹かれるうちに9作品目となった西村五雲の作品の紹介です。

鮎図 西村五雲筆 その9
絹本着色軸装 軸先象牙加工 合箱
全体サイズ:縦1200*横425 画サイズ:縦235*横295



本作品のように共箱もない作品は出来如何によって入手を判断しますが、落款や印章も一応は頭に入っていなくてはなりません。下記の落款と印章は他の所蔵作品「東屋山水図」との比較です。



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西村五雲:1877年(明治10年)11月6日 ~1938年(昭和13年)9月16日)。日本画家。京都出身、本名・源次郎。日本画家の西村卓三は息子(次男)。動物の生態を生き生きと捉える絵を描き、平和でのどかな動物画を得意としていた。

1890年(明治23年)13歳で岸竹堂に入門、ただしこの頃の作品は殆ど現存しない。竹堂没後の1899年(明治32年)に竹内栖鳳に師事。1907年(明治40年)の第1回文展で「咆哮」(山種美術館蔵)が三等賞受賞。1913年(大正2年)に京都美術工芸学校教諭、1924年(大正13年)に京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)教授、1933年(昭和8年)に帝国美術院会員、1937年(昭和12年)に帝国芸術院会員。

晩年の五雲は名声を得たが、生来病弱で、官設展などの大きな展覧会にはあまり出品しておらず、大作や作品数も少ない。画塾・晨鳥社を主宰、門下に山口華楊などがいる。

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鮎を描いた日本画家は多いのですが、当方では福田豊四郎、川合玉堂、宇田荻邨、山元春挙、小泉檀山などの作品があります。季節には早いので、臨時的に展示室に掛けてみました。



小点に近い、小さめの掛け軸は融通が利いて、いろんなところに飾ることができます。



生来病弱な西村五雲は8号程度の作品に秀作が多く、本作品も共箱のない状態ながら、保存状態がいいほうで、良く描けています。




細かい部分にも淡い色彩がのり、日本画の上品さが味わいとなっています。



初夏には皆で鮎を食べたいと思いますね。



祖父が会社設立50周年で製作した記念品が福田豊四郎が描いた「鮎」を描いた輪島塗の盆(福田豊四郎 その13)、なぜこの作品だったのでしょう?



原画は当方で保管しています。



母の実家には郷倉千靭の鮎の作品が初夏には飾っていました。なにかと身近に鮎の日本画の作品があったように思われます。


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