霊界物語 第六巻 霊主体従 巳の巻 第八篇 五伴緒神(イツトモノヲノカミ)
平成二十四(2012)年九月九日 旧七月二十三日(日)
広道別天使(ヒロミチワケノカミ)は、
この大男に岩彦(イハヒコ)といふ名を与へ、
例の宣伝歌を謡(ウタ)ひながら、
ローマの都の中心に進み行きたり。
今日は元照別天使(モトテルワケノカミ)の誕生祭とかにて、
家々に紅(アカ)や、白や、青の旗を掲げ、
祝意を表しゐたりける。
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今は2012年9月5日の午後三時頃である。
ここのところ『霊界物語学の日記』の更新は、
日記ではなく月記になっているが、最近は筆者の一日は一カ月になり、
寿命が延びたという都合の好い理屈を展開しておこうと思う。
今年は月に御縁がある様で長月初日(九月一日)の朝五時頃、
以上の様な写真が撮れて喜んでいたら、翌日から雨が多くなり、
とても涼しい秋の始まりになったが、
浴槽に張りっ放しだった水の中の雑菌が気になったので、
半年ぶりくらいに浴槽を空にしたら、
途端にあちこちで水不足を騒ぎ出したので、
妙なタイミングでこんな事が起こるものだな…と思って、
さっきまた新しい水を張った。
自分が風呂の水を空にしたり、いっぱいにしたりするだけで、
日本国中が干乾びたり、雨が増えたりしたら、
また自慢話をしたくなり、それが為に逆恨みされるのも厄介だ。
今月は、再興愛善苑の「神の国」誌に掲載して頂いた歌垣が、
ちょっと今の世相を予言した様な形になったので画像を添えておく。
歌垣の投稿は、前月10日までになっているので確かに予言だ。
…というか、予測といった方が正確かな?
そうこう言っていたら、さっき張った浴槽の水が効いたのか…
もう雲行きが怪しくなってイイ風が吹いて来た。
どれくらい降るかしれないが、これからひと雨あるかもしれない。
今は夕方4時過ぎである。
…さて、私的な御挨拶はこの辺にして…。
広道別天使が仮にナザレのイエスだとすると、
岩彦はペテロという事になる気がするのだが違うのだろうか?
…というのは新約聖書にナザレのイエスがペテロに、
「汝は岩である」
と予言する件があるからである。
元照彦天使は、なんとなく天皇陛下の様な気がするが、
いつの時代の天皇陛下かというと、それがもしナザレのイエスの時代なら、
崇神天皇くらいであろうと思うのだが…
参考にしているのは竹内文書系の書物だから、
あまり本気で考えてくれなくてもかまわないが、
もしかすると…という事もあるので筆者の感想として書いておく。
紅(アカ)や、白や、青の旗というのは何を象徴しているのだろう。
この色を全部混ぜると、筆者が日頃ツイッターで遊んでいる。
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…という奴になるのだが?
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而(シカウ)して数千の群集は、
白捩鉢巻(シロネヂハチマキ)に紫の襷(タスキ)を十文字に綾取(アヤド)り、
石や茶碗や、
鉦(シヤウ)や錻力鑵(ブリキクワン)のやうなるものを叩(タタ)きて、
ワツシヨワツシヨと列を作りて走りくる。
さうして一同はウラル彦の宣伝歌を謡ひながら、
勢(イキホヒ)凄(スサマ)じく海嘯(ツナミ)のごとく
此方(コチラ)を目がけて突進しきたる。
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白のネジ鉢巻など外国人がするとも思えない。
まして紫の襷を十文字に綾取るなどという事は、
今の日本人くらいしかやらないであろうと思うが、
昔はローマの方でもそんな事をやっていたのだろうか?
筆者の雛型感ではローマの辺りが京都の日本海側になるので、
これは戦前から終戦直後に王仁三郎聖師を担ぎあげて、
王仁三郎聖師の肉体があるうちにミロクの世が実現すると信じていた
能天気な大本信者達の事を描写しているのかもしれないし…。
一説によると、ナザレのイエスは十字架の受難の後、
実際に死から復活して埋葬された岩窟から抜け出し、
弟子達に聖霊による洗礼を施して、自身は天に上ったという話なので、
その天が何処かは知らないが、彼についていった一団が、
こんな風に真のイスラエルの風習でお祭り騒ぎをやりながら、
元照彦天使の誕生祭を祝っているのかもしれない。
そうなると、さっき崇神天皇かもしれないと思った元照彦天使は、
御生前の出口王仁三郎聖師という事にもなりそうだが?
筆者は既にウラル彦の事をイスラエル彦と解釈しているから、
偽イスラエル信者が津波の様な勢いで攻め寄せて来ているという、
そんな情景が展開されているという事になる。
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広道別天使は、
『神が表に現はれて
善と悪とを立別(タテワ)ける』
と謡(ウタ)ひながら進まむとするを、
群集の中の頭(カシラ)らしき男は、
この歌を謡ひゐる宣伝使の横面(ヨコヅラ)めがけて拳骨(ゲンコツ)を固め、
首も飛べよと言はぬばかりに擲(ナグ)りつけたり。
宣伝使は素知(ソシ)らぬ顔して、
又もや歌を謡ひはじめたり。
男 『こいつしぶとい奴(ヤツ)。まだほざくか』
と蠑螺(サザエ)のごとき拳骨を固めて、
処(トコロ)かまはず打ち伏せたり。
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ナザレのイエスの聖言に、
「汝もし右の頬を打たれなば左の頬をも差し出せ」
というのがある。
筆者も三十代の初めに、この「霊界物語」を盛んに読んでいて、
当時、働いていた派遣先の自動車設備部品工場の、
若い正社員に無理な仕事を命じられて、それを拒んだら、
殴りかかって来たので、
「殴れば気が済むのか?」
と言って反対側の頬を差し出してやった事がある。
結局、筆者からは一つも手出ししなかったし、
筆者が何故、無理な仕事を拒んだのかを、
会社の上の皆さんが認めたので、問題は解決したが、
筆者を殴った若者は耐えられなくなって、その職場を辞めてしまった。
皆、血気盛んで、落ち着いて神の道を聞く準備も出来ていないし、
実際、聖地エルサレムの周囲の皆さんも、血気盛んな人が多くて、
しょっちゅう殺し合いをやっているのは、
日本でも、朝廷を中心に権力争いが盛んに続いていたのと、
似た様なものなのだろう。
そういう皆さんには理屈が通用しないので怖ろしいが、
筆者もまだ三十代だったから、そんな無茶をやったので、
今だったらもうそんな所には近づこうともしないだろう。
行く前から結果は見えているから…。
ただこの広道別天使は、筆者の様に、
「殴れば気が済むのか?」
と言って反対側の頬を差し出す様な勇ましい事はせず、
素知らぬ顔をしてまた宣伝歌を唄おうとしたのだから、
当時の筆者よりは遥かに境地が進んでいるという事は、
ここに付け加えておかないといけない。
三五教の宣伝使は無抵抗主義だから、
それはいったいどんな事なのか、
実例として展開されている様だ。
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岩彦は仁王(ニワウ)のやうなる体躯を控(ヒカ)へ、
握り拳を固めて歯を食ひしばり、
地団太(ヂダンダ)を踏みたり。
されど宣伝歌の
「直日(ナホヒ)に見直(ミナホ)せ、宣(ノ)り直(ナホ)せ」
といふ神言(カミゴト)を思ひ出し、
かつ宣伝使の命令なきため大道に仁王立ちとなりしまま、
歯を食ひしばるのみなりき。
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ナザレのイエスの弟子であったペテロと比べると、
この岩彦は心境が一歩進んでいる様だ。
もし、これをゲッセマネでイエスが捕えられた時と比較するとなると、
ペテロは持っていた刃物で、敵兵の耳を切り落とし、
イエスはそんなペテロを制して、切り落とされた耳を拾い、
怯える兵士に元通りつけてやったという奇跡が記されているから…。
…さて、そんな事を書いていたら、そろそろ幽かに雷が聞こえて来た。
外から入って来る風もかなり冷たくなって来たが、
まだちょっと雲が遠いので横浜の地元で雨が降り出すまでには、
まだ少し時間がかかりそうだ。
他の地域では、とんでもない豪雨になって大変らしいが…。
今は夕方の五時半頃である。
筆者は六月の終わりに東京の演歌の先生に弟子入りする為に、
かなり短く散髪して、
しばらく愛善苑東京豊玉分苑には参加出来ない事を告げ、
およそ二カ月ちょっと過ごしたのだが、
やっと耳の上部に髪がかかるくらいまで伸びて来た。
なんとか就職せずにやってられているので、
またたっぷりと伸びる前にそろそろ神々が喧しくなって来たので、
面倒だが、これからまた命がけで神懸らないとならない様だ。
おっとっと…また話題が私的な事にずれてしまった…。
今回はまだ皇道經濟につながる様な話は出て来ないけれども、
無理に繋げるなら、こういう乱暴なもめ事も、
皇道經濟を土台に世界を地上天国にする事が出来たら、
あり得ない、という事を書いておこう。
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群集はこの男の姿を見て驚きしか、
途中に立ちとどまりて一歩も進まずゐる。
後列の弥次馬(ヤジウマ)は、
『ヤーヤイ。どうしてるのだ。進まぬか、進まぬか』
と呶鳴(ドナ)りゐる。
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だいたい本当に大きな事というのはこんな具合で、
群衆には判らないものなのだ。
何も、その時すぐに、みんなに全てが判らなければならない、
というものでもない。
皆がどうした?どうした?と騒いでいる間に、
一番肝心な事が決まっているものだ。
…と、そうこう言っているうちに、
午後六時過ぎになり雷雨が降り出す。
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宣伝使は打ち据(ス)ゑられ叩(タタ)かれながら、
悠々として宣伝歌を小声にてうたひ、
かつ天津祝詞(アマツノリト)を奏上したり。
たちまち大の男は拳を握り頭上に振りあげたる刹那、
全身強直して銅像のごとくになりてしまひ、
目ばかりギヨロギヨロと廻転させるのみなりき。
こちらは岩彦の大男が、
眼を怒らし、
面をふくらし、
口をへの字に結びて握り拳を固めて振り上げたるまま、
直立不動の態なり。
一方は拳骨を固め振り上げたまま、
口を開けたるまま強直して、
たちまちローマの十字街頭(ジフジガイトウ)には、
阿吽(アウン)の仁王様が現はれたる如くなりき。
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この頃の宣伝使の背丈はいったいどれくらいあったのだろう?
出口王仁三郎聖師は158㎝くらいだった様だが、
普通、天上人は180㎝以上はある筈なので、
簡単に殴りつけられる背丈ではないが、
皆が背が高ければ話は別だ。
プロレスラーくらいに鍛え上げられた肉体なら、
素人の力持ちが少々ぶん殴っても平気な顔をしているだろうから、
広道別天使も、それくらいの胆力はあった筈。
鼻や目を殴られたらプロでも耐えられないだろうけれど、
頬なら精神的に鍛えられていれば、殴られてもたいした事はない。
勿論、油断していれば痛いに決まっているが…。
そんな常態で、広道別天使は小声で宣伝歌を唄い、
天津祝詞を奏上し出し、大の男が拳を振り上げたまま固まった。
…というのだが、そんな事が現実に起こり得るものなのか?
あまり、そんな事は実験したくはないけれども、
ちょっと筆者のライブの時の興奮状態を例にあげてみたい。
ギターを抱いて路上に立ったり、バンドでステージに立って、
大声で唄いながら演奏に没頭していると、
あちこち怪我をするほどノリノリで暴れていても、
その時は全然痛くない。
よくいうアドレナリンというのが噴出しているらしく、
そういう時は脳内麻薬状態なので痛みを感じないそうである。
ライブが終わってからも、しばらくは興奮情態が続いているので、
暴れ過ぎて怪我をしてる事になかなか気付かない。
翌日になってやっとあちこち痛くなるという具合で、
たぶんずっとライブをやっていたら治るまで気づかないかもしれない。
それはバンドでステージに立っている時だけではなく、
路上で一人で唄っている時でも似た様な事が起こる。
たぶん唄っているとか、声を出しているという事に、
とても関係があるのではないかと思う。
これは小学校の頃の思い出だが、
ある日突然、年下の子に襲いかかられて、
馬乗りになられてマウントをかけられた感じで、
完全に態勢が不利だったのだが、突然スイッチが入り、
「うおおおおお!」
と声を発したら、相手をそのままひっくり返して、
ヘッドロックを決めて謝らせてしまった。
その後、中学校に上がってからも、
筆者は別に喧嘩が強かったわけではないので普通にしていたが、
やっつけた子は不良グループに入って凄んでいたのに、
筆者の前では何故か小さくなってしまっていた。
体力的には向こうの方が強かったかもしれないので、
向こうの方から小さくなってくれていて助かったが、
今は、喧嘩の勝ち負けを論じているのではなく、
態勢が不利の場合でも、声を出すと状況を逆転させる様な、
潜在能力が発揮される様だ、という話をしているのだ。
喧嘩や戦闘は、戦意喪失したらやられるしかないので、
そういう危険には近づかないのが一番利口だ。
しかし、最初から声を出して唄っていると、
たぶん喧嘩や戦闘とは全然違う波動が出て、
喧嘩の様な悪い波動を制してしまうのかもしれない。
ただイイ気になって慢心していると、
やはり補償はないので、筆者のこの例え話を、
迂闊に軽はずみに信用して試したりしないでほしい。
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群集の中からは、
『仁王さまぢや、仁王さまぢや』
と叫ぶものあり、
それに続きて群集は又もや口をそろへ、
『仁王ぢや仁王ぢや、ようマア似合(ニア)ふた仁王(ニワウ)さまぢや』
と無駄口を叩きはじめたり。
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ここで仁王様といわれているのは、
拳を上げたまま固まってしまった方で、
態勢が不利になっている大男の方である。
仁王様というのは王仁の事ではないとも思う。
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このとき横合より美(ウルハ)しき女の宣伝使が、
又もや、
『この世を造りし神直日(カムナホヒ)
御霊(ミタマ)も広き大直日(オホナホヒ)
ただ何事も人の世は
直日(ナホヒ)に見直(ミナホ)せ聞直(キキナホ)せ』
と謡(ウタ)ひながら、
この場に現はれたり。
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感情が無い暗殺ロボットの様な刺客が相手だったら、
こうはうまくはいかないのではないかと思うのだが、
宣伝使が縁あって唄いながら入って行く様な場所は、
それなりに道理が通用する社会だから、
こういう優雅な展開になり得るのだと思う。
この辺は勘違いしない方がよいと思うのである。
王仁三郎聖師でも、大本草創期に刺客が刃物を隠して訪ねて来た時、
前もって火箸を構えて、相手が殺気を見せたら熱灰を浴びせて
火箸でついて対処するという様な気構えがあったそうだから、
相手をよく見て応対するべきだと思う。
一番イイのは、そういう相手とお近づきにならない事である。
また世間様から愛される様な努力も徐々にしてゆくべきだろう。
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群集は口々に、
『オーイ、見よ見よ、立派な仁王さまができたと思ふたら、
今度は三十三相揃(ソロ)ふた大慈大悲の観世音菩薩(クワンゼオンボサツ)だ。
拝(ヲガ)め拝め』
と異口同音に叫びいだしたり。
『ヨーヨー』
と数千の群集は、
前後左右を取り巻き、
さしもに広き都大路の十字街頭も、
すし詰となりて、
風の通る隙間もなきやうになりたり。
女宣伝使は、
宣伝歌を謡ひ出したるに、
群集の中には罵詈雑言を逞(タクマ)しうする弥次馬さえ、
沢山現はれ来たりぬ。
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また筆者が路上シンガーをやっていた時の話だが、
たくさん若い人達が通り過ぎて行く中には、
時々、野次を浴びせてくれる人もいたりしたものだ。
肝心なのは大きな声でちゃんと唄う事だが、
自分より声がでかいライバルの様な同業者も、
辺りに何人かいたりして、自然に張りあったりもした。
ただ、この宣伝使の様に、伝えるべきメッセージがあり、
その為の戦いをするのとは違い、
シンガーとしての争いというか、競い合いだから、
ちょっと話が違うのだが…。
要するに、きちんとした目的を持って唄っていると、
反対者の声はあまり気にならないので図太くいく方が好いと、
そういう事をここでは言いたいのだ。
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女宣伝使は、
細き、白き手を上げて、
左右左に振りたり。
悪口雑言をほざきたる群集は、
口を開けたるまま、
閉ぢることもできず強直して、
「アーア」
と言ひながら涎(ヨダレ)を垂らすもの、
彼方此方(アチラコチラ)に現はれたり。
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ここまでの神力が出るには、誠の道の宣伝使という様な、
大義名分がないといけないと思うので、
そうでない場合は、ちゃんとボディーガードを従えて
演説活動をした方がいいと思う。
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このとき前方より、
行列厳(イカ)めしく立派な乗物に乗り来るものあり。
乗物の前後には、
沢山の伴人(トモ)が警護して人払ひしながら、
おひおひと十字街頭にむかひて進みきたる。
これはローマの城主元照別天使(モトテルワケノカミ)が、
誕生の祝ひを兼ね、
地中海の一つ島に参拝する途中の行列なりける。
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ここから九月九日の書き込みになる。
前回、一度、手を休めたら、全然更新する気になれなかったので、
その気になるまで他の作業をやっていた。
その間、こんな面白い写真が撮れたので、また記念に載せておく。
どうだろうか?
ジブリアニメ「もののけ姫」のダイダラボッチの様に見えないだろうか?
九月八日の夕方に、ちょっと気晴らしに踊り場に出たら、
こんな雲が出来かけていたので、一瞬のチャンスを逃さない様に、
急いでカメラを持って来て撮影したのだ。
筆者がこの写真の撮影に成功したら、上空の強風の影響か?
すぐに形が崩れてしまった。
この雲と雲との重なり合いを、ダイダラボッチだと思う筆者が、
たまたまその時間に気休めに踊り場に出て、
その時、カメラが間に合うというのも、
ちょっとした奇跡とは言えないだろうか?
しかも、その写真撮影に成功したのが九月八日というのがまた面白い。
だからといって「九月八日のこの仕組み」などと、
見栄を切ろうとは思わないが「神も時節の力には適わぬ」そうだし、
この一瞬の時間に立ち合わせてもらえた筆者は、
ある意味、ラッキーだったと言えるのではなかろうか?
今、何故、時節という事について語るかといえば、
やはり「皇道經濟」である。
これを世界に呼び掛けるのは今だと思う。
皇道經濟が実現されるのは、もう少しさきになるかもしれないが…。
ところで、九月五日には予想通り、イイ雨が降ったが、
その後、また残暑的な天気が続いて、雨らしい雨は降っていない。
さて本題に戻るとしよう。
『これはローマの城主元照別天使(モトテルワケノカミ)が、
誕生の祝ひを兼ね、
地中海の一つ島に参拝する途中の行列なりける。』
…とあるけれど、これは重要な大本神業の神嶋参りとイメージが重なる。
やはり元照彦天使は、坤金神、出口王仁三郎聖師という事になりそうだ。
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群集は四方八方に散りてしまひたり。
仁王さまは、
依然として十字街頭に二柱(フタハシラ)相竝(アヒナラ)びて、
阿吽(アウン)の息を凝(コ)らして佇立(チヨリツ)してゐる。
先払ひは仁王にむかひ、
『右へ右へ』
と声をかけたり。
仁王はウンとも、
スンとも言はず、
十字街頭に鯱(シチヤ)こ張(バ)りゐたり。
広道別天使(ヒロミチワケノカミ)は路傍のある家の軒先に立ちて、
この光景を眺めゐたり。
先払 『この無礼者。右へと言つたら、なぜ右へ行かぬか。
何と心得ゐるか。
勿体(モツタイ)なくもローマの城主元照別天使の御通行だ。
すみやかに右へ寄れ』
といひつつ、
あまり巨大なる男の握り拳を固めて立ちゐるに、
やや驚きしと見え慄(フル)ひ声にて呶鳴(ドナ)りをる。
輿(コシ)は段々と進みてくる。
仁王はどうしてもびくともせぬ。
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普通、阿吽の仁王様というと、お寺の門前にあって、
心卑しい物が寺内に立ち入らぬ様に見張っている様なイメージだが、
元照彦天使の行列は、その仏教の寺の門番の御仁王様に、
邪魔だ、右へよけろと命令できる身分だと言う事になる。
しかし、どけと言われてもこの俄か仁王様二体は、
何も自分の意思でそこに立ち塞がっているわけではない。
言霊の力で霊縛に遭って身動きできなくなっているのだ。
ちょうど、今の世の中が、筆者の「皇道經濟」の論説の前で、
右にも左にも寄る事が出来ずに仁王立ちになっている様な情態に見え、
筆者はちょっと可笑しくなる。
さて、九月五日に、この分解を再開した時には、
まるで、こんな事を書く気分にはなれなかったが、
今日はまた、こんな自分中心の強気な事を書ける気分になっている。
…というのも、きっと時節の力に違いない。
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先払ひの甲乙丙は、
恐々(コハゴハ)前に寄りてこの大男を仰(アフ)ぎ視(ミ)たり。
見れば動きてゐるものは目ばかりなり。
甲 『ハハーこいつは造り物だな。
ローマの人民は今日は御城主の御通りだと思つて、
アーチの代りにこんな所に、
仁王立ちを拵(コシラ)へて立てときよつたらしい。
しかしもつと距離を開けとかぬと、
これでは通れはせぬワイ。
気の利(キ)かぬ奴だな』
乙 『イヤ、此奴(コイツ)は人間だぞ。
それ見い、目を剥(ム)いてらア。
ど偉い目玉をむきよつて
俺等(オイラ)を嚇(オド)かさうといふ駄洒落(ダジヤレ)だな。
ヤイ、退かぬか。どかぬと目を突いてやるぞ』
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霊界物語も、この辺まで進んで来ると、
こんな風に陽気な会話が多くなる。
ハッキリ言って、これが霊界物語の実に楽しいところなのだが、
あまり今の世の中の様に、たいしたことのない問題を、
真面目腐って鯱鉾立って難しい顔しながら、一向に解決できもせず、
喜んでいるのは、世の中の混乱を煽っているマスコミだけという
そういう状況が続いているのはよろしくない。
世間には五体満足でも年中憂鬱な顔をして暮らしている者もいれば、
五体不満足でも負けん気を人一倍発揮して、
健常者をひっくり返してしまう様な、そんな強気な者もいる。
筆者も本当は、これからどんどんエスカレートして来る、
この霊界物語の愉快な台詞回しが大好きなのだが、
最近では愛善苑東京豊玉分苑に行っても堅苦しくて退屈なので、
そんな気分を味わう為に高い交通費を出してまで通うのは勿体なく思い、
ちょっと休憩して、テレビアニメの銀魂を肴に、
おバカなツイートばかりやって暮らしている今日この頃だ。
何と言っても、筆者の立場としては、
『皇道經濟』という答えが出てしまっているので、
世間様がどんなに仁王様の様に睨みを効かして立ちはだかっていても
この甲乙丙の様に、軽口を飛ばし合いながら、
強気に、陽気に、天国的にやるのが一番だと思っている。
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丙 『無茶するない、もし神さまが化けとるのぢやつたら、
如何(ドウ)する、罰(バチ)が当るぞ』
甲 『神さまなら、一つ頼んで見ようかい。
モシモシ渋紙(シブガミ)さま』
乙 『渋紙さまてあるものかい』
甲 『それでも渋紙見たやうな色してるぢやないかい』
乙 『渋紙さまなら貴様のことだい。
食(クラ)ひものに渋(シブ)い、
仕事に鈍(ニブ)い、
そこで死(シ)に損(ゾコ)なひの合せて六分(ロクブ)を除つて、
後の残りの渋紙の貧乏神つたら、
貴様のことだ。
この間も貴様のとこの嬶(カカ)に貧乏神とぼやかられよつて、
猿が渋柿喰(ク)つたやうな顔をさらして、
渋々出て行きよつたぢやないか』
甲 『しぶとい奴ぢや。
こんな大道の真中で、
他人の所の内の棚卸(タナオロ)しまで止めて貰(モラ)はふかい。
そんなこと吐(ヌ)かすと仁王さまに取掴(トツツカ)まるぞ。
それそれあのお顔を見い、
御機嫌斜(ナナメ)なりだ。あの振り上げた鉄拳が、
今貴様の頭上にくるぞ』
乙 『馬鹿いへ、造り物だ、造り物だ』
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今、日本国内では、社会保障政策を装った増税改革や、
解散総選挙を見越した与野党の政戦やら、
日本周辺の島をめぐる領土問題やら、
大阪維新の会を日本維新の会にして国政に進出する、
とか言って騒いでいるが、
全くこの俄か仁王様の様に、拳を振り上げたまま身動きがとれず、
皇道經濟の前では何をやっても悪魔の所業という
動かし難い事実の前で固まっている様に見えて滑稽だ。
テレビのワイドショーの女子アナ達がどんなに美人でも
ケツ喰らえ観音の筆者だが、一応 ← デジアナ変換赤紫入り~~~!^0^♪
…などと毎日ツイッターで持ち上げて喜んでいる。
だいたい、いくら顔立ちがよくても、
短足胴長の貧乳の頭でっかちの美女ばかりでは、
どれもこれも竜宮城の竜女達に見えてしょうがない筆者なのだが、
高い服着て、綺麗な顔をしてテレビに映っていてくれれば、
男どものくだらないコメントを聞いているよりは遥かにマシなので、
結婚しようが、独身を貫こうが、変性男子を気どろうが、
どうでもいいから綺麗な顔だけテレビに出して、
難しい顔して仁王立ちのマスコミに、
華を添え続けて頂きたいものだと思う。
やはり、ホントにイイ女ともなれば、
ボン、キュッ、ボンで、夜の床上手であってほしい
聖人君子でも何でもない筆者である。
世の中が混乱する事だけを望んでいる
銭儲け主義の魂の無い腐ったマスコミの事はどうでもよい。
…と、そんなことを今、ここに書いてみたくなった。
要するに皇道經濟さえやれば、そんな仁王立ちの世の中も終わるのだ。
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後の方よりは、
「進め、進め」
と号令がかかる。
このとき一方の仁王は大手を拡げて、
『通ること罷(マカ)りならぬ』
と怒鳴(ドナ)りゐる。
丙 『オー化物が物を言ふた。
ヤイ貴様は昼の白昼に、
こんな所へ出て化けたつてあかぬぞー。
仁王の幽霊奴(メ)が』
又もや後の方より、
「進め、進め」
の声が頻(シキ)りに聞えきたる。
(大正十一年一月二十四日、旧大正十年十二月二十七日、外山豊二録)
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先ほどの筆者の分解を一読したならば、
このちょっとふざけたやりとりと、今の世の中との関連性が、
不思議なほどよく見えて来るに違いないと思う。
坂本龍馬や幕末の志士を気どって「維新の会」などを作って喜んでいる
改革好きの禍津神どもが、何をどう言ったところで仁王の幽霊だ。
この世界が根本から立て直され、地上天国が完成する為には
皇道經濟を実践するしかないのだ。
…と、筆者は、先に紹介したいろいろな写真に、
後ろから煽られている様な気がして仕方がないのである。
嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)
北欧と欧州
亜弗利加の砂漠と日本の鳥取砂丘
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