神界における神々の御服装につき、
大略を述べておく必要があらうと思ふ。
一々神々の御服装に関して口述するのは大変に手間どるから、
概括的に述ぶれば、国治立命(クニハルタチノミコト)のごとき高貴の神は、
たいてい絹物にして、上衣(ウハギ)は紫の無地で、下衣(シタギ)が純白で、
中の衣服が紅(クレナイ)の色の無地である。
国大立命(クニヒロタチノミコト)は青色の無地の上衣に、中衣(ナカギ)は赤色(セキシヨク)、
下衣は白色の無地。
稚桜姫命(ワカザクラヒメノミコト)は、上衣は水色に種々の美(ウル)はしき模様があり、
たいていは上中下とも松や梅の模様のついた
十二単衣(ジフニヒトエ)の御服装である。
天使大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)、大足彦(オホダルヒコ)のごときは、
上衣は黒色の無地に、中衣は赤色、下衣は白色の無地の絹の服である。
その他の神将は位によつて、
青、赤、緋(ヒ)、水色、白、黄、紺(コン)等、
いづれも無地服で、絹、麻、木綿等に区別されてゐる。
冠(カムリ)もいろいろ形があつて纓(エイ)の長短があり、
八王八頭神(ヤツワウヤツガシラガミ)以上の神々に用ゐられ、
それ以下の神司(カミガミ)は烏帽子(エボシ)を冠(カブ)り、
直衣(ヒタタレ)、狩衣(カリギヌ)。
婦神(フシン)はたいてい明衣(ミヤウエ)であつて、
青、赤、黄、白、紫などの色を用ゐられ、袴も色々と五色に分れてゐる。
また神将は闕腋(ケツテキ)に冠をつけ、残らず黒色の服である。
神卒(シンソツ)は一の字の笠を頭に戴き、裾を短くからげ、
手首、足首には紫の紐をもつて結び、
実に凛々(リリ)しき姿をしてをらるるのである。
委(クハ)しく述ぶれば際限がないが、
いま述べたのは国治立命が御隠退遊ばす以前の神々の御服装の大略である。
星移り、月換(カハ)るにつれ、神界の御服装はおひおひ変化し来たり、
現界の人々の礼装に酷似せる神服を纒(マト)はるる神司(カミ)も沢山に現はれ、
神使の最下たる八百万(ヤホヨロヅ)の金神(コンジン)天狗界にては、
今日流行の種々の服装で活動さるるやうになつてをる。
また邪神界でもおのおの階級に応じて、
大神(オホカミ)と同一の服装を着用して化けてをるので、
霊眼で見ても一見その正邪に迷ふことがある。
ただ至善の神々は、
その御神体の包羅(ハウラ)せる霊衣(レイイ)は非常に厚くして、
かつ光沢強く眼を射るばかりなるに反し、邪神はその霊衣はなはだ薄くして、
光沢なきをもつて正邪を判別するぐらゐである。
しかるに八王大神(ヤツワウダイジン)とか、常世姫(トコヨヒメ)のごときは、
正神界の神々のごとく、霊衣も比較的に厚く、
また相当の光沢を有してをるので、一見してその判別に苦しむことがある。
また自分が幽界を探険した時にも、
種々の色の服を着けてゐる精霊を目撃した。
これは罪の軽重によつて、色が別れてゐるのである。
しかし幽界にも亡者ばかりの霊魂がをるのではない。
現界に立働いてゐる生た人間の精霊も、
やはり幽界に霊籍をおいてをるものがある。
これらの人間は現界においても、幽界の苦痛が影響して、
日夜悲惨な生活を続けてをるものである。
これらの苦痛を免(マヌガ)るる方法は、現体のある間に神を信仰し、
善事を行ひ万民を助け、能(アタ)ふかぎりの社会的奉仕を務めて、
神の御恵(ミメグミ)を受け、その罪を洗ひ清めておかねばならぬ。
さて現界に生きてゐる人間の精霊を見ると、
現人(ゲンジン)と同形の幽体を持つてゐるが、亡者の精霊に比べると、
一見して生者と亡者の精霊の区別が、判然とついてくるものである。
生者の幽体〈精霊〉は、円(マル)い霊衣を身体一面に被(カブ)つてゐるが、
亡者の幽体は頭部は山形に尖り、三角形の霊衣を纒(マト)うてをる。
それも腰から上のみ霊衣を着し、腰以下には霊衣はない。
幽霊には足がないと俗間にいふのも、この理に基づくものである。
また徳高きものの精霊は、その霊衣きはめて厚く、大きく、
光沢強くして人を射るごとく、かつ、よく人を統御する能力を持つてゐる。
現代はかくの如き霊衣の立派な人間がすくないので、
大人物といはるるものができない。
現代の人間はおひおひと霊衣が薄くなり、光沢は放射することなく、
あたかも邪神界の精霊の着てをる霊衣のごとく、
少しの権威もないやうになつて破れてをる。
大病人などを見ると、その霊衣は最も薄くなり、
頭部の霊衣は、やや山形になりかけてをるのも、
今まで沢山に見たことがある。
いつも大病人を見舞ふたびに、
その霊衣の厚薄(コウハク)と円角(エンカク)の程度によつて判断をくだすのであるが、
百発百中である。
なにほど名医が匙(サジ)を投げた大病人でも、その霊衣を見て、
厚くかつ光が存してをれば、その病人はかならず全快するのである。
これに反して天下の名医や、博士が、
生命(イノチ)は大丈夫だと断定した病人でも、その霊衣がやや三角形を呈したり、
紙のごとく薄くなつてゐたら、その病人は必ず死んでしまふものである。
ゆゑに神徳ある人が鎮魂(チンコン)を拝授し、大神(オホカミ)に謝罪し、
天津祝詞(アマツノリト)の言霊(ゲンレイ)を円満清朗に奏上したならば、
たちまちその霊衣は厚さを増し、三角形は円形に立直り、
死亡を免(マヌガ)れるものである。
かくして救はれたる人は、神の大恩を忘れたときにおいて、
たちまち霊衣を神界より剥(ハ)ぎとられ、ただちに幽界に送られるものである。
自分は数多(アマタ)の人に接してより、第一にこの霊衣の厚薄を調べてみるが、
信仰の徳によつて漸次にその厚みを加へ、
身体ますます強壮になつた人もあり、
また神に反対したり、人の妨害をしたりなどして、天授の霊衣を薄くし、
中には円相がやや山形に変化しつつある人も沢山実見した。
自分はさういふ人にむかつて、色々と親切に信仰の道を説いた。
されどそんな人にかぎつて神の道を疑ひ、
かへつて親切に思つて忠告すると心をひがまし、
逆にとつて大反対をするのが多いものである。
これを思へばどうしても霊魂(ミタマ)の因縁性来(シヤウライ)といふものは、
如何(イカン)ともすることが出来ないものとつくづく思ひます。
○
大国治立尊(オホクニハルタチノミコト)と申し上げるときは、
大宇宙一切を御守護遊ばすときの御神名であり、
単に国治立尊(クニハルタチノミコト)と申し上げるときは、
大地球上の神霊界を守護さるるときの御神名である。
自分の口述中に二種の名称があるのは、この神理に基づいたものである。
また神様が人間姿となつて御活動になつたその始めは、
国大立命(クニヒロタチノミコト)、稚桜姫命(ワカザクラヒメノミコト)が最初であり、
稚桜姫命は日月の精を吸引し、
国祖(コクソ)の神(カミ)が気吹(イブキ)によつて生れたまひ、
国大立命は月の精より生れ出でたまうた人間姿(ニンゲンスガタ)の神様である。
それよりおひおひ神々(カミガミ)の水火(イキ)によりて生れたまひし神系と、
また天足彦(アダルヒコ)、胞場姫(エバヒメ)の人間の祖より生れいでたる人間との、
二種に区別があり、神の直接の水火より生れたる直系の人間と、
天足彦、胞場姫の系統より生れいでたる人間とは、
その性質において大変な相違がある。
天足彦、胞場姫といへども、元は大神(オホカミ)の直系より生れたのであれども、
世の初発にあたり、神命に背きたるその体主霊従(タイシユレイジユウ)の罪によつて、
人間に差別が自然にできたのである。
されども何れの人種も、今日は九分九厘まで、みな体主霊従、
尊体卑心(ソンタイヒシン)の身魂(ミタマ)に堕落してゐるのであつて、
今日のところ神界より見たまふときは、甲乙を判別なし難く、
つひに人種平等の至当なるを叫ばるるに立いたつたのである。
○
盤古大神塩長彦(バンコダイジンシホナガヒコ)は日(ヒ)の大神(オホカミ)の直系にして、
太陽界より降誕したる神人(カミ)である。
日の大神の伊邪那岐命(イザナギノミコト)の御油断によりて、
手の俣(マタ)より潜(クグ)り出で、
現今の支那の北方に降りたる温厚無比の正神である。
また大自在天神大国彦(ダイジザイテンジンオホクニヒコ)は、
天王星(テンワウセイ)より地上に降臨したる豪勇の神人(カミ)である。
いづれもみな善神界の尊き神人(カミ)であつたが、
地上に永住されて永き歳月を経過するにしたがひ、
天足彦(アダルヒコ)、胞場姫(エバヒメ)の天命に背反せる結果、
体主霊従の妖気地上に充満し、
つひにはその妖気邪霊の悪竜、悪狐、邪鬼のために、
いつとなく憑依(ヒヨウイ)されたまひて、
悪神の行動を自然に採りたまふこととなつた。
それより地上の世界は混濁し、汚穢(ヲエ)の気みなぎり、
悪鬼羅刹の跛扈跳梁(バツコテウリヤウ)をたくましうする
俗悪世界と化してしまつた。
八王大神常世彦(ヤツワウダイジントコヨヒコ)は、
盤古大神の水火より出生したる神にして、常世(トコヨ)の国(クニ)に霊魂を留め、
常世姫(トコヨヒメ)は稚桜姫命(ワカザクラヒメノミコト)の娘にして、
八王大神の妃(キサキ)となり、八王大神の霊に感合し、
つひには八王大神以上の悪辣なる手段を用ゐ、
世界を我意のままに統轄せむとし、車輪の暴動を継続しつつ、
その霊はなほ現代にいたるも常世の国にとどまつて、
体主霊従的世界経綸(ケイリン)の策を計画してをる。
ゆゑに常世姫の霊の憑依せる国の守護神は、
今になほその意志を実行せむと企ててをる。
八王大神常世彦には天足彦(アダルヒコ)、胞場姫(エバヒメ)の霊より生れたる
八頭八尾(ヤツガシラヤツヲ)の大蛇(オロチ)が憑依(ヒヨウイ)してこれを守護し、
常世姫には金毛九尾白面(キンマウキユウビハクメン)の悪狐憑依してこれを守護し、
大自在天(ダイジザイテン)には、六面八臀(ロクメンハツピ)の邪気憑依してこれを守護し、
ここに艮(ウシトラ)の金神(コンジン)国治立命(クニハルタチノミコト)の神系と
盤古大神(バンコダイジン)の系統と、大自在天(ダイジザイテン)の系統とが、
地上の霊界において三(ミ)つ巴(ドモエ)になつて
大活劇を演ぜらるるといふ霊界の珍しき物語である。
自分はここまで口述したとき、
何心なくかたはらに散乱せる大正日日新聞(タイシヨウニチニチシンブン)に眼をそそぐと、
今日はあたかも大正十年陰暦十月十日午前十時であることに気がついた。
霊界物語第二巻の口述ををはつた今日の吉日は、
松雲閣(シヨウウンカク)において御三体の大神様を始めて
新しき神床(カムドコ)に鎮祭することとなつてゐた。
これも何かの神界の御経綸の一端と思へば思へぬこともない。
ついでに第三巻には、盤古大神(バンコダイジン)〈塩長彦(シホナガヒコ)〉、
大自在天(ダイジザイテン)〈大国彦(オホクニヒコ)〉、
艮能金神(ウシトラノコンジン)〈国治立命(クニハルタチノミコト)〉
三神系の紛糾的経緯の大略を述べ、国祖の御隠退までの世界の状況、
神々の驚天動地の大活動を略述する考へであります。
読者諸氏の幸に御熟読あつて、それが霊界探求の一端ともならば、
口述者の目的は達せらるる次第であります。
アゝ惟神霊幸倍坐世(カムナガラタマチハヘマセ)
大正十年旧十月十日、午前十時十分
於松雲閣、口述者識
【註】
本巻において、国治立命(クニハルタチノミコト)、豊国姫命(トヨクニヒメノミコト)、
国大立命(クニヒロタチノミコト)、稚桜姫命(ワカザクラヒメノミコト)、
木花姫命(コノハナヒメノミコト)とあるは、神界の命により仮称したものであります。
しかし真の御神名は読んで見れば自然に判明することと思ひます。
大略を述べておく必要があらうと思ふ。
一々神々の御服装に関して口述するのは大変に手間どるから、
概括的に述ぶれば、国治立命(クニハルタチノミコト)のごとき高貴の神は、
たいてい絹物にして、上衣(ウハギ)は紫の無地で、下衣(シタギ)が純白で、
中の衣服が紅(クレナイ)の色の無地である。
国大立命(クニヒロタチノミコト)は青色の無地の上衣に、中衣(ナカギ)は赤色(セキシヨク)、
下衣は白色の無地。
稚桜姫命(ワカザクラヒメノミコト)は、上衣は水色に種々の美(ウル)はしき模様があり、
たいていは上中下とも松や梅の模様のついた
十二単衣(ジフニヒトエ)の御服装である。
天使大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)、大足彦(オホダルヒコ)のごときは、
上衣は黒色の無地に、中衣は赤色、下衣は白色の無地の絹の服である。
その他の神将は位によつて、
青、赤、緋(ヒ)、水色、白、黄、紺(コン)等、
いづれも無地服で、絹、麻、木綿等に区別されてゐる。
冠(カムリ)もいろいろ形があつて纓(エイ)の長短があり、
八王八頭神(ヤツワウヤツガシラガミ)以上の神々に用ゐられ、
それ以下の神司(カミガミ)は烏帽子(エボシ)を冠(カブ)り、
直衣(ヒタタレ)、狩衣(カリギヌ)。
婦神(フシン)はたいてい明衣(ミヤウエ)であつて、
青、赤、黄、白、紫などの色を用ゐられ、袴も色々と五色に分れてゐる。
また神将は闕腋(ケツテキ)に冠をつけ、残らず黒色の服である。
神卒(シンソツ)は一の字の笠を頭に戴き、裾を短くからげ、
手首、足首には紫の紐をもつて結び、
実に凛々(リリ)しき姿をしてをらるるのである。
委(クハ)しく述ぶれば際限がないが、
いま述べたのは国治立命が御隠退遊ばす以前の神々の御服装の大略である。
星移り、月換(カハ)るにつれ、神界の御服装はおひおひ変化し来たり、
現界の人々の礼装に酷似せる神服を纒(マト)はるる神司(カミ)も沢山に現はれ、
神使の最下たる八百万(ヤホヨロヅ)の金神(コンジン)天狗界にては、
今日流行の種々の服装で活動さるるやうになつてをる。
また邪神界でもおのおの階級に応じて、
大神(オホカミ)と同一の服装を着用して化けてをるので、
霊眼で見ても一見その正邪に迷ふことがある。
ただ至善の神々は、
その御神体の包羅(ハウラ)せる霊衣(レイイ)は非常に厚くして、
かつ光沢強く眼を射るばかりなるに反し、邪神はその霊衣はなはだ薄くして、
光沢なきをもつて正邪を判別するぐらゐである。
しかるに八王大神(ヤツワウダイジン)とか、常世姫(トコヨヒメ)のごときは、
正神界の神々のごとく、霊衣も比較的に厚く、
また相当の光沢を有してをるので、一見してその判別に苦しむことがある。
また自分が幽界を探険した時にも、
種々の色の服を着けてゐる精霊を目撃した。
これは罪の軽重によつて、色が別れてゐるのである。
しかし幽界にも亡者ばかりの霊魂がをるのではない。
現界に立働いてゐる生た人間の精霊も、
やはり幽界に霊籍をおいてをるものがある。
これらの人間は現界においても、幽界の苦痛が影響して、
日夜悲惨な生活を続けてをるものである。
これらの苦痛を免(マヌガ)るる方法は、現体のある間に神を信仰し、
善事を行ひ万民を助け、能(アタ)ふかぎりの社会的奉仕を務めて、
神の御恵(ミメグミ)を受け、その罪を洗ひ清めておかねばならぬ。
さて現界に生きてゐる人間の精霊を見ると、
現人(ゲンジン)と同形の幽体を持つてゐるが、亡者の精霊に比べると、
一見して生者と亡者の精霊の区別が、判然とついてくるものである。
生者の幽体〈精霊〉は、円(マル)い霊衣を身体一面に被(カブ)つてゐるが、
亡者の幽体は頭部は山形に尖り、三角形の霊衣を纒(マト)うてをる。
それも腰から上のみ霊衣を着し、腰以下には霊衣はない。
幽霊には足がないと俗間にいふのも、この理に基づくものである。
また徳高きものの精霊は、その霊衣きはめて厚く、大きく、
光沢強くして人を射るごとく、かつ、よく人を統御する能力を持つてゐる。
現代はかくの如き霊衣の立派な人間がすくないので、
大人物といはるるものができない。
現代の人間はおひおひと霊衣が薄くなり、光沢は放射することなく、
あたかも邪神界の精霊の着てをる霊衣のごとく、
少しの権威もないやうになつて破れてをる。
大病人などを見ると、その霊衣は最も薄くなり、
頭部の霊衣は、やや山形になりかけてをるのも、
今まで沢山に見たことがある。
いつも大病人を見舞ふたびに、
その霊衣の厚薄(コウハク)と円角(エンカク)の程度によつて判断をくだすのであるが、
百発百中である。
なにほど名医が匙(サジ)を投げた大病人でも、その霊衣を見て、
厚くかつ光が存してをれば、その病人はかならず全快するのである。
これに反して天下の名医や、博士が、
生命(イノチ)は大丈夫だと断定した病人でも、その霊衣がやや三角形を呈したり、
紙のごとく薄くなつてゐたら、その病人は必ず死んでしまふものである。
ゆゑに神徳ある人が鎮魂(チンコン)を拝授し、大神(オホカミ)に謝罪し、
天津祝詞(アマツノリト)の言霊(ゲンレイ)を円満清朗に奏上したならば、
たちまちその霊衣は厚さを増し、三角形は円形に立直り、
死亡を免(マヌガ)れるものである。
かくして救はれたる人は、神の大恩を忘れたときにおいて、
たちまち霊衣を神界より剥(ハ)ぎとられ、ただちに幽界に送られるものである。
自分は数多(アマタ)の人に接してより、第一にこの霊衣の厚薄を調べてみるが、
信仰の徳によつて漸次にその厚みを加へ、
身体ますます強壮になつた人もあり、
また神に反対したり、人の妨害をしたりなどして、天授の霊衣を薄くし、
中には円相がやや山形に変化しつつある人も沢山実見した。
自分はさういふ人にむかつて、色々と親切に信仰の道を説いた。
されどそんな人にかぎつて神の道を疑ひ、
かへつて親切に思つて忠告すると心をひがまし、
逆にとつて大反対をするのが多いものである。
これを思へばどうしても霊魂(ミタマ)の因縁性来(シヤウライ)といふものは、
如何(イカン)ともすることが出来ないものとつくづく思ひます。
○
大国治立尊(オホクニハルタチノミコト)と申し上げるときは、
大宇宙一切を御守護遊ばすときの御神名であり、
単に国治立尊(クニハルタチノミコト)と申し上げるときは、
大地球上の神霊界を守護さるるときの御神名である。
自分の口述中に二種の名称があるのは、この神理に基づいたものである。
また神様が人間姿となつて御活動になつたその始めは、
国大立命(クニヒロタチノミコト)、稚桜姫命(ワカザクラヒメノミコト)が最初であり、
稚桜姫命は日月の精を吸引し、
国祖(コクソ)の神(カミ)が気吹(イブキ)によつて生れたまひ、
国大立命は月の精より生れ出でたまうた人間姿(ニンゲンスガタ)の神様である。
それよりおひおひ神々(カミガミ)の水火(イキ)によりて生れたまひし神系と、
また天足彦(アダルヒコ)、胞場姫(エバヒメ)の人間の祖より生れいでたる人間との、
二種に区別があり、神の直接の水火より生れたる直系の人間と、
天足彦、胞場姫の系統より生れいでたる人間とは、
その性質において大変な相違がある。
天足彦、胞場姫といへども、元は大神(オホカミ)の直系より生れたのであれども、
世の初発にあたり、神命に背きたるその体主霊従(タイシユレイジユウ)の罪によつて、
人間に差別が自然にできたのである。
されども何れの人種も、今日は九分九厘まで、みな体主霊従、
尊体卑心(ソンタイヒシン)の身魂(ミタマ)に堕落してゐるのであつて、
今日のところ神界より見たまふときは、甲乙を判別なし難く、
つひに人種平等の至当なるを叫ばるるに立いたつたのである。
○
盤古大神塩長彦(バンコダイジンシホナガヒコ)は日(ヒ)の大神(オホカミ)の直系にして、
太陽界より降誕したる神人(カミ)である。
日の大神の伊邪那岐命(イザナギノミコト)の御油断によりて、
手の俣(マタ)より潜(クグ)り出で、
現今の支那の北方に降りたる温厚無比の正神である。
また大自在天神大国彦(ダイジザイテンジンオホクニヒコ)は、
天王星(テンワウセイ)より地上に降臨したる豪勇の神人(カミ)である。
いづれもみな善神界の尊き神人(カミ)であつたが、
地上に永住されて永き歳月を経過するにしたがひ、
天足彦(アダルヒコ)、胞場姫(エバヒメ)の天命に背反せる結果、
体主霊従の妖気地上に充満し、
つひにはその妖気邪霊の悪竜、悪狐、邪鬼のために、
いつとなく憑依(ヒヨウイ)されたまひて、
悪神の行動を自然に採りたまふこととなつた。
それより地上の世界は混濁し、汚穢(ヲエ)の気みなぎり、
悪鬼羅刹の跛扈跳梁(バツコテウリヤウ)をたくましうする
俗悪世界と化してしまつた。
八王大神常世彦(ヤツワウダイジントコヨヒコ)は、
盤古大神の水火より出生したる神にして、常世(トコヨ)の国(クニ)に霊魂を留め、
常世姫(トコヨヒメ)は稚桜姫命(ワカザクラヒメノミコト)の娘にして、
八王大神の妃(キサキ)となり、八王大神の霊に感合し、
つひには八王大神以上の悪辣なる手段を用ゐ、
世界を我意のままに統轄せむとし、車輪の暴動を継続しつつ、
その霊はなほ現代にいたるも常世の国にとどまつて、
体主霊従的世界経綸(ケイリン)の策を計画してをる。
ゆゑに常世姫の霊の憑依せる国の守護神は、
今になほその意志を実行せむと企ててをる。
八王大神常世彦には天足彦(アダルヒコ)、胞場姫(エバヒメ)の霊より生れたる
八頭八尾(ヤツガシラヤツヲ)の大蛇(オロチ)が憑依(ヒヨウイ)してこれを守護し、
常世姫には金毛九尾白面(キンマウキユウビハクメン)の悪狐憑依してこれを守護し、
大自在天(ダイジザイテン)には、六面八臀(ロクメンハツピ)の邪気憑依してこれを守護し、
ここに艮(ウシトラ)の金神(コンジン)国治立命(クニハルタチノミコト)の神系と
盤古大神(バンコダイジン)の系統と、大自在天(ダイジザイテン)の系統とが、
地上の霊界において三(ミ)つ巴(ドモエ)になつて
大活劇を演ぜらるるといふ霊界の珍しき物語である。
自分はここまで口述したとき、
何心なくかたはらに散乱せる大正日日新聞(タイシヨウニチニチシンブン)に眼をそそぐと、
今日はあたかも大正十年陰暦十月十日午前十時であることに気がついた。
霊界物語第二巻の口述ををはつた今日の吉日は、
松雲閣(シヨウウンカク)において御三体の大神様を始めて
新しき神床(カムドコ)に鎮祭することとなつてゐた。
これも何かの神界の御経綸の一端と思へば思へぬこともない。
ついでに第三巻には、盤古大神(バンコダイジン)〈塩長彦(シホナガヒコ)〉、
大自在天(ダイジザイテン)〈大国彦(オホクニヒコ)〉、
艮能金神(ウシトラノコンジン)〈国治立命(クニハルタチノミコト)〉
三神系の紛糾的経緯の大略を述べ、国祖の御隠退までの世界の状況、
神々の驚天動地の大活動を略述する考へであります。
読者諸氏の幸に御熟読あつて、それが霊界探求の一端ともならば、
口述者の目的は達せらるる次第であります。
アゝ惟神霊幸倍坐世(カムナガラタマチハヘマセ)
大正十年旧十月十日、午前十時十分
於松雲閣、口述者識
【註】
本巻において、国治立命(クニハルタチノミコト)、豊国姫命(トヨクニヒメノミコト)、
国大立命(クニヒロタチノミコト)、稚桜姫命(ワカザクラヒメノミコト)、
木花姫命(コノハナヒメノミコト)とあるは、神界の命により仮称したものであります。
しかし真の御神名は読んで見れば自然に判明することと思ひます。