『音惚花活気好@kakky』=垣内政治的《霊界物語学》の日記的な雑記の様なレポート状の諸々?

出口王仁三郎聖師による弥勒胎蔵経『霊界物語』を『音惚花活気好@kakky』的に学問してみるランダムレポート?

STARGAZER を歌ってみた! ギターも弾いたぞ!^0^♪ 【ALL TO A MASH】

2013年06月21日 07時55分03秒 | Weblog
STARGAZER を歌ってみた! ギターも弾いたぞ!^0^♪ 【ALL TO A MASH】


PowerDirector EXPERT4で動画編集第三弾!

今回は6/19(水)にシダックスで録音して来た音源に、翌20(木)、
自宅でリードギターのアドリブもアフレコしてみたので、
是非みんなで観てください♪

ボーカルのメロディーは、原曲をちゃんとコピーしてないので、
フィーリングで歌ってますが、
自宅で甚平姿でハードロックギターを弾いてる絵ヅラが、
オッサンならではの貫録ロックでウケますよ!乞う御期待!^^♪

横浜の伊勢佐木モールで週一カラオケで遊ぼう!の集い
https://www.facebook.com/karaokeyokohama

次回のカラオケは来週6/27(木)ですけれども、
同じ部屋に集わなくてもいいですよ^^♪

一応、時間は早くから夜の八時まで借りてますけど、
午後三時~午後八時までなら一緒に遊べると思いますが?

私と仲間になりたい人は、
千円持参で426号室にいらっしゃいませ♪
1ドリンク付きで暇つぶせますよ♪

私個人は、やりたい事が増えて来たので、
部屋を独占して歌いたい人は、
会員さんになるとお得みたいですから、
そうしてくださいね。

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シダックスの会員でもないのに、
イキナリ遊びに来て部屋を借りるとアレですから、
私が告知した部屋以外の部屋で遊びたい時には、
受付で料金を確認してから楽しく遊んでくださいね♪

皇道經濟でみんなに十億円!^0^♪
みんなしあわせになれ~♪^^
よろΘ(ス)く!^0^♪

第2章 三神司邂逅(サンシンカイコウ) (302)

2013年06月17日 19時15分31秒 | Weblog
霊界物語 第七巻 霊主体従 午の巻 第一篇 大台ケ原(オホダイガハラ)

 山の頂(イタダキ)より涼しき声聞えて、

 『世は常闇(トコヤミ)となり果てて
 黄泉国(ヨモツノクニ)に出でましし
 国の御柱大神(ミハシラオホカミ)の
 見立て給ひし八尋殿(ヤヒロドノ)
 真木(マキ)の柱(ハシラ)の朽(クチ)はてて
 倒れかかりし神の世を
 起し助くる康代彦(ヤスヨヒコ)
 心も堅(カタ)き真鉄彦(マガネヒコ)
 天津御国(アマツミクニ)に現はれて
 瑞(ミヅ)の御魂(ミタマ)と諸共(モロトモ)に
 この世の元を固めむと
 天津誠(アマツマコト)の御教(ミヲシヘ)を
 天と地とに隈(クマ)もなく
 行き足らはして神の世を
 いと平けく安らけく
 親の位を保ちつつ
 ただよふ国を弥堅(イヤカタ)に
 締め固めたる大事(オホコト)の
 忍男司(オシヲノカミ)の現(ア)れまして
 神政成就なし遂ぐる
 吾らは神の御使(ミツカヒ)ぞ
 千代(チヨ)に八千代(ヤチヨ)に日(ヒ)の本(モト)の
 礎(イシズエ)堅(カタ)く搗(ツ)き固め
 神世(カミヨ)の長(ヲサ)と成りいでて
 教を四方(ヨモ)に敷島(シキシマ)の
 吾は康代(ヤスヨ)の司(カミ)なるぞ
 吾は真鉄(マガネ)の司(カミ)なるぞ
 いま汝(ナ)が前に現はれて
 大事忍男司(オホコトオシヲノカミ)と云は
 ウラルの山にわだかまる
 八岐大蛇(ヤマタヲロチ)の化身にて
 今より十年(トトセ)のその昔
 この神山に立籠り
 瑞穂(ミヅホ)の国(クニ)の中国(ナカクニ)の
 神の胞衣(エナ)をば打破り
 この世を乱す深企(フカダク)み
 これの深山(ミヤマ)に隠(カク)ろひて
 あまたの邪神を狩集め
 再挙を図る浅間しさ
 天(アメ)の御柱大神(ミハシラオホカミ)は
 魔神(マガミ)の企(タク)みをことごとく
 覚らせたまひて現世(ウツシヨ)を
 千代(チヨ)に八千代(ヤチヨ)に康代彦(ヤスヨヒコ)
 堅磐常磐(カキハトキハ)に真鉄彦(マガネヒコ)
 造り固めて浦安(ウラヤス)の
 日(ヒ)出(イ)づる国(クニ)の礎(イシズエ)を
 照らす日(ヒ)の出(デ)の大神(オホカミ)ぞ
 仕組(シグミ)も深きこの山に
 導きたまふ雄々(ヲヲ)しさよ
 東南西に海原(ウナバラ)を
 控へて聳(タ)てるこの山は
 難攻不落の鉄壁ぞ
 汝(ナレ)が命(ミコト)はこの山に
 堅磐常磐(カキハトキハ)に鎮まりて
 天津日嗣(アマツヒツギ)の皇神(スメカミ)の
 御位(ミクラ)を守り奉(タテマツ)れ
 吾は左守(サモリ)の司(カミ)となり
 大和嶋根(ヤマトシマネ)の神国(カミクニ)を
 真鉄(マガネ)の彦(ヒコ)の弥堅(イヤカタ)に
 弥常久(イヤトコトハ)に揺ぎなく
 治めてここに立岩(タチイハ)の
 深き企(タク)みをうち破り
 曲神(マガ)のことごと平(タヒラ)げむ
 康代(ヤスヨ)は右守(ウモリ)の司(カミ)となり
 荒浪猛(タ)ける浮嶋(ウキシマ)を
 神の稜威(ミイヅ)に搗(ツ)き固め
 康代(ヤスヨ)の彦(ヒコ)の司(カミ)となり
 浦安国(ウラヤスクニ)の心安(ウラヤス)く
 千代(チヨ)に八千代(ヤチヨ)に守るべし
 朝日の直刺(タダサ)す神の山
 夕日の直刺(タダサ)す神の峰
 百山(モモヤマ)千谷(チダニ)のその中に
 聳(ソソ)り立ちたる大台(オホダイ)が
 原(ハラ)の御山(ミヤマ)と永久(トコシヘ)に
 日(ヒ)の出神(デノカミ)と現はれて
 天教(テンケウ)地教(チケウ)の神々の
 教を守る朝日子(アサヒコ)の
 日(ヒ)の出神(デノカミ)となりませよ』

と歌ひながら、巌窟の前に立てる日の出神の傍(ソバ)近く進みきたる。
 (大正十一年一月三十日、旧一月三日、高木鉄男録

『音惚花活気好@kakky』的『第2章 三神司邂逅(サンシンカイコウ) (302)』分解

2013年06月17日 19時14分01秒 | 出口王仁三郎
霊界物語 第七巻 霊主体従 午の巻 第一篇 大台ケ原(オホダイガハラ)

平成二十五(2013)年六月十七日 旧五月八日(月)

 山の頂(イタダキ)より涼しき声聞えて、

 『世は常闇(トコヤミ)となり果てて
 黄泉国(ヨモツノクニ)に出でましし
 国の御柱大神(ミハシラオホカミ)の
 見立て給ひし八尋殿(ヤヒロドノ)
 真木(マキ)の柱(ハシラ)の朽(クチ)はてて

--------------------------------------------------------------

大正十一年頃の日本国内を、平成二十五年の感覚で想像すると、
きっとこの宣伝歌の様に、当時の日本国内や世界情勢は、
まったくの常闇であったに違いないと思うのだが、
それを現代に当てはめようとすると、はたして常暗かどうかは、
なかなか判断しきれないところがある。

まだ、上空に分厚い氷の層があったと思われる原始の地球であれば、
地上全体は完全に常闇状態であった筈だし、
例えば人間が海で水中遊泳をした時なども、
太陽光が届かない深さまで到達したら、そこは完全なる常闇になる。

現代社会では照明設備が、かなり充分に施されて来ているから、
そういう意味では、世が常闇と云われてもピンと来づらいかもしれない。

一方で、好転主義者とか、楽天主義者といわれる皆さんは、
闇になったらなったで、闇の中でしか出来ない楽しいことを、
充分満喫して人生を謳歌しましょうとか言いだすかもしれない。

確か、アメリカでは、ニューヨーク大停電がきっかけで、
その一年後は大ベビーブームになったという史実もあったと思うので、
物理的な闇が人類にとって不都合なものかどうかは断言しづらい。

かえって明るいからこそ、相手の外見にとらわれて、
タイプだとかタイプじゃないとかいって、
結ばれないカップルが増える可能性もある。

戦時中に出征前の若い男女が、周囲に勧められるままに結婚出来たのも、
それは戦時中の消灯という闇が助けてくれたのかもしれない。

今だって、夜にみれば、だいたいの男女が、
美男美女に見えてしまう場合もある。

さあこれから床調べという時に、
明りを消したがる場合が多いのも、闇のおかげで相手が、
現実以上に理想の相手に見える様に想像力が働くからかもしれない。

そう考えると闇の助けというのは意外に大きいのではなかろうか?

現代人は結婚適齢期が上がっているそうだが、それは照明技術が発達して、
相手の容姿がよく見える様になってしまったからかもしれない。

そうなれば、どうしたって少子化問題は膨大するばかりだ。

結婚相手を選ぶ時に、照明が明るくて、
相手の短所が露骨に見え過ぎてしまい、なかなか相手が決まらず、
理想の相手がいないことで、心がどんどん暗くなるということも、
まあ、絶対にあり得ないとは言えないことだと思う。

そう思うと、世は常闇ということの、深い意味が読めて来る気がする。

見え過ぎてしまうから、心がどんどん暗くなって行くというのが、
現代社会の深い闇ということになるのではなかろうか?

特に家庭にテレビが何台もある様な現代では、
テレビ映りがよく生れて来なかったことは、
一生の闇といえるかもしれないし、
逆にテレビ映りがよく生れて来てしまったがために、
普通では考えられないような辱めを受ける一生になることもある。

「知らぬが仏」とか「言わぬが花」とか「見ざる聞かざる言わざる」とか、
いろいろな言い方があるけれども、物事がよく見える様になればなるほど、
どうしようもない現実を前に、完全に気力を失ってしまうこともある。

ああ、もう少し綺麗に生れていたら…
もう少し背が高く生れていたら…
もう少し体格がよく生れていたら…
もう少し賢く生れていたら…

…と、他者と自分を比べて足らないところが、常に心の闇となり、
夢も希望もない毎日になるということも考えられる。

こんな体型で、こんな顔に生れたんだから、
お笑いの世界に進むしかないとか、
美人に生れはしたものの、人脈もお金も才能もないので、
水商売でスケベどもの慰み者になるしかないとか…

現代ではそういうことを恥じたり悔んだりしないで、
その現実を真っ向から受け入れて、泥の中で逞しく生きてやれ!
…と開き直るのを通り越し、それを笑って楽しめる場合も増えたから、
闇も慣れれば日向ということになるかもしれない。

十年くらい前に読んだ「成功の法則」とかいう本に、

「ぬるま湯につかっていることに気づかないカエル」

とかいう話が載っていた。

このカエルは、ぬるま湯に長くつかっているうちに、
すっかり茹で上がってしまうのだが、
ぬるま湯が心地よいので長湯した結果、低温火傷を起こし、
ついには茹で上がってしまうのだ。

現代人がこの、ぬるま湯につかったままのカエルだとしたら、
彼等が、そこが常闇だと気づかないのも無理はない。

ああ、いい湯加減だと、天国気分を味わったまま、
じわじわと茹で上がってゆくのだから…。

そういうことを想像すれば、
この宣伝歌の世界に入って行けるかもしれない。

そんな人心の気づかぬ闇同様、
為政者達は、根本的に間違った思想の上に、
理想郷を立てようとしては次々に倒れてゆく。

そもそも一党を興すほどの力を持っている法華経だって、
現実社会を泥沼に譬え、その泥の中で蓮の様に花咲こうとかいう、
土台のない価値観の上で、優勝劣敗を争っているのだ。

泥沼の中に水で流しても流れない、しっかりとした土台が必要だ。

それは泥沼に刺した真木の柱では頼りないというわけだ。

だけど女優の真木ようこが頼り無かったら、
男心を充分くすぐれますけどね?^^♪

冗談はさておき、だいたい真木では、
水が無ければ枯れるし、あり過ぎても腐るし、
泥沼に少々深く刺したところで、いつ倒れても不思議はない。

底があるのかないのか判らない地底から、
金剛不壊のダイヤモンドの柱でもそそり立たない限りは、
絶対安心ということはない。

まあ、そういう物理的な普遍性は人智の及ぶ事ではないので、
とりあえず人智の及ぶ範囲で、我々人類は世界の経済の立て直しを行い、
限りある人生を健やかに送りたいものだ。

その限りある人類社会の土台となるのが皇道經濟である。

これでやれば目で見える不幸のだいたいが解決する。

例えばテレビ社会だが、テレビ社会に悪の要素をもたらしているのは
スポンサーの問題である。

テレビ局を維持するには莫大な予算が必要だが、
資本主義社会では、その資本を企業努力によって獲得しなければならない。

その資金を得るために、多くの犠牲が支払われているのだが、
企業戦士達は、それは当然の犠牲だと思っているから、
不幸だなどと認めるわけがない。

つまり、厳格な様で、実は愚かなぬるま湯なのだ。

このぬるま湯から出してやるには皇道經濟しかない。

その他、全ての業界の資金問題を解決できるのも、
無論、皇道經濟だけである。

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 倒れかかりし神の世を
 起し助くる康代彦(ヤスヨヒコ)
 心も堅(カタ)き真鉄彦(マガネヒコ)
 天津御国(アマツミクニ)に現はれて
 瑞(ミヅ)の御魂(ミタマ)と諸共(モロトモ)に
 この世の元を固めむと
 天津誠(アマツマコト)の御教(ミヲシヘ)を
 天と地とに隈(クマ)もなく
 行き足らはして神の世を
 いと平けく安らけく
 親の位を保ちつつ
 ただよふ国を弥堅(イヤカタ)に
 締め固めたる大事(オホコト)の
 忍男司(オシヲノカミ)の現(ア)れまして
 神政成就なし遂ぐる
 吾らは神の御使(ミツカヒ)ぞ

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筆者も皇道經濟のことが理解できるまでは、
この康代彦と真鉄彦の様な固い心があったように思う。

しかし、代よ康かれと祈願しても、
真鉄の如く固い心で神様にお仕えしてみても、
祈願するしりから世には曲事が噴出し、
流石の真鉄も水につかり過ぎて、スッカリ赤錆びてしまい、
国家の安泰という根拠のない理想に苦悩し、
公務員の様に版で押したみたいな生活を繰り返し、
老いるに任せて日々をいたずらに過ごすのみ。

解決策といえば、この偽りの小康状態を打ち破り、
水に浸かり過ぎて赤錆びてしまった鉄を熱で溶かして打ち直し、
公務員の特権にあやかるための似非右翼暮らしから完全に自立し、
皇道經濟を土台にした自由なる奉仕の心でもって、
社会人類のために健やかな心身で貢献するための戦いに
参加するべく立ちあがる他はないであろうと思う。

適量の水には、必ず応分の火が交わっている。

火の気が失せた水はカサカサの氷の様になるものだ。

しかし人体は、そのカサカサの氷になる前の
十度くらいの水に長時間浸かっているだけでも命を縮めるものだ。

その水に鉄を長時間つけておけば赤錆、微生物やぬめりがついて、
使い物にならなくなる。

水上に姿を現わしている部分のみが頑強に見えるだけである。

代よ康かれと事なかれ主義を貫いたところで、
次から次へと噴出する社会問題に振り回され、
志はどんなに立派でも、何一つまともな働きが出来ぬまま、
威勢のよい気焔だけ発射して終わるのみである。

それもこれも、この地上の社会に於いては、
矛盾に満ちた経済による格差が生みだした貧困に原因があるのだ。

皇道經濟を社会の土台にする意外に解決策はないのである。

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 千代(チヨ)に八千代(ヤチヨ)に日(ヒ)の本(モト)の
 礎(イシズエ)堅(カタ)く搗(ツ)き固め
 神世(カミヨ)の長(ヲサ)と成りいでて
 教を四方(ヨモ)に敷島(シキシマ)の
 吾は康代(ヤスヨ)の司(カミ)なるぞ
 吾は真鉄(マガネ)の司(カミ)なるぞ

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前の分解と内容が重複してしまう部分は省略したい。

世の中には確かに、お金がなくても威勢よく立てる人物もある。

ある一定期間は、その無茶苦茶な威勢で暴れ回り、
いい加減の収入が得られ、余生に不安がなくなると、
そんな威勢も何処へやら、だいたいおとなしくなってゆくものだ。

それはつまり、つよいものがち、われよしである。

筆者は実は、今回の分解はあまり気が乗らなかった。

こんなことを書かなければならないことが判っていたから…。

鶴は千年、亀は万年とはいうけれど、
時を持たぬ無限の存在からすれば、
千年、万年が何だというのか?

かつて大本教は、三千年を売り文句に世に名を馳せた鶴だった。

さて、第三次大本事件とやらを経て、世に返り咲いた愛善苑も、
それが万年の亀であったとしても、せいぜいが万年である。

五十六億七千万年のミロク様の足元にも及ばなければ、
時を持たぬ無限の主神の前では何のこともないであろう。

かつては筆者も万年の亀に憧れ、万寿山という響きに目眩まされ、
丹頂鶴の赤い頭か、万寿山の赤い玉につられて、
東京通いを好んだこともあったが、その万寿山も、
やがては荒廃する運命だというのは、霊界物語にも明らかなことだ。

義理人情を重んずれば、こんなことを言えた話ではないが、
それを頑なに貫いていたのでは、
皇道經濟を錦の御旗に据えることができない。

さてさてと思って足踏みしていたら、
喘息の薬をもらいにでかけた、
かかりつけのクリニックでの待ち時間中に、
読まずにほったらかしておいた「伊都能売道歌」に、
こんな歌が出て来て尻を叩かれてしまった。



勿論、ここで歌われている浦島太郎とは、
沓島渡りをやった上田喜三郎先生であり、
後の出口王仁三郎聖師だというのが普通の解釈なのだが、
何せ、この十一、十五、十七、という数字を見たら、
数霊別の法の御本尊である筆者が無視できるわけがない。

…というのは、筆者は昭和三十五年十一月十七日生れだから。

十五は三五十五でもある。

その上、筆者は、今年になってから、
浦島太郎伝説と神奈川県のことについて、
地上天国建設員会の日記」で特集しているところだし、
ずっと休んでいた各ブログを再開したり、
いろいろと考慮して足踏みしているところにまたこの調子だから、
時節というか、タイミングが好過ぎて困るというか、笑うというか…

聖師さんも、皇神様も、筆者のこういう性格を底の底まで見透かした上で、
こんな風に尻を叩いてくれるのだから、
これも地上天国建設のためと思って、道の先輩を踏み台にする様なことでも、
私情や自己愛心を踏み越えて進んで行かねばならないこの辛さ…。

こんなことを主張しようものなら十八番の道歌の様に、
蜂の室屋に投げ込まれる様なことになりそうだけれども、
筆者が言わねば他に云う者も無いという現代であるから、
この宿命を恨んでいてもしょうがない。

赤錆びた真鉄を打ち直し、代が康ければそれでよいという様な、
そんな事なかれ主義に甘んずるわけにもいかない。

 釣鐘が 可哀想だと 打たざれば
    鳴る釣鐘も 成ることを得ず

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 いま汝(ナ)が前に現はれて
 大事忍男司(オホコトオシヲノカミ)と云は
 ウラルの山にわだかまる
 八岐大蛇(ヤマタヲロチ)の化身にて
 今より十年(トトセ)のその昔
 この神山に立籠り
 瑞穂(ミヅホ)の国(クニ)の中国(ナカクニ)の
 神の胞衣(エナ)をば打破り
 この世を乱す深企(フカダク)み
 これの深山(ミヤマ)に隠(カク)ろひて
 あまたの邪神を狩集め
 再挙を図る浅間しさ

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艮の金神様の真似をして、忍耐を逆手にとって、
誠の神が現れるのを妨げようとするのがこの、
八岐大蛇の化身、大事忍男司ということになるわけだ。

ちょうど今の東京あたりの、エリートさん達が集まる様な、
そういう場所柄では静粛であることがよろしいという感じの、
そういうわけのわからない忍耐で、
要は肝心なことを封じてしまえというわけだ。

ここに書いてあることは、そのまま読んでもなかなか判らない。

判り易くいうと、

「本来、世界の中国(なかくに)であり、皇国と神定された、
 わが日出島を占領し、世界の王国として押し立て、
 世界征服の中心にしようとしている連中は、
 実は大陸から渡って来た偽日本人である。
 聖書から紐解くならば、
 ノアの三貴子のセム系をたばかるハム系の唐人達で、
 偽盤古の系統、支那からの帰化人達ばかりであるから、
 連中に皇神様の神格に満たされた皇道經濟の話をしても、
 なかなか聞き入れないのが当然。」

ということである。

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 天(アメ)の御柱大神(ミハシラオホカミ)は
 魔神(マガミ)の企(タク)みをことごとく
 覚らせたまひて現世(ウツシヨ)を
 千代(チヨ)に八千代(ヤチヨ)に康代彦(ヤスヨヒコ)
 堅磐常磐(カキハトキハ)に真鉄彦(マガネヒコ)
 造り固めて浦安(ウラヤス)の
 日(ヒ)出(イ)づる国(クニ)の礎(イシズエ)を
 照らす日(ヒ)の出(デ)の大神(オホカミ)ぞ

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だいたい大筋は認めるけれど、この宣伝歌のままでは、まだ弱い。

何故かといえば、精神論ばかりで經濟に目が届いていないから。

宗教は皇道の上にはない。

皇道の管理下にあるのが宗教である。

ここのところが理解できずに、
その神名を前に出す様な慢心がここにある。

謙虚なふりをして宣伝神の立場を超えて、
わが名を天の御柱大神の権化の様に使っている。

その勢いは買うけれども、それは明らかに慢心である。

これを歌うなら、

『天(アメ)の御柱大神(ミハシラオホカミ)は
 魔神(マガミ)の企(タク)みをことごとく
 覚らせたまひて現世(ウツシヨ)を
 終(ヲ)わりなき世(ヨ)の康代(ヤスヨ)とし
 堅磐常磐(カキハトキハ)に真金(マガネ)にて
 土台固めて心安(ウラヤス)の
 日(ヒ)出(イ)づる国(クニ)の礎(イシズエ)を
 照らす日(ヒ)の出(デ)の大神(オホカミ)ぞ』

とするべきだ。

真鉄は水に浸けておけば赤錆になる。

真金でなければならぬ。

そして真金というのは皇道經濟のことである。

「千代に八千代に」では、せいぜい君が代である。

偽日本人の皇室崇拝の臭いがプンプンして来る。

「終わりなき世」の土台を皇道經濟で固めるのである。

「浦安」などというから、千葉東京が慢心するのだ。

「心安」とせねばならぬ。

さて、この日本に居ながら、こんな分解をせねばならぬのだから、
筆者が今回の分解の足踏みをしたのも御了承頂けるであろうと思う。

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 仕組(シグミ)も深きこの山に
 導きたまふ雄々(ヲヲ)しさよ
 東南西に海原(ウナバラ)を
 控へて聳(タ)てるこの山は
 難攻不落の鉄壁ぞ

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世界の型でいうと奈良県の大台ケ原が、この山である。

世界でいうと、インドと中国の間にあるチベットである。

しかし、チベットというのは、
そのまま地教山であるエベレストではない。

この辺は、混同し易いようだから、
明確に別けておいた方がよい。

前回の分解では、筆者もまだエベレストが大台ケ原かな?
…と思っていたが、この二週間の間にいろいろビジョンがあって、
天教山の富士山と、地教山のエベレストを同格にしない為にも、
これをきちんと区別しないとならないと感じたので、
大台ケ原がチベットだとは認めるけれども、
エベレストは地教山としておかないとならない様だ。

…というのは、本来、今の日本列島と大陸は陸続きで、
更に太平洋側に陸地が広がっていて、
世界一の高峰である天教山が聳え立っていたが、
天地の立て替えの時に、この天教山の八合目以下がグンと陥没して、
わずかに八合目以上が残ったのが今の富士山なので、
天教山は天教山、富士山は富士山なのだそうだ。

つまり、旧約聖書でいうところの一本の肋骨である。

この一本の肋骨を世界の型として、現代の世界が形作られた。

だから現代の富士山は、天教山の一部であるけれども、
天教山の全てではない。

もし今後、再び天教山が再生する様な大地の変動があるとするならば、
日本列島日出島が、世界の型である必要もなくなってしまう。

現段階では、日本列島日出島は世界の型であるから、
これを世界の皇国と定めて、
皇道經濟によって世界の立て直しをしてゆくわけである。

これが間に合わないと、霊界の幽界の方には、
地上生命滅亡寸前の大変動が起こるという選択肢が既に存在している様である。

これを現界に映し出す前に消去するには、現時点で、

「皇道經濟でみんなに十億円!」

をやればよいのである。

…と、ちょっと話題が膨らみ過ぎたので、矛先をちょっともとに戻そう…。

前刻の一二三道歌の十五、皇道に、

 越国の雪より清き大道も
    世に白妙のとく人も無し

とあるが、この越国は能登半島辺りの上杉謙信が活躍した地域かも?

ここの雪もよりも清いのが皇道だというわけだ。

世界でいうとドイツかフランス辺りになるかもしれない。

ドイツといえば職人の国だとかマイスターの国だとか云われるし、
スイスと近い所にあるし、第二次世界大戦時には日本と並んで、
世界列強を相手によく戦った国だが、ナチスが怪し過ぎたのが災いした。

ドイツは世界の音楽の故郷の様な所だから、筆者にも気になる。

一方、今では芸術の国、無神論の国として名高いフランスは、
フランス革命以前には神がかった国だったが、今では原発大国として、
世界のエネルギー問題に影響力を持っている。

どちらも学問と芸術と技術の国だが、その越の国々の雪より、
皇道の方が清いというのだから、今、猿蟹合戦に譬えて、
この問題を浮き彫りにしている筆者にも見逃せない問題だ。

勿論、越の国がドイツやフランス辺りであるという見方も、
筆者の様に、日本の紀伊半島は大陸のインド半島であるという風に観て、
アラビア半島は、日本の中国地方という風に観れないと、
わからないことである。

ここで筆者が「越」に目をつけることを知ってか知らずか、
王仁三郎聖師は百年以上前に不思議な歌を詠んだものである。

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 汝(ナレ)が命(ミコト)はこの山に
 堅磐常磐(カキハトキハ)に鎮まりて
 天津日嗣(アマツヒツギ)の皇神(スメカミ)の
 御位(ミクラ)を守り奉(タテマツ)れ
 吾は左守(サモリ)の司(カミ)となり
 大和嶋根(ヤマトシマネ)の神国(カミクニ)を
 真鉄(マガネ)の彦(ヒコ)の弥堅(イヤカタ)に
 弥常久(イヤトコトハ)に揺ぎなく
 治めてここに立岩(タチイハ)の
 深き企(タク)みをうち破り
 曲神(マガ)のことごと平(タヒラ)げむ

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古典的な…というか、これまでの大本系のスピ人種は、
世界を日本の関東と関西という様に二分して、
西は祭司を重視し、東は王道を重視するという様な、
そんな考え方をする場合が多い。

かくいう筆者も、かつてはそれでよいのだろうと思っていた。

しかし、その程度のことではまだまだ浅かったのだなと、
この宣伝歌を拝読していると、筆者はつくづく思うのである。

これは江戸時代の日本が、京都様と江戸幕府に別れて、
公家と武家が嫉視反目しながら、
とりあえず平和を保っていたようなもので、
弱者や平民達の暮らしが楽になるための仕組みでもなんでもなかった。

つまり、事を荒げたがる連中を抑え込むための仕組みだったのだ。

これでは世界は根から腐り出して当然である。

要するに右守が東で、左守が西である。

仏教でも浄土宗辺りでは、西方極楽浄土ということを云っていたが、
当時の日本から見れば、唐天竺は極楽浄土に観えたのだ。

今はどうだか知らないが…。

とりあえず宗教が最上級だと思っている精神レベルだと、
ここまでの見識で止まる様な気がするのである。

宗教だけでよいのならば五大教で充分だったはずだ。

ここに三大教が加わり、霊体共に救う道という次元に上昇し、
經濟を理解する必要が出来て来る。

経済というのはただのマーケティングであるから、
これではない。經濟である。

經濟とは、正しい道に従って万類を済度する実質的な手段である。

要するに万民がお金で困ることがない様にして、
お金の心配をすることなく、世のため人のために、存分に働ける礎である。

それで筆者は「皇道經濟でみんなに十億円!」と主張しているのだ。

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 康代(ヤスヨ)は右守(ウモリ)の司(カミ)となり
 荒浪猛(タ)ける浮嶋(ウキシマ)を
 神の稜威(ミイヅ)に搗(ツ)き固め
 康代(ヤスヨ)の彦(ヒコ)の司(カミ)となり
 浦安国(ウラヤスクニ)の心安(ウラヤス)く
 千代(チヨ)に八千代(ヤチヨ)に守るべし

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何分、科学未発達の時代の神々からしたら、
こんな風に精神論を持ちだす意外にはないのだと思う。

現代でも、まだまだ科学の発達は過渡期にあるけれども、
それでも現代の科学と技術があれば、
全世界に皇道經濟を徹底することは想像以上に簡単になる筈だ。

要するに、世界中の役所と皇道政府銀行をインターネットでつなぎ、
全人類の戸籍を確認して、
各自の口座に、九億九千九百九十万円が常にあるようにして、
財布には十万円の現金しか持たせないようにし、
その上で、各自が得意分野で営利営収を気にせずに、
全世界の為に全力で勇んで、
喜び、喜ばれながら働けばよいだけのことである。

今なら、全人類にヤル気があれば、こんなことは一年もあれば出来る。

要はこれを、世界中のお金持ち、資産家、
土地所有者達が了解すればよいだけだが、
ここのところが一番めんどくさい部分でもあるわけだ。

それをやるのが面倒くさいので、迷信染みた信仰心とやらで、
「浦安国の心安く」などと、綺麗事をいって誤魔化しているのである。

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 朝日の直刺(タダサ)す神の山
 夕日の直刺(タダサ)す神の峰
 百山(モモヤマ)千谷(チダニ)のその中に
 聳(ソソ)り立ちたる大台(オホダイ)が
 原(ハラ)の御山(ミヤマ)と永久(トコシヘ)に
 日(ヒ)の出神(デノカミ)と現はれて
 天教(テンケウ)地教(チケウ)の神々の
 教を守る朝日子(アサヒコ)の
 日(ヒ)の出神(デノカミ)となりませよ』

と歌ひながら、巌窟の前に立てる日の出神の傍(ソバ)近く進みきたる。
 (大正十一年一月三十日、旧一月三日、高木鉄男録)

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全世界の諸問題は、宇宙人が大量にやって来なければ解決しないとか、
そんな考え方も一時はブームになった様だが、
どちらにしても、この世で一番問題なのは金銭の取り扱いである。

更には財産や相続権、著作権や権利収入など、
こういうつまらないアイテムのおかげで、
悲惨な出来事が相次いでいるのである。

こういう悲惨な出来事から目を逸らし、大自然の絶景を眺めていれば、
それで優雅な気持ちになれるかもしれないが、
それはそれだけのことである。

結局また、金融問題で世界は醜くネジ曲がるのだ。

どんな綺麗事よりも、「皇道經濟でみんなに十億円!」を徹底すれば、
誰も彼も、お金のことを考えずに理想を追求できる様になるのだから、
その上でなら、絵にかいた餅の様な宗教も哲学も、
越の国々の清らかな雪の様になるであろう。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)













  北欧と欧州



  亜弗利加の砂漠と日本の鳥取砂丘
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第1章 日出山上(ヒノデサンジヤウ) (301)

2013年06月02日 22時46分47秒 | 霊界物語
霊界物語 第七巻 霊主体従 午の巻 第一篇 大台ケ原(オホダイガハラ)

 千歳(チトセ)の老松(ラウシヨウ)杉林
 檜(ヒノキ)雑木(ザフキ)苔蒸(コケム)して
 神(カム)さび立てる大森林
 麓を廻る中国一の大高山
 東南西に千波万波(センパマンパ)の押寄する
 大海原(オホウナバラ)を控へたる
 雲井に高く神徳も
 大台ケ原(オホダイガハラ)の中央に
 雲つくばかりの大岩窟あり
 盤古神王自在天(バンコシンワウジザイテン)
 自由自在に世の中を
 思ひのままに掻(カ)き乱し
 万古不動の礎(イシズエ)を
 建てむとしたる立岩(タチイハ)の
 をぐらき窟(アナ)の奥深く
 探り知られぬ其の企(タク)み
 天津御神(アマツミカミ)の勅(ミコト)もて
 豊葦原(トヨアシハラ)の中津国(ナカツクニ)
 淡路島なる聖域に
 天降(アモ)りましたる伊弉諾(イザナギ)の
 神の光の四方(ヨモ)の国(クニ)
 暗夜を開く大道別(オホミチワケ)の分霊(ワケミタマ)
 日(ヒ)の出神(デノカミ)は朝露を
 踏みわけ登る宣伝使
 やうやく岩窟(イハヤ)の前に辿り着く
 彼方此方(アナタコナタ)に鳴きわたる
 百鳥千鳥(モモドリチドリ)の鳴く声は
 岩戸の前に百神(モモガミ)の
 囁(ササヤ)くごとく聞ゆなり
 折から深き山奥より
 天地も崩るるばかりなる
 大音響の物凄く
 火焔の舌を吐きながら
 渓間(タニマ)を目がけ降りくる
 八岐(ヤマタ)の大蛇(ヲロチ)を先頭に
 数限りもなき大蛇の群
 巌窟(イハヤ)を指して進みくる
 その光景の凄じさ
 心震(シンフル)ひ魂縮(コンチヂ)まるばかりなり
 日の出神は黙然と
 瞑目静坐不動の態(テイ)。

 忽然として現はれたる白髪異様の妖神(エウシン)、
右手(メテ)に赤銅(アカガネ)の太き杖をつき、
左手(ユンデ)に玉を捧げながら、
日の出神にむかひ、
鏡のごとき両眼をくわつと見開き声をかけ、

 『何者なればこの神山に断りもなく登り来るか。
  そもそも当山は、
  盤古神王(バンコシンワウ)塩長彦(シホナガヒコ)の御娘(オンムスメ)
  塩治姫(シホハルヒメ)の永久(トコシヘ)に鎮まりたまふ神界所定の霊山なり。
  一刻も早くこの場を立ち去れ。早く早く』

とせき立てたり。

 日(ヒ)の出神(デノカミ)は、
むつくとばかり立ち上り、

 『実(ゲ)に心得ぬ汝(ナンヂ)が今の言(ゲン)、
  盤古神王とは彼れ何者ぞ。
  兇悪無道(ブダウ)の常世彦(トコヨヒコ)に擁立され
  諸越山(モロコシヤマ)に住所を構へ、
  畏(オソ)れおほくも国祖国治立命(クニハルタチノミコト)をして
  窮地に陥れしめたる大逆無道の根元神(コンゲンシン)、
  今はわづかにエルサレムの聖地に割拠し、
  螢火(ホタルビ)のごとき微々たる光を照らし、
  やうやくにしてその神威を保続し、
  神政を布(シ)くといへども、
  暴力あくまで強き大国彦(オホクニヒコ)の神威に圧迫され、
  部下の諸神司は日に夜に反覆離散し、
  神政の基礎はなはだ危し。
  さはさりながら、
  いま汝の述べ立つる盤古大神(バンコダイジン)は、
  果してエルサレムの城主塩長彦(シホナガヒコ)の娘
  塩治姫(シホハルヒメ)には非ざるべし。
  察するところアーメニヤの野に神都を開く、
  偽(ニセ)盤古神王ウラル彦の一味の邪神、
  この神山に身をのがれ諸神司(シヨシン)を偽り、
  時を待つて天教山(テンケウザン)を占領し、
  己れ代つて盤古神王たらむとするに非ざるか。
  エルサレムに現はれたまふ盤古神王は、
  真(マコト)の塩長彦なれども、
  現在は仔細あつて地教(チケウ)の山(ヤマ)に隠れたまひ、
  エルサレムにゐます盤古神王は、
  勢力微々たる国治立命の従者紅葉別(モミヂワケ)、
  今は盤古神王と故あつて偽り、
  天下の形勢を観望しつつあり。
  汝がいふところ事実に全く相反し信憑すべき事実毫末もなし。
  盤古神王をエルサレムに迎へ奉(タテマツ)り、
  かつまた地教山に遷(ウツ)し奉りしは
  かく申す日(ヒ)の出神(デノカミ)なり。
  この上なほ答弁あるか』

と刀の柄(ツカ)に手をかけ、
返答次第によつては容赦はならぬと詰めよれば、
白髪異様の妖神(エウシン)は、
大口開けてカラカラとうち笑ひ、

 『われは大事忍男(オホコトオシヲ)なり。
  盤古神王が娘塩治姫の御隠れ家と言挙げしたるは真赤な偽(イツハ)り。
  もはや是非なし。
  汝(ナンヂ)に看破されしこの上は、
  破れかぶれの吾が活動、
  いまに吠面かわくな。
  汝いかに武勇絶倫にして、
  たとへ獅子王の勢あるとも、
  この嶮(ケハ)しき神山にただ一人分けいり、
  いかに千変万化の智勇を揮ふも、
  汝一人の力におよばむや。
  すみやかに兜を脱いで吾が前に降参するか、
  ただしは汝が携へもてる錆刀(サビガタナ)をもつて、
  潔(イサギヨ)く割腹するか、
  返答如何(イカ)に』

と百雷の一時に轟くごとき怒りの声、
天地も割るるばかりなり。

山中にはかに騒がしく、
峰の頂谷の底一度に高き鬨(トキ)の声、
大蛇や悪鬼を始めとし、
異様の怪物雲霞のごとく一度に押寄せ、
咆哮(ハウカウ)怒号するさま、
身の毛もよだつばかりなりけり。

 日(ヒ)の出神(デノカミ)は少しも屈せず、
立岩(タチイハ)を背に、
刀の柄(ツカ)に手をかけて、

 『たとへ幾億万の強敵きたるとも、
  斬つてきつて斬りまくり、
  やむを得ざれば屍(シカバネ)の山に、
  血潮の河、
  全山ことごとく唐紅(カラクレナイ)に染めなさむ。
  いざ来い勝負』

と身構へたり。

 大事忍男(オホコトオシヲ)と自称する白髪異様の妖神は、
この勢(イキホヒ)に辟易し、
巌窟めがけて一目散に逃げ入り、
押寄せきたる悪鬼邪神の姿は煙のごとく消えうせて、
後には渓間(タニマ)を流るる水の音、
松吹く風の響き、
面を撫(ナ)でる春の陽気も美(ウル)はしかりける。

 渓間にさへづる百鳥(モモドリ)の声は、
たちまち天(アマ)の原(ハラ)雲路を分けて降りくる、
天女の奏(カナ)づる音楽かと疑はるるばかりなりける。

 (大正十一年一月三十日、旧一月三日、外山豊二録)

『音惚花活気好@kakky』的『第1章 日出山上(ヒノデサンジヤウ) (301)』分解

2013年06月02日 22時44分15秒 | 出口王仁三郎
霊界物語 第七巻 霊主体従 午の巻 第一篇 大台ケ原(オホダイガハラ)

平成二十五(2013)年六月二日 旧四月二十四日(日)

 千歳(チトセ)の老松(ラウシヨウ)杉林
 檜(ヒノキ)雑木(ザフキ)苔蒸(コケム)して
 神(カム)さび立てる大森林
 麓を廻る中国一の大高山
 東南西に千波万波(センパマンパ)の押寄する
 大海原(オホウナバラ)を控へたる
 雲井に高く神徳も
 大台ケ原(オホダイガハラ)の中央に
 雲つくばかりの大岩窟あり

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日出山上というのが大台ケ原山ということか?

即ち、これは大陸のチベットにあるチョモランマ(別名エベレスト)
ということになるわけだ。

「霊界物語」だけを拝読していると、何となく読み過ごしてしまうが、
つまり、大台ケ原がある奈良県がチベットの型ということになり、
チベット仏教と奈良の大仏の関係性というのが、
ここで急速にクローズアップされて来る様な気がする。

一般的に大本の型の仕組みだけを信じている皆さんは、
霊界物語をきちんと拝読せずに、日本地図と世界地図を見比べて、
日本の紀伊半島が、大陸のアラビア半島だと思いこみがちだが、
世界の型である日本列島日出島の大台ケ原に奈良の大仏があるのなら、
世界のインド半島の上の、チベット仏教が盛んなチベット辺りが、
世界救済系の諸宗教の聖地であり、出発点である。
という風に見ることが出来る。

筆者が主張する、

「偽ユダヤによる悪魔のピラミッド型経済」

というのは、つまり世界支配が目的なので、
万民を救済するどころか、役立たずは死んでくれた方がよいし、
なんなら戦争を興したり、気象兵器で人工災害を起こして、
大量に人口削減をしたいと考える様な思考の持ち主で、
いわゆる悪役の皆さんで、この辺の方々が聖地と仰ぐのが、
いわゆるエルサレムとか呼ばれているところだと思う。

つまり彼等が聖地と呼んでいるのは万民の救済の聖地ではなく、
軍人や政治家や資産家達が、世界支配のために担ぐ朝廷の様なものだ。

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 盤古神王自在天(バンコシンワウジザイテン)
 自由自在に世の中を
 思ひのままに掻(カ)き乱し
 万古不動の礎(イシズエ)を
 建てむとしたる立岩(タチイハ)の
 をぐらき窟(アナ)の奥深く
 探り知られぬ其の企(タク)み

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さっき筆者が、

「偽ユダヤによる悪魔のピラミッド型経済」

と主張したことが、ここにそのまま記されているので、
特に説明を感じないが、
要するに現代の世界支配の仕方にせよ、マーケティングにせよ、
まずは問題提起をして不安を煽り、次に解決策を提案し、
これをマネーに変えて富を得るという様なやり方で、
いつの間にか、弱者を支配下に置いてしまうわけだ。

それを「思ひのままに掻き乱し」というのだと思う。

平和な日本でニュース番組を見ていると、
なんだか知らないが、社会不安ばかりを煽りたてているが、
これもこの悪魔の手法に沿ってやっているだけのことである。

要するに、なんだかんだと因縁をふっかけ、クレームを入れて、
自身の利益に結び付けようとする古典的な商法だ。

良心的な商売というのは、ひたすらニーズに応じて供給するだけで、
不要なものを不安を煽って売りつける様な押し売りはしないのだ。

現代の商法などでは、資産家の利益を守る為に、
どんどん悪法を増やして、権利収入を得続ける為の縛りをきつくする。

民衆がこれに逆らえば、軍隊や警察を動かして制圧して支配するという
とても古典的な覇道政治を、王道政治の様に偽装しているのだ。

そうしたことが、お釈迦様や、ナザレのイエスが活動した頃から、
既に存在していて、現代の様に、日本列島が世界の型であることを、
上空から確認できる様になるまで、この悪魔の勢力が、
世界の闇の支配者として、世界をいいように掻き回して来た。

ということになるのかもしれない。

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 天津御神(アマツミカミ)の勅(ミコト)もて
 豊葦原(トヨアシハラ)の中津国(ナカツクニ)
 淡路島なる聖域に
 天降(アモ)りましたる伊弉諾(イザナギ)の
 神の光の四方(ヨモ)の国(クニ)

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今、日本の淡路島が世界の根源である様なことを主張して、
大本の裏神業とやらを進めている人なども本を出版して頑張っているが、
要するに、淡路島は別に世界の根源なのではなくて、
国祖御退隠後の立替え立直しの為の拠点を新たに設けるために、
伊弉諾の神が天降った場所という風に考えればよいと思う。

ここから世界の立て替え立て直しの御神業が四方に広がったと
解釈するべきなのではなかろうか?

それはつまり、日本から素戔嗚尊が朝鮮を渡って大陸に入り、
インドからオーストラリアに渡る時に、ニュージーランドを経由した。
ということに繋がるのかもしれない。

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 暗夜を開く大道別(オホミチワケ)の分霊(ワケミタマ)
 日(ヒ)の出神(デノカミ)は朝露を
 踏みわけ登る宣伝使
 やうやく岩窟(イハヤ)の前に辿り着く
 彼方此方(アナタコナタ)に鳴きわたる
 百鳥千鳥(モモドリチドリ)の鳴く声は
 岩戸の前に百神(モモガミ)の
 囁(ササヤ)くごとく聞ゆなり
 折から深き山奥より
 天地も崩るるばかりなる

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大本には、この記述の通り、日の出神は二人いる。

一人は出口直の長男である清吉で、日露戦争中に、
日本兵としては戦死したことにして、
清国、蒙古あたりで母国日本のために密偵活動をしていたそうだ。

これが日の出神で、出口王仁三郎聖師が蒙古入りした時に、
霊的に再会して日本に戻り、日の出別神として活動したのかもしれない。

出口直の娘で、王仁三郎聖師の妻になった澄の姉にあたる久が、
義理天上日出神を名乗って王仁三郎聖師に敵対するが、
これは霊界物語の中の悪役である高姫のことだそうだ。

世間には高姫が救世主だと思っている一派もあるが、
この世の中には雑巾役の神様もあるというわけで、
自らが汚れて悪を拭き取る御苦労な御用らしい。

筆者は今、「地上天国建設委員会の日記」で「新月の光」を題材に、
浦島太郎や日本武尊の伝説を絡めて、レポートを進めているところだが、
日の出神は大道別命の四魂のうちの二つの合体なので、
そう考えると、清吉の御霊は何処までも日の出神で、
奇魂の方が別れて今、こちらでいろいろやっているのかもしれない。

大道別命の四魂も、幸魂一つにもまた四魂がある。

奇魂、和魂、荒魂のそれぞれにも同様に四魂がある。

その様に分魂しながら人口が増えていく勘定であるから、
生まれ変わるほどに人口も増えていくのが日本魂ということになる。

一方、一般的な仏教では、解脱するともう地上には生れて来ない。

仏教の中で堂々と生まれ変わりを説くのはチベット仏教だけである。

このへんのところは、なかなか面白い話だと思う。

ナザレのイエスも、

「汝、肉体を滅ぼす者よりも、魂を滅ぼす御方を恐れよ」

…とか、そんなことを言っていたと思うが、
要するに、身魂諸共に消滅させる有難い教えが、
一般的な仏教で、チベット仏教と日本魂、
それからアトランティス人だけが、
肉体は滅んでも魂が再生するという価値観を持っているわけだ。

イエスも、復活すべき身魂と、消滅すべき身魂を、
父なる神がお選びになるということを教えている気がするのだが、
一般的なクリスチャンは甦りを信じない。

どうやら、甦るべき身魂と、そうでない身魂とがある様である。

分霊という思想は、なかなか興味深いものだ。

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 大音響の物凄く
 火焔の舌を吐きながら
 渓間(タニマ)を目がけ降りくる
 八岐(ヤマタ)の大蛇(ヲロチ)を先頭に
 数限りもなき大蛇の群
 巌窟(イハヤ)を指して進みくる
 その光景の凄じさ
 心震(シンフル)ひ魂縮(コンチヂ)まるばかりなり
 日の出神は黙然と
 瞑目静坐不動の態(テイ)。

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この日の出神は、まるで御釈迦様の様だが、
もしかしたら仏教の大日如来かもしれない。

御釈迦様も、たしか大日如来の再生だったと思うが、
分霊ということを考えると、後世に大日如来の再生が分身していても、
あまり不思議な話ではなくなって来る。

孫悟空の分身の術なども、もしかしたらこれを秘めているのかも?

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 忽然として現はれたる白髪異様の妖神(エウシン)、
右手(メテ)に赤銅(アカガネ)の太き杖をつき、
左手(ユンデ)に玉を捧げながら、
日の出神にむかひ、
鏡のごとき両眼をくわつと見開き声をかけ、

 『何者なればこの神山に断りもなく登り来るか。
  そもそも当山は、
  盤古神王(バンコシンワウ)塩長彦(シホナガヒコ)の御娘(オンムスメ)
  塩治姫(シホハルヒメ)の永久(トコシヘ)に鎮まりたまふ神界所定の霊山なり。
  一刻も早くこの場を立ち去れ。早く早く』

とせき立てたり。

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筆者も夢の中で白髪異様の神人に会ったことがあるが、
たしか右手に杖を持っていたと思う。

しかし、その杖は木製だった様な気がする。

顔つきは精悍で眼光鋭かったけれども、
それは鏡の様な眼というよりは、鷹の様な眼とでもいうか…

そんなに人間離れした目付ではなかった。

だからどうというわけではないが、
三十年以上前に観た夢の中の神人なのに、
今でも、かなり生々しくその表情を覚えているというのも不思議だ。

ところで筆者には、この塩治姫が、日本の天照大御神と、
なんとなくイメージが重なってしまうのだが、どうだろうか?

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 日(ヒ)の出神(デノカミ)は、
むつくとばかり立ち上り、

 『実(ゲ)に心得ぬ汝(ナンヂ)が今の言(ゲン)、
  盤古神王とは彼れ何者ぞ。
  兇悪無道(ブダウ)の常世彦(トコヨヒコ)に擁立され
  諸越山(モロコシヤマ)に住所を構へ、
  畏(オソ)れおほくも国祖国治立命(クニハルタチノミコト)をして
  窮地に陥れしめたる大逆無道の根元神(コンゲンシン)、
  今はわづかにエルサレムの聖地に割拠し、
  螢火(ホタルビ)のごとき微々たる光を照らし、
  やうやくにしてその神威を保続し、
  神政を布(シ)くといへども、
  暴力あくまで強き大国彦(オホクニヒコ)の神威に圧迫され、
  部下の諸神司は日に夜に反覆離散し、
  神政の基礎はなはだ危し。

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なんとなく、現在のエルサレムとアメリカの関係を
ズバリ指摘している様な表現だと思うのだが?

筆者も皇道經濟のことが理解できて以来、
霊界物語の読み方のピントが決まりまくっている感じがする。

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  さはさりながら、
  いま汝の述べ立つる盤古大神(バンコダイジン)は、
  果してエルサレムの城主塩長彦(シホナガヒコ)の娘
  塩治姫(シホハルヒメ)には非ざるべし。
  察するところアーメニヤの野に神都を開く、
  偽(ニセ)盤古神王ウラル彦の一味の邪神、
  この神山に身をのがれ諸神司(シヨシン)を偽り、
  時を待つて天教山(テンケウザン)を占領し、
  己れ代つて盤古神王たらむとするに非ざるか。

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ユダヤのルーツはイスラエルであり、
イスラエルのルーツはアブラハムである。

アブラハムはヘブライの族長で、
その祖先はアダムとエバになる。

このハムというのが、盤古ということになるわけだが、
アブラハムの祖先にはノアがいて、
一応、アブラハムはノアの三人の息子達である
セム・ハム・ヤヘトの中のセムの系統ということになっている。

アブラハム以降の正統な後継者は、
必ずセムの血統でなければならないが、
世界に広がったハムの子孫が、ハムラビ法典などを興して、
ヘレニズムの起源になっている筈だ。

筆者は「盤古=ハムコ」だと思っているし、
万世一系というのも、盤古のことだと思っている。

セムの正嗣は早くから日本列島日出島に渡って来ているが、
セム系の分家達は、混血しながら世界各地に広がっている。

いわゆるヘブライズムというのは、こちらということになるが、
どちらにしても失楽園の原点であるアダムとエバの子孫が、
楽園復帰を目指して流浪して来たという事実からは逃げられない。

釈迦はアーリア人らしいが、この日の出神の出発点が大台ケ原で、
大陸に例えるとチベットになるというのが大きな意味を持ちそうだ。

アーリア人が生みだしたのがバラモン教ということで、
インド、イラン、ヨーロッパ人の祖先ということになるのだが、
そのアーリア人の祖先が、日の出神かどうかはまだ謎だ。

霊界物語では、ハムの子孫がバラモン教を興したので、
アーリア人はハムの子孫ということが言えるかもしれない。

筆者はアーリア人もヘブライの分家であると考えたいのだが、
現代では遺伝子学の見地から、人類の祖先はアフリカの猿人というのが、
定説になりつつあるのが、日本のアカデミズムであるらしい。

王仁三郎聖師の説では人類の祖先は猿ではなく鰻だそうであるから、
生物学的な進化論を遡るのであれば、猿人も中興の祖ということになる。

しかし、それは肉体だけの進化論なので、それは魂の容器としての話で、
霊界物語で説かれる精霊である人間とは比較にならないであろうと思う。

肉体は霊魂にとっては地上で活動するための道具である。

一方、無霊魂派からすれば、人類の祖先はアフリカの雌猿ということでも、
それはそれで充分かもしれない。

話が横道に逸れた様だが、要するに、現代人が推測し得る祖先の起源だとか、
人種の起源、民族の起源などは、とても底が浅いということである。

もっともっと遡れば、一尾の鰻になるのかもしれないから、
アーリア人であれヘブライ人であれ、イスラエルであれ、ユダヤであれ、
ヘレニズムであれ、全てが途中の鼻高ということになるのだ。

同様に、日本人というのも、偽物だらけだから、
あまり鼻を高くすると、恥ずかしいことになるであろう。

だいたいに於いて民族間闘争というのは、
すべて分家間闘争であると考えてよいと思う。

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  エルサレムに現はれたまふ盤古神王は、
  真(マコト)の塩長彦なれども、
  現在は仔細あつて地教(チケウ)の山(ヤマ)に隠れたまひ、
  エルサレムにゐます盤古神王は、
  勢力微々たる国治立命の従者紅葉別(モミヂワケ)、
  今は盤古神王と故あつて偽り、
  天下の形勢を観望しつつあり。
  汝がいふところ事実に全く相反し信憑すべき事実毫末もなし。
  盤古神王をエルサレムに迎へ奉(タテマツ)り、
  かつまた地教山に遷(ウツ)し奉りしは
  かく申す日(ヒ)の出神(デノカミ)なり。
  この上なほ答弁あるか』

と刀の柄(ツカ)に手をかけ、
返答次第によつては容赦はならぬと詰めよれば、

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昔の武士の果たし合いの時には、こんな風に祖先のことを並べると、
無駄な争いを避けることが出来ることが多かったのかもしれない。

実際に殺し合う前に、どちらの血筋が尊いかを競って
無駄な争いを避けるのだろう。

それで旧約聖書にも新約聖書にも、
家系図をズラズラと並べる記述が多いわけである。

日本の戦国時代の英雄である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も、
信憑性が疑わしい家系図を持ちだして、天下の将たるべきを主張し、
虚勢を張ったらしいというのが通説になっているが、
結果的には弱肉強食でやって来た筈である。

勝てば官軍で、倒した相手の家系図を奪って
自分の家系図にすることもあり、
養子制度やら、家督を譲るというようなやり方で、
直系でなくとも、後継ぎとして家系を譲ることも多くあったので、
それを考えたら、現在の血統書や家系図など、
有名無実ということかもしれない。

筆者も一時期、自身の実の親が後藤で、王仁三郎聖師とは、
北家藤原氏まで遡れば、遥かに遠い親戚に当たるということを、
誇りに感じていたこともあったが、身魂が出来ておらず、
奇魂が開きかけの頃は、こういうことに縋りたくなるものだ。

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白髪異様の妖神(エウシン)は、
大口開けてカラカラとうち笑ひ、

 『われは大事忍男(オホコトオシヲ)なり。
  盤古神王が娘塩治姫の御隠れ家と言挙げしたるは真赤な偽(イツハ)り。
  もはや是非なし。
  汝(ナンヂ)に看破されしこの上は、
  破れかぶれの吾が活動、
  いまに吠面かわくな。
  汝いかに武勇絶倫にして、
  たとへ獅子王の勢あるとも、
  この嶮(ケハ)しき神山にただ一人分けいり、
  いかに千変万化の智勇を揮ふも、
  汝一人の力におよばむや。
  すみやかに兜を脱いで吾が前に降参するか、
  ただしは汝が携へもてる錆刀(サビガタナ)をもつて、
  潔(イサギヨ)く割腹するか、
  返答如何(イカ)に』

と百雷の一時に轟くごとき怒りの声、
天地も割るるばかりなり。

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これくらいのことで態度が変わる神様というのも滑稽だ。

鎮魂帰神の世界では、こういうやりとりがよくあるらしい。

つまり、神霊現象的な神というものは、だいたいこの程度で、
威勢のいいことをいって脅すばかりで、ほとんどが無力だということだ。

肉体の方でいえば、実際の武力の前では言葉を失うのである。

それは別に、現代社会でも変わらない。

何かにつけて「力」を競い合っているし、
無法者は捕まって、社会的に抹殺されたりする。

しかし、そんな人間同士や、人間に威張り散らす神々でも、
もっと大きな天変地異の前では無力であろうと思う。

そういうことを考えたら、多少は度胸がよくなるかもしれない。

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山中にはかに騒がしく、
峰の頂谷の底一度に高き鬨(トキ)の声、
大蛇や悪鬼を始めとし、
異様の怪物雲霞のごとく一度に押寄せ、
咆哮(ハウカウ)怒号するさま、
身の毛もよだつばかりなりけり。

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妖怪変化や魑魅魍魎というのが見える人は少ないだろう。

あとは日常生活でデンパをキャッチし易い方や、
妄想癖が激しい方など、いろいろ怯えることがあるに違いない。

現代では、老人が惨殺される事件が増えた気がするが、
そういうことは全て貧困や格差がさせるのである。

貧困なるが故に、死を待つばかりの将来性のない老人が、
邪魔なお荷物だと思える鬼を生むのだ。

地上天国建設の土台は皇道經濟なので、
これを実行するまでは、こういう悲惨な事件はなくならないのだ。

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 日(ヒ)の出神(デノカミ)は少しも屈せず、
立岩(タチイハ)を背に、
刀の柄(ツカ)に手をかけて、

 『たとへ幾億万の強敵きたるとも、
  斬つてきつて斬りまくり、
  やむを得ざれば屍(シカバネ)の山に、
  血潮の河、
  全山ことごとく唐紅(カラクレナイ)に染めなさむ。
  いざ来い勝負』

と身構へたり。

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こういう勇ましい場面もなかなかカッコイイし、
気分的にはスカッとするが、
肉体がある以上は背に腹は代えられない。

結局は皇道經濟をやらねば、根本的な問題解決はない。

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 大事忍男(オホコトオシヲ)と自称する白髪異様の妖神は、
この勢(イキホヒ)に辟易し、
巌窟めがけて一目散に逃げ入り、
押寄せきたる悪鬼邪神の姿は煙のごとく消えうせて、
後には渓間(タニマ)を流るる水の音、
松吹く風の響き、
面を撫(ナ)でる春の陽気も美(ウル)はしかりける。

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要するに、霊感的な妖神などは、この程度で恐るるに足らない。

霊的な物には鈍感で、見えないのなら尚いい。

日常、変なマイナスデンパをキャッチしても、強気で振り払え。
ということにもなるかもしれない。

霊界物語を拝読して、奇魂が開いて、皇道經濟のことが判れば、
こんな妖神くらいに脅されても、まず動じることがなくなる。

所詮、力や勢いで圧力をかけてくる悪魔だから。

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 渓間にさへづる百鳥(モモドリ)の声は、
たちまち天(アマ)の原(ハラ)雲路を分けて降りくる、
天女の奏(カナ)づる音楽かと疑はるるばかりなりける。

 (大正十一年一月三十日、旧一月三日、外山豊二録)

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日常的に、誰でも、どんなに前向きに考えようとしても、
どうしてもマイナス思考になりがちな時があるものだ。

その暗黒タイプを追払うことが出来ると、ちょうどこんな感じで、
何をやってもうまくいくという好機が訪れる。

筆者は、皇道經濟を社会の土台にすれば、
このプラスとマイナスの振り幅も小さくなると確信している。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)













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