『音惚花活気好@kakky』=垣内政治的《霊界物語学》の日記的な雑記の様なレポート状の諸々?

出口王仁三郎聖師による弥勒胎蔵経『霊界物語』を『音惚花活気好@kakky』的に学問してみるランダムレポート?

第36章 一輪の仕組(シグミ) (36)

2006年01月23日 11時02分45秒 | Weblog
 国常立尊(クニトコタチノミコト)は邪神のために、
三個(サンコ)の神宝を奪取せられむことを遠く慮(オモンパカ)りたまひ、
周到なる注意のもとにこれを竜宮島および鬼門島に秘したまうた。

そして尚も注意を加へられ大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)、
金勝要神(キンカツカネノカミ)、海原彦神(ウナバラヒコノカミ)、
国(クニ)の御柱神(ミハシラノカミ)、豊玉姫神(トヨタマヒメノカミ)、
玉依姫神(タマヨリヒメノカミ)たちにも極秘にして、
その三個の珠の体のみを両島に納めておき、
肝腎の珠の精霊をシナイ山の山頂へ、
何神にも知らしめずして秘(カク)し置かれた。

これは大神の深甚なる水も洩(モ)らさぬ御経綸(ケイリン)であつて、
一厘(イチリン)の仕組(シグミ)とあるのは
このことを指したまへる神示である。

 武熊別(タケクマワケ)は元よりの邪神ではなかつたが、
三つの神宝の秘(カク)し場所を知悉してより、
にはかに心機一転して、これを奪取し、
天地を吾(ワガ)ものにせむとの野望を抱くやうになつた。

そこでこの玉を得むとして、
日ごろ計画しつつありし竹熊と語らひ、竹熊の協力によつて、
一挙に竜宮島および大鬼門島の宝玉を奪略せむことを申し込んだ。

竹熊はこれを聞きて大いに喜び、ただちに賛成の意を表し、
時を移さず杉若、桃作(モモサク)、田依彦(タヨリヒコ)、猿彦(サルヒコ)、
足彦(タルヒコ)、寅熊(トラクマ)、坂熊(サカクマ)らの魔軍の部将に、
数万の妖魅軍を加へ、
数多(アマタ)の戦艦を造りて両島を占領せむとした。

 これまで数度の戦ひに通力を失ひたる竹熊一派の部将らは、
武熊別を先頭に立て、種々なる武器を船に満載し、
夜陰に乗じて出発した。

一方竜宮島の海原彦命(ウナバラヒコノミコト)も、
鬼門島の国(クニ)の御柱神(ミハシラノカミ)も、
かかる魔軍に計画あらむとは露だに知らず、
八尋殿(ヤヒロドノ)に枕を高く眠らせたまふ時しも、
海上にどつとおこる鬨(トキ)の声、
群鳥(ムラドリ)の噪(サハ)ぐ羽音(ハオト)に夢を破られ、
竜燈を点じ手に高く振翳(フリカザ)して海上はるかに見渡したまへば、
魔軍の戦艦は幾百千とも限りなく軍容を整へ、
舳艪(ヂクロ)相啣(アヒフク)み攻めよせきたるその猛勢は、
到底筆舌のよく尽すところではなかつた。

 ここに海原彦命は諸竜神に令を発し、
防禦軍、攻撃軍を組織し、対抗戦に着手したまうた。

敵軍は破竹の勢をもつて進みきたり、
既に竜宮嶋近く押寄せたるに、味方の竜神は旗色悪(アシ)く、
今や敵軍は一挙に島へ上陸せむず勢(イキホヒ)になつてきた。

このとき海原彦命は百計尽きて、
かの大神(オホカミ)より預(アヅ)かりし潮満(シホミツ)、
潮干(シホヒル)の珠(タマ)を取りだし水火を起して、
敵を殲滅せしめむと為し給ひ、
まづかの潮満の珠を手にして神息(シンソク)をこめ、
力かぎり伊吹放(イブキハナ)ちたまへども、如何(イカ)になりしか、
この珠の神力は少しも顕はれなかつた。

それは肝腎の精霊(ミタマ)が抜かされてあつたからである。

次には潮干の珠を取りいだし、火をもつて敵艦を焼き尽くさむと、
神力をこめ此の珠を伊吹したまへども、
これまた精霊の引抜かれありしため、何らの効をも奏さなかつた。

 鬼門ケ島(キモンジマ)にまします国(クニ)の御柱神(ミハシラノカミ)は、
この戦況を見て味方の窮地に陥れることを憂慮し、
ただちに神書を認めて信天翁(アハウドリ)の足に括(クク)りつけ、
竜宮城にゐます大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)に救援を請はれた。

 このとき地(チ)の高天原(タカアマハラ)も、
竜宮城も黒雲に包まれ咫尺(シセキ)を弁せず、
荒振神(アラブルカミ)どもの矢叫(ヤサケ)びは
天地も震撼せむばかりであつた。

 ここにおいて金勝要大神(キンカツカネノオホカミ)は
秘蔵の玉手箱を開きて金幣(キンペイ)を取りだし、
天に向つて左右左(サイウサ)と打ちふり給へば、
一天たちまち拭ふがごとく晴れわたり、
日光燦爛として輝きわたつた。

金勝要神は更に金幣の一片を取欠きたまひて
信天翁の背に固く結びつけ、なほ返書を足に縛りて、
天空に向つて放ちやられた。

信天翁は見るみる中天に舞ひ上がり、
東北の空高く飛び去つた。

信天翁はたちまち金色(コンジキ)の鵄(トビ)と化し、
竜宮島、鬼門島の空高く縦横無尽に飛びまはつた。

今や竜宮島に攻め寄せ上陸せむとしつつありし敵軍の上には、
火弾の雨しきりに降り注ぎ、
かつ東北の天よりは一片の黒雲現はれ、
見るみる満天墨を流せしごとく、
雲間よりは幾百千とも限りなき
高津神(タカツカミ)現はれきたりて旋風をおこし、
山なす波浪を立たしめ敵艦を中天に捲きあげ、
あるひは浪と浪との千仞(センジン)の谷間に突き落し、
敵船を翻弄すること風に木の葉の散るごとくであつた。

このとき竹熊(タケクマ)、杉若(スギワカ)、桃作(モモサク)、
田依彦(タヨリヒコ)の一部隊は、海底に沈没した。

 国常立尊はこの戦況を目撃遊ばされ、
敵ながらも不愍(フビン)の至りと、大慈大悲の神心を発揮し、
シナイ山にのぼりて神言(カミゴト)を奏上したまへば、
一天にはかに晴渡りて金色の雲あらはれ、風凪(ナ)ぎ、浪静まり、
一旦沈没せる敵の戦艦も海底より浮揚り、
海面はあたかも畳を敷きつめたるごとく穏かになつてきた。

 このとき両島の神々も、諸善竜神も竹熊の敵軍も、
一斉に感謝の声をはなち、
国常立大神の至仁至愛の恵徳に心服せずにはをられなかつた。

広く神人を愛し、敵を敵とせず、
宇宙一切の衆生(シウジヤウ)にたいし
至仁至愛(ミロク)の大御心を顕彰したまふこそ、
実に尊き有難ききはみである。

 (大正十年十月二十三日、旧九月二十三日、桜井重雄録)

『音惚花活気好@kakky』的『第36章 一輪の仕組(シグミ) (36)』分解

2006年01月23日 11時01分56秒 | Weblog
平成十八(2006)年一月二十三日 旧十二月二十四日(月)

 国常立尊(クニトコタチノミコト)は邪神のために、
三個(サンコ)の神宝を奪取せられむことを遠く慮(オモンパカ)りたまひ、
周到なる注意のもとにこれを竜宮島および鬼門島に秘したまうた。

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竜宮島は前章にある通り冠島(オシマ)であり、
鬼門島は同じく沓島(メシマ)のことである。

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そして尚も注意を加へられ大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)、
金勝要神(キンカツカネノカミ)、海原彦神(ウナバラヒコノカミ)、
国(クニ)の御柱神(ミハシラノカミ)、豊玉姫神(トヨタマヒメノカミ)、
玉依姫神(タマヨリヒメノカミ)たちにも極秘にして、
その三個の珠の体のみを両島に納めておき、
肝腎の珠の精霊をシナイ山の山頂へ、
何神にも知らしめずして秘(カク)し置かれた。

これは大神の深甚なる水も洩(モ)らさぬ御経綸(ケイリン)であつて、
一厘(イチリン)の仕組(シグミ)とあるのは
このことを指したまへる神示である。

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筆者は前章の分解において、
瀬戸内海の神島に真澄の珠を隠したとしたが、
この三個の珠は、実は潮満の珠が開祖、潮干の珠が開祖、
真澄の珠が二代澄を指していて、
開祖の冠島詣りの時に、
この三人が一緒に出かけたことが記されているので、
もしかしたら瀬戸内海の神島が、
このシナイ山なのではないかとも思ったのだが、
世界地図上のシナイ山があるシナイ半島の型に相当するのが、
日本の神戸の舞子浜辺りであると考える方が有力に思えて来たので、
またしても筆者の御神業体験が甦って来てしまう。

勿論、一輪の秘密とか、一輪の仕組ということは、
聖師さん達が統べてやったことになるのだけれど、
もし、ここにある様に、その三個の珠の体が現れたのが、
冠島、沓島、神島神行だとすると、
その三つの精を秘(カク)しおかれたのが、
この淡路島をみはるかす舞子の地だとすると、
筆者が『愛善苑霊界物語入門講座』に最後に参加したのが、
この舞子にある『舞子ビラ』という皇室に所縁の地であったことも、
まるきり意味の無いことではなくなってしまうのだ。

その後、筆者もいよいよ人間生活を徐々に離れて、
七四十一大神の御神業を表に現わす様になり、
これによって世界中の偽善が崩壊へと向かい始め、
日本国内では阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件、
バブル経済の崩壊等、次々と大転換期を象徴する出来事が発生し、
世界でも深刻なテロ活動による暗黒時代に襲われたのであった。

去年(2005年)くらいからようやく落ち着きを取り戻した感があるが、
潮満、潮干、真澄の三個の珠の働きは、
悪を懲らす時に、その効力を大いに発揮する様であるから、
この十五年間の激動が意味することも、
霊界物語の内容と無縁では無いことが理解出来るのではなかろうか。

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 武熊別(タケクマワケ)は元よりの邪神ではなかつたが、
三つの神宝の秘(カク)し場所を知悉してより、
にはかに心機一転して、これを奪取し、
天地を吾(ワガ)ものにせむとの野望を抱くやうになつた。

そこでこの玉を得むとして、
日ごろ計画しつつありし竹熊と語らひ、竹熊の協力によつて、
一挙に竜宮島および大鬼門島の宝玉を奪略せむことを申し込んだ。

竹熊はこれを聞きて大いに喜び、ただちに賛成の意を表し、
時を移さず杉若、桃作(モモサク)、田依彦(タヨリヒコ)、猿彦(サルヒコ)、
足彦(タルヒコ)、寅熊(トラクマ)、坂熊(サカクマ)らの魔軍の部将に、
数万の妖魅軍を加へ、
数多(アマタ)の戦艦を造りて両島を占領せむとした。

 これまで数度の戦ひに通力を失ひたる竹熊一派の部将らは、
武熊別を先頭に立て、種々なる武器を船に満載し、
夜陰に乗じて出発した。

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曲津神の思いは常に体主霊従的であるから、
目にし、手に触れ得る宝や珠の奪取に血眼になるものだ。

例えば、御神業と称して、冠島、沓島、神島ツアーを組んで、
信者一同揃って参詣する様な行為も、
こういう野心が潜む可能性が無いわけではない。

純粋な史跡廻りならば、この限りではないが、
『霊界物語』に記される様に、そこに珠の体のみ秘され、
肝腎の精は、全く秘密裏に他に隠されたのであるから、
心在る者は、これに惑わされることの無いように心掛けたいものである。

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一方竜宮島の海原彦命(ウナバラヒコノミコト)も、
鬼門島の国(クニ)の御柱神(ミハシラノカミ)も、
かかる魔軍に計画あらむとは露だに知らず、
八尋殿(ヤヒロドノ)に枕を高く眠らせたまふ時しも、
海上にどつとおこる鬨(トキ)の声、
群鳥(ムラドリ)の噪(サハ)ぐ羽音(ハオト)に夢を破られ、
竜燈を点じ手に高く振翳(フリカザ)して海上はるかに見渡したまへば、
魔軍の戦艦は幾百千とも限りなく軍容を整へ、
舳艪(ヂクロ)相啣(アヒフク)み攻めよせきたるその猛勢は、
到底筆舌のよく尽すところではなかつた。

 ここに海原彦命は諸竜神に令を発し、
防禦軍、攻撃軍を組織し、対抗戦に着手したまうた。

敵軍は破竹の勢をもつて進みきたり、
既に竜宮嶋近く押寄せたるに、味方の竜神は旗色悪(アシ)く、
今や敵軍は一挙に島へ上陸せむず勢(イキホヒ)になつてきた。

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珠の精が意味するものは、基本的にこの『霊界物語』そのものである。

『七四十一大神』の御神業にこだわるのは、
この世の中では筆者だけであるから、
これが霊界物語と、どの様に関係しているかを、
生涯探究し続ける役目も、これは筆者以外には無いものである。

他の誰にも、それを本真剣に探究することは出来ないのである。

例えば、出口王仁三郎関連資料を、
たくさん保管している本部の如きものが、ここに記される、

『竜宮島の海原彦命(ウナバラヒコノミコト)、鬼門島の国(クニ)の御柱神(ミハシラノカミ)』

ということが出来るのではないだろうか?

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このとき海原彦命は百計尽きて、
かの大神(オホカミ)より預(アヅ)かりし潮満(シホミツ)、
潮干(シホヒル)の珠(タマ)を取りだし水火を起して、
敵を殲滅せしめむと為し給ひ、
まづかの潮満の珠を手にして神息(シンソク)をこめ、
力かぎり伊吹放(イブキハナ)ちたまへども、如何(イカ)になりしか、
この珠の神力は少しも顕はれなかつた。

それは肝腎の精霊(ミタマ)が抜かされてあつたからである。

次には潮干の珠を取りいだし、火をもつて敵艦を焼き尽くさむと、
神力をこめ此の珠を伊吹したまへども、
これまた精霊の引抜かれありしため、何らの効をも奏さなかつた。

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ただの警備員の様な役目しかない『竜宮島の海原彦命(ウナバラヒコノミコト)』には、
肝腎の精霊が抜けた珠から神力を得られず、狼狽えるしかないわけだ。

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 鬼門ケ島(キモンジマ)にまします国(クニ)の御柱神(ミハシラノカミ)は、
この戦況を見て味方の窮地に陥れることを憂慮し、
ただちに神書を認めて信天翁(アハウドリ)の足に括(クク)りつけ、
竜宮城にゐます大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)に救援を請はれた。

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自力での応戦は無理と覚った『国(クニ)の御柱神(ミハシラノカミ)』は、
役員信者や政治家達の様なものだ。

真の神力を現わし得るのは大八洲彦命であると信じ、
信天翁を飛ばして救援を請うたというわけである。

なんとなく、筆者には、
この五年間のドタバタを思わせるものがあって、
大八洲彦命の複雑な心情も窺える様な気がするのである。

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 このとき地(チ)の高天原(タカアマハラ)も、
竜宮城も黒雲に包まれ咫尺(シセキ)を弁せず、
荒振神(アラブルカミ)どもの矢叫(ヤサケ)びは
天地も震撼せむばかりであつた。

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聖師さんの時もそうであったが、
世界中が『諏訪一大事』という状況だったわけで、
筆者にとっても、この五年間のことをダブらせずにはいられない。

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 ここにおいて金勝要大神(キンカツカネノオホカミ)は
秘蔵の玉手箱を開きて金幣(キンペイ)を取りだし、
天に向つて左右左(サイウサ)と打ちふり給へば、
一天たちまち拭ふがごとく晴れわたり、
日光燦爛として輝きわたつた。

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ここでは金勝要大神は、
世界の経済を牛耳るといわれる”フリーメーソン”
の様な気がしてならないのだが、
実際、聖師さんが第二次大本事件から無事生還出来たのも、
悪魔に魅入られた日本帝国軍から、日本国民を救ったのも、
彼等の働きによるところが大きい様である。

現代の、経済危機の発端と脱出の鍵を握るのも、
彼等であることはいうまでもないだろう…

筆者にとっては『グローバルメーソン計画』や、
今、生涯の生業になりそうなビジネスが、
金勝要大神の関与を感じさせざるを得ないものである。

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金勝要神は更に金幣の一片を取欠きたまひて
信天翁の背に固く結びつけ、なほ返書を足に縛りて、
天空に向つて放ちやられた。

信天翁は見るみる中天に舞ひ上がり、
東北の空高く飛び去つた。

信天翁はたちまち金色(コンジキ)の鵄(トビ)と化し、
竜宮島、鬼門島の空高く縦横無尽に飛びまはつた。

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金勝要大神は、顕著なる神力を現わしながらも、
両島の神々にも安心を与える為に返書を送ったというわけであるが、
これに類することが、聖師さんの時にも発生した様である。

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今や竜宮島に攻め寄せ上陸せむとしつつありし敵軍の上には、
火弾の雨しきりに降り注ぎ、
かつ東北の天よりは一片の黒雲現はれ、
見るみる満天墨を流せしごとく、
雲間よりは幾百千とも限りなき
高津神(タカツカミ)現はれきたりて旋風をおこし、
山なす波浪を立たしめ敵艦を中天に捲きあげ、
あるひは浪と浪との千仞(センジン)の谷間に突き落し、
敵船を翻弄すること風に木の葉の散るごとくであつた。

このとき竹熊(タケクマ)、杉若(スギワカ)、桃作(モモサク)、
田依彦(タヨリヒコ)の一部隊は、海底に沈没した。

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各種爆撃と神風の発生によって悪は懲らしめられたわけである。

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 国常立尊はこの戦況を目撃遊ばされ、
敵ながらも不愍(フビン)の至りと、大慈大悲の神心を発揮し、
シナイ山にのぼりて神言(カミゴト)を奏上したまへば、
一天にはかに晴渡りて金色の雲あらはれ、風凪(ナ)ぎ、浪静まり、
一旦沈没せる敵の戦艦も海底より浮揚り、
海面はあたかも畳を敷きつめたるごとく穏かになつてきた。

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善悪の神々を、ある程度まで戦わせ、そろそろ善神に軍配が上がる頃に、
至仁至愛、即ち『ミロク心』が発揮され、全てが救われるのだ。

善悪の立て別けの後、絶対的救いが為されるということだろう。

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 このとき両島の神々も、諸善竜神も竹熊の敵軍も、
一斉に感謝の声をはなち、
国常立大神の至仁至愛の恵徳に心服せずにはをられなかつた。

広く神人を愛し、敵を敵とせず、
宇宙一切の衆生(シウジヤウ)にたいし
至仁至愛(ミロク)の大御心を顕彰したまふこそ、
実に尊き有難ききはみである。

 (大正十年十月二十三日、旧九月二十三日、桜井重雄録)

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このように、最後には至仁至愛(ミロク)大神への感謝によって、
地上天国建設は完成するのである。

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第35章 一輪の秘密 (35)

2006年01月14日 23時55分15秒 | Weblog
 厳(イヅ)の御魂(ミタマ)の大神(オホカミ)は、
シナイ山の戦闘に魔軍を潰走せしめ、
ひとまづ竜宮城へ凱旋されたのは前述のとほりである。

 さて大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は天山(テンザン)、崑崙山(コンロンザン)、
天保山(テンパウザン)の敵を潰滅し、天教山(テンケウザン)に現はれ、
三個の神宝を得て竜宮城に帰還し、
つづいてエデンの園に集まれる竹熊(タケクマ)の魔軍を破り、
一時は神界も平和に治まつた。

されど竹熊の魔軍は勢やむを得ずして影を潜めたるのみなれば、
何どき謀計をもつて再挙を試みるやも計りがたき状況(アリサマ)であつた。

まづ第一に魔軍の恐るるものは三個の神宝である。
ゆゑに魔軍は百方画策をめぐらし、
或ひは探女(サグメ)を放ち、醜女(シコメ)を使ひ、
この珠を吾が手に奪はむとの計画は一時も弛めなかつた。

 茲(ココ)に艮(ウシトラ)の金神(コンジン)国常立尊(クニトコタチノミコト)は、
山脈十字形をなせる地球の中心蓮華台上に登られ、
四方(ヨモ)の国型を見そなはし、天に向つて神言(カミゴト)を奏上し、
頭上の冠(カンムリ)を握(ト)り、
これに神気をこめて海上に投げ遣(ヤ)りたまうた。

その冠は海中に落ちて一孤島を形成した。
これを冠島(カンムリジマ)といふ。

しかして冠の各処より稲を生じ、
米もゆたかに穰(ミノ)るやうになつた。

ゆゑにこの島を稲原(イバラ)の冠(カンムリ)といひ、
また茨(イバラ)の冠(カンムリ)ともいふ。

 つぎに大地に向つて神言を奏上したまひ、
その穿(ハカ)せる沓(クツ)を握り海中に抛(ナ)げうちたまうた。

沓は化して一孤島を形成した。
ゆゑにこれを沓島(クツジマ)といふ。

冠島は一名竜宮島ともいひ、沓島は一名鬼門島(キモンジマ)ともいふ。

 ここに国常立尊(クニトコタチノミコト)は厳(イヅ)の御魂(ミタマ)、
瑞(ミヅ)の御魂(ミタマ)および
金勝要神(キンカツカネノカミ)に言依(コトヨ)さしたまひて、
この両島に三個(ミツ)の神宝を秘め置かせたまうた。

 潮満(シホミツ)の珠(タマ)はまた厳の御魂といふ。
いづとは泉(イヅミ)のいづの意であつて、
泉のごとく清鮮なる神水の無限に湧出する宝玉である。
これをまたヨハネの御魂といふ。

つぎに潮干(シホヒル)の珠(タマ)はこれを瑞の御魂といひ、
またキリストの御魂といふ。

みづの御魂はみいづの御魂の意である。

みいづの御魂は無限に火の活動を万有に発射し、
世界を清むるの活用である。

要するに水の動くは火の御魂があるゆゑであり、
また火の燃ゆるは水の精魂(セイコン)があるからである。

しかして火は天にして水は地である。
故に天は尊(タフト)く地は卑(ヒク)し。

ヨハネが水をもつて洗礼を施すといふは、
体をさして言へる詞(コトバ)にして、
尊き火の活動を隠されてをるのである。

またキリストが霊〈霊は火なり〉をもつて
洗礼を施すといふは、キリストの体をいへるものにして、
その精魂たる水をいひしに非(アラ)ず。

 ここに稚姫君命(ワカヒメギミノミコト)、大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)、
金勝要大神(キンカツカネノオホカミ)は、三個(ミツ)の神宝を各自に携帯して、
目無堅間(メナシカタマ)の船に乗り、小島別(コジマワケ)、
杉山別(スギヤマワケ)、富彦(トミヒコ)、武熊別(タケクマワケ)、
鷹取(タカトリ)の神司(カミガミ)を引率して、
まづこの竜宮ケ嶋(リユウグウシマ)に渡りたまうた。

しかして竜宮ケ嶋には厳の御魂なる潮満の珠を、
大宮柱太敷立(オホミヤバシラフトシキタテ)て納(ヲサ)めたまひ、
また瑞の御魂なる潮干の珠とともに、この宮殿に納めたまうた。

この潮満の珠の又の名を豊玉姫神(トヨタマヒメノカミ)といひ、
潮干の珠の又の名を玉依姫神(タマヨリヒメノカミ)(写真)
といふ。かくて潮満の珠は紅色(コウシヨク)を帯び、
潮干の珠は純白色である。

 国常立尊は冠島の国魂(クニタマ)の神に命じて、
この神宝を永遠に守護せしめたまうた。

この島の国魂の御名を海原彦神(ウナバラヒコノカミ)といひ、
又の御名を綿津見神(ワダツミノカミ)といふ。

つぎに沓島に渡りたまひて真澄の珠を永遠に納めたまひ、
国(クニ)の御柱神(ミハシラノカミ)をして之(コレ)を守護せしめられた。

国の御柱神は鬼門ケ島の国魂の又の御名である。

 いづれも世界の終末に際し、
世界改造のため大神の御使用になる珍(ウヅ)の御宝(ミタカラ)である。

しかして之(コレ)を使用さるる御神業がすなはち一輪の秘密である。

 この両島はあまたの善神皆竜と変じ、
鰐(ワニ)と化して四辺を守り、他神の近づくを許されないのである。

 (大正十年十月二十三日、旧九月二十三日、外山豊二録)

『音惚花活気好@kakky』的『第35章 一輪の秘密 (35)』分解

2006年01月14日 23時53分51秒 | Weblog
平成十八(2006)年一月十四日 旧十二月十五日(土)

 厳(イヅ)の御魂(ミタマ)の大神(オホカミ)は、
シナイ山の戦闘に魔軍を潰走せしめ、
ひとまづ竜宮城へ凱旋されたのは前述のとほりである。

 さて大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は天山(テンザン)、崑崙山(コンロンザン)、
天保山(テンパウザン)の敵を潰滅し、天教山(テンケウザン)に現はれ、
三個の神宝を得て竜宮城に帰還し、
つづいてエデンの園に集まれる竹熊(タケクマ)の魔軍を破り、
一時は神界も平和に治まつた。

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この『霊界物語/霊主体従』で語られるのは、
とどのつまり《善悪二元論の対決の空しさ》である。

勿論、神様の世界では『必ず愛善が勝利する』のであるが、
敗北する側には必ず『怨念』が残り、これが蓄積されると、
将来その復讐が必ず実現して来るものである。

肉体の世界は弱肉強食であるから、
愛善の身魂であっても敗北することがある。

この時の『怨念』が、蓄積されて魔界を産み、
また地獄を拡大してしまうのだ。

ここに記される善悪の神々の戦いも、
結局、悪はいつまでも悪のままで再生して来て、
新たな復讐を遂げようと力をつけて来るのであるから、
この戦いの相手にならなければならぬ善神や正神達も、
永遠の安息を得ることが出来ないのである。

これはつまり『真の勝利と平和』を意味していないのだ。

『仮の勝利と平和』を得たに過ぎないのである。

国常立尊と神伊邪那岐大神の時代は、善悪対立時代である。

しかし、この問題を真に解決し、地上天国建設を実現するのが、
神素盞嗚大神であり、至仁至愛(ミロク)なのである。

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されど竹熊の魔軍は勢やむを得ずして影を潜めたるのみなれば、
何どき謀計をもつて再挙を試みるやも計りがたき状況(アリサマ)であつた。

まづ第一に魔軍の恐るるものは三個の神宝である。
ゆゑに魔軍は百方画策をめぐらし、
或ひは探女(サグメ)を放ち、醜女(シコメ)を使ひ、
この珠を吾が手に奪はむとの計画は一時も弛めなかつた。

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探女というのは諜報活動をするスパイであり、
醜女というのは味方の様に内部に潜入して活動する行策部隊の様なものだ。

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 茲(ココ)に艮(ウシトラ)の金神(コンジン)国常立尊(クニトコタチノミコト)は、
山脈十字形をなせる地球の中心蓮華台上に登られ、
四方(ヨモ)の国型を見そなはし、天に向つて神言(カミゴト)を奏上し、
頭上の冠(カンムリ)を握(ト)り、
これに神気をこめて海上に投げ遣(ヤ)りたまうた。

その冠は海中に落ちて一孤島を形成した。
これを冠島(カンムリジマ)といふ。

しかして冠の各処より稲を生じ、
米もゆたかに穰(ミノ)るやうになつた。

ゆゑにこの島を稲原(イバラ)の冠(カンムリ)といひ、
また茨(イバラ)の冠(カンムリ)ともいふ。

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出口王仁三郎聖師と出口直開祖が、御神示によって赴いた男島(オシマ)が、
この冠島である。

この島は海に慣れた漁師でさえも近寄りたがらない小島だが、
ここに稲がなっていたという話が『大地の母』に記されている。

ちなみに茨の冠というのは十字架のイエスが、
ローマ兵によって冠させられた、茨の輪を象徴しているらしい。

本来はオリブの輪を冠するべきものであるが、
処刑前にイエスを鞭打の刑にした執行人達が、
イエスを辱めるために、この茨の冠をかぶせたと新約聖書には記されている。

要するに十字架のイエスが『天にまします我等の父よ』と祈ったその対象は、
厳の御魂 国常立尊だっだということになるのだ。

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 つぎに大地に向つて神言を奏上したまひ、
その穿(ハカ)せる沓(クツ)を握り海中に抛(ナ)げうちたまうた。

沓は化して一孤島を形成した。
ゆゑにこれを沓島(クツジマ)といふ。

冠島は一名竜宮島ともいひ、沓島は一名鬼門島(キモンジマ)ともいふ。

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この沓島が象徴するものは、十字架のイエスが救った最初の罪深き女、
マグダラのマリアであると考えてよいだろう。

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 ここに国常立尊(クニトコタチノミコト)は厳(イヅ)の御魂(ミタマ)、
瑞(ミヅ)の御魂(ミタマ)および
金勝要神(キンカツカネノカミ)に言依(コトヨ)さしたまひて、
この両島に三個(ミツ)の神宝を秘め置かせたまうた。

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この三個の神宝が秘め置かれていたのは、
開祖と聖師が舟に乗って詣でるまでのことで、
これ以降は地上に隠されている場所は無いのである。

何故なら、開祖と聖師の御魂こそが厳の御魂であり、
また瑞の御魂なのであるから、両者が御昇天なされた現代の地上には、
潮満の珠も、潮干の珠も、御昇天なされているからである。

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 潮満(シホミツ)の珠(タマ)はまた厳の御魂といふ。
いづとは泉(イヅミ)のいづの意であつて、
泉のごとく清鮮なる神水の無限に湧出する宝玉である。
これをまたヨハネの御魂といふ。

つぎに潮干(シホヒル)の珠(タマ)はこれを瑞の御魂といひ、
またキリストの御魂といふ。

みづの御魂はみいづの御魂の意である。

みいづの御魂は無限に火の活動を万有に発射し、
世界を清むるの活用である。

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潮満の珠は水を満たす珠である。
一方、厳の御魂は火の御魂である。

そしてキリストに対する洗礼のヨハネであって、
厳の御魂は水をもって世に洗礼を施すのである。

要するに物質的な全ての洗礼を施すのが厳の御魂である。

一方、潮干の珠は水を涸らす働きをする珠で、
即ち火の珠である。
これを瑞の御魂という、ということは、
火の洗礼を施すのは瑞の御魂であり、キリストである。

また『みづの御魂はみいづの御魂の意である』ということは、
厳の御魂が意味する『出(イヅ)の御魂』に対して、
みいづの御魂とは『未出(ミイヅ)の御魂』ということである。

つまり『出の御魂』とは、物質の御魂ということであり、
『未出の御魂』とは、『隠身(カミ)の御魂=霊』を意味するのである。

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要するに水の動くは火の御魂があるゆゑであり、
また火の燃ゆるは水の精魂(セイコン)があるからである。

しかして火は天にして水は地である。
故に天は尊(タフト)く地は卑(ヒク)し。

ヨハネが水をもつて洗礼を施すといふは、
体をさして言へる詞(コトバ)にして、
尊き火の活動を隠されてをるのである。

またキリストが霊〈霊は火なり〉をもつて
洗礼を施すといふは、キリストの体をいへるものにして、
その精魂たる水をいひしに非(アラ)ず。

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『水が動く』というのは『水の循環』ということで、
これが火の御魂あるゆえに動くというのは、
要するに『蒸発』のことだ。

水は火の働きで蒸発して天に上り雲となり、
上空で火が薄くなると雨になって、
再び地に降ることになるのだ。

ヨハネと開祖の肉体は『水』に位し、
その精魂は『火』に位する。
要するにヨハネと開祖の肉体は女性であって、
その精魂は男性ということで、
『変性男子(ヘンジョウナンシ)』という意味である。

一方、キリストと聖師の肉体は『火』に位し、
その精魂は『水』に位する。
要するにキリストと聖師の肉体は男性であって、
その精魂は女性であるということで、
『変性女子(ヘンジョウニョシ)』という意味である。

しかしながら、新約聖書に現れる洗礼のヨハネの肉体は、
明らかに男性なので、これがそもそもユダヤの地で、
御神業が失敗した最大の原因であったと言わねばなるまい。

御神業が成功するためには、
洗礼のヨハネの肉体は女性であるべきだったのだ。

実をいうと、この洗礼のヨハネは失楽園の蛇の役を担っていたので、
本当の意味でのヨハネの活動は出来ていなかったのだ。

日本神道は古来巫女を用いて神示を得ていたので、
このことを容易に理解出来たが、
大陸では男尊女卑の傾向が強かったので、
なかなか正しい道が布かれる基盤が築けなかったのだ。

これは洗礼のヨハネが受け継いで来た『蛇の道』が、
修行者の進むべき正しい道であると迷信されて来たからなのだが、
これを頑に守って来たのがエッセネ派だった。

彼等は禁欲主義をよしとして、
男女の性を捨てることを聖なる道と信じて来た。

各宗教においても、道を求める者が男女の性を捨てて、
神や仏に仕えようとするのは、総べて『蛇の道』に迷っている結果である。

本来、キリスト教も男女の神の道として立てるべきものであったので、
キリストは、神の子女の結婚と家庭の完成が重要だったのであるが、
ノア以来、これを守って来た筈のユダヤ教が、
いつの間にか禁欲主義に堕したので、キリストがこの道を正すために、
活動を開始したのであったが、当時の弟子達も、
洗礼のヨハネ同様、夫婦の愛の道を理解することが出来なかったので、
イエスは密かにマグダラのマリア等にこの道を伝授して、
天の時が訪れるのを待ったのであった。

即ちその天の時こそ、厳の御魂、瑞の御魂の御神業が始まる時であった。

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 ここに稚姫君命(ワカヒメギミノミコト)、大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)、
金勝要大神(キンカツカネノオホカミ)は、三個(ミツ)の神宝を各自に携帯して、
目無堅間(メナシカタマ)の船に乗り、小島別(コジマワケ)、
杉山別(スギヤマワケ)、富彦(トミヒコ)、武熊別(タケクマワケ)、
鷹取(タカトリ)の神司(カミガミ)を引率して、
まづこの竜宮ケ嶋(リユウグウシマ)に渡りたまうた。

しかして竜宮ケ嶋には厳の御魂なる潮満の珠を、
大宮柱太敷立(オホミヤバシラフトシキタテ)て納(ヲサ)めたまひ、
また瑞の御魂なる潮干の珠とともに、この宮殿に納めたまうた。

この潮満の珠の又の名を豊玉姫神(トヨタマヒメノカミ)といひ、
潮干の珠の又の名を玉依姫神(タマヨリヒメノカミ)
といふ。かくて潮満の珠は紅色(コウシヨク)を帯び、
潮干の珠は純白色である。

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豊玉姫神、玉依姫神はウガヤフキアエズノミコト時代の重要な姫神達だ。

豊玉姫神はニニギノミコトの息子の嫁で、
その子がウガヤフキアエズノミコトで、
その嫁が豊玉姫神の血縁である玉依姫神であり、
その子が神武天皇である。

筆者が関わっている『愛善苑東京豊玉分苑霊界物語愛読会』も、
この豊玉姫神と浅からぬ御縁があって、その潮満の珠を思わせる、
赤い国玉石を頂いている。

一方、筆者が若い頃、ニニギノミコトと王仁を意味する、
『七四十一大神』から初めて神示を頂いたのが、
逗子の神武寺という所だったのも、これと浅からぬ御縁のあることである。

『逗子』というのは『伊豆の子』という謎がかけてある地名なのだ。

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 国常立尊は冠島の国魂(クニタマ)の神に命じて、
この神宝を永遠に守護せしめたまうた。

この島の国魂の御名を海原彦神(ウナバラヒコノカミ)といひ、
又の御名を綿津見神(ワダツミノカミ)といふ。

つぎに沓島に渡りたまひて真澄の珠を永遠に納めたまひ、
国(クニ)の御柱神(ミハシラノカミ)をして之(コレ)を守護せしめられた。

国の御柱神は鬼門ケ島の国魂の又の御名である。

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綿津見神は豊玉姫神と玉依姫神の父に当る神様で、
要するに神素盞嗚大神の御分身である。

厳と瑞の珠よりも力のある真澄の珠が沓島に納められたというのは、
冠島と沓島に対する神島を意味するのだ。

冠島と沓島は艮にある日本海に浮かぶ小島であり、
神島は坤にある瀬戸内海に浮かぶ小島である。

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 いづれも世界の終末に際し、
世界改造のため大神の御使用になる珍(ウヅ)の御宝(ミタカラ)である。

しかして之(コレ)を使用さるる御神業がすなはち一輪の秘密である。

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筆者も知らず知らずのうちに、これらの珠を使用させられて、
この様な日記を書き込む様になったのだ。

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 この両島はあまたの善神皆竜と変じ、
鰐(ワニ)と化して四辺を守り、他神の近づくを許されないのである。

 (大正十年十月二十三日、旧九月二十三日、外山豊二録)

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筆者もなかなか他人様とは交われない精神生活を営んでいるけれど、
時々、地震、雷、大雨などで竜神や鰐が守ってくれているが、
何とも不思議な御縁である。

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『音惚花活気好@kakky』的『第34章 シナイ山の戦闘 (34)』

2006年01月05日 00時45分38秒 | Weblog
 エデンの野に敗れたる竹熊(タケクマ)一派は、
わづかに身をもつて難を免(マヌ)かれ、
堂山(ダウヤマ)の峡(カヒ)に身をひそめ、遠近(ヲチコチ)の山の端(ハ)より、
ふたたび魔軍をかり集めて、シナイ山を攻撃せむことを企て、
魔軍の猛将なる大虎彦(オホトラヒコ)を辞を低うし、礼を厚うして招待し、
シナイ山攻撃の援軍を依頼した。

もとより同じ心の大虎彦は、竹熊の願望を一も二もなく承諾し、
数万の蒙古軍を堂山の麓(フモト)に召集し、旗鼓(キコ)堂々として、
士気冲天(チユウテン)の慨があつた。

 このとき竜宮城に帰還して
神務を管理したまひたる大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は、
シナイ山の攻撃軍を掃蕩し、厳(イヅ)の御魂(ミタマ)を救ひ奉らむと、
少数の神軍を引率して出陣せむとしたまうた。

金勝要神(キンカツカネノカミ)は、命の袖を控へて、
出陣を中止したまふべく懇請せられた。

そのゆゑは竜宮城内に潜める竹熊の一派木常姫(コツネヒメ)は
深く城内に醜女(シコメ)、探女(サグメ)を放ち、
大八洲彦命の不在を機会に竜宮城を占領せむと、
着々と計画をすすめゐたる謀計を、
金勝要神はよく看破しゐたまうたからである。

 また木常姫の応援として犬子姫(イヌコヒメ)は、
橄欖山(カンランザン)の麓にひそみ、
あまたの魔軍を駆(カ)つて内外両面より竜宮城を占領せむとし、
すでに事変の起らむとする間際(マギハ)であつた。

しかるに城内の味方は、ほとんどシナイ山に登りて、
竜宮城は守り手薄になつてゐたからである。

大八洲彦命は金勝要神の進言を容(イ)れて、
出陣を思ひとどまり竜宮城を固守せむことを決意した。
 しかし命(ミコト)の心にかかるは、
シナイ山にまします厳の御魂の御上(オンウヘ)であつた。

吾いま出陣せば竜宮城は敵手に落ちむ。
出陣せざればシナイ山の危急を救ふことができぬ。
進退これ谷(キハ)まりし命の心中、
実に想像するにあまりありといふべしである。

 ここに竹熊は大虎彦の応援を得、数万の蒙古軍を引率して、
シナイ山に八方より攻めよせた。

竹熊は木純姫(コスミヒメ)、足長彦(アシナガヒコ)に命じ、
遠近の諸山より集まりきたれる悪竜を指揮して雲を起し、
大雨を降らせ、一直線にシナイ山の中腹に攻めよせた。

しかるに一方山麓には、大虎彦の蒙古軍が十重二十重(トヘハタヘ)に取囲み、
もつとも堅固に警戒の網をはつて構へてゐる。

ここに山上にまします厳の御魂はこの光景を瞰下(カンカ)し、
事態容易ならずと見たまひ、高杉別(タカスギワケ)を主将とし鶴若(ツルワカ)、
亀若(カメワカ)、鷹取(タカトリ)、雁姫(カリヒメ)、稲照彦(イナテルヒコ)を部将として、
防戦につとめたまうた。

されど衆寡(シウクワ)敵しがたく、シナイ山の陥落は旦夕(タンセキ)に迫り、
厳の御魂の御身辺の危険は刻々に迫つてきた。

このとき天上よりは
大自在天大国彦(ダイジザイテンオホクニヒコ)の部下の魔軍無数に現はれ、
火弾を投下し、厳の御魂の神軍を窮地に陥れた。

厳の御魂は鷹取(タカトリ)、雁姫(カリヒメ)を急使として、
竜宮城にまします金勝要神に味方の窮状を報告し、
応援軍を差向けらるるやう申し渡したまうた。

 大八洲彦命は進退ここに谷(キハ)まつて、千考万慮の末、
真澄(マスミ)の珠(タマ)を、鷹取、雁姫に托したまうた。

鷹取、雁姫は天空高く、敵軍の上を飛揚してシナイ山頂に達し、
真澄の珠を厳の御魂の大神に奉(タテマツ)つた。

厳の御魂は喜び勇んで珠を手に取りたまひ、
攻めくる敵軍にむかつて珠を口にあて、
力をこめて息吹(イブ)きの神業(カムワザ)をおこなひたまうた。

東にむかつて吹きたまへば、東の魔軍はたちまち潰れ、
西にむかつて吹きたまへば、西の魔軍はことごとく散乱し、
かくのごとくにして、八方の魔軍は真澄の珠の神力により、
或ひは雲にのつて逃れ、或ひは霞(カスミ)に包まれてかくれ、
四方八方へ散乱し遁走し全く影をかくしてしまつた。

 今まで暗黒なりし天地はにはかに快明となり、
シナイ山の神軍はたちまち蘇生の思ひをなし、
隊伍をととのへ堂々として無事竜宮城に凱旋した。

 (大正十年十月二十二日、旧九月二十二日、谷口正治録)

『音惚花活気好@kakky』的『第34章 シナイ山の戦闘 (34)』分解

2006年01月05日 00時44分05秒 | Weblog
平成十八(2006)年一月五日 旧十二月六日(木)

 エデンの野に敗れたる竹熊(タケクマ)一派は、
わづかに身をもつて難を免(マヌ)かれ、
堂山(ダウヤマ)の峡(カヒ)に身をひそめ、遠近(ヲチコチ)の山の端(ハ)より、
ふたたび魔軍をかり集めて、シナイ山を攻撃せむことを企て、
魔軍の猛将なる大虎彦(オホトラヒコ)を辞を低うし、礼を厚うして招待し、
シナイ山攻撃の援軍を依頼した。

もとより同じ心の大虎彦は、竹熊の願望を一も二もなく承諾し、
数万の蒙古軍を堂山の麓(フモト)に召集し、旗鼓(キコ)堂々として、
士気冲天(チユウテン)の慨があつた。

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エデンはアダムとエバと蛇が失楽園をさせられた聖地で、
聖書の世界では原罪が発生した源の事件とされている。

そのエデンでの戦闘で唯一勝利を治めたのは、
わが日本列島に本陣を構える大八洲彦命だけだったというわけだ。

つまり諸外国は善悪混淆の竜宮で、
神様から観たら堕落状態にあったわけである。

そしてシナイ山は、モーゼがエジプト追放後、砂漠を彷徨った後、
安住の地を見つけた時に、すぐ傍にあった神山で、
モーゼはこの山でイスラエルの神に出会い、また、十戒を得た。

実は、この十戒も、一度書き直しているので、
その原因は、モーゼが最初の十戒を頂く為に山籠りしている間に、
出エジプトのイスラエルの民が、待切れず、
金の牛の偶像を崇拝し始める者達が現れるという不義を犯したので、
その為、モーゼが怒って、十戒を記した石盤を、
偶像に投げ付けて偶像と共に叩き壊してしまったからだ。

そして、このシナイ山は、ナザレのイエスが、
洗礼のヨハネと意見対立して分れた後、
砂漠で断食行をしている間に、
三大試練のうちの一つを体験した山であると云われている。

イエスは断食している間に三つの試練を受けた。

マタイによる福音書と、ルカによる福音書では、
その記される順序が若干異なり、
マルコによる福音書には、ただ誘惑を受けたとしか記されず、
ヨハネによる福音書には、誘惑については記されていないけれど、
これをかいつまんでいうと、マタイもルカも、先ず最初に、
イエスを試みる霊、即ち悪魔が、

「神の子なら空腹を満たす為に石がパンになるように命じたらどうだ。」

と言ってイエスを試みたと記している。
これに対してイエスはこう応えた。

「『人はパンだけで生きるものではない。
 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」

次に悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根に立たせて、

「神の子なら飛び降りたらどうだ。
 『神があなたのために命じると、
  あなたの足が石に打ち当たることのないように、
  天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」

と試みた。これに対してイエスは、

「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある。」

と応えた。
更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、
世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、

「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」

と言った。すると、イエスは言った。

「退(シリゾ)け、サタン。
 『あたなの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」

という具合だ。この時の高い山がシナイ山であるという説を、
何かの本で読んだ記憶がある。

ところで、今記した試みの順序は、マタイの福音書に従ったのだが、
ルカの福音書では、二番目と三番目が入れ替わり、
『高い山』という表現ではなく、
『イエスを高く引き上げ』と表現しており、
そして『一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた』
という風に、現代科学からは信じ難い表現がされている。

よく読むと、マタイの福音書にも、
『世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて』とあるから、
こんなことは物理的にはとても考えられないことがわかる。

というのは、例え、人工衛星に乗って上空高く上がったとしても、
現代科学は、地球は球状であるとしているから、
すべての国々を見るためには、一瞬のうちに地球を立体的に、
一回りしないとならないからだ。

世界の国々を一瞬に見る為には、世界の全ての国々が、
平面上に並ぶ必要がある。

そうでなければUFOにでも乗って、
一瞬のうちに世界一周をやってのけないとならない。

勿論『霊界物語』では、地球という表現を否定して地平と呼ぶべきだ、
と、説かれているし、その地平の中心は北であるとしてあるので、
こういうことなら、イエスを真北の上空高く連れて行けば、
世のすべてを確認することは可能だったと言えるのだが、
どちらにしても現代的なビジョンではない。

新約聖書の御言を、隅から隅まで、一言一句もらさず信ずるとなると、
現代科学は、まったく新約聖書に逆らっている、
ということを認めざるを得なくなる。

こう考えると、ここでいうシナイ山は、霊界物語でいうところの、
弥仙山(ミセンザン)に相当するものになって来るわけだが、
聖師さんも、肉体は高熊山の洞窟の前に端座していながら、
霊的に富士山に行ったり、また、弥仙山に行っているのだから、
イエスの肉体が砂漠(新約聖書には『荒れ野』と記されている)
で断食しながら上った高い山が、シナイ山であっても、
そこから霊的に遥か高い上空に上って行ったのなら、
『霊界物語学』的には、何の不都合もない。

この様に、このシナイ山は、信仰を試し、
善悪を立て別ける時に現れる聖山だと考えることが出来るのだ。

ところで、この山での悪魔の試みに、イエス本人は勝利したけれども、
悪魔は去り際に、『民衆がパンの試みに最も弱いこと』を示し、
イエスに対して再会を約束して去り、
事実、経済的に追い詰められたイエス教団に待っていたのは、
十字架の磔刑であり、悪魔はこの時、再びイエスの前に現れて、
最後の試みをした。

そして、このことを告げた悪魔は、
一般的に知られるルシファーと共にイエスを試みた、
アンリ・マンユ(アーリマンとも発音する)という悪魔で、
ゾロアスターが世に示した悪魔の頭領とも言える存在だ。

ルシファーは元来、天使長であったが、
人間として肉体に宿って生まれることを拒んだので、
霊的進化の機会を失った為、それを堕落とみなした神々から、
悪魔の列に加えられた霊的存在として知られているが、
アンリ・マンユはルシファーを天とするならば地に位し、
物質によく馴染んだタイプの悪魔といえるだろう。

つまりルシファーは天から堕落した悪魔だけれども、
アンリ・マンユは地の底から発生した元々の悪魔である。

このアンリ・マンユをイエスはサタンと称したのだ。

出口王仁三郎聖師は、これらを、
魔王、サタン、ルシファーの三つに分類して、
後にもっと大きな意味で説いているけれども、
ここでは、一般に知られる魔王伝説に近い形で、
筆者なりの注釈で話を広げてみよう。

大霊界の大空(ダイクウ)に属する天界には霊国と天国の二別があり、
大地に属する地獄には、
根の国と底の国の二別があることを説いているけれど、
木で例えると、地上の木全体がある空間が天国で、
その木を包んでいる空間が霊国で、
その根の及ぶ範囲が根の国で、
その根を包んでいる地底が、底の国である。

ルシファーは根の国の悪魔であり、
アンリ・マンユは底の国の悪魔であるといえるが、
霊界物語には魔王という表現があって、
この根底の国、両方を総合して背後にある、
兇悪最も激しい兇鬼がこれに当る。

新約聖書では、民衆の心に宿る悪意全てが、
これに相当すると言えるだろう。

イエスが十字架上で、

「わが神、何故わたしを見捨て給うのか?」

と叫んだ時、このアンリ・マンユが、
イエスが背負った民衆の罪に対して最後の試みをしていたのである。

即ち、ナザレのイエスも、アンリ・マンユも、
イスラエルの信仰薄き民に、イエスの最後の判決を委ねた結果、
十字架刑が実現したのだから…

そして最後の最後でイエスが、この十字架上での試みに勝利して、

「主よ、これで成就しました。」

と言葉を残して息を引き取り、三日目に復活したのである。

ちなみに、この後、イスラエルはローマの圧政と戦った後、
滅び去り、そしてそのローマ帝国も滅亡した。

そして全く新しい社会秩序が、時代に応じて興亡して、
現代があるのである。

ちなみに『霊界物語』には、何種類かの日の出の神が登場する。

大別して、元々、日の出の神として活動する場合と、
試練に耐え抜いた者が日の出の神になって昇天する場合がある。

この十字架のイエスは後者の日の出の神と同様で、
元々のキリストではなく、キリストの身替わりであったのであるが、
この十字架刑の受難の後、キリストとなって昇天して、
後世、世界各地で信仰される様になったのである。

本物のキリストは他にいたという事である。

ここで悪魔が云う『パンの試み』とは、
肉体を保つ為の生存本能を象徴している。

こんないわく因縁のあるシナイ山を、
曲津神達は攻めようとしていたわけだが、
筆者は、このシナイ山と、支那(シナ)には、浅からぬ繋がりがある様な、
そんな印象があるので、今後も心に留めておこうと思う。

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 このとき竜宮城に帰還して
神務を管理したまひたる大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は、
シナイ山の攻撃軍を掃蕩し、厳(イヅ)の御魂(ミタマ)を救ひ奉らむと、
少数の神軍を引率して出陣せむとしたまうた。

金勝要神(キンカツカネノカミ)は、命の袖を控へて、
出陣を中止したまふべく懇請せられた。

そのゆゑは竜宮城内に潜める竹熊の一派木常姫(コツネヒメ)は
深く城内に醜女(シコメ)、探女(サグメ)を放ち、
大八洲彦命の不在を機会に竜宮城を占領せむと、
着々と計画をすすめゐたる謀計を、
金勝要神はよく看破しゐたまうたからである。

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大八洲彦命は、このシナイ山に対する攻撃に対して、
すぐに応戦しようとしたけれども、
金勝要神に止められ、内政悪化を防ぐ方に足を取られて出陣出来なかった。

現代の日本でも、こういうことはよくあって、
対外的活動に力を入れようとすると、内政が乱れて身動き出来なくなるのだ。

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 また木常姫の応援として犬子姫(イヌコヒメ)は、
橄欖山(カンランザン)の麓にひそみ、
あまたの魔軍を駆(カ)つて内外両面より竜宮城を占領せむとし、
すでに事変の起らむとする間際(マギハ)であつた。

しかるに城内の味方は、ほとんどシナイ山に登りて、
竜宮城は守り手薄になつてゐたからである。

大八洲彦命は金勝要神の進言を容(イ)れて、
出陣を思ひとどまり竜宮城を固守せむことを決意した。

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事実、内側から竜宮城占領を企む木常姫一派に対する為、
大八洲彦命は出陣を思い留まったわけである。

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 しかし命(ミコト)の心にかかるは、
シナイ山にまします厳の御魂の御上(オンウヘ)であつた。

吾いま出陣せば竜宮城は敵手に落ちむ。
出陣せざればシナイ山の危急を救ふことができぬ。
進退これ谷(キハ)まりし命の心中、
実に想像するにあまりありといふべしである。

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シナイ山ということを中東問題に照らし合わせると、
ちょうどイラクに派遣された自衛隊のことを思い起こさせるものがあるが、
これは別に軍隊ではなく、イラク復興支援部隊であるから、
日本が戦争の為に派兵したわけではない。

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 ここに竹熊は大虎彦の応援を得、数万の蒙古軍を引率して、
シナイ山に八方より攻めよせた。

竹熊は木純姫(コスミヒメ)、足長彦(アシナガヒコ)に命じ、
遠近の諸山より集まりきたれる悪竜を指揮して雲を起し、
大雨を降らせ、一直線にシナイ山の中腹に攻めよせた。

しかるに一方山麓には、大虎彦の蒙古軍が十重二十重(トヘハタヘ)に取囲み、
もつとも堅固に警戒の網をはつて構へてゐる。

ここに山上にまします厳の御魂はこの光景を瞰下(カンカ)し、
事態容易ならずと見たまひ、高杉別(タカスギワケ)を主将とし鶴若(ツルワカ)、
亀若(カメワカ)、鷹取(タカトリ)、雁姫(カリヒメ)、稲照彦(イナテルヒコ)を部将として、
防戦につとめたまうた。

されど衆寡(シウクワ)敵しがたく、シナイ山の陥落は旦夕(タンセキ)に迫り、
厳の御魂の御身辺の危険は刻々に迫つてきた。

このとき天上よりは
大自在天大国彦(ダイジザイテンオホクニヒコ)の部下の魔軍無数に現はれ、
火弾を投下し、厳の御魂の神軍を窮地に陥れた。

厳の御魂は鷹取(タカトリ)、雁姫(カリヒメ)を急使として、
竜宮城にまします金勝要神に味方の窮状を報告し、
応援軍を差向けらるるやう申し渡したまうた。

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竹熊は、今、まさに日韓問題のネックになっている『竹島』を彷佛とさせる。

しかし、ここではシナイ山の攻撃に加わることになったので、
現状に似ているけれど、複合的に、他のことも象徴している様だ。

そして、ここでは蒙古軍も、大八洲彦命の敵軍として登場しているので、
この辺が鎌倉時代の元冦襲来に関わって来るのかもしれない。

この様に、霊界での出来事は、必ずしも霊界で目撃された順序通りに、
現界に実現するとは限らない。

大きく時を隔てて、切れ切れに実現して来る事もよくあることなのだ。

ここに出て来る高杉別は、厳の御魂の軍勢であるが、
何となく、幕末維新の志士の一人である高杉晋作を連想させるものがある。

大自在天大国彦は印度、英国、米国に繋がるものでもあるが、
ここでは北欧に蔓延る魔軍という風に考えておいた方がよいだろう。

世界は善悪混淆であるから、同じ国が、敵になったり、味方になったり、
時局に応じて入れ替わるので、
固定概念にとらわれない様にしないといけない。

この大自在天大国彦の参戦によって窮地を迎えた厳の御魂は、
大八洲彦命に遣いを送って援軍をこうたわけだ。

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 大八洲彦命は進退ここに谷(キハ)まつて、千考万慮の末、
真澄(マスミ)の珠(タマ)を、鷹取、雁姫に托したまうた。

鷹取、雁姫は天空高く、敵軍の上を飛揚してシナイ山頂に達し、
真澄の珠を厳の御魂の大神に奉(タテマツ)つた。

厳の御魂は喜び勇んで珠を手に取りたまひ、
攻めくる敵軍にむかつて珠を口にあて、
力をこめて息吹(イブ)きの神業(カムワザ)をおこなひたまうた。

東にむかつて吹きたまへば、東の魔軍はたちまち潰れ、
西にむかつて吹きたまへば、西の魔軍はことごとく散乱し、
かくのごとくにして、八方の魔軍は真澄の珠の神力により、
或ひは雲にのつて逃れ、或ひは霞(カスミ)に包まれてかくれ、
四方八方へ散乱し遁走し全く影をかくしてしまつた。

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援軍をこわれた大八洲彦命は、自ら出陣するわけにも行かないので、
遣いに真澄の珠を預けた。

この好判断によって厳の御魂は力を得、
寄せ来る魔軍を退散させることが出来たのだった。

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 今まで暗黒なりし天地はにはかに快明となり、
シナイ山の神軍はたちまち蘇生の思ひをなし、
隊伍をととのへ堂々として無事竜宮城に凱旋した。

 (大正十年十月二十二日、旧九月二十二日、谷口正治録)

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大八洲彦命も、厳の御魂も、自身の実力のみに頼ることが難しく、
以上の様に、常に、天授の珠に窮地を救われている。

この事からも判る様に、ここに登場する神々は、
決して信仰の対象となるべき神々ではなく、
信仰する側の高位の神々であることが判る。

神様も信仰心を持っているわけだが、
この辺の理屈は、仏教の法華経に明るい方なら、
簡単に判ることであろう。

神々といえども、誠の神でない限り、皆、迷い、
道を正すために信仰を持っているのである。

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