『音惚花活気好@kakky』=垣内政治的《霊界物語学》の日記的な雑記の様なレポート状の諸々?

出口王仁三郎聖師による弥勒胎蔵経『霊界物語』を『音惚花活気好@kakky』的に学問してみるランダムレポート?

第48章 鬼熊(オニクマ)の終焉 (48)

2006年04月30日 22時31分42秒 | Weblog
 ここに鬼熊(オニクマ)はエデンの城塞を奪取し、牛熊(ウシクマ)、
牛姫(ウシヒメ)をして数多(アマタ)の魔軍を統(ス)べて之(コレ)を守らしめ、
鬼熊、鬼姫のふたりは竜宮城の裏門より潜かに忍び入つた。

鬼熊は巨大なる鉄棒(テツボウ)を提げ、
鬼姫は都牟苅(ツムガリ)の太刀(タチ)を懐(フトコロ)に秘め、奥殿深く進みいり、
大音声に叫んで曰(イハ)く、

 『鬼熊、鬼姫これに在(ア)り、
  大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は何処(イヅコ)に在るぞ、見参せむ』

とますます奥深く獅子奮迅の勢をもつて、ふたりは襲ひいつた。

 このとき大八洲彦命は病に臥して、
戸を堅く閉鎖し差籠(サシコ)もつてをられた。

鬼熊、鬼姫は満身の力をこめて、その室の扉を叩き破らむとした。

その声に驚いて馳集(ハセアツ)まりしは竜世姫(タツヨヒメ)、
高杉別(タカスギワケ)であつた。

たちまち彼我(ヒガ)のあひだに大格闘がはじまつた。

高杉別は今や鬼熊のために亡ぼされむとする時、
小島別(コジマワケ)駈(カケ)来つて、
忠臣蔵(チユウシングラ)の加古川本蔵(カコガハホンザウ)が
塩谷判官(エンヤハングワン)を抱止めたやうに背後より無手(ムズ)と組みついた。

他の神司(カミガミ)は鬼熊の手や足に組みついた。

鬼熊は進退谷(キハ)まつて、鬼姫の救(タス)けを叫んだ。

鬼姫は鬼熊を救はむとして走りゆかむとするを、
ここに菊姫(キクヒメ)現はれて後より
八尋繩(ヤヒロナワ)を首に打ちかけ仰向けに倒した。

あまたの女性は群がりたかつて鬼姫を縛(バク)しあげた。

時しも竹熊は中殿より現はれ来りて、
進退谷まり身動きのままならぬ鬼熊の面上目がけて、
鉄鎚(テツツイ)を打下した。
血は流れて泉(イヅミ)のごとく、惨状目もあてられぬ有様である。

かかるところへ現はれ出でたる真澄姫(マスミヒメ)、竜世姫(タツヨヒメ)は、
日ごろの鬱憤を晴らし悪心を懲(コラ)すは今この時なりと、
女性(ヲンナ)の浅果敢(アサハカ)にも弱りきつたる鬼熊を荊(イバラ)の鞭にて
やみくもに乱打打擲する。
一同の猛り狂ひ叫ぶ声は四辺に洪水のごとく響きわたる。

 病床にありし大八洲彦命は、
スワこそ一大事勃発せりと病の床をはね起き、現場に馳着(ハセツ)け、
小島別、高杉別を宥(ナダ)め、かつ鬼熊の負傷を懇切に見舞ふた。
まことに智仁勇兼備の神将である。

 稚姫君命(ワカヒメギミノミコト)は沓島(クツジマ)の神業を了(ヲ)へ、
二柱(フタハシラ)の従臣と共に帰城され、
この場の光景を眺めて大いに怒らせたまひ、眉をひそめて、

 『鬼熊を討ちし無法のものはたれぞ』

と色をなして詰問された。このとき鬼熊は狼狽のあまり、
その下手人の誰なるかを知らなかつた。

されど彼は邪推を廻(メグ)らし、

 『わが面体(メンテイ)を打ちしは確に竜世姫(タツヨヒメ)、
  高杉別(タカスギワケ)、虎彦(トラヒコ)ならむ』

と血泥(チミドロ)の物凄(モノスゴ)き顔を振りたてて奏上した。
小島別(コジマワケ)は鬼熊の言葉を遮(サヘギ)り、

 『否然(イナシカ)らず、小臣はその現場を目撃せる証神(シヨウシン)なり。
  鉄棒をもつて討ちしことは竹熊の所為(シヨイ)なり』

と、言葉に力をこめて言明した。

 稚姫君命(ワカヒメギミノミコト)は竹熊に向ひ、

 『汝(ナンヂ)の行動はなはだ暴逆無道なり、
  妾(ワラハ)はいまだ心底(シンテイ)より
  汝が改心の実証を認むる能(アタ)はず。
  今はもはや是非なし、
  神界の規定にしたがひ速(スミヤカ)に
  根(ネ)の国(クニ)底(ソコ)の国(クニ)に降るべし』

と厳命された。竹熊は首を左右に振り、

 『否々(イナイナ)、下手人はわれに非ず、高杉別以下の所為なり』

と強弁した。小島別以下は現場の実状を目撃せるをもつて、
あくまで竹熊の所為なりと主張した。

 大八洲彦命は、

 『大神(オホカミ)の神業に出嶋(シユツタウ)されし不在中に
  かくのごとく不祥事を惹起(ジヤクキ)せしめたるは、
  全く吾不注意の罪なり。
  何とぞ吾を根(ネ)の国(クニ)、
  底(ソコ)の国(クニ)へ追放りて竹熊の罪を赦(ユル)したまへ』

と涙とともに言上された。

 稚姫君命は大八洲彦命の慈愛に厚き真心に感じ、
諸神にむかつて今後を戒め、この場は事無く事済(コトズ)みとなつた。

鬼熊はこの負傷が原因となり、運命尽きて遂に落命するにいたつた。

妻の鬼姫は竹熊の非道を怒り、仇(アダ)を報(ハウ)ぜむとし、
武熊別とともに弔(トムラ)ひ合戦を計画した。
しかして鬼熊は怨霊凝(コ)つて、終にウラル山の黒竜となつた。

 (大正十年十月二十六日、旧九月二十六日、外山豊二録)

『音惚花活気好@kakky』的『第48章 鬼熊の終焉 (48)』

2006年04月30日 22時30分21秒 | Weblog
平成十八(2006)年四月三十日 旧四月三日(日)

 ここに鬼熊(オニクマ)はエデンの城塞を奪取し、牛熊(ウシクマ)、
牛姫(ウシヒメ)をして数多(アマタ)の魔軍を統(ス)べて之(コレ)を守らしめ、
鬼熊、鬼姫のふたりは竜宮城の裏門より潜かに忍び入つた。

鬼熊は巨大なる鉄棒(テツボウ)を提げ、
鬼姫は都牟苅(ツムガリ)の太刀(タチ)を懐(フトコロ)に秘め、奥殿深く進みいり、
大音声に叫んで曰(イハ)く、

 『鬼熊、鬼姫これに在(ア)り、
  大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は何処(イヅコ)に在るぞ、見参せむ』

とますます奥深く獅子奮迅の勢をもつて、ふたりは襲ひいつた。

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『盗人猛々しい』とはまさにこのことで、
悪は何処までも悪のやり方で入城する。

元々順位の定められた秩序整然たる世の中を、
我意のままにせんとする下克上的やり方が、
果たして天地の法から観て、どの様なことなのか?

それが明らかになるのが、この章であろう。

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 このとき大八洲彦命は病に臥して、
戸を堅く閉鎖し差籠(サシコ)もつてをられた。

鬼熊、鬼姫は満身の力をこめて、その室の扉を叩き破らむとした。

その声に驚いて馳集(ハセアツ)まりしは竜世姫(タツヨヒメ)、
高杉別(タカスギワケ)であつた。

たちまち彼我(ヒガ)のあひだに大格闘がはじまつた。

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大八洲彦命が病に臥しているのは、
命(ミコト)が瑞の御霊の系統である証である。

つまりは、鬼熊等の持つ邪気を浄める為に、
自らその邪気を引き寄せ、盛んに浄化する必要上、
その身は病となって横臥するのである。

その命の病床を蹴散らそうとする鬼熊達を、
おしとどめようとして現われたのが、
竜世姫と高杉別である。

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高杉別は今や鬼熊のために亡ぼされむとする時、
小島別(コジマワケ)駈(カケ)来つて、
忠臣蔵(チユウシングラ)の加古川本蔵(カコガハホンザウ)が
塩谷判官(エンヤハングワン)を抱止めたやうに背後より無手(ムズ)と組みついた。

他の神司(カミガミ)は鬼熊の手や足に組みついた。

鬼熊は進退谷(キハ)まつて、鬼姫の救(タス)けを叫んだ。

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いわゆる、

「殿中でござる、殿中でござる!」

の霊界物語版である。

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鬼姫は鬼熊を救はむとして走りゆかむとするを、
ここに菊姫(キクヒメ)現はれて後より
八尋繩(ヤヒロナワ)を首に打ちかけ仰向けに倒した。

あまたの女性は群がりたかつて鬼姫を縛(バク)しあげた。

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如何に鬼熊一派がエデンの城塞を占拠しているとはいえ、
その本陣である竜宮城には、これを恐れぬツワモノばかり。
というわけである。

この時ばかりは竜宮城の女性達も獅子粉塵の大活躍である。

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時しも竹熊は中殿より現はれ来りて、
進退谷まり身動きのままならぬ鬼熊の面上目がけて、
鉄鎚(テツツイ)を打下した。
血は流れて泉(イヅミ)のごとく、惨状目もあてられぬ有様である。

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竹熊と鬼熊は魔軍同志の筈なのだが、
仲間の危機を見てこれを救おうとするどころか、
弱いもの虐めの本性を現わして、これを打ちすえたのだ。

こうしておけば鬼熊一派が竜宮城の神々に裁かれた後、
自身の身を守る為の逃げ口上の役に立つからであろうが、
なんともいやらしい限りである。

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かかるところへ現はれ出でたる真澄姫(マスミヒメ)、竜世姫(タツヨヒメ)は、
日ごろの鬱憤を晴らし悪心を懲(コラ)すは今この時なりと、
女性(ヲンナ)の浅果敢(アサハカ)にも弱りきつたる鬼熊を荊(イバラ)の鞭にて
やみくもに乱打打擲する。
一同の猛り狂ひ叫ぶ声は四辺に洪水のごとく響きわたる。

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だいたいにおいて、女性というものは案外残酷な生き物である。
いざとなったら男よりも恐い。

女性の短所は誉めれば増長し、叱れば敵対して、
仲間を作って社会的な庇護を盾に、
一人の男を責め殺すくらいのことは簡単にやるところなのだが、
おそらく、こんなことを説いても、女性なら、そう簡単には認めまい。

それが女性という生き物である。

敵に回したら恐ろしいから、なるたけ近寄らないでいるか、
逆恨みを買わないで済む様に充分気をつけてつき合わないといけない。

韓非子が、喧しい女共を軍下に治める為に、
一人の女の首を容赦なくはね落として見せたのも、
女性の恐ろしさをよく知っていたからだろうけれど、
それをやってしまったら『霊界物語』の存在意義がなくなってしまう。

女性が改心して、至仁至愛(ミロク)の世を開く為の大働きをやる様に、
面白可笑しく真理を説くのが、
この『霊界物語』の仕事の一つなのだから…

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 病床にありし大八洲彦命は、
スワこそ一大事勃発せりと病の床をはね起き、現場に馳着(ハセツ)け、
小島別、高杉別を宥(ナダ)め、かつ鬼熊の負傷を懇切に見舞ふた。
まことに智仁勇兼備の神将である。

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鬼熊一派の邪気を浄めようとして病床に臥していたのだから、
大八洲彦命が、この様な慈悲深い行いをするのは当然の事だが、
やっぱり、これは凄いことだ。

これに似た記述が『新約聖書』の中にもある。

ゲッセマネの祈りを終えたイエスが、
ユダに導かれてやって来た捕り手に捕らえられようとする時、
弟子のペトロが、その兵士に襲い掛かり、耳を切り落とした。

けれどイエスはペトロを咎め、自らを捕らえようとする兵士の耳を、
元通りに治してやり、十字架が待つ裁きの場へと引かれて行った。

瑞の御霊の世と万類を思う心は、これらの心にも増して涙ぐましくも、
美しいものなのである。

嗚呼、惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)。

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 稚姫君命(ワカヒメギミノミコト)は沓島(クツジマ)の神業を了(ヲ)へ、
二柱(フタハシラ)の従臣と共に帰城され、
この場の光景を眺めて大いに怒らせたまひ、眉をひそめて、

 『鬼熊を討ちし無法のものはたれぞ』

と色をなして詰問された。このとき鬼熊は狼狽のあまり、
その下手人の誰なるかを知らなかつた。

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この時、実際に鬼熊を打ちすえたのは竹熊、真澄姫、竜世姫であったが、
鬼熊はこれを覚えていないほど周章狼狽していたのだ。

筆者が高校生の時に、ある先生が授業中に、こんなことを言っていた。

「召集されて戦地に行くと、気の弱そうな堅気者がかえって活躍し、
 日頃勇ましい入れ墨者に限って、怖じけづいて話にならなかった。」

…はたして、今のその筋の皆さんの根性がどういうものかは知らないが、
やっぱり、その筋の皆さんも、普段おとなしそうな方が、案外肝が座って、
やる時はやるみたいだから、こういう方には気をつけないと恐い。

普段から威勢のいい方にも、あまり関わらない方がよいけれど…

そうそう、それから戦前に憲兵をやって、
平民を散々虐めていた様なのも、
戦後、随分虐めかえされたそうだ。

これもうわさ話で聞いただけだから、真偽のほどは定かではないけれど、
ここでの鬼熊の狼狽(ウロタ)えぶりは、そのいい見本なのだろう。

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されど彼は邪推を廻(メグ)らし、

 『わが面体(メンテイ)を打ちしは確に竜世姫(タツヨヒメ)、
  高杉別(タカスギワケ)、虎彦(トラヒコ)ならむ』

と血泥(チミドロ)の物凄(モノスゴ)き顔を振りたてて奏上した。
小島別(コジマワケ)は鬼熊の言葉を遮(サヘギ)り、

 『否然(イナシカ)らず、小臣はその現場を目撃せる証神(シヨウシン)なり。
  鉄棒をもつて討ちしことは竹熊の所為(シヨイ)なり』

と、言葉に力をこめて言明した。

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このごに及んで、まだ悪あがきをしている鬼熊であるが、
悪い事は出来ないもので、ちゃんと小島別が見ていて、
真実を証言してくれたわけだ。

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 稚姫君命(ワカヒメギミノミコト)は竹熊に向ひ、

 『汝(ナンヂ)の行動はなはだ暴逆無道なり、
  妾(ワラハ)はいまだ心底(シンテイ)より
  汝が改心の実証を認むる能(アタ)はず。
  今はもはや是非なし、
  神界の規定にしたがひ速(スミヤカ)に
  根(ネ)の国(クニ)底(ソコ)の国(クニ)に降るべし』

と厳命された。竹熊は首を左右に振り、

 『否々(イナイナ)、下手人はわれに非ず、高杉別以下の所為なり』

と強弁した。小島別以下は現場の実状を目撃せるをもつて、
あくまで竹熊の所為なりと主張した。

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稚姫君命は厳の御霊の系統であるから、この様に裁きを下そうとする。

『根の国、底の国に降るべし』

というのは、要するに、

『自ら腹切って死ぬべし!』

と言っているのと同じだ。

そんな裁きは受け入れ難いので、
竹熊は何処までもしらを切ろうとしているのだが、
この場ですぐに暴れないところが、
竹熊の意外な器の小ささを感じさせてくれる。

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 大八洲彦命は、

 『大神(オホカミ)の神業に出嶋(シユツタウ)されし不在中に
  かくのごとく不祥事を惹起(ジヤクキ)せしめたるは、
  全く吾不注意の罪なり。
  何とぞ吾を根(ネ)の国(クニ)、
  底(ソコ)の国(クニ)へ追放りて竹熊の罪を赦(ユル)したまへ』

と涙とともに言上された。

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大八洲彦命は、瑞の御霊の系統であるから、下々の過ちの責任は、
皆、自身の不徳にある、という風に慈悲深くも申し出るわけだ。

喧嘩好きの乱暴者には、
なんとも意気地がないように見えるかもしれないが、
神仏の心とは、常にこういうものなのである。

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 稚姫君命は大八洲彦命の慈愛に厚き真心に感じ、
諸神にむかつて今後を戒め、この場は事無く事済(コトズ)みとなつた。

鬼熊はこの負傷が原因となり、運命尽きて遂に落命するにいたつた。

妻の鬼姫は竹熊の非道を怒り、仇(アダ)を報(ハウ)ぜむとし、
武熊別とともに弔(トムラ)ひ合戦を計画した。
しかして鬼熊は怨霊凝(コ)つて、終にウラル山の黒竜となつた。

 (大正十年十月二十六日、旧九月二十六日、外山豊二録)

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稚姫君命の裁きは下らなかったけれども、
天はこれを看過せず、鬼熊は運命尽きて落命し、
一度は結託した竹熊と鬼姫も遂に仇同志となって、
武熊別と共に弔い合戦をすることになったというわけだが、
結局、現代でもそうであるあが、
骨肉の争いを続ける者は、
『喧嘩両成敗』で、どちらも悪いのだ。

吾々、道にある者は、くれぐれも、
この様な愚かな争いに加担せぬように心掛けるべきである。

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第47章 エデン城塞陥落 (47)

2006年04月23日 23時19分12秒 | Weblog
 竹熊(タケクマ)は大小十二の各色の玉を得て意気天を衝(ツ)き、
虚勢を張つて横暴の極を尽した。

さうして高杉別(タカスギワケ)、森鷹彦(モリタカヒコ)を深く信任し、
高杉別をして武熊別(タケクマワケ)の地位にかはらしめた。

武熊別は竹熊の態度に憤怨(フンエン)やるかたなく、ここに一計をめぐらし、
ウラル山に割拠する鬼熊(オニクマ)に款(クワン)を通じ、
竹熊、高杉別、森鷹彦を滅ぼさむとした。

鬼熊はその妻鬼姫(オニヒメ)に計(ハカリゴト)を授けて竜宮城の奥深く忍ばしめ、
遂には稚姫君命(ワカヒメギミノミコト)、
大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)のやや信任を得るにいたつた。

鬼熊は鬼姫の苦心により、
つひに竜宮城に出入を許さるるとこまで漕(コ)ぎつけた。

さうして鬼熊の子に月彦(ツキヒコ)といふ心の麗(ウルハ)しき者があつた。
この者は稚姫君命の大変なお気にいりであつた。

悪霊夫婦の子に、かくのごとき善人の生れ出でたるは、
あたかも泥中より咲く蓮華のやうなものである。

ここに稚姫君命は、
ふたたび世界の各所に群がりおこる悪霊の騒動を鎮定すべく、
国常立尊(クニトコタチノミコト)の神命を奉じ、月彦、真倉彦(マクラヒコ)を伴ひ、
目無堅間(メナシカタマ)の御船(ミフネ)にのり、
真澄(マスミ)の珠(タマ)を秘(ヒ)めおかれたる沓島(クツジマ)にわたり、
諸善神を集めて、魔軍鎮定の神業(カムワザ)を奉仕されたのである。

この時秋津島根(アキツシマネ)に攻めよせきたる数万の黒竜は、
竜宮の守り神および沓島の守り神、
国(クニ)の御柱命(ミハシラノミコト)の率ゐる神軍のために、
真奈井(マナイ)の海においてもろくも全滅した。

しかるに陸上の曲津(マガツ)らは、
勢力(イキホヒ)猖獗(セウケツ)にして容易に鎮定の模様も見えなかつた。

これは、ウラル山に割拠する鬼熊の部下の悪霊(アクガミ)らの、
権力争奪の悪魔戦であつた。

鬼熊は部下の者共の統一力なきを憂へ、ここに一計をめぐらし、
竜宮城に出入して根本的権力を得、部下の悪霊を鎮定し、
すすんで地(チ)の高天原(タカアマハラ)を占領せむとする企画をたててゐた。

 稚姫君命一行の沓島に出馬されし後の竜宮城は、大八洲彦命、
真澄姫(マスミヒメ)をはじめ、竹熊、高杉別、森鷹彦、竜代姫(タツヨヒメ)、
小島別(コジマワケ)等のあまたの神司(カミガミ)が堅く守つてゐた。

武熊別は如何(イカ)にもして、竹熊、高杉別を亡ぼさむとし、
鬼熊、鬼姫に対し、

 『大八洲彦命、竹熊等は神軍を整へ、大挙してウラル山を攻落し、
  貴下(キカ)を討滅せむと種々画策の最中なり。
  われは探女(サグメ)を放ちてその詳細を探知せり』

と種々の虚儀を並べ、鬼熊、鬼姫の心を動かさむとした。
ここに鬼熊、鬼姫の憤怒は心頭に達し、

 『大八洲彦命、竹熊一派らを亡ぼすは今を措(ヲ)いて好機はなし。
  今吾、彼らを滅ぼさずんば、吾は彼に早晩亡ぼされむ。
  機先を制するはこの時なり』

と鬼熊、鬼姫は武熊別を部将として、ウラル山の鬼神毒蛇を引率し、
まづ竹熊の屯(タムロ)せるエデンの城を襲ひ、ついで竜宮城を襲撃せむとした。

鬼熊の魔軍は驀地(マツシグラ)にすすんで、八方よりエデンの城塞に迫つた。

時しも竹熊は、竜宮城の留守役として不在中なりしかば、
エデン城は戦はずしてもろくも鬼熊の手に落ちた。

 (大正十年十月二十六日、旧九月二十六日、谷口正治録)

『音惚花活気好@kakky』的『第47章 エデン城塞陥落 (47)』

2006年04月23日 23時17分29秒 | Weblog
平成十八(2006)年4月23日 旧3月26日(日)

 竹熊(タケクマ)は大小十二の各色の玉を得て意気天を衝(ツ)き、
虚勢を張つて横暴の極を尽した。

さうして高杉別(タカスギワケ)、森鷹彦(モリタカヒコ)を深く信任し、
高杉別をして武熊別(タケクマワケ)の地位にかはらしめた。

武熊別は竹熊の態度に憤怨(フンエン)やるかたなく、ここに一計をめぐらし、
ウラル山に割拠する鬼熊(オニクマ)に款(クワン)を通じ、
竹熊、高杉別、森鷹彦を滅ぼさむとした。

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天国霊国、地上天国の住人たる善の身魂ならば、
トップの意志は、即ち、主神の意志の伝達であるから、
役職や地位が変えられたくらいで、
この武熊別の様な行為に走ることもないが、
そもそも、天国霊国、地上天国では、この様に一旦決まった順位を、
途中の位置にある竹熊の独断によって、
易々と変える様なことも有り得ないので、
この様な問題が発生する理由もない。

これは全て悪のやり方である。

一方、高杉別、森鷹別の二神は、正神の位置にありながら、
この様に曲津神の傘下に入って行くのは、
これはつまり、例えれば、幕末の高杉晋作や、西郷隆盛が、
弱体化した江戸幕府を倒して、黒船の脅威から神洲日本を守らんとして、
一時、イギリスと連係した様な、そんな政治的意図がある様に感じられる。

つまり、武力、文明の面で、海外列強に対して、
明らかに遅れを取った母国の近代化と富国強兵の為に、
その力の源になっている『竹、武』の知恵を吸収する為に、
この様に、竹熊に接近したのではなかろうか?

要するに『地上天国建設』の為に、
乱れ切った悪の世の中枢に入り込んだのである。

こんな考え方をすると、
まさに神素盞嗚尊の八岐大蛇退治そのままの構図が、
筆者には見えて来るのだ。

『大本神諭』には、

『松で開いて梅で治める。竹は害国。』

というのがある。

『松で開いて』

というのは、即ち、
『松平家の徳川幕府』を倒して明治政府を建てた明治維新だ。

『梅で治める』

というのは、武家の世の中を終わらせて法治国家に立直す意味だろう。

『竹は害国』

というのは、
『毒をもって毒を制する』覇道改革を象徴しているに違いない。

この場合は、武家が最上位にあった『士農工商』の順位時代を終わらせて、
主神を中心とする自由民主主義の徳治国家を実現する為に、
一時的に軍備強化することをいうのだろう。

つまり、『竹』と『軍』は似て非なるものなのだ。

そして『同じ事二度ある仕組み』であるから、
士農工商の順位は終わったものの、イギリス式を真似て出来た明治維新には、
貴族、華族が残され、平民を苦しめることになり、
これによって再び悪化していた帝国日本は、昭和維新ともいうべき、
太平洋戦争によって、更に一皮剥けることになったのだ。

そして『三段の型』の摂理が働いて、
この度のバブル経済崩壊後の世界的建て替えが起こったわけである。

これから国際社会は、経済的にも精神的にも、
政治的にも、人種的にも、更に、更にその距離を縮めることになり、
よりグローバルな連係協力関係が実現して、
弱者、逆境者を更正させる慈愛に満ちた世界になって行くのである。

この47章は、
その為の善悪の交流の準備が整ったことを示す章といえるだろう。

『四七』の数霊(カズダマ)の意味は『世直し』ということで、
即ち『悪の世直し』の意味を持っているのだ。

一旦は、悪と交わり、悪のやり方を用いた後、
やはり、これは正義の為に都合が悪いから、
このやり方は廃止しようと、友好的に立直してしまうのである。

それで、一度は、善が悪に負けた様に見えることが起きて来るのだ。

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鬼熊はその妻鬼姫(オニヒメ)に計(ハカリゴト)を授けて竜宮城の奥深く忍ばしめ、
遂には稚姫君命(ワカヒメギミノミコト)、
大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)のやや信任を得るにいたつた。

鬼熊は鬼姫の苦心により、
つひに竜宮城に出入を許さるるとこまで漕(コ)ぎつけた。

さうして鬼熊の子に月彦(ツキヒコ)といふ心の麗(ウルハ)しき者があつた。
この者は稚姫君命の大変なお気にいりであつた。

悪霊夫婦の子に、かくのごとき善人の生れ出でたるは、
あたかも泥中より咲く蓮華のやうなものである。

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この鬼熊夫婦は、何処となく出口王仁三郎聖師こと上田喜三郎を、
綾部の出口直開祖の処に導いた福島久夫婦の様だ。

つまり、福島久夫婦が親分になって、
喜三郎に例えられる『月彦』を綾部に産み落としたのだ。

勿論、出口直開祖は稚姫君命にあたる。

王仁三郎聖師こと上田喜三郎は、先生と呼ばれた頃が大八洲彦命で、
まだ綾部に来たばかりの頃は、先に出口直の神力を抱き込みたかった
金光教の布教使等から敵視されていたりしたのだが、
その出口直は、娘の久がヤクザ者の福島と結婚したことを
快く思っていなかったのだが、その福島夫婦の仲介で、
上田喜三郎が綾部入りしたことを大変喜んでいたのだ。

それが、

『さうして鬼熊の子に月彦(ツキヒコ)といふ心の麗(ウルハ)しき者があつた。
 この者は稚姫君命の大変なお気にいりであつた。

 悪霊夫婦の子に、かくのごとき善人の生れ出でたるは、
 あたかも泥中より咲く蓮華のやうなものである。』

ということの因果であると、筆者は感じるわけである。

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ここに稚姫君命は、
ふたたび世界の各所に群がりおこる悪霊の騒動を鎮定すべく、
国常立尊(クニトコタチノミコト)の神命を奉じ、月彦、真倉彦(マクラヒコ)を伴ひ、
目無堅間(メナシカタマ)の御船(ミフネ)にのり、
真澄(マスミ)の珠(タマ)を秘(ヒ)めおかれたる沓島(クツジマ)にわたり、
諸善神を集めて、魔軍鎮定の神業(カムワザ)を奉仕されたのである。

この時秋津島根(アキツシマネ)に攻めよせきたる数万の黒竜は、
竜宮の守り神および沓島の守り神、
国(クニ)の御柱命(ミハシラノミコト)の率ゐる神軍のために、
真奈井(マナイ)の海においてもろくも全滅した。

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これも、出口直開祖と出口王仁三郎聖師こと上田喜三郎による
沓島渡りの因縁を説いている様である。

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しかるに陸上の曲津(マガツ)らは、
勢力(イキホヒ)猖獗(セウケツ)にして容易に鎮定の模様も見えなかつた。

これは、ウラル山に割拠する鬼熊の部下の悪霊(アクガミ)らの、
権力争奪の悪魔戦であつた。

鬼熊は部下の者共の統一力なきを憂へ、ここに一計をめぐらし、
竜宮城に出入して根本的権力を得、部下の悪霊を鎮定し、
すすんで地(チ)の高天原(タカアマハラ)を占領せむとする企画をたててゐた。

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なんだかこの鬼熊の意図と動きが、
ちょうどリアルタイムに行われている
日本国内の某政党の立直しにリンクするので、ちょっと可笑しいのだが、
まあ、どちらにしても、大小無数の乱世を立直すには、
根本の神様との結びつきは欠かせないということである。

鬼熊の地の高天原占領の企画は、あまり頂けないけれども、
場合によっては、一度は悪に世の中を任せて、
そのせっかくの善心の種と芽を絶やさない様に縁を繋ぎ、
最終的には最も正しい神政の順序を覚らせることもする必要もある。

これは、そういう神様の深い御慈愛を表わしているようにみえる。

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 稚姫君命一行の沓島に出馬されし後の竜宮城は、大八洲彦命、
真澄姫(マスミヒメ)をはじめ、竹熊、高杉別、森鷹彦、竜代姫(タツヨヒメ)、
小島別(コジマワケ)等のあまたの神司(カミガミ)が堅く守つてゐた。

武熊別は如何(イカ)にもして、竹熊、高杉別を亡ぼさむとし、
鬼熊、鬼姫に対し、

 『大八洲彦命、竹熊等は神軍を整へ、大挙してウラル山を攻落し、
  貴下(キカ)を討滅せむと種々画策の最中なり。
  われは探女(サグメ)を放ちてその詳細を探知せり』

と種々の虚儀を並べ、鬼熊、鬼姫の心を動かさむとした。

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いわゆる武熊別にとって、稚姫君命一行の沓島への出馬は、ちょうど、
『鬼の居ぬ間の洗濯』の様なものなのだ。

しかし、いわゆるこの世でいうなら、
肉体に当る稚姫君命一行の沓島への出馬の最中も、
その本体である精霊達は、竜宮城を守っているということである。

なんといっても千里眼の効く、
出口直開祖と王仁三郎聖師こと上田喜三郎であるから、
何処にいても何でもお見通しなのである。

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ここに鬼熊、鬼姫の憤怒は心頭に達し、

 『大八洲彦命、竹熊一派らを亡ぼすは今を措(ヲ)いて好機はなし。
  今吾、彼らを滅ぼさずんば、吾は彼に早晩亡ぼされむ。
  機先を制するはこの時なり』

と鬼熊、鬼姫は武熊別を部将として、ウラル山の鬼神毒蛇を引率し、
まづ竹熊の屯(タムロ)せるエデンの城を襲ひ、ついで竜宮城を襲撃せむとした。

鬼熊の魔軍は驀地(マツシグラ)にすすんで、八方よりエデンの城塞に迫つた。

時しも竹熊は、竜宮城の留守役として不在中なりしかば、
エデン城は戦はずしてもろくも鬼熊の手に落ちた。

 (大正十年十月二十六日、旧九月二十六日、谷口正治録)

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このエデンの城塞の陥落は、
何となく、上田喜三郎先生を中心に行われていた、
『鎮魂帰神修行』を連想させるものがある。

この修行は、上田喜三郎先生が何処かに出かけると、
決まって曲津神達が修行者達の肉体に降りて、
とんでもないことをやりだし、御近所を騒がすことになるのだが、
こういうことは、皇道大本が叩かれる直前にもあって、
これが第一次大本弾圧を招く結果になって行くのだ。

せっかくの明治維新で出来た帝国日本も、ここに出て来る鬼熊夫婦の様な、
悪企みする連中に翻弄されて、国内を乱し、世界を乱すことになり、
太平洋戦争に巻き込まれて行くことになったのだ。

要するに、諸外国は、日本の近代化の恩師達であるにも関わらず、
その恩を忘れて、日本こそ世界の王であるべき国家であると、
自ら名乗りをあげて増長し、海外諸国に脅威を与えてしまったのだ。

これはバブル経済の時も同様で、海外諸国が、
日本人の優秀性を讃美することに増長して、
日本人自らが、物凄い勢いで海外進出に積極的になり過ぎたので、
この度の経済危機を味合わされる羽目に陥ったのである。

こういうことは、日本人ならもっとよくわかる筈なのだが、
海外諸国から推されに推されても、拒みに拒んだ挙げ句、
慎んで、その位置に就くという心でなければ、
世界を徳治統一するための王国家に相応しくない。

日本の霊性は、一旦は海外諸国に全てを明け渡すくらいの譲歩に徹しても、
その本質は世界の王国であるから、いやでも海外が認める様になり、
海外からの敬意と、日本自らの謙譲の美徳によって実現するのである。

黄金の宝玉が竹熊の手に落ちようと、
エデンの城塞が鬼熊の手に落ちようと、
これもまた根本的な立直しの為の交流の始まりなのだ。

つまり、悪を改心させる為の教育の始まりである。

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第46章 一島(ヒトツジマ)の一松(ヒトツマツ) (46)

2006年04月16日 23時15分31秒 | Weblog
 ここに竹熊(タケクマ)は武熊別(タケクマワケ)と共に、あまたの者を集め、
大祝宴を張つた。

その理由は、十二個の宝玉はわが神智神策をもつて十個まで手に入れたり、
余すところただ二個のみ。いかなる神力の強き神人(カミ)なりとて、
これを奪取するに何の苦心かあらむと、おのが智略に誇り、
ここに一同を集め祝宴を張つてゐた。

 時しも末席より鬼彦(オニヒコ)肩を揺りながら立ち現はれ、
竹熊、武熊別の前に出で、

 『今日は実に大慶至極の日なり。
  しかるによき事の続けばつづくものかな。
  ただ今竜宮城より高杉別(タカスギワケ)、森鷹彦(モリタカヒコ)の二神司(ニシン)、
  二個の玉を持ち献上せむことを申込みたり。
  いかが取計らつてよかるべきや』

と述べた。

酒宴の酒に酔ひて酔眼朦朧たる竹熊らは、願望成就の時節到来と欣喜雀躍し、
ともかく二神司(ニシン)を引見せむことを承諾した。

ややありて高杉別、森鷹彦は侍者の案内に伴れて、
殿中深く竹熊の前に現はれ一礼をなし、
且(カ)つおのおの玉を献上せむことを申込んだ。

 竹熊は胸を躍らせた。注意深き武熊別は二神司(ニシン)にむかひ、

 『この貴重なる竜宮城の神宝を何ゆゑ吾らに譲与せらるるや。
  その理由を聞かまほし』

と詰(ナジ)つた。二神司(ニシン)は喜色満面を粧(ヨソホ)ひながら、
おもむろに答ふるやう、

 『貴下等(キカタチ)の神算鬼謀(シンサンキボウ)は吾らをして舌を巻かしむるに足る。
  既に十個の玉は貴下の手に入れり。
  われ二個の玉を以て貴下と争ふといへども、十対二の比例をもつて、
  何ぞよく貴下の軍(イクサ)に勝たむや。
  それよりも潔(イサギヨ)く吾らは此の玉を貴下に献じ、たがひに和親を結び、
  もつて天下泰平を祈らむのみ』

と、言葉涼(スズ)しく答ふるのであつた。

 竹熊は二個の玉を熟視して大いに驚き、その光沢に感激止まなかつた。
このとき高杉別、森鷹彦は言葉を設(マウ)けて曰(イハ)く、

 『この玉は十二個のうち特殊の神力あり、故に悪臭に触れ、
  悪風にあたらば霊力迸出(ヘイシユツ)して何の効用も為(ナ)さじ。
  いづれの者にも拝観を許さず、
  ただちに函を作り十重二十重(トヘハタヘ)に之(コレ)をつつみて奥殿深く奉安し、
  危機一髪の場合にこれを使用したまへ』

と述べた。

竹熊も武熊別も二神の誠意を疑はず、
ただちに言のごとく之を幾重(イクヘ)にも函に包み、
固く封じて奥殿深く蔵めたのである。

 しかるにこの玉は真赤(マツカ)な偽玉(ニセダマ)であつた。
注意深き二神司(ニシン)は竹熊の機先を制し、
もつて真玉(シンギヨク)の奪取を免れたのである。

その後高杉別、森鷹彦は竹熊の気にいりとなり、重く用ゐられた。

しかして真正の玉は、森鷹彦は大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)に献(タテマツ)り、
高杉別は従臣の杉高(スギタカ)に命じ、
口に呑(ノ)ましめて地中海に羅列せる嶋嶼に之を永遠に秘蔵し、
杉高をこの島の守護神に任命した。

一(ヒト)つ島(ジマ)に堅き岩窟を掘り、玉を深く蔵め、
その上に標(シルシ)の松を植ゑておいた。

これを一つ島の一(ヒト)つ松(マツ)といふ。

 これよりふたりは竹熊の信任をえ、武熊別と列んで三羽烏と称せられ、
帷幕(イバク)に参ずるにいたつた。

アヽ今後の高杉別、森鷹彦は如何(イカ)なる行動に出づるであらうか。

 (大正十年十月二十五日、旧九月二十五日、外山豊二録)

『音惚花活気好@kakky』的『第46章 一島の一松(46)』

2006年04月16日 23時14分15秒 | Weblog
平成十八(2006)年四月十六日 旧三月十九日(日)

 ここに竹熊(タケクマ)は武熊別(タケクマワケ)と共に、あまたの者を集め、
大祝宴を張つた。

その理由は、十二個の宝玉はわが神智神策をもつて十個まで手に入れたり、
余すところただ二個のみ。いかなる神力の強き神人(カミ)なりとて、
これを奪取するに何の苦心かあらむと、おのが智略に誇り、
ここに一同を集め祝宴を張つてゐた。

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竹熊と武熊別は、別個性というわけだ。

どちらにしても『竹、武』が通じ合う言霊であるという事が学習出来る。

しかし、言霊といっても、それが必ずしも善であるとは限らない。
この様に、曲津神の名前であることもあるのだ。

正しい言霊は『誠の言霊』以外にない。

あとはその支流だから、慢心してはいけないのである。

ちなみに、この様に漢字で記される時は、
日本、または日本人のことであるそうだ。

この場合の『別(ワケ)』というのは、『二世』とかそういうことだろうか?

例えば、日本でも戦国時代には、将が家臣に姓を賜う時に、
自身や他の家臣達の姓名から、
一字ずつを分け与えるという様なことをやったが、
こういうことと同じ事なのだろうか?

例えばローマ法皇なども、血縁が無くても過去の聖人から名を頂いて、
二世を名乗る場合がある。

江戸時代にも、剣の達人が『今武蔵』と呼ばれたりしていたから、
こういうこととも同じかもしれない…

彼等は、結局、この十二個の宝玉を集めることによって、
自ら墓穴を掘っているのだが、こればかりはどうにも止められない因縁だ。

現代でも、ついこないだ某有名企業の社長がやりたい放題やったあと、
逮捕されてしまい、社長の地位を奪われてしまったが、
世の中にはこんなことはいくらでもある。

とある有名政党なども、
こんな風にしてしょっちゅう崩壊の危機に遭っている。

前世紀に新興宗教団体が、
いくつもさんざん神輿に担がれた挙げ句潰されたが、
悪の始末こそ、一網打尽にされるのがほとんどで、
この場合の十二個の宝玉も、そんな働きをしている様である。

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 時しも末席より鬼彦(オニヒコ)肩を揺りながら立ち現はれ、
竹熊、武熊別の前に出で、

 『今日は実に大慶至極の日なり。
  しかるによき事の続けばつづくものかな。
  ただ今竜宮城より高杉別(タカスギワケ)、森鷹彦(モリタカヒコ)の二神司(ニシン)、
  二個の玉を持ち献上せむことを申込みたり。
  いかが取計らつてよかるべきや』

と述べた。

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『類は友を呼ぶ』

悪企みをする連中の所には、益々、悪が喜んで寄って来るのだ。

しかしながら、彼等は一向に、自らが悪だとは思っていても、
それが正しいことだと信じ切っている。

この様に、正しいこと、即ち、善であるとも一概には言えない。

悪が集まって、自ら十二個の宝玉を集めて自ら墓穴を掘ることは、
ある意味、世の為、人の為でもあるのだから…

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酒宴の酒に酔ひて酔眼朦朧たる竹熊らは、願望成就の時節到来と欣喜雀躍し、
ともかく二神司(ニシン)を引見せむことを承諾した。

ややありて高杉別、森鷹彦は侍者の案内に伴れて、
殿中深く竹熊の前に現はれ一礼をなし、
且(カ)つおのおの玉を献上せむことを申込んだ。

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『策士策に溺れる』

騙そうとする者が騙され、それを知らずに喜ぶ世の中。

嗚呼、世の中まったく『知らぬが仏』『馬鹿は死ななきゃ治らない』
『毒も喰らわば皿までねぶれ』

この世の中で智慧が足らぬということは、
ある意味、”しあわせ”の始まりである。

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 竹熊は胸を躍らせた。注意深き武熊別は二神司(ニシン)にむかひ、

 『この貴重なる竜宮城の神宝を何ゆゑ吾らに譲与せらるるや。
  その理由を聞かまほし』

と詰(ナジ)つた。二神司(ニシン)は喜色満面を粧(ヨソホ)ひながら、
おもむろに答ふるやう、

 『貴下等(キカタチ)の神算鬼謀(シンサンキボウ)は吾らをして舌を巻かしむるに足る。
  既に十個の玉は貴下の手に入れり。
  われ二個の玉を以て貴下と争ふといへども、十対二の比例をもつて、
  何ぞよく貴下の軍(イクサ)に勝たむや。
  それよりも潔(イサギヨ)く吾らは此の玉を貴下に献じ、たがひに和親を結び、
  もつて天下泰平を祈らむのみ』

と、言葉涼(スズ)しく答ふるのであつた。

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この高杉別、森鷹彦の二神は、筆者によく似ている。
なかなかの智慧者だ。

神を思い、民を思うのであれば、
天下泰平を祈るのは基本中の基本である。

筆者も『世界平和の祈り』から神の道に入ったので、
この様な形有る玉には、いささかの執着心もない。

ただ、趣味の範囲において、
コレクションしたいものはいくらでもあるが、
そんな物は、何処までも個人的趣向の問題で、
大上段に御神業であるというほどのものでもない。

しかし、よほどの確信があって、

『自身神也、人間神の子、神の宮』

というのであれば、どんなことをやっても、
それは神業だから、何も黄金水の十二個の宝玉にこだわる理由もない。

現代の一円玉でも、一万円札でも、
CDでも、DVDでも、パソコンでも、テレビでも、冷蔵庫でも、
洗濯機でも、バスタブでも、湯沸かし器でも、水道でも、
みんなみんな大事な御神器であり、御神宝である。

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 竹熊は二個の玉を熟視して大いに驚き、その光沢に感激止まなかつた。
このとき高杉別、森鷹彦は言葉を設(マウ)けて曰(イハ)く、

 『この玉は十二個のうち特殊の神力あり、故に悪臭に触れ、
  悪風にあたらば霊力迸出(ヘイシユツ)して何の効用も為(ナ)さじ。
  いづれの者にも拝観を許さず、
  ただちに函を作り十重二十重(トヘハタヘ)に之(コレ)をつつみて奥殿深く奉安し、
  危機一髪の場合にこれを使用したまへ』

と述べた。

竹熊も武熊別も二神の誠意を疑はず、
ただちに言のごとく之を幾重(イクヘ)にも函に包み、
固く封じて奥殿深く蔵めたのである。

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 『この玉は十二個のうち特殊の神力あり、故に悪臭に触れ、
  悪風にあたらば霊力迸出(ヘイシユツ)して何の効用も為(ナ)さじ。
  いづれの者にも拝観を許さず、
  ただちに函を作り十重二十重(トヘハタヘ)に之(コレ)をつつみて奥殿深く奉安し、
  危機一髪の場合にこれを使用したまへ』

まさしく、この言葉に嘘はない。

他の竜宮の神々も、このことに気づいていたら、
もう少し、違う行いが出来たのだ。

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 しかるにこの玉は真赤(マツカ)な偽玉(ニセダマ)であつた。
注意深き二神司(ニシン)は竹熊の機先を制し、
もつて真玉(シンギヨク)の奪取を免れたのである。

その後高杉別、森鷹彦は竹熊の気にいりとなり、重く用ゐられた。

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真赤な偽玉だったかもしれないが、正しい神々ならば、
そんな偽玉でも正しくお祭りして、
神様の精気を入れて頂くことを知っている。

神社だって、本社と分社があるけれど、信者に真心があれば、
神様はちゃんとお蔭を下さるものだ。

勿論、宅の神棚にだって真心があれば、
ちゃんと神様はお蔭を下さる。

理由はどうあれ、

『その後高杉別、森鷹彦は竹熊の気にいりとなり、重く用ゐられた。』

のだから、天下泰平のために働いているのだ。

結構なことである。

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しかして真正の玉は、森鷹彦は大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)に献(タテマツ)り、
高杉別は従臣の杉高(スギタカ)に命じ、
口に呑(ノ)ましめて地中海に羅列せる嶋嶼に之を永遠に秘蔵し、
杉高をこの島の守護神に任命した。

一(ヒト)つ島(ジマ)に堅き岩窟を掘り、玉を深く蔵め、
その上に標(シルシ)の松を植ゑておいた。

これを一つ島の一(ヒト)つ松(マツ)といふ。

 これよりふたりは竹熊の信任をえ、武熊別と列んで三羽烏と称せられ、
帷幕(イバク)に参ずるにいたつた。

アヽ今後の高杉別、森鷹彦は如何(イカ)なる行動に出づるであらうか。

 (大正十年十月二十五日、旧九月二十五日、外山豊二録)

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この辺になって来ると、高杉別、森鷹彦が所持していた本物の玉が、
いったい何色の玉だったのかが示されていないが、
要するに、真に正しい者ならば、玉の色など、どうでもよいのだから、
それで好いのある。

『しかして真正の玉は、森鷹彦は大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)に献(タテマツ)り、
 高杉別は従臣の杉高(スギタカ)に命じ、
 口に呑(ノ)ましめて地中海に羅列せる嶋嶼に之を永遠に秘蔵し、
 杉高をこの島の守護神に任命した。』

筆者は、この場合、森鷹彦が満点で、高杉別は90点くらいだ思うのだが、
名前が高杉なので、どうも高杉晋作を思い出してしまい、
依怙贔屓してしまいがちな自分がちょっとかわいい。

この『一つ島』というのは、読者に対する宿題の様なものかもしれない。

何となく、野心があると、この『一つ島』を探したくなるのではないか?

自分が密かにこの『一つ島』を見つけ、またこの秘蔵の玉を見つけたら、
神代の因縁を改める大きな働きが出来るのではないか?
と、野心を抱きたくなるに違いない。

それから、やはり明治維新のことなども考えて、
現代の維新の志士にでもなれる様な、
英雄的気分になるのではなかろうか?

…だがしかし、それこそ要注意である。

ちなみに森鷹彦も読み替えると『隆盛(タカモリ)』になるので、
早合点すると『西郷隆盛』を連想してしまうが、
『森鷹』と『隆盛』は、やはり『似て非なるもの』と思って、
注意しておいた方がよいだろう…

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第45章 黄玉(ワウギヨク)の行衛(ユクヘ) (45)

2006年04月09日 14時56分27秒 | Weblog
 時彦(トキヒコ)は黄金(ワウゴン)の玉を生命にかへても、
神政成就の暁(アカツキ)まで之(コレ)を保護し奉(タテマツ)らねばならぬと決心し、
既に竜宮神の不覚不注意より九個の玉を竹熊(タケクマ)に奪はれ、
無念やるかたなく、
せめてはこの玉をわれ一人になるとも保護せむとて竜宮城にいたり、
言霊別命(コトタマワケノミコト)の許しをえて諸方を逍遥し、
つひにヒマラヤ山に立て籠つた。

そしてヒマラヤ山に巌窟を掘り、巌中深く之(コレ)を秘(ヒ)め、
その上に神殿を建て時節(トキ)のいたるを待ちつつあつた。

居(ヲ)ること数年たちまち山下におこる鬨(トキ)の声、
不審にたへず殿を立ちいで声するかたを眺むれば、豈計(アニハカ)らむや、
大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は大足彦(オホダルヒコ)、玉照彦(タマテルヒコ)を両翼となし
数多(アマタ)の天津神(アマツカミ)竜宮の神司(カミガミ)と共に、
デカタン高原にむかつて錦旗幾百ともなく風に靡(ナビ)かせ、
種々の音楽を奏しつつ旗鼓堂々として進行中である。

 時彦は山上より遠くこれを見渡せば、十二個の同型同色の神輿(シンヨ)を
あまたの徒歩の神司(カミガミ)が担いで進みくるのである。

時彦は直ちに天(アマ)の鳥船(トリフネ)を取出し、
従臣をして地上に下り一行の動静を窺(ウカガ)はしめた。

従臣はその荘厳なる行列と大八洲彦命の盛装を見て肝(キモ)を潰(ツブ)し、
あはただしく鳥船に乗じてヒマラヤ山にその詳細を復命したのである。

 時彦は大八洲彦命の一行と聞きて心も心ならず、
吾は徒(イタヅラ)に深山(ミヤマ)にかくれて、
ミロク神政の神業参加に後れたるかと大地を踏んで残念がり、
ただちに天の鳥船に打乗りて地上に下り、
大八洲彦命の一行の後に出でて恐るおそる扈従(コジユウ)した。

されども時彦は吾が身の神業に後れたるを恥ぢて、
花々しく名乗も得せず、デカタン高原に着いたのである。

 デカタン高原には荘厳なる殿堂が幾十とも限りなく建て列べられ、
八百万(ヤホヨロヅ)の神司(カミガミ)は喜々として神務に奉仕してゐる。

四辺(アタリ)は得もいはれぬ香気をはなてる種々の花木(クワボク)に廻らされ、
天人天女の歓び狂ふ有様は、
実に天国、浄土、地(チ)の高天原(タカアマハラ)の光景であつた。

 大八洲彦命は中央の荘厳なる殿堂に立ち、
八百万の神司(カミ)らにむかつて宣(セン)して曰(イハ)く、

 『ミロクの世は未だ時期尚早なれども、
  国常立尊(クニトコタチノミコト)の天に嘆願されし結果、
  地上の神人(シンジン)を救ふため、
  末法の世を縮めて天(アマ)の岩戸(イハト)を開き、
  完全なる神代(カミヨ)を現出せしめ、
  このデカタンの野を地の高天原と定めたまへり。
  されど悲しむべし、
  黄金水(ワウゴンスイ)より出たる十二個の宝玉は
  もはや十一個まで悪神の手に占領されたるを、
  大神の神力によりてこれを敵より奪(ト)り還し、
  ここに十二の神輿を作りて、
  この地の高天原の治政の重要なる神器として、
  永遠に保存すべしとの神命なり。
  されど一個の黄色(ワウシヨク)の玉の行衛(ユクヘ)は今に判明せず、
  この玉なきときは折角のミロクの世も再び瓦壊するの恐れあり、
  かの黄玉を携へたる竜宮城の従臣たりし時彦は、今いづこに在(ア)るや、
  彼が持てる一個の宝玉は、この十一個の玉に匹敵するものなり。
  もし時彦にして後(オク)れ馳(バ)せながらも、
  いづれよりか其の玉を持ちきたらば、
  神界の殊勲者として吾は之(コレ)を天神に奏上し、わが地位を譲らむ』

と大声に呼ばはりたまうた。

 このとき、時彦思へらく、

 「われ多年苦心惨憺して此の玉を保護す。
  しかるに今大八洲彦命の教示を聞き喜びに堪へず、
  この時こそ吾は花々しく名乗りを上げ、もつて神界の花と謳(ウタ)はれむ」

と笑みを満面にたたへ、
恐るおそる大八洲彦命の御前に出で九首三拝(キウシユサンパイ)して、

 『時彦ここに在り、黄色の玉を持参仕(ツカマツ)り候(サフラフ)』

と言葉すずしく言上した。あまたの神司(カミガミ)は、
突如として名告り出たる時彦の様子を見て感に打たれたもののごとく、
時彦は神司らの羨望の的となつた。

 大八洲彦命は大いに喜び、かつ時彦を招き殿内深く入りたまうた。
殿内には十二の同色同型の立派な神輿(ミコシ)が奉安されてある。
大八洲彦命は正中にある一個の神輿の扉を開き、

 『十一個は各色の玉をもつて充(ミ)たされあり、
  されど見らるる如くこの神輿は空虚なり。
  速(スミ)やかに汝が玉を是に奉安し、ミロクの代(ヨ)のために尽されよ』

と厳命した。この時、時彦は歓天喜地(クワンテンキチ)身のおくところを知らず、
ただちに玉を取出し神輿の中深くこれを納めた。

そこでいよいよ十二の神輿に種々の供へ物を献じ、
荘厳なる祭典がおこなはれた。

ついで十二の神輿はデカタン国の麗しき原野を
神司(カミガミ)らによつて担ぎまはされた。
実に賑(ニギハ)しき得もいはれぬ爽快な祭典であつた。
原野の中心に各自神輿を下し神司(カミガミ)らの休憩を命じたまうた。

 折から天の一方に妖雲おこり、
たちまち雲中より種々の鮮光があらはれた。
その光景はあたかも花火を数百千ともなく一度に観るやうな壮観であつた。

神司(カミガミ)らは、皆天の一方に心を惹(ヒ)かれて見つめてゐた。
そのあひだに大八洲彦命、大足彦は神輿の位置を変更しておいた。
いづれの神輿も同型同色のものである。

 にはかに天の一方より黒雲おこり雨は地上に滝のごとく降そそいだ。
あまたの神司(カミガミ)は狂気のごとく神輿の中より
各自に黄色の玉を取りだし四方に解散した。

時彦は驚いて吾が奉(タテマツ)れる玉を保護すべく神輿に近づき、
その玉を懐中(フトコロ)に入れむとした。
いづれの者も四方八方に四散して、
宮殿はいつしか荒涼たる原野に化してゐた。

 時彦は夢に夢見る心地してその玉を取りだし点検した。
こはそも如何(イカ)に、容積において光沢において、少しも変化はない。
されど重量のはなはだ軽きを訝(イブ)かり、
混雑に紛(マギ)れて吾が玉を取換られしやと
歯がみをなして口惜(クチヲ)しがつた。

 このとき空中に声あり、

 『大馬鹿者!』

と叫ぶ。

今まで、大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)と見えしは武熊別(タケクマワケ)の変身であり、
大足彦(オホダルヒコ)以下の正神と見えしは彼が部下の邪神であつた。

アヽいかに信仰厚く、節を守るとも、
時彦のごとく少しにても野心を抱く時は、
ただちに邪神のために誑(タブ)らかされ、
呑臍(ドンゼイ)の悔を遺(ノコ)すことあり。

注意すべきは、執着心と巧妙心である。

 花と見て来たであらうか火取虫

 (大正十年十月二十五日、旧九月二十五日、桜井重雄録)

『音惚花活気好@kakky』的『第45章 黄玉の行衛 (45)』分解(上)

2006年04月09日 14時52分22秒 | Weblog
平成十八(2006)年四月九日 旧三月十二日(日)

 時彦(トキヒコ)は黄金(ワウゴン)の玉をわ生命にかへても、
神政成就の暁(アカツキ)まで之(コレ)を保護し奉(タテマツ)らねばならぬと決心し、
既に竜宮神の不覚不注意より九個の玉を竹熊(タケクマ)に奪はれ、
無念やるかたなく、
せめてはこの玉をわれ一人になるとも保護せむとて竜宮城にいたり、
言霊別命(コトタマワケノミコト)の許しをえて諸方を逍遥し、
つひにヒマラヤ山に立て籠つた。

そしてヒマラヤ山に巌窟を掘り、巌中深く之(コレ)を秘(ヒ)め、
その上に神殿を建て時節(トキ)のいたるを待ちつつあつた。

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黄金水の十二個の玉は十二個揃った時に、
何が起こるかわからない神力を発揮するものだ。

そして、それについて筆者は、善を助け、悪を挫く働きをするものである、
という風に度々記しているが、
この辺が『鉄人28号』のリモコンとは違うところである。

つまりは十二個の玉の方で身魂の改めをやって、
善ばかりならば、今更働く必要も無いから、何事も起こらず、
悪が混ざれば、悪を懲らしめる働きをするものである。

もし、この十二個の玉が、竹熊等に一つも奪われる前に、
全ての所持者が大八洲彦命の所に参集して献上されていたならば、
それはまさに神政成就となり、曲津神を懲らす働きをしたに違いないが、
この時、既に九個までが竹熊の手中にあった。

実を言えば、最初の赤玉が奪われた時点で、
この十二個の玉全てが曲津神によって汚れてしまい、
例え十二個の玉が揃っても、その神力は失われてしまっているのだが、
既に竜宮神等の不覚不注意によって九個までが奪われているにも関わらず、
不覚故に、その黄金の玉を隠す為に、わざわざヒマラヤ山まで出かけて、
籠らなければならなくなったのである。

真に神柱(カムバシラ)ならば、肉体を持ってわざわざ出かけるまでもなく、
全てを把握し得るのであるが、霊覚未開発の彼等は、
肉体をもって出かけなければならない。

これを言霊別命が何故許したのかといえば、
特に御用の無い身魂が、その自由遺志によって何処に出かけようとも、
これを制御する理由もないからで、
もしも時彦に霊覚があれば、神社のおみくじ供養の様に、
この時、言霊別命に頼んで黄金の玉を供養してもらえば、
わざわざヒマラヤ山まで出かける必要も無かったのである。

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居(ヲ)ること数年たちまち山下におこる鬨(トキ)の声、
不審にたへず殿を立ちいで声するかたを眺むれば、豈計(アニハカ)らむや、
大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は大足彦(オホダルヒコ)、玉照彦(タマテルヒコ)を両翼となし
数多(アマタ)の天津神(アマツカミ)竜宮の神司(カミガミ)と共に、
デカタン高原にむかつて錦旗幾百ともなく風に靡(ナビ)かせ、
種々の音楽を奏しつつ旗鼓堂々として進行中である。

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さて、時彦に真に御用があって、
言霊別命を介して大八洲彦命に報告がされていれば、
この様な時に、大八洲彦命一行から事前に来訪の知らせがあって然るべきで、
礼儀を重んじる正しい神々が、今でいうアポイントも取らずに、
ふいの来訪をするわけがない。

現代でも、公的な事情のある人が私宅を訪れる時は、
事前に訪問の回覧や、趣意書などが投函されていたり、
何らかの公的通知があってから、
予定の時刻に私宅に来訪するのが礼儀である。

然るに、この度は、時彦には何の知らせも無かったのである。

先ず、これには注意が必要である。

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 時彦は山上より遠くこれを見渡せば、十二個の同型同色の神輿(シンヨ)を
あまたの徒歩の神司(カミガミ)が担いで進みくるのである。

時彦は直ちに天(アマ)の鳥船(トリフネ)を取出し、
従臣をして地上に下り一行の動静を窺(ウカガ)はしめた。

従臣はその荘厳なる行列と大八洲彦命の盛装を見て肝(キモ)を潰(ツブ)し、
あはただしく鳥船に乗じてヒマラヤ山にその詳細を復命したのである。

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時彦も先ずはこれを不審に思い、従臣に視察に窺わしたが、
従臣は、一行のその出で立ちに肝を潰し、また正式に確かめる術もないから、
ただちにこれを本物と早合点して時彦に報告したのであった。

ちょうど、何処の誰とも知れない旅姿の一行が、突然、葵の紋所を出して、

「ひかえおろう!」

とやるのを無条件に信じてしまう平民達の様なものだ。

きちんとした役人ならば、それだけでは信用しない。

ちゃんと身元確認が出来るまで身柄を拘束してお茶を濁し、
真偽を確認してから正式に対処するであろう。

ちょうどあちこちで入会手続きをする時に、
その都度、身分証明の提示を要求される様なもので、
紋所だっていくらでも偽造出来るのに、
平民や身分の低い武士などは、「ひかえおろう!」だけで控えてしまう。

たとえ本物だと一目でわかるほどでも、正式な訪問には、
それだけの順序を踏むべきものなのだ。

江戸時代の昔なら『直訴』するのだって命がけであった。

へたをすれば『無礼者!』の一言で、その場で切り捨てられるのだ。

この場合、身分の低い従臣に、
遥かに身分が高い大八洲彦命一行の視察に行かせたのが、
そもそもの間違いだったのである。

時彦に器量があったならば、正式な遣いが来るまで、
黙って動くべきではなかったのだ。

つまりは時彦自身にも、神政成就に乗り遅れたくないという、
功名心が野心としてあったから、この様な動きに出てしまったのである。

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 時彦は大八洲彦命の一行と聞きて心も心ならず、
吾は徒(イタヅラ)に深山(ミヤマ)にかくれて、
ミロク神政の神業参加に後れたるかと大地を踏んで残念がり、
ただちに天の鳥船に打乗りて地上に下り、
大八洲彦命の一行の後に出でて恐るおそる扈従(コジユウ)した。

されども時彦は吾が身の神業に後れたるを恥ぢて、
花々しく名乗も得せず、デカタン高原に着いたのである。

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これではせっかく命がけで守ろうとしている
黄金水の玉のうちの黄金の玉の権威を、
自ら否定しているのも同様である。

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 デカタン高原には荘厳なる殿堂が幾十とも限りなく建て列べられ、
八百万(ヤホヨロヅ)の神司(カミガミ)は喜々として神務に奉仕してゐる。

四辺(アタリ)は得もいはれぬ香気をはなてる種々の花木(クワボク)に廻らされ、
天人天女の歓び狂ふ有様は、
実に天国、浄土、地(チ)の高天原(タカアマハラ)の光景であつた。

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竹熊が、最初に残る玉の総取りを考えた時には、
大八洲彦命への帰順を偽りつつ、酒宴を開いて、これを奪おうとしたのだが、
今回は、それでも頑として動かなかった時彦への目くらましに、
もっと大掛かりなセレモニーをやってみせたのであった。

しかも、そこには神政成就という、
時彦にとって最も気になる餌が仕掛けられていたのだから、
さしもの時彦も遂に仕掛けに乗ってしまったのであった。

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 大八洲彦命は中央の荘厳なる殿堂に立ち、
八百万の神司(カミ)らにむかつて宣(セン)して曰(イハ)く、

 『ミロクの世は未だ時期尚早なれども、
  国常立尊(クニトコタチノミコト)の天に嘆願されし結果、
  地上の神人(シンジン)を救ふため、
  末法の世を縮めて天(アマ)の岩戸(イハト)を開き、
  完全なる神代(カミヨ)を現出せしめ、
  このデカタンの野を地の高天原と定めたまへり。
  されど悲しむべし、
  黄金水(ワウゴンスイ)より出たる十二個の宝玉は
  もはや十一個まで悪神の手に占領されたるを、
  大神の神力によりてこれを敵より奪(ト)り還し、
  ここに十二の神輿を作りて、
  この地の高天原の治政の重要なる神器として、
  永遠に保存すべしとの神命なり。
  されど一個の黄色(ワウシヨク)の玉の行衛(ユクヘ)は今に判明せず、
  この玉なきときは折角のミロクの世も再び瓦壊するの恐れあり、
  かの黄玉を携へたる竜宮城の従臣たりし時彦は、今いづこに在(ア)るや、
  彼が持てる一個の宝玉は、この十一個の玉に匹敵するものなり。
  もし時彦にして後(オク)れ馳(バ)せながらも、
  いづれよりか其の玉を持ちきたらば、
  神界の殊勲者として吾は之(コレ)を天神に奏上し、わが地位を譲らむ』

と大声に呼ばはりたまうた。

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大八洲彦命はもとより黄金水の十二個の玉には関心が無かった。

にも関わらず、ここでは、
それが如何にも重要なものであるかの様な発言をしている。

一個でも曲津神の手に渡って汚れてしまった黄金水の十二個の玉には、
既に神聖な力は無いのである。

それを知らない大八洲彦命ではない。

しかし、時彦はそれを覚っていない。

故に、この発言が時彦の心を揺り動かすことになったのであった。

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『音惚花活気好@kakky』的『第45章 黄玉の行衛 (45)』分解(下)

2006年04月09日 14時51分06秒 | Weblog
 このとき、時彦思へらく、

 「われ多年苦心惨憺して此の玉を保護す。
  しかるに今大八洲彦命の教示を聞き喜びに堪へず、
  この時こそ吾は花々しく名乗りを上げ、もつて神界の花と謳(ウタ)はれむ」

と笑みを満面にたたへ、
恐るおそる大八洲彦命の御前に出で九首三拝(キウシユサンパイ)して、

 『時彦ここに在り、黄色の玉を持参仕(ツカマツ)り候(サフラフ)』

と言葉すずしく言上した。あまたの神司(カミガミ)は、
突如として名告り出たる時彦の様子を見て感に打たれたもののごとく、
時彦は神司らの羨望の的となつた。

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要は時彦にとっては、玉を死守し、これを奉納することだけが、
人生最大の御用だったのだ。

しかし、勿論、それは時彦一人の思い込みである。

筆者なども天地創造からの御縁があって、
この様に『霊界物語学の日記』などをWEB上に公開しているけれども、
果たしてそれが最後まで完結出来るものかどうかは、
常に惟神に任せてある。

何時、何があっても悔いの無い様に、最小限やれることを精一杯やるのみだ。

聖師さんだとて、120巻出す予定だった『霊界物語』を、
八十三冊八十一巻で中座したまま、
遂に完成させずに御昇天なされてしまった。

しかしそのエッセンスは、六十巻で既に書き尽くしてもあるという。

吾々に必要なのは『一を聞いて十を覚る霊覚』である。

霊界物語の拝読は、それを吾々に授けてくれるのだ。

そして真に覚った者は、如何なる困難ありとても、
わが信念を貫徹する為に行動するものである。

この時、注意すべきは、常に一人旅を心がけることで、
誰か他人に認められたいという依頼心を持たぬことである。

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 大八洲彦命は大いに喜び、かつ時彦を招き殿内深く入りたまうた。
殿内には十二の同色同型の立派な神輿(ミコシ)が奉安されてある。
大八洲彦命は正中にある一個の神輿の扉を開き、

 『十一個は各色の玉をもつて充(ミ)たされあり、
  されど見らるる如くこの神輿は空虚なり。
  速(スミ)やかに汝が玉を是に奉安し、ミロクの代(ヨ)のために尽されよ』

と厳命した。この時、時彦は歓天喜地(クワンテンキチ)身のおくところを知らず、
ただちに玉を取出し神輿の中深くこれを納めた。

そこでいよいよ十二の神輿に種々の供へ物を献じ、
荘厳なる祭典がおこなはれた。

ついで十二の神輿はデカタン国の麗しき原野を
神司(カミガミ)らによつて担ぎまはされた。
実に賑(ニギハ)しき得もいはれぬ爽快な祭典であつた。
原野の中心に各自神輿を下し神司(カミガミ)らの休憩を命じたまうた。

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時彦も、もし、このまま騙されきったまま、得々としていられるならば、
それはそれで満足で幸福であったに違いない。

…だが…

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 折から天の一方に妖雲おこり、
たちまち雲中より種々の鮮光があらはれた。
その光景はあたかも花火を数百千ともなく一度に観るやうな壮観であつた。

神司(カミガミ)らは、皆天の一方に心を惹(ヒ)かれて見つめてゐた。
そのあひだに大八洲彦命、大足彦は神輿の位置を変更しておいた。
いづれの神輿も同型同色のものである。

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霊界物語で『一天にわかにかき曇り云々』とある時や、
この様に妖しい雲が現れたりしたら、大概不吉の前兆である。

吾々の日常生活でも、こんなことがある時は、
曲津神が何か企んでいるのであろうけれど、
雷鳴轟き、大雨が降って、途端に周囲が爽やかに晴れて虹が出る様なら、
その不吉も祓い去られたのだ。

…しかし…

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 にはかに天の一方より黒雲おこり雨は地上に滝のごとく降そそいだ。
あまたの神司(カミガミ)は狂気のごとく神輿の中より
各自に黄色の玉を取りだし四方に解散した。

時彦は驚いて吾が奉(タテマツ)れる玉を保護すべく神輿に近づき、
その玉を懐中(フトコロ)に入れむとした。
いづれの者も四方八方に四散して、
宮殿はいつしか荒涼たる原野に化してゐた。

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大雨の混乱に乗じて、この黄金の玉のゆくえが判らなくなる。

ちょうど災害直後の混乱に乗じて略奪などの犯罪が、
パニック的に勃発するのに似ている。

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 時彦は夢に夢見る心地してその玉を取りだし点検した。
こはそも如何(イカ)に、容積において光沢において、少しも変化はない。
されど重量のはなはだ軽きを訝(イブ)かり、
混雑に紛(マギ)れて吾が玉を取換られしやと
歯がみをなして口惜(クチヲ)しがつた。

 このとき空中に声あり、

 『大馬鹿者!』

と叫ぶ。

今まで、大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)と見えしは武熊別(タケクマワケ)の変身であり、
大足彦(オホダルヒコ)以下の正神と見えしは彼が部下の邪神であつた。

アヽいかに信仰厚く、節を守るとも、
時彦のごとく少しにても野心を抱く時は、
ただちに邪神のために誑(タブ)らかされ、
呑臍(ドンゼイ)の悔を遺(ノコ)すことあり。

注意すべきは、執着心と巧妙心である。

 花と見て来たであらうか火取虫

 (大正十年十月二十五日、旧九月二十五日、桜井重雄録)

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ここで時彦に対して『大馬鹿者!』と空中から声があったのは、
時彦へのせめてもの愛の鞭である。

時彦の不覚は明白ではあるけれども、流石の神様も看過するに忍びず、
思わず、この様な声があったのである。

これに似たことは筆者にも何度か体験がある。

しかし、それは主に『霊界物語』を入手する前のことで、
筆者は、神様ごとは大好きであったが、
何か、簡単に不思議を信じないところがあった。

それは『世界平和の祈り』の五井先生の法話集からの教訓に、
日々徹していたからなのだが、
わざとやってはいけなさそうなことをやって、
神様から御注意を受ける様にしていたのだ。

最初は、二十歳の時で、その時のバイト先の店長が、
筆者に対して妙に辛く当る様になったので『世界平和の祈り』をやったら、

「忍耐!」

という文字が、物凄い威厳をもって胸中に閃いて言葉になった。

霊界では言霊はすぐに文字になって現われる。

だから逆に、口に出さなくても文字や活字にすると、
それが言霊となって霊界を一瀉千里に駆け抜けるのだ。

筆者は主にこれを利用して、文字や活字を多用する。

それから言霊ではなく、
雷雨や地震、雷電によって何かのメッセージが贈られることもあるが、
これらも受信する者によって解釈が変わって来る。

それは、各自の因縁や使命の違いによって、内容が変わるのである。

例えば、

「北へ」

と神示があったとする。

ある人は、素直に北に行って幸運をつかみ、
ある人は、素直に北に行って不幸を免れる。
また、ある人は、北に行ったが為に不幸に遭い、贖罪をさせられる。

そうかと思えば、北には行かず、南、東西のいずれかへ、
まるで逆らって行く者も出て来る。

この『大馬鹿者!』も同様で、

これで二度と立ち直れなくなる者もあれば、
有り難うございます!と感謝して、反省し、尚、精進する者もある。

また、その言葉を懐かしい親しみのある声と聞いて喜ぶ者もある。

これらは全て、各自の因縁によるのである。

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第44章 緑毛(リヨクマウ)の亀 (44)

2006年04月02日 23時53分46秒 | Weblog
 亀若(カメワカ)は緑の玉を生命(イノチ)をかけて死守してゐた。
いかなる名誉慾も、物質慾も眼中におかず、
ただこの玉のみを保護することに心魂を凝(コ)らしてゐた。

しかるに亀若は八尋殿(ヤヒロドノ)の酒宴のみぎり竹熊の奸計にかかり、
毒虫を多く腹中に捻込(ネヂコ)まれたのが原因をなして、
身体の健康を害し、病床に臥し全身黄緑色に変じ、
つひに帰幽(キイウ)した。

亀若の妻亀姫(カメヒメ)は、天地に慟哭し、
足辺(アシベ)に腹這(ハラバ)ひ頭辺(カシラベ)に這(ハ)ひまはり、
涕泣(テイキフ)日を久しうした。

その悲しみ泣き叫ぶ声は風のまにまに四方にひびき、
つひには悲風惨雨の絶間なきにいたつた。
この間およそ百日百夜に及んだ。

 この時ガリラヤの海より雲気立ち登り、
妖雲を巻きおこして一種異様の動物現はれ、竜宮城近く進んできた。

異様の動物は、たちまち美(ウル)はしき神人(シンジン)と化した。
そして亀姫の家に亀若の喪(モ)を弔(トムラ)うた。
この者は其の名を高津彦(タカツヒコ)といふ。

亀姫は高津彦を見て大いに喜び、その手を取つて一間に導き、
いろいろの酒肴(サケサカナ)を出して饗応し、かつ、

 『貴下(アナタ)はわが最も愛する亀若ならずや』

と訝(イブ)かり問ふた。高津彦は、

 『われは亀若なり、決して死したるに非(アラ)ず、
  毒の廻(マハ)りし体を捨て、新に健全なる体を持ち、
  汝の前にきたりて偕老同穴(カイラウドウケツ)の契(チギリ)を
  全くせむとすればなり』

と言葉たくみに物語つた。

亀姫は高津彦の顔色といひ、容貌といひ、言葉の色といひ、
その動作にいたるまで亀若に寸毫の差なきを見て、
心底より深くこれを信ずるにいたつた。
ここにふたりは水も洩(モラ)さぬ仲のよき夫婦となつた。

 亀姫は再生の思ひをなし、一旦長き別れと断念した不運の身に、
夫のふたたび蘇生しきたつて鴛鴦(エンアウ)の契を結ぶは
如何(イカ)なる宿世(スグセ)の果報ぞと、
手の舞ひ足の踏むところを知らなかつた。

 夫婦の仲は蜜のごとく漆(ウルシ)のごとく親しかつたが、
ふとしたことより風邪(カゼ)のために高津彦は重い病の床についた。
今まで歓喜に満ちた亀姫の胸は、ふたたび曇らざるを得なかつた。
手を替へ品を換へ看病に尽した。
幾日たつても何の効も見えず、病はだんだん重るばかりである。

このとき高津彦の友の高倉彦(タカクラヒコ)きたりて病床を見舞ひ、
かつ医療の法をすすめた。百草を集め種々の医薬をすすめた。
されど病は依然として重るばかりである。

亀姫の胸は、実に熱鉄(ヤキガネ)を当るごとくであつた。
不思議にも高倉彦の容貌、身長、言語は、亀若に酷似してゐた。
ここに亀姫は、その真偽に迷はざるを得なかつた。
そこで亀姫は、かつ驚き、かつ怪しみ、

 『貴下(アナタ)はいづれより来ませしや』

といぶかり問ふた。高倉彦は、

 『われは竜宮城の神司(カミ)にして、
  亀若のふるくよりの親しかりし美(ウル)はしき友なり』

と答へた。そこで亀姫は、

 『高倉彦の亀若に酷似したまふは如何(イカ)なる理由ぞ』

と反問した。高倉彦は答へて、

 『実際吾は亀若とは双生児(フタゴ)である、
  されどわが父母は世間を憚(ハバカ)り、
  出産とともに他に預けたのである。
  そして亀若と吾とは此の消息を少しも知らず、
  心の親友として幼少のころより交はつてゐた。
  然るにある事情より吾はこの事を感知せしが、
  今ここに病みたまふ亀若は、この真相を御存じないのである。
  われは骨肉の情に惹(ヒ)かれて、同胞の苦しみを見るに忍びず、
  いかにもしてこの病を恢復せしめ
  兄弟睦(ムツマ)じく神業に奉仕せむと焦慮し、神務の余暇を得て、
  ここに病床を訪ねたのである』

とはつきり物語つたので、亀姫の疑ひは全く氷解した。

 高倉彦は、亀姫の信頼ますます加はつてきた。
一方亀若の病気はだんだん重るばかりである。
そこで亀姫はふたたび、

 『夫(ヲツト)の病を救ふ妙術はなきや』

と面色憂ひを含んで高倉彦に相談をした。
そのとき高倉彦は、実に当惑の面持(オモモチ)にて、

 『あゝ気の毒』

と長嘆息をなし、腕を組んで頭を垂れしばしは何の返答もなかつた。
ややあつて思ひ出したやうに高倉彦は喜色を満面にたたへて、

 『その方法たしかにあり』
と飛び立つやうな態度をしながら答へた。
亀姫は顔色にはかに輝き、驚喜して、

 『いかなる神法なりや聞かま欲(ホ)し』

と高倉彦の返辞(ヘンジ)をもどかしがつて待つた。

 高倉彦はわざと落着いて手を洗ひ口嗽(クチスス)ぎ、
天に向つて永らくのあひだ合掌し、
何事か神勅を請ふもののやうであつた。
病床にある亀若はしきりに苦悶の声を発し、既に断末魔の容態である。

亀姫の胸は矢も楯もたまらぬやうになつた。
たとへ自分の生命は失ふとも最愛の夫、
亀若の生命(イノチ)を救はねばおかぬといふ決心である。

一方高倉彦の様子いかにと見れば悠々として天に祈り、
いささかも急ぐ様子がない。
高倉彦はおもむろに祈りを捧げた後、室内に這入(ハイ)つてきた。

このとき亀姫は渇(カハ)きたる者の水を求むるごとくに、
高倉彦の教示や如何(イカ)にと待ち詫びた。

高倉彦はこの様子を見て心中に謀計のあたれるを打ち喜び、
外(ソ)知らぬ顔にて左(サ)も勿体(モツタイ)らしく言葉をかまへていふ、

 『当家には貴重なる緑色の玉が秘蔵されてある。
  この玉を取りだして月の夜に高台を設けてこれを奉安し、
  月の水をこの玉に凝集せしめ、
  その玉より滴(シタタ)る一滴の水を亀若に呑(ノ)ましめなば、
  病癒(イ)えなむとの月読神(ツキヨミノカミ)の神勅なり』

と誠(マコト)しやかに教示した。

亀姫は天の佑(タス)けと喜び勇んで直ちに高台を造り、
その玉を中央に安置した。

その刹那一天たちまち掻(カ)き曇り、黒雲濛々として天地をつつみ、
咫尺(シセキ)を弁ぜざるにいたつた。時しも雲中に黒竜現はれ、
その玉を掴(ツカ)みて西方の天に姿をかくした。

数日を経てこの玉は、竹熊(タケクマ)の手に入つたのである。
今まで夫と思ふてゐた偽(ニセ)の亀若は、にはかに大竜と変じた。

また高倉彦はガリラヤの大なる竈(スツポン)に還元し、
亀姫を後(アト)に残して雲をおこし姿をかくした。

亀姫は地団駄(ヂダンダ)踏んで侮(クヤ)しがり、
精魂(セイコン)凝(コ)つて遂に緑毛(リヨクマウ)の亀と変じ
竜宮海に飛び入つたのである。

亀は万年の齢(ヨハヒ)を保つといふ。

亀若は八尋殿(ヤヒロドノ)の宴会において毒虫を食はせられ、
それがために短命にして世を去つた。

それから亀姫の霊より出でし亀は、衛生に注意して毒虫を食はず、
長寿を保つことになつた。

 (大正十年十月二十五日、旧九月二十五日、加藤明子録)

『音惚花活気好@kakky』的『第44章 緑毛の亀 (44)』分解(上)

2006年04月02日 23時52分12秒 | Weblog
平成十八(2006)年四月二日 旧三月五日(日)

 亀若(カメワカ)は緑の玉を生命(イノチ)をかけて死守してゐた。
いかなる名誉慾も、物質慾も眼中におかず、
ただこの玉のみを保護することに心魂を凝(コ)らしてゐた。

しかるに亀若は八尋殿(ヤヒロドノ)の酒宴のみぎり竹熊の奸計にかかり、
毒虫を多く腹中に捻込(ネヂコ)まれたのが原因をなして、
身体の健康を害し、病床に臥し全身黄緑色に変じ、
つひに帰幽(キイウ)した。

亀若の妻亀姫(カメヒメ)は、天地に慟哭し、
足辺(アシベ)に腹這(ハラバ)ひ頭辺(カシラベ)に這(ハ)ひまはり、
涕泣(テイキフ)日を久しうした。

その悲しみ泣き叫ぶ声は風のまにまに四方にひびき、
つひには悲風惨雨の絶間なきにいたつた。
この間およそ百日百夜に及んだ。

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夫婦は一心同体ということか…

けれども、妻の亀姫は亀若ほどの信念も無く、
夫を失った悲しみばかりが先行して、
夫の遺志を継いで緑の玉を守り抜こうという心になれなかったわけだ。

天国の夫婦ならば、まったく一心同体だから、
こういう場合、夫の遺志を妻が引き継いで、
気丈に緑の玉を守り続けるのだろうけれども、
どうやら亀姫の心は天国には無く、
先に肉体を離れ帰幽した、亀若の霊を思わず、
息を引き取った肉体にばかり執着して、この有り様となったのだ。

これは俗人凡夫と同じ心であるから、
それはそれで人間としての真理を現わしているけれども、
天地を繋ぐ王の妻、即ち、神柱(カムバシラ)の妻には不向きだということになる。

勿論、救いの神様のお情けを受けることにはなるが、
それは俗人凡夫に対する救いであって、
神柱(カムバシラ)のあるべき態度ではない。

誠の道とは、なかなかどうして厳しいものである。

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 この時ガリラヤの海より雲気立ち登り、
妖雲を巻きおこして一種異様の動物現はれ、竜宮城近く進んできた。

異様の動物は、たちまち美(ウル)はしき神人(シンジン)と化した。
そして亀姫の家に亀若の喪(モ)を弔(トムラ)うた。
この者は其の名を高津彦(タカツヒコ)といふ。

亀姫は高津彦を見て大いに喜び、その手を取つて一間に導き、
いろいろの酒肴(サケサカナ)を出して饗応し、かつ、

 『貴下(アナタ)はわが最も愛する亀若ならずや』

と訝(イブ)かり問ふた。高津彦は、

 『われは亀若なり、決して死したるに非(アラ)ず、
  毒の廻(マハ)りし体を捨て、新に健全なる体を持ち、
  汝の前にきたりて偕老同穴(カイラウドウケツ)の契(チギリ)を
  全くせむとすればなり』

と言葉たくみに物語つた。

亀姫は高津彦の顔色といひ、容貌といひ、言葉の色といひ、
その動作にいたるまで亀若に寸毫の差なきを見て、
心底より深くこれを信ずるにいたつた。
ここにふたりは水も洩(モラ)さぬ仲のよき夫婦となつた。

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ガリラヤは聖書にも登場する地名である。

ここに現れた一種異様の動物が、
たちまち美はしき神人高津彦となりながら、
亀姫の前に現れた時には、亀若の再生を偽り、
亀姫もまったくその偽りを信じて夫婦になってしまうが、
それもこれも亀姫の亀若への執着心によるものである。

騙された亀姫は愚かではあるけれども、
凡俗の心としては同情すべきものがあるのは否めない。

しかし、それにしても、既にこれを強固に守ろうとする
本物の亀若がいないにも関わらず、
曲津神(マガツカミ)が亀姫をこの様にして誑かすのは、
一体どういうわけだろう?

一思いに弱り切った亀姫の居城に押し入り、
力づくで緑の玉を奪い取ればいいものを、
流石にそこまで徹底する悪にはなりきれないということか…?

確かにここで亀姫が騙され切ってくれれば、
曲津神は曲津神なりに罪悪感を感じずに緑の玉が奪えるからなのだろうが、
このへんは、弱肉強食的この世の中にもたくさんあることで、
悪徳商法一歩手前の、違法すれすれの商法にも、
少し通ずるものがある感じがするので、
表面上は双方に満足を与えていたとしても、
不正は不正ということを教える為の事例として。
この物語があるのかもしれない。

騙している高津彦ではあっても、騙されている亀姫にしては、
今、騙されていることで満足を得ているのだから、
後で騙されていた事に気づきさえしなければ、
『知らぬが仏』式で、それはそれで幸せなのかもしれない。

例えば現世利益を与えてくれる霊感商法なども、
神柱(カムバシラ)としての深い覚りを与える代わりに、
いろいろな願望成就を実現することで、信者達から寄進を集め、
繁盛したりすることがあるが、これなどもこの例に似ていることだ。

御利益(ゴリヤク)さえあれば、みんながしあわせになれる、
という考え方では、神柱(カムバシラ)としての使命は果たせない。

しかし凡俗は、別に神柱(カムバシラ)になることを望んでいないから、
この辺の”しあわせ”で事足りるわけである。

筆者も『みんなしあわせになれプロジェクト』というのを立ち上げて、
もう25年になるけれども、
この”しあわせ”についての価値観の違いには、
随分と悩まされて来たものだが、
所詮、この価値観の違いばかりは、水と油で、
お互いに弾け合い分離するべきものは分離した方がいいという結論に、
早くから達していたので、無理解な社会に背を向けて生きるだけではなく、
凡俗と交わる時には凡俗らしく、
ケチな”しあわせ”を楽しむことが出来る様になったが、
これも俗世に在る間までのことで、俗世を離れる時が来たら、
さらっと思いを切り替えられる様に、
こうして『霊界物語』から離れない努力を重ねているのだ。

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 亀姫は再生の思ひをなし、一旦長き別れと断念した不運の身に、
夫のふたたび蘇生しきたつて鴛鴦(エンアウ)の契を結ぶは
如何(イカ)なる宿世(スグセ)の果報ぞと、
手の舞ひ足の踏むところを知らなかつた。

 夫婦の仲は蜜のごとく漆(ウルシ)のごとく親しかつたが、
ふとしたことより風邪(カゼ)のために高津彦は重い病の床についた。
今まで歓喜に満ちた亀姫の胸は、ふたたび曇らざるを得なかつた。
手を替へ品を換へ看病に尽した。
幾日たつても何の効も見えず、病はだんだん重るばかりである。

このとき高津彦の友の高倉彦(タカクラヒコ)きたりて病床を見舞ひ、
かつ医療の法をすすめた。百草を集め種々の医薬をすすめた。
されど病は依然として重るばかりである。

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こういうことを『因果は廻る風車』というのだろう…

仏教的に云うと因縁因果が廻るカルマ生ということで、
これも輪廻の一種である。

亀姫は、やはり根が神柱(カムバシラ)の妻となるべき身魂だからこそ、
この様なカルマを背負うことになるのだ。

亀姫が亀若に執着し続ける限り、このカルマが消えることはない。

それで、亀若を失った時と同じ非運が、再び廻って来て、
その心を鍛えられることになるのである。

このカルマとかキリスト教的『原罪』は、
王仁三郎聖師によって消滅したのだから、
『現代にはカルマとか原罪は無いのだ』と言い切る求道者もあって、
なかなか取り上げ難い話ではあるけれども、筆者は敢えて、
これがカルマの法則について説いているのであることを喝破する。

こういう苦集滅道を説くのが、弥勒胎蔵経の使命の一つなのだ。

そして、これがあって、許しと救いや贖罪が意味を持って来るのであり、
日々の天津祝詞の重要性が問われることになるのである。

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亀姫の胸は、実に熱鉄(ヤキガネ)を当るごとくであつた。
不思議にも高倉彦の容貌、身長、言語は、亀若に酷似してゐた。
ここに亀姫は、その真偽に迷はざるを得なかつた。

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ここまで来て、亀姫は初めて、
高倉彦が亀若にそっくりなのを観て怪しむことになる。

ただ、それが高津彦にまでは及ばないのが、
亀姫の女としての哀しさである。

しかし、その一方で、天国では、
似た者同志が集まってコロニーを作るので、
男女の差別なく、皆が双児の様によく似ているそうだ。

それでも容貌の酷似はあっても、それは霊界であるから、
ちゃんとその個性が判る様になっているのである。

例えば、双児同志には、お互いの相違点がよく判るが、
それを外から観るとよくわからない。

また黄色人種同志なら、日本人、朝鮮人、中国人の違いが判るけれども、
白人や黒人からは、どれも見分けがつけにくい。

同様に、吾々黄色人種からは、
白人同志や黒人同志を区別するのは難しいが、
彼等同志では民族の違いは明確で、
白人同志や黒人同志が、民族の違いが原因で殺し合いをする。

ただし、ここでは曲津神達が亀姫を騙すために、
亀若に化けて来ているのだから、
霊界物語的に真偽を見抜くには、よほどの眼力が必要である。

例えば、筆者も二十歳の時に忘れられない恋をしたが、
今でもその娘に似た娘は他にいないかと探しはするけれど、
決してそんな娘には出会うことが無い。

ちょっとくらい似ている娘はいくらでもいるし、
場合によっては、似ている娘の方が美人でスタイルも好くて、
性格もいいのではないか?と思えることもよくあるが、
だからといって、簡単に似ている娘に思いを移すことは出来ない。

全く別の娘だと思えなければ、オリジナルのイメージが被って来て、
妙な気分になり、比較が始まってしまい、とても一途な恋にはならない。

それを考えると、亀姫の亀若に対する思いというのが、
なんだか筆者には疑わしくさえ思えて来るのだ。

けれども『夢』の中では、容貌が少々違っていても、
それが誰だか瞬時に判り、それを疑わなかったりするから、
そういうことを考えれば、亀姫が騙されることと、
霊的に相手を信じてしまうことは紙一重だということが出来るので、

『見ると”やる”とは大違い』

ということも肝に命じて、常に、信仰によって、
惟神の道を進む以外に無いのが吾々の立場なのだ。

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『音惚花活気好@kakky』的『第44章 緑毛の亀 (44)』分解(下)

2006年04月02日 23時51分01秒 | Weblog
そこで亀姫は、かつ驚き、かつ怪しみ、

 『貴下(アナタ)はいづれより来ませしや』

といぶかり問ふた。高倉彦は、

 『われは竜宮城の神司(カミ)にして、
  亀若のふるくよりの親しかりし美(ウル)はしき友なり』

と答へた。そこで亀姫は、

 『高倉彦の亀若に酷似したまふは如何(イカ)なる理由ぞ』

と反問した。高倉彦は答へて、

 『実際吾は亀若とは双生児(フタゴ)である、
  されどわが父母は世間を憚(ハバカ)り、
  出産とともに他に預けたのである。
  そして亀若と吾とは此の消息を少しも知らず、
  心の親友として幼少のころより交はつてゐた。
  然るにある事情より吾はこの事を感知せしが、
  今ここに病みたまふ亀若は、この真相を御存じないのである。
  われは骨肉の情に惹(ヒ)かれて、同胞の苦しみを見るに忍びず、
  いかにもしてこの病を恢復せしめ
  兄弟睦(ムツマ)じく神業に奉仕せむと焦慮し、神務の余暇を得て、
  ここに病床を訪ねたのである』

とはつきり物語つたので、亀姫の疑ひは全く氷解した。

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…と、この一言で、
亀姫がすぐに高倉彦を信じてしまうあたり、なんとも憎めない。

つまり亀姫は人がいいのだ。

人が悪いよりはマシなのかもしれない…

それにしても気になるのは、高倉彦という名前だ。

『霊界物語』には、後に旭、高倉、という二匹の白狐神が登場し、
この二匹が合体して月日明神になったりして、
様々な身代わり変身をして、正神達を助けることになる。

果たして、ここで曲津神として働いた高倉彦と何か関係があるのだろうか?

悪が反って善になったり、善が反って悪になったり、
いろいろと霊界の神秘は興味深いものがある。

この偽者というのは、戦国時代の影武者のようなものだが、
世界中でも、映像技術が未発達の頃は、
この影武者や身代わりが、政略、軍略によく使われたということだが、
そういうこととも関係があるのだろうか?

例えば、双児といえば、イエス・キリスト双児説というのもある。

十字架で死んだイエスは偽者で、双児の弟であるとかいうのもあり、
本物はパレスチナの地から逃げ去り、
日本に渡来して青森で果てたという説もあり、
戦前に随分話題になり、また戦後もその説は生き続け、
筆者も神様の道に入ったばかりの頃、『キリストは日本で死んでいる』
という本を夢中になって読んだことがあるが、
出口王仁三郎聖師は、これをキッパリと否定していて、

「あれはキリストの弟である」

と言い残しておられる。

イエスに兄弟がいたのは、新約聖書にも明らかであるが、
王仁三郎聖師にも、父親違いの弟妹がたくさんいる。

最近でも、いろんな替え玉説が歴史の闇にはあるようだが、
こういうことの専門家は他にたくさんいるので、
そちらにお任せするとして、こちらは次に進もう。

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 高倉彦は、亀姫の信頼ますます加はつてきた。
一方亀若の病気はだんだん重るばかりである。
そこで亀姫はふたたび、

 『夫(ヲツト)の病を救ふ妙術はなきや』

と面色憂ひを含んで高倉彦に相談をした。
そのとき高倉彦は、実に当惑の面持(オモモチ)にて、

 『あゝ気の毒』

と長嘆息をなし、腕を組んで頭を垂れしばしは何の返答もなかつた。
ややあつて思ひ出したやうに高倉彦は喜色を満面にたたへて、

 『その方法たしかにあり』

と飛び立つやうな態度をしながら答へた。
亀姫は顔色にはかに輝き、驚喜して、

 『いかなる神法なりや聞かま欲(ホ)し』

と高倉彦の返辞(ヘンジ)をもどかしがつて待つた。

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高倉彦はなかなかの役者だ。

すぐに亀姫の問いに答えればいいのに、
白々しくもいちいち深く考えてから、今、閃いた様に答える。

こういうもっともらしい振る舞いに、ますます亀姫は騙されていくわけだ。

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 高倉彦はわざと落着いて手を洗ひ口嗽(クチスス)ぎ、
天に向つて永らくのあひだ合掌し、
何事か神勅を請ふもののやうであつた。
病床にある亀若はしきりに苦悶の声を発し、既に断末魔の容態である。

亀姫の胸は矢も楯もたまらぬやうになつた。
たとへ自分の生命は失ふとも最愛の夫、
亀若の生命(イノチ)を救はねばおかぬといふ決心である。

一方高倉彦の様子いかにと見れば悠々として天に祈り、
いささかも急ぐ様子がない。
高倉彦はおもむろに祈りを捧げた後、室内に這入(ハイ)つてきた。

このとき亀姫は渇(カハ)きたる者の水を求むるごとくに、
高倉彦の教示や如何(イカ)にと待ち詫びた。

高倉彦はこの様子を見て心中に謀計のあたれるを打ち喜び、
外(ソ)知らぬ顔にて左(サ)も勿体(モツタイ)らしく言葉をかまへていふ、

 『当家には貴重なる緑色の玉が秘蔵されてある。
  この玉を取りだして月の夜に高台を設けてこれを奉安し、
  月の水をこの玉に凝集せしめ、
  その玉より滴(シタタ)る一滴の水を亀若に呑(ノ)ましめなば、
  病癒(イ)えなむとの月読神(ツキヨミノカミ)の神勅なり』

と誠(マコト)しやかに教示した。

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こういう筋書きが高津彦と高倉彦の間に既に出来上がっていて、
亀若になりきった高津彦はわざと断末魔の容態を演じてみせ、
その傍で、もっともらしく高倉彦が神勅を乞うふりをする。

昔あった稲荷下げなどの民間信仰などにも、
こういうインチキ霊能者がたくさんいた様で、
出口王仁三郎聖師こと上田喜三郎が、
修行時代に随分見破って歩いたそうだ。

そんな王仁三郎聖師だったので、
後はまともに病気治しの儀式をしなくなり、
信者が拝む方へ足の裏を向けて寝ていたり、
信者が来てくれという家に、
聖師が着くはるか前から悪霊が逃げてしまい、
聖師が着いた頃には、霊障で病に苦しんでいた様な患者が、
ケロリと治ってしまう様になってしまったそうだ。

どちらかというと、本物の霊覚者というものはそういうもので、
いちいち儀式めいたことをする前に、すべてを浄化してしまう。

後で、信者達が納得し易い様に、儀式の真似事をしたりする。

故に、こんな風に、もっともらしく儀式をやって、
何も知らない者をその気にさせる様なのは要注意だと思った方が好い。

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亀姫は天の佑(タス)けと喜び勇んで直ちに高台を造り、
その玉を中央に安置した。

その刹那一天たちまち掻(カ)き曇り、黒雲濛々として天地をつつみ、
咫尺(シセキ)を弁ぜざるにいたつた。

時しも雲中に黒竜現はれ、
その玉を掴(ツカ)みて西方の天に姿をかくした。

数日を経てこの玉は、竹熊(タケクマ)の手に入つたのである。
今まで夫と思ふてゐた偽(ニセ)の亀若は、にはかに大竜と変じた。

また高倉彦はガリラヤの大なる竈(スツポン)に還元し、
亀姫を後(アト)に残して雲をおこし姿をかくした。

亀姫は地団駄(ヂダンダ)踏んで侮(クヤ)しがり、
精魂(セイコン)凝(コ)つて遂に緑毛(リヨクマウ)の亀と変じ
竜宮海に飛び入つたのである。

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こう書いてあると、何だかおとぎ話の様で本気で読んでいられないが、
仏教では、成仏出来ずに死んだ者は、
死後他の生き物に輪廻転生することがあると説いているそうだから、
それを信じているのなら、辻褄が合わない物語ではない。

逆に、畜生道での修行を終えて人間に再生して来る者もあり、
人間の修行を終えて神仏に昇華する者もあり。

神になれずに緑毛の亀になったという亀姫こそは哀れなものだが、
確か浦島太郎に助けられ、恩返しに竜宮城に連れて行った亀も、
緑毛の亀だったはず…

そんなことを考え合わせると、馬鹿らしい話の様だが、
実は深い意味を持った物語なのだ。

一方、亀若に化けていた高津彦は大竜に変じ、
高倉彦はガリラヤの大なる鼈に還元したというのだから、
妙な話だが、どちらも畜生霊である。

残念ながら高倉彦と白狐の高倉とは別物の様だが、
その働きから考えて、何の因縁も無いとは言い切れまい。

どちらも畜生道であるから、輪廻の中で活動しているのだろう。


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亀は万年の齢(ヨハヒ)を保つといふ。

亀若は八尋殿(ヤヒロドノ)の宴会において毒虫を食はせられ、
それがために短命にして世を去つた。

それから亀姫の霊より出でし亀は、衛生に注意して毒虫を食はず、
長寿を保つことになつた。

 (大正十年十月二十五日、旧九月二十五日、加藤明子録)

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日本では鶴も亀も縁起物で尊ばれているのに、
『霊界物語』でこんなことを知らされたら、
なんだか鶴も亀も有り難みがなくなってしまうが、
『霊界物語』の本質からしたら、これでよいのだ。

何故なら、人間の精霊は、
主神からその神格を分け与えられているもので、
鶴や亀よりも尊い神の子なのだからである。

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