夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

立原杏所 その2&3 水墨山水図&虎之図 

2012-06-03 06:10:07 | 掛け軸
掛け軸や陶磁器について独学はそれなりに時間と投資がかかるようです。あくまでも趣味での域を出ませんが、仕事しながら、学んできて今になって少しだけ解ったような気がしてきています。まだまだ難解な領域の挑戦が続きます。

さて本日は地味な作品です。

以前投稿したときにはそれほど真贋が難しい画家だとは思ってもいませんでした。

仙女白兎図 立原杏所筆
紙本絹装水墨淡彩 西村南岳極箱 画サイズ:620*1320

上記の第一作目は今では真作と判断しています。

二作目と三作目を入手し、鑑定の難しい画家への挑戦が続きます。まだブログに投稿するほど整理がついていない画家です・・。

水墨山水図 立原杏所筆
紙本水墨 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1805*横495 画サイズ:縦1325*横340



立原杏所の真贋の難しさを物語る記述として下記のような文章があります。下記の文章が掲載されている本は東京国立、京都国立、奈良国立博物館の監修による本ですので事実と思われます。

「戦後間もなく、茨城県下の某老医師が、養老保険の満期ではいった相当高額な金で、立原杏所の絵を三十余点も買ったが、それが全部偽物であった。杏所の偽物はその弟子がやったということは、その道の人にはよく知れられているところであるが、(これらの作品が直ちにそれに相当するかどうかはわからない)、とにかくはじめに買った一点を東京の某という鑑定家にみせたところ、間違いなしという鑑定書をくれたので、内緒でどんどん買い入れた。それは人に見られると折角の杏所を横取りされてしまうという腹があったからで、要するに欲が深かったばかりに、大きな損をしてしまったわけである。冬のさなかだというのに、全部駄目だとかわったとき、老医師の顔から冷たい油汗が流れていたが、今でもときどき目に浮かんで、やり切れない思いをすることがある。」
(至文堂発刊 日本の美術 文人画 巻末文人画の鑑識より)

とあるように非常に鑑定の難しい画家の一人です。そういうものがあるとチャレンジしたくなるのが人情とうもの・・。



まずは廉価なものを購入して検証作品とします。落款は「立原任」と著され、さらりと描かれた山水画ですが、岩や樹木の描き方に妙があります。



落款の筋はよさそうですが、なにしろ弟子が贋作を製作すると落款や印章では区別がつかなくなります。





画の持つ雰囲気がポイントでしょうが、まだそこまで見込んでいませんいるところまで、作品を検証していませんが、現段階では私は真作の可能性が高いと推察しています。


次は「虎」の絵です。

立原杏所の有名な作品に「葡萄図」があります。この作品は素晴らしい作品ですが、

『杏所は斉昭から目前で書画を行うことを命じられたという。杏所は書画をよくしたが画工の様を見られるのは好まなかった。そこで、使い古しの巾を袂から出し、それを硯に浸して紙に投げつけたところ、墨が飛び散り斉昭の袴を汚したという。斉昭が「何をするのか」ととがめると、「葡萄を画いてご覧に入れます」といい、既にその書画を完成させ、一座を感嘆させたという。』

という謂れがあり、かなり酔っていたという記述もあります。そのような豪快な作品を探しています。

立原杏所は谷文晁に師事し、中国の元代から明、清の絵画を閲覧、場合によっては借り受けて模写をしており、とくに憚南田、沈南蘋の画風を学び、その作品には謹厳にして高い品格を漂わせ、すっきりと垢抜けた画風が多いのですが、豪放な作品のほうが味があります。

虎之図 立原杏所筆
紙本水墨
画サイズ:縦1170*横580



落款は「立遠?任」と著されており、「任」は諱、字は「子遠」からきている可能性がありますが、珍しい落款のようで今後確認を要します。



本作品も私は真作の可能性が高いと推察しています。

渡辺崋山、椿椿山とも交流があり、華山が蛮社の獄で捕縛された時には、椿山と共に不自由な体をおして救出に助力・助言をし、藩主斉昭の斡旋を図ろうとしていた義に厚い画家です。

立原 杏所:(たちはら きょうしょ、天明5年12月26日(1786年1月25日) - 天保11年5月20日(1840年6月19日))は、江戸時代中期から後期にかけての武士、南画家。水戸藩7代藩主・徳川治紀、8代・藩主斉脩、9代藩主・斉昭の3代に仕える。本姓は平氏。諱は任。字は子遠。甚太郎のち任太郎とも。東軒、玉?舎、香案小吏、杏所と号した。杏所の号は、生まれた横竹隅の庭内に杏樹があり、そこから取ったとも言われる。家系は常陸平氏大掾氏の一門・鹿島氏の庶流といい、鹿島成幹の子・立原五郎久幹を祖とする立原氏。祖父は水戸藩彰考館管庫・立原蘭渓。父は水戸藩彰考館総裁・立原翠軒。長女は崋山門下十哲のひとりに数えられる南画家・立原春沙、三男に幕末の志士・立原朴二郎。子孫には大正時代の詩人で建築家の立原道造がいる。




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2 コメント

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「立遠?任」 (がらん)
2020-05-23 10:02:04
 杏所の落款でこちらへたどり着きました。虎の画の落款の印章が真であるか知りたいですが。
 ところで「遠」と読んでおられる文字は「原」の異体字だと思います。石鼓文/第四鼓に「原濕陰陽。趍趍□馬」というくだりがあるんですが、原を篆書の古文で「𨙅」※と表記しています。これから派生した略表記だと。ご参考まで。
※备+彖+辶 ユニコードなので文字化けするかも
「書画真正落款譜」同様の落款を見つけました。42コマ目をご覧ください。↓
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/850842
立原杏所 (夜噺骨董談義)
2020-05-24 07:58:25
コメントをありがとうございます。
正直なところ、当方の現時点での判断は山水画は真作、虎図は真作とは断定できないといったところです。感覚的にですが、虎図の構図がすとんと腹に納まらない感じがするのです。酔って描いた画家ですから多少の異変を感ずる点もあろうかと思い、一概に贋作とも言えないのでしょう。山水画は現在、表具改装中です。虎図はどうしようかと思っていますが、いずれまくりの作品ですので、参考作品として表具する可能性があります。

落款の読みへの見解、資料は参考となりました。
今後ともよろしくお願いいたします。

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