先日の桶川駅西口公園で突如、見知らぬ番号から着信アリ。
恐る恐る応答しぎこちない口調で話していくうち、よくよく話を聞いてみれば相手は右峰君から自分の番号を聞いたという。
こないだのランドマークで‥‥
30日に松戸にも行こうしたんだけど‥‥
等々、それらのキーワードから断片的に脳内に散らばっていた情報が少しずつ合致し始め、ついにビジョンが鮮明に浮かび上がった。
その電話越しの相手は、当時かねがね噂には聞いていた横浜のディープアンダーグラウンダー、我等栄光の90年代後半よりついにシーンの最前線に現れては瞬く間にその鬼才の底力を見せつけた、
大槻真之介君
だったのだ。
積もる話も多々あるが、戸惑い半分言葉少なに次の日光が丘公園で乗ることを告げ通話を終了したが、たちまちかつての大槻君の勇姿、それに纏わるエピソードがこみ上げてきた。
以下20INCHERS名物の(笑)回想シーン。
初めて大槻君に出会ったのは約15年程前。
横浜の都筑で夜な夜なjamを開催するとのことで慣れないコースを運転し向かった先には、既に夥しい数のライダーが薄暗い一角に列挙しスタンバイしていた。KHEファクトリー時代の宇野陽介君に加え、東京、神奈川地区から多くのライダーが集まったものの、小雨+DQNな○走団による威嚇等により敢えなくjamは中止。
集まった多くのライダーに直々に謝罪に来たのが、何を隠そう大槻君だったのだ。
かれこれ噂や各方面からの情報筋によれば、
ガタイが良い
マシンがでかい
目つきが鋭い
オリジナルがぶっ飛んでいる
と、僅かな情報のみで勝手にイメージが独り歩きを始めてしまっていたせいか、ひとりひとりに丁重に謝りに来たその姿にいい意味でギャップを感じ個人的には好感が持てたのだ。
また、当時の某新聞の神奈川版?記憶が定かではないのだが、それに大槻君が都筑で果敢にライディングに打ち込む様子が掲載されたこともあり、
夜の駐車場 自由の舞台
的な、どこか視点にズレを感じる新聞流?NHK流?のなんとも泣けるキャプションが踊っていたのが印象的だった。
「そうゆうんじゃねーだろ!」と思わずツッコミたくなったが、一般的な良識ある大人が、我々のカルチャーに理解を示してくれたことそのものに感謝するべきだったのだろう。
それまで「裏」のライダーと称されていた大槻君が1999年のKOG初戦にエントリーし、その表現力を持て余すROXの小さなコートでライディングを披露しては、初エントリーで余裕の表彰台圏内。
シーンに存在感を知らしめた。
間もなくプロクラスに昇格し全国大会はもちろん、ローカルの草大会でも頭角を現すようになってきた。
フルメッキのプラットフォーム付きアシュラが大槻君ほど似合うライダーを前にも後にも見たことがない。その後もオリジナルハードスイッチに挑み続けるスタンスは変わらず、時には土浦のjamで、またある時はBMX FREEDOMの表紙を飾ったりと生き様を後世に植え付けた。
‥とまあ、エピソードを振り返ればきりがない。
とにかく、その電話でのやり取りで闘志剥き出しの大槻君とセッションができる運びにこぎ着けたのだ。
1/3(木)
光が丘公園
~伝統行事 初乗り會~
年々減り行くライダー数。
今や集まるライダー全てが光が丘以外の他ローカルという奇妙な集いだ。
自分は今年も一番乗り。
そんな中強烈に冷たい北風と共に、見よ、獰猛な野獣のようなライダー、大槻君 見参。
ライディングを共にするのはいつ以来だろう。懐かしさのあまりライディング前に一頻りシーンに対する答の出ない話をお互いに大声で話した。悔しさや不満、それらを分かち合える部分が多く、ついつい口調もエキサイト気味に。
後から到着した石嶋君、下山君から話に入り込めませんでしたとコメントを頂いてしまうくらいの激論だったようだ。
我等1976年式 櫻花●浪漫
ライディングは変わらぬオリジナルにアンダーグラウンドにまっしぐら。
手足の長さ、長身を活かしたスタイルと大きめのマシンがベストマッチで、とにかく動きに迫力がある。
この日の大一番、街灯の柱を利用したポールジャムでは大槻君、実に少年の眼差しにかえっており、純粋に心から楽しんでいる様子が窺えた。
ポールジャムとは柱になるものなら何でも良い。
グライド系トリックでポールに近づき、片手でポールを掴むことによる切り返し及びポールを軸に周回しどれだけバリエーションを披露できるかというもの。
昔懐かしきStyle CatsでChad DegrootがHang5で切り返していた、そう、まさしくあれをヒントに、大人気なく(笑)盛り上がっていた。
BMXフリースタイル
忘れてはいけない格好良さ、大槻君のスタイルには満ちている。
同じ時代を乗り続けてきたということも大きいが、共鳴できるライダーの健在ぶりには思わず新年早々澄み切った青空に雄叫びがこだました。
同じ志を持ったライダーと共に、一日でも永く乗り続けて行きたい。
恐る恐る応答しぎこちない口調で話していくうち、よくよく話を聞いてみれば相手は右峰君から自分の番号を聞いたという。
こないだのランドマークで‥‥
30日に松戸にも行こうしたんだけど‥‥
等々、それらのキーワードから断片的に脳内に散らばっていた情報が少しずつ合致し始め、ついにビジョンが鮮明に浮かび上がった。
その電話越しの相手は、当時かねがね噂には聞いていた横浜のディープアンダーグラウンダー、我等栄光の90年代後半よりついにシーンの最前線に現れては瞬く間にその鬼才の底力を見せつけた、
大槻真之介君
だったのだ。
積もる話も多々あるが、戸惑い半分言葉少なに次の日光が丘公園で乗ることを告げ通話を終了したが、たちまちかつての大槻君の勇姿、それに纏わるエピソードがこみ上げてきた。
以下20INCHERS名物の(笑)回想シーン。
初めて大槻君に出会ったのは約15年程前。
横浜の都筑で夜な夜なjamを開催するとのことで慣れないコースを運転し向かった先には、既に夥しい数のライダーが薄暗い一角に列挙しスタンバイしていた。KHEファクトリー時代の宇野陽介君に加え、東京、神奈川地区から多くのライダーが集まったものの、小雨+DQNな○走団による威嚇等により敢えなくjamは中止。
集まった多くのライダーに直々に謝罪に来たのが、何を隠そう大槻君だったのだ。
かれこれ噂や各方面からの情報筋によれば、
ガタイが良い
マシンがでかい
目つきが鋭い
オリジナルがぶっ飛んでいる
と、僅かな情報のみで勝手にイメージが独り歩きを始めてしまっていたせいか、ひとりひとりに丁重に謝りに来たその姿にいい意味でギャップを感じ個人的には好感が持てたのだ。
また、当時の某新聞の神奈川版?記憶が定かではないのだが、それに大槻君が都筑で果敢にライディングに打ち込む様子が掲載されたこともあり、
夜の駐車場 自由の舞台
的な、どこか視点にズレを感じる新聞流?NHK流?のなんとも泣けるキャプションが踊っていたのが印象的だった。
「そうゆうんじゃねーだろ!」と思わずツッコミたくなったが、一般的な良識ある大人が、我々のカルチャーに理解を示してくれたことそのものに感謝するべきだったのだろう。
それまで「裏」のライダーと称されていた大槻君が1999年のKOG初戦にエントリーし、その表現力を持て余すROXの小さなコートでライディングを披露しては、初エントリーで余裕の表彰台圏内。
シーンに存在感を知らしめた。
間もなくプロクラスに昇格し全国大会はもちろん、ローカルの草大会でも頭角を現すようになってきた。
フルメッキのプラットフォーム付きアシュラが大槻君ほど似合うライダーを前にも後にも見たことがない。その後もオリジナルハードスイッチに挑み続けるスタンスは変わらず、時には土浦のjamで、またある時はBMX FREEDOMの表紙を飾ったりと生き様を後世に植え付けた。
‥とまあ、エピソードを振り返ればきりがない。
とにかく、その電話でのやり取りで闘志剥き出しの大槻君とセッションができる運びにこぎ着けたのだ。
1/3(木)
光が丘公園
~伝統行事 初乗り會~
年々減り行くライダー数。
今や集まるライダー全てが光が丘以外の他ローカルという奇妙な集いだ。
自分は今年も一番乗り。
そんな中強烈に冷たい北風と共に、見よ、獰猛な野獣のようなライダー、大槻君 見参。
ライディングを共にするのはいつ以来だろう。懐かしさのあまりライディング前に一頻りシーンに対する答の出ない話をお互いに大声で話した。悔しさや不満、それらを分かち合える部分が多く、ついつい口調もエキサイト気味に。
後から到着した石嶋君、下山君から話に入り込めませんでしたとコメントを頂いてしまうくらいの激論だったようだ。
我等1976年式 櫻花●浪漫
ライディングは変わらぬオリジナルにアンダーグラウンドにまっしぐら。
手足の長さ、長身を活かしたスタイルと大きめのマシンがベストマッチで、とにかく動きに迫力がある。
この日の大一番、街灯の柱を利用したポールジャムでは大槻君、実に少年の眼差しにかえっており、純粋に心から楽しんでいる様子が窺えた。
ポールジャムとは柱になるものなら何でも良い。
グライド系トリックでポールに近づき、片手でポールを掴むことによる切り返し及びポールを軸に周回しどれだけバリエーションを披露できるかというもの。
昔懐かしきStyle CatsでChad DegrootがHang5で切り返していた、そう、まさしくあれをヒントに、大人気なく(笑)盛り上がっていた。
BMXフリースタイル
忘れてはいけない格好良さ、大槻君のスタイルには満ちている。
同じ時代を乗り続けてきたということも大きいが、共鳴できるライダーの健在ぶりには思わず新年早々澄み切った青空に雄叫びがこだました。
同じ志を持ったライダーと共に、一日でも永く乗り続けて行きたい。