夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

灰釉茶碗 ジャネット・リーチ作

2013-06-30 11:03:10 | 陶磁器


近代の陶芸を語るときに必ず出てくる名前があります。民芸復興を唱えた柳宗悦です。そして彼と共に活動したのが、浜田庄司、河井寛次郎、そして棟方志功です。

浜田庄司、河井寛次郎は本ブログでも紹介しましたが、棟方志功の作品は縁があってもなかなか入手できないでいます。

今回は彼らの作品ではなく、浜田庄司と親しかったバーナードリーチに関する作品です。といってもバーナードリーチの作品でもありません。ちなみにバーナードリーチの作品は1953年(昭和28年)に来日したときに製作した作品を所蔵していますが、小生の誕生年ということで入手しました。残念ながら未公開です。

本日はバーナードリーチの3度目の奥さんで、浜田庄司と親しかったジャネットリーチの作品です。

灰釉茶碗 ジャネット・リーチ作
共箱入
高さ76*口径110




1981年の作とあることから、ジャネット・リーチが63歳の作品。バーナード・リーチが亡くなってから2年後の作品です。イギリスのリーチ工房で製作された作品と推察されますが、丹波焼の味が出た雰囲気の良い作品です。



3度目・・、31歳の年齢差で、しかも結婚したのは、バーナード・リーチ69歳、ジャネット38歳です。人生は良いことにしろ、良くないことにしろ、いろんなことが起こります。だから面白い。サラリーマン生活にきゅうきゅうとしているのでは時間がもったいないですよ



ジャネットリーチは1954年に来日し、濱田庄司の陶房に滞在後、丹波で2年間、日本式の轆轤の技術を学び、轆轤と手形成を組み合わせた独自のスタイルを確立しました。



この時に来日していたバーナードリーチとおそらく浜田庄司を介して知り合い結婚しています。その直前の作品を私が所有していることになります。



晩年はバーナードリーチが目を悪くし作陶を止めましたが、轆轤はジャネットリーチが製作し、絵付けをバーナードリーチが行ったという作品があります。もともとバーナードリーチはエッチングの専門家でしたので絵付けにその妙技があると思いながら作品を鑑賞するといいと思います。




結婚したジャネットリーチはイギリスに帰国後、リーチ工房の経営を任されますが、もともとはバーナードリーチの長男デイヴィッド・リーチが経営していたものですが、ジャネットリーチと馬が合わない?ので長男は地方で作陶に励むこととなりました。




ジャネット・リーチ(1918~1997):アメリカ、テキサス生まれ。アルフレッド大学卒、インウッド陶房にて学んだ。浜田庄司等と懇親で、民芸風作家として世界的に有名である。バーナード・リーチの3度目の妻(31歳の年の差)。1954年に来日し、濱田庄司の陶房に滞在後、丹波で2年間、日本式の轆轤の技術を学ぶ。轆轤と手形成を組み合わせた独自のスタイルを確立した。1956年に日本で知り合ったバーナード・リーチと結婚(バーナード・リーチ69歳、ジャネット38歳)。バーナード・リーチの長男のデイヴィッド・リーチ(陶芸家)に代わって、1956年イギリス帰国後の1956年から1979年までの時期にリーチ・ポタリーの工房を経営しながら、作陶に励んだ。

さて、義父が週末に野菜と一緒に新潟の方からいただいた笹団子を持ってきてくれたので、本日は笹団子でお薄を・・。



このお茶碗は丹波焼焼のような雰囲気?で、どこにでもありそうなお茶碗ですが、内外にある釉薬の紋様がいい味を出しています。



飲み終えると内側の紋様が・・・。



このようなお茶の楽しみ方の文化は日本独特でありながら、英国人が作ったお茶碗・・。

「人生はチョコレートと同じ・・、食べてみなければ分からない。」という映画のセリフがありますが。「人生はお茶と同じ、飲み終えないと見えてこない。」



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