『音惚花活気好@kakky』=垣内政治的《霊界物語学》の日記的な雑記の様なレポート状の諸々?

出口王仁三郎聖師による弥勒胎蔵経『霊界物語』を『音惚花活気好@kakky』的に学問してみるランダムレポート?

第9章 弁者と弁者 (109)

2007年07月30日 01時27分27秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第四篇 鬼城山

 寒風吹き荒(スサ)み、牡丹餅雪(ボタモチユキ)さへ降りきたる
高熊山(タカクマヤマ)の巌窟の入口に、霊縛(レイバク)を受け、
身動きならぬ苦しさに、二時間ばかりを費やせしと思ふころ、
またもや王仁(オニ)は霊界に逍遥したりける。

 たちまち巌壁に紫紺色(シコンイロ)の雲の戸帳(トバリ)がおろされ、
中より荘重なる大神(オホカミ)の御声聞こゆると同時に、
紫紺色の雲の戸帳は自然にまきあげられ、
正面には、えもいはれぬ荘厳なる宝座が設けられ、
あまたの天使を従へて国治立命(クニハルタチノミコト)は
国直姫命(クニナホヒメノミコト)と共に中央に着座され、
ふたたび神界探険の厳命を降したまひしが、
宝座は忽然(コツゼン)として消え去りし刹那に、
自分はある高山の頂(イタダキ)に登り、
鬼城山(キジヤウザン)におこれる種々の経緯(イキサツ)を見るとはなしに、
見聞しゐたりける。

 鬼城山には灰色(ハヒイロ)の玉を鎮祭し、
真鉄彦(マガネヒコ)を八王神(ヤツワウジン)となし、
元照彦(モトテルヒコ)を八頭神(ヤツガシラガミ)となし、真鉄姫(マガネヒメ)、
元照姫(モトテルヒメ)を八王八頭神(ヤツワウヤツガシラガミ)の妻として、
永遠に守護せしむることに決定されたり。

しかるに鬼城山にはすでに棒振彦(ボウフリヒコ)の変名なる美山彦(ミヤマヒコ)、
高虎姫(タカトラヒメ)の変名なる国照姫(クニテルヒメ)ら、
常世姫(トコヨヒメ)の権威を笠にきて傍若無人の挙動(フルマヒ)多く、
加ふるに杵築姫(キツキヒメ)、清熊(キヨクマ)、猿世彦(サルヨヒコ)、
駒山彦(コマヤマヒコ)らの邪神とともに武威を輝かし、
容易に国治立命の神命を奉ぜず、かつ律法を遵守せず、
地(チ)の高天原(タカアマハラ)より
八王八頭(ヤツワウヤツガシラ)の神司(カミ)の赴任をさまたげ、
魔神を集めてあくまで対抗しつつありしなり。

 ここに大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は諸神将をあつめ、
美山彦の罪状にたいし、

 『天地の律法御制定により従前の罪悪を大赦せられたれば、
  この際本心に立ち帰らせ、神業に参加せしめなば如何(イカン)』

と提議されたり。

諸神将は天使長の御意見に賛成したてまつらむと、
満場一致をもつて命(ミコト)の提議を可決したり。

されど邪智ふかき美山彦以下の曲人(マガビト)らの
一筋繩にてはたうてい城を追ひがたきを知り、
竜宮城の侍女にして弁舌に巧みなる口子姫(クチコヒメ)をつかはし、
神意を伝達し、すみやかに大神に帰順せしむべく旨をふくめて
鬼城山に遣(ツカ)はしたまひける。

 口子姫は照妙(テルタヘ)のうるはしき衣(コロモ)を着かざり、
二柱(フタハシラ)の侍女をともなひ、鬼城山にいたり、
美山彦をはじめ国照姫に面接を申込みたり。

美山彦らは、口子姫を奥の間にみちびき来意を尋ねたるに、
口子姫は一礼して後おもむろにいふ。

 『このたび天地の律法地(チ)の高天原(タカアマハラ)において制定され、
  世界の各所に十二の国魂(クニタマ)を鎮祭し、
  八王八頭の神司(カミ)を任命したまひたり。
  しかして鬼城山は真鉄彦、真鉄姫、元照彦、
  元照姫の主宰のもとにおかるることに決定されたり。
  汝(ナンヂ)はすみやかにこの神命を拝受し、
  鬼城山の城塞を明けわたし、
  地の高天原に参上りて神務に奉仕されよ。
  以上は天使長大八洲彦命の直命なり』

と淀(ヨド)みなく申渡しけるに、国照姫は、
膝をすすめてその処置の不当なるを罵(ノノシ)り、
かつ懸河(ケンガ)の弁舌をふるひて滔々(タウタウ)と弁駁につとめたり。

されど口子姫は名題の弁舌者なれば、
負ず、劣らず布留那(フルナ)の弁をふるひて、
神命の冒(ヲカ)すべからざる理由を極力弁明したりけれども、
国照姫もさすがの悪漢(シレモノ)、口子姫が一口述ぶればまた一言、
たがひに舌鉾火花を散らし鎬(シノギ)を削り、弁論はてしもなく、
寝食を忘れて七日七夜を費やしけるが、布留那の弁者口子姫も、
つひに国照姫の舌鉾に突き破られて兜(カブト)を脱ぎ、
国照姫の幕下となり、
地の高天原に三年を経(フ)るも復命せざるのみならず、
その身は鬼城山の美山彦に重用され、
高天原に一時は反旗を翻(ヒルガヘ)すにいたりける。

 大八洲彦命はふたたび諸神将を集めていふ。

 『鬼城山に遣はせし口子姫は三年を経るもいまだ復命せざるのみか、
  もろくも国照姫の侫弁(ネイベン)に肝(キモ)をぬかれ、
  いまや鬼城山の重臣となり、反旗を翻さむとせりと聞く。
  鬼城山の美山彦一派にたいし膺懲(ヨウチヨウ)の神軍をむけ、
  一挙にこれを討滅せむは容易の業なれども如何(イカン)せむ、
  天地の律法は厳然として日月のごとく、
  毫末も犯(ヲカ)すべからず、諸神の御意見承(ウケタマハ)りたし』

と諸神司(シヨシン)に対しはかりたまひける。

ここに天使神国別命(カミクニワケノミコト)すすみいで、

 『天地の律法は「殺す勿(ナカ)れ」とあり、
  仁慈をもつて万物に対するは、大神(オホカミ)の御神慮にして、
  かつ律法の示すところなり。
  大神は禽獣蟲魚にいたるまで、広く万物を愛せよと宣(ノタマ)ひ、
  かつ律法に定めおかれたり。
  彼らはいかに猛悪の神なりといへども、
  一方の頭領と仰がるるにおいておや。
  望むらくは再び使をつかはして大神の神慮を懇切に説き示し、
  大義名分を悟らせなば、
  つひに心底(シンテイ)より帰順するにいたらむ。
  よろしく吾妻別(アヅマワケ)の一子須賀彦(スガヒコ)を遣(ツカ)はしたまへ』

と進言しければ、天使長はこの言を容(イ)れ、
須賀彦を第二の使者として、鬼城山に派遣したまひける。

 (大正十年十一月十五日、旧十月十六日、森良仁録)

『音惚花活気好@kakky』的『第9章 弁者と弁者 (109)』分解

2007年07月30日 01時26分20秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第四篇 鬼城山

平成十九(2007)年七月三十日 旧六月十七日(月)

 寒風吹き荒(スサ)み、牡丹餅雪(ボタモチユキ)さへ降りきたる
高熊山(タカクマヤマ)の巌窟の入口に、霊縛(レイバク)を受け、
身動きならぬ苦しさに、二時間ばかりを費やせしと思ふころ、
またもや王仁(オニ)は霊界に逍遥したりける。

--------------------------------------------------------------

要するに一旦、霊界修行から現世に戻って来ると、
そこは牡丹餅雪が降るほどの寒さの中だったわけだ。

ここで肉体的苦行を二時間ばかり費やした頃、
自然な睡魔に襲われて、再びその霊魂は、
霊界に入って行ったというわけである。

肉体的に健康状態を保ったまま、
静かに瞑想状態に入ることも出来るのだが、
肉体の方があまり元気でも、
霊界の広範囲を観て来るのは難しいのだ。

どうしても天国寄りばかりの霊界に偏ってしまうからである。

国祖御退隠の御因縁を探ろうと思えば、
肉体の方も、ある程度は苦痛の中に無ければ、
相応の理が作用しないのだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 たちまち巌壁に紫紺色(シコンイロ)の雲の戸帳(トバリ)がおろされ、
中より荘重なる大神(オホカミ)の御声聞こゆると同時に、
紫紺色の雲の戸帳は自然にまきあげられ、
正面には、えもいはれぬ荘厳なる宝座が設けられ、
あまたの天使を従へて国治立命(クニハルタチノミコト)は
国直姫命(クニナホヒメノミコト)と共に中央に着座され、
ふたたび神界探険の厳命を降したまひしが、
宝座は忽然(コツゼン)として消え去りし刹那に、
自分はある高山の頂(イタダキ)に登り、
鬼城山(キジヤウザン)におこれる種々の経緯(イキサツ)を見るとはなしに、
見聞しゐたりける。

--------------------------------------------------------------

王仁三郎聖師(当時は上田喜三郎)の凄い所は、
こういう詳細な記憶をしっかりと持ち続けていることだ。

普通、現世から霊界に入って行く時は、
ある程度の空白期間があるものだ。

それは、やはり、かなりの苦痛が伴うからで、
移行の際に守護神の働きで、
仮死状態の様な意識不明状態に置くことで、
その苦痛から逃れさせてくれるからである。

筆者でも週に一度は肉体を完全に休ませて、
霊界入りをしてリフレッシュして来るのだが、
肉体の方が元気で目が覚めてしまい、
それならと起きようとすると、
全身がとても苦しみを覚える。

これは元気な肉体が霊魂の離脱を許さないからである。

…というのは、肉体が活動中は、霊魂が飛び出さない様に、
ガッチリとシートベルトをしている様な状態にあるのだが、
半覚醒状態の時の霊魂は、
霊界に出かけようとしているのに、
肉体の方でシートベルトにオートロックをかけてしまって、
霊魂の自由が効かなくなってしまった様な状態になるわけだ。

それで苦しくなるのである。

ちょうどちょっと狭い所を通ろうとした時に、
上着がちょっとした出っ張りに引っ掛かって、
引き戻される様な感じになって不快を覚える様な感じにも似ている。

そんな感じなのだが、しばらくこれに耐えていると、
何時の間にかまた意識を失って、霊界に再び戻って行くのだが、
それでも記憶がハッキリして来るのは、
こちらの意識が明確になってからで、
それまでの霊界で朦朧としている状態のことは、
まったく覚えていないものである。

現世の肉体の意識が朦朧としている時のことは、
よく覚えているものだが…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 鬼城山には灰色(ハヒイロ)の玉を鎮祭し、
真鉄彦(マガネヒコ)を八王神(ヤツワウジン)となし、
元照彦(モトテルヒコ)を八頭神(ヤツガシラガミ)となし、真鉄姫(マガネヒメ)、
元照姫(モトテルヒメ)を八王八頭神(ヤツワウヤツガシラガミ)の妻として、
永遠に守護せしむることに決定されたり。

しかるに鬼城山にはすでに棒振彦(ボウフリヒコ)の変名なる美山彦(ミヤマヒコ)、
高虎姫(タカトラヒメ)の変名なる国照姫(クニテルヒメ)ら、
常世姫(トコヨヒメ)の権威を笠にきて傍若無人の挙動(フルマヒ)多く、
加ふるに杵築姫(キツキヒメ)、清熊(キヨクマ)、猿世彦(サルヨヒコ)、
駒山彦(コマヤマヒコ)らの邪神とともに武威を輝かし、
容易に国治立命の神命を奉ぜず、かつ律法を遵守せず、
地(チ)の高天原(タカアマハラ)より
八王八頭(ヤツワウヤツガシラ)の神司(カミ)の赴任をさまたげ、
魔神を集めてあくまで対抗しつつありしなり。

--------------------------------------------------------------

この様に、高天原で決まったことが、
即、地方で遵守されるものでないというところが、
なかなかリアルである。

お上が何を決定しようと、土地の人々が納得しなければ、
なかなか穏やかに治まらない道理である。

征服軍と先住民の争いであるから、
双方命懸けなので、
あまり甘いことばかり考えていては侮られる。

どうしても、そこには戦(イクサ)が発生することになる。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 ここに大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は諸神将をあつめ、
美山彦の罪状にたいし、

 『天地の律法御制定により従前の罪悪を大赦せられたれば、
  この際本心に立ち帰らせ、神業に参加せしめなば如何(イカン)』

と提議されたり。

諸神将は天使長の御意見に賛成したてまつらむと、
満場一致をもつて命(ミコト)の提議を可決したり。

されど邪智ふかき美山彦以下の曲人(マガビト)らの
一筋繩にてはたうてい城を追ひがたきを知り、
竜宮城の侍女にして弁舌に巧みなる口子姫(クチコヒメ)をつかはし、
神意を伝達し、すみやかに大神に帰順せしむべく旨をふくめて
鬼城山に遣(ツカ)はしたまひける。

--------------------------------------------------------------

口子姫は、つまり交渉役ということか?

それにしても高天原というのは、こんな頃から男女同権で、
姫神だからといっても侮らず、
この様に重要な役を任命するあたり、太古の話だが進んでいる。

高天原といえば日本のことの様に思い違いしている方も多い様だが、
このこと一つを観てみても、
それは大きな早とちりであるということが判るだろう…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 口子姫は照妙(テルタヘ)のうるはしき衣(コロモ)を着かざり、
二柱(フタハシラ)の侍女をともなひ、鬼城山にいたり、
美山彦をはじめ国照姫に面接を申込みたり。

美山彦らは、口子姫を奥の間にみちびき来意を尋ねたるに、
口子姫は一礼して後おもむろにいふ。

 『このたび天地の律法地(チ)の高天原(タカアマハラ)において制定され、
  世界の各所に十二の国魂(クニタマ)を鎮祭し、
  八王八頭の神司(カミ)を任命したまひたり。
  しかして鬼城山は真鉄彦、真鉄姫、元照彦、
  元照姫の主宰のもとにおかるることに決定されたり。
  汝(ナンヂ)はすみやかにこの神命を拝受し、
  鬼城山の城塞を明けわたし、
  地の高天原に参上りて神務に奉仕されよ。
  以上は天使長大八洲彦命の直命なり』

と淀(ヨド)みなく申渡しけるに、国照姫は、
膝をすすめてその処置の不当なるを罵(ノノシ)り、
かつ懸河(ケンガ)の弁舌をふるひて滔々(タウタウ)と弁駁につとめたり。

--------------------------------------------------------------

要するに、窮屈な高天原の生活を逃れて、
外様でもって、割合愉快な生活を築き上げて喜んでいるところへ、
急に、トンビに油揚さらわれる様に、
高天原から帰還の直命が下されたのだ。

これはハッキリ言って面白く無いだろう。

つまり、本社から左遷的に地方に派遣されて、
その左遷先を見事開拓して人生の春を満喫しているところに、
今度は本社復帰の辞令が出て、
かわりに本社から新たな人材が派遣されて来るということになり、
本社に対して抱いていた恨みが爆発して、
使者に対して抵抗を繰り広げているわけだ。

冷静に考えれば、使者に従うのがよいわけだが、
感情的になっているから、意地でも帰るものか!
という気分になってしまっているのである。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

されど口子姫は名題の弁舌者なれば、
負ず、劣らず布留那(フルナ)の弁をふるひて、
神命の冒(ヲカ)すべからざる理由を極力弁明したりけれども、
国照姫もさすがの悪漢(シレモノ)、口子姫が一口述ぶればまた一言、
たがひに舌鉾火花を散らし鎬(シノギ)を削り、弁論はてしもなく、
寝食を忘れて七日七夜を費やしけるが、布留那の弁者口子姫も、
つひに国照姫の舌鉾に突き破られて兜(カブト)を脱ぎ、
国照姫の幕下となり、
地の高天原に三年を経(フ)るも復命せざるのみならず、
その身は鬼城山の美山彦に重用され、
高天原に一時は反旗を翻(ヒルガヘ)すにいたりける。

--------------------------------------------------------------

結局、大国主命ではないけれども、
天津神からの使者を丸め込み、抱き込んでしまったわけだ。

口子姫にも抱き込まれてしまうだけの同情すべき事情が、
国照姫の言い分にみとめられてしまったわけである。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 大八洲彦命はふたたび諸神将を集めていふ。

 『鬼城山に遣はせし口子姫は三年を経るもいまだ復命せざるのみか、
  もろくも国照姫の侫弁(ネイベン)に肝(キモ)をぬかれ、
  いまや鬼城山の重臣となり、反旗を翻さむとせりと聞く。
  鬼城山の美山彦一派にたいし膺懲(ヨウチヨウ)の神軍をむけ、
  一挙にこれを討滅せむは容易の業なれども如何(イカン)せむ、
  天地の律法は厳然として日月のごとく、
  毫末も犯(ヲカ)すべからず、諸神の御意見承(ウケタマハ)りたし』

と諸神司(シヨシン)に対しはかりたまひける。

--------------------------------------------------------------

法に従わないのは偽美山彦と国照姫側なのだから、
法に基づいて警察行動を起こせばよいだけだと思うのだが、
法を守る者が守らない者に対して、ここまで配慮するのは、
はたして如何なものだろうか?

ある意味、この甘さは、
法に対する不信感の現れとは言えないだろうか?

自ら守ってはいるけれども、
その法が抱える矛盾に気付いてしまっているから、
何か心が咎めて強行手段に訴えられないのではなかろうか?

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

ここに天使神国別命(カミクニワケノミコト)すすみいで、

 『天地の律法は「殺す勿(ナカ)れ」とあり、
  仁慈をもつて万物に対するは、大神(オホカミ)の御神慮にして、
  かつ律法の示すところなり。
  大神は禽獣蟲魚にいたるまで、広く万物を愛せよと宣(ノタマ)ひ、
  かつ律法に定めおかれたり。
  彼らはいかに猛悪の神なりといへども、
  一方の頭領と仰がるるにおいておや。
  望むらくは再び使をつかはして大神の神慮を懇切に説き示し、
  大義名分を悟らせなば、
  つひに心底(シンテイ)より帰順するにいたらむ。
  よろしく吾妻別(アヅマワケ)の一子須賀彦(スガヒコ)を遣(ツカ)はしたまへ』

と進言しければ、天使長はこの言を容(イ)れ、
須賀彦を第二の使者として、鬼城山に派遣したまひける。

 (大正十年十一月十五日、旧十月十六日、森良仁録)

--------------------------------------------------------------

神々といえども人々といえども、巨大な日月とはわけが違う。
欠点と弱さを抱えた、もろい身体を持った生き物である。
そしてそのもろい身体を支える為に、
どうしても食ということから逃れることは出来ない。

食を考える以上「殺す勿れ」の律法を守ることは、
絶対に不可能である。

そのことを考慮しないで精神論ばかりを述べているところに、
この律法が天のみに偏った不完全なものである、
という欠陥があるのだ。

こういう現実的な問題は、家事を扱う女性にとっては、
特に見逃す事が出来ないものなのではなかろうか?

ちなみに『霊界物語』「天祥地瑞」には、
餓え渇き、苦しんでいる国津神達に対してだけ、
海中の魚介類などを食べる事が許される御因縁が詠われている。

実は海中の魚介類は、
邪神邪霊などが贖罪の為にその姿に封じられたもので、
国津神達の食材になることで、その罪が浄められるのだ。

つまり、魚介類を国津神達が殺して美味しく頂くことで、
地獄に堕とされた邪神邪霊達が浄められて昇天するのである。

それで太古の日本では、料理は神聖な神事として行われたのだ。

これを受け継いだのが大陸に現れた孔子で、
美しく飾られた美味しい料理を世に広めることに、
一役買ったのである。

そして国津神とは、吾々肉体を持った人類のことをいうのである。

つまり、国祖等は、
この事情を知らずに『殺す勿れ』の律法を布いてしまったのだ。

要するに、ただただ天の誠のみに憧れ、
国津神の御因縁を見分けることが出来なかったと言うわけである。

更に、魚介類だけではなく、野山の動物を肉食する件についても、
この先、万寿山について説かれた章の中で、
明確に解きあかされる事になるけれども、
万寿山の神々は『殺す勿れ』の律法を破って、
神の祭壇に畜生も奉っていながら、
全ての霊山の中で最も栄える型を出し、
悪神達からも脅かされることなく誉れとなるのだが、
この御因縁も海の魚介類と同様だ。

即ち神素盞嗚大神は、大海原=全世界を知ろしめすというわけで、
『海』は『界』ということで、海山川野の全てを指しているのだ。

勿論、ここまでのことは「天祥地瑞」には詠われていないけれども、
これくらいのことが覚れる様でなければ『霊界物語』全巻を、
三回も拝読したといって鼻を高くしているわけにはいかないだろう…

ただし、国津神が国津神を殺す様な真似は、
これは立派に『殺す勿れ』の律法を犯したことになる。

食人などの行為も同様である。

食人をするのは、夜叉や鬼となった妖怪達がすることで、
大神はこれを国津神とは認めない。

つまり、邪神邪霊の列に加えられるから、
来世は魚介類や畜生に生まれて、国津神等に食されるまでは、
その罪は消えないのである。

また、不慮の事故や、飢饉などで、やむなく食人をした場合でも、
事態が事態だけに、客観的には同情すべきものがあるが、
これは本人がいつまでも忘れられない罪の意識を抱き続けるもので、
そういう想いは、やはり自ら魚介類や畜生に生まれて、
国津神等に食されるまでは救われることはないであろう…

例えその足が天国に入ることを許されたとしても、
その影が地獄へと延びてゆくものだ。

影ごと天国に復活する為には、これも避けられない道なのだ。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------  

第8章 従神司(ジユウシン)の殊勲 (108)

2007年07月22日 23時16分42秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第三篇 ロツキー山

 望(モチ)の夜(ヨ)の月影とともに、
言霊別命(コトタマワケノミコト)の姿は牢獄より消え去りにけり。

されど言代別(コトシロワケ)の監守する獄舎にあらざれば、
言代別には何の咎(トガメ)もなかりき。

言代別は漸次重用されて、
つひには国直姫命(クニナホヒメノミコト)の参謀となりぬ。

これよりロツキー山の城内はほとんど言代別の意志のままに
一切の事物は処理さるることとなりける。

 話はかはりて地(チ)の高天原(タカアマハラ)においては、
大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)以下の諸神将は、
言霊別命の帰還により一切の情勢を知悉し、
このままに放任せば国治立命(クニハルタチノミコト)と偽称する常熊彦(ツネクマヒコ)、
および国直姫命と偽称する醜玉姫(シコタマヒメ)らの、
いかなる奸策をめぐらし、
つひには各地の八王八頭神司(ヤツワウヤツガシラガミ)を籠絡し、
地(チ)の高天原(タカアマハラ)の神政を転覆せむとするやも計りがたし、
躊躇していたづらに時日を移さば、
遂に斧鉞(フエツ)を用ふるも及ばざるにいたらむ、
よろしく二葉の内に刈りとるに如(シ)かずと、
ここに天使大足彦(オホダルヒコ)をして
諸神将卒を引率しロツキー山に向はしめ、
東西南北の各門より一挙にこれを攻め落とし、
邪神を膺懲(ヨウチヨウ)し、天地の律法を説き諭(サト)し、
心底(シンテイ)より悔悟せしめむと、衆議一決したりければ、
ここに大足彦は諸神将卒を引率し、
天(アマ)の磐樟船(イハクスブネ)を連ねて、天空を翔(カケ)り、
ロツキー山にむかひ勇ましく進発したりける。

 大足彦の部将、足世彦(タルヨヒコ)は東門(ヒガシモン)より、
足永彦(タルナガヒコ)は西門(ニシモン)より、
大照彦(オホテルヒコ)は南門(ミナミモン)より、
大嶋別(オホシマワケ)は北門(キタモン)より、
一斉に鬨(トキ)をつくつてロツキー城に攻めよせたる。

時しもあれや一天墨を流せしごとく、月の光も星の輝きもなく、
咫尺(シセキ)を弁ぜざるにいたりたり。

にはかに騒ぐ鶏(トリ)の羽音(ハオト)に国直姫命は驚き目をさまし、

 『言代別は何れにあるや、敵軍にはかに押しよせたり。
  諸神司(シヨシン)はすみやかに各門の守備につけよ』

と大声に呼ばはりけるにぞ、魔軍の諸神将は、
国直姫命の声を目あてに、大広前にかけ集まりぬ。

城内の参謀兼総指揮官たる言代別は、
何故かすこしも姿を現はさざりき。

諸神将は統率者を失ひ周章狼狽なすところを知らず。
大足彦の率ゐる神将は濠(ホリ)を越え、壁を破り、門戸を破壊し、
破竹の勢(イキホヒ)をもつて本城に進撃せり。

 このとき言代別は血相かへて何処(イヅク)よりともなく走りきたり、

 『事態容易ならず、
  国直姫命は奥殿に入り国治立命の身辺を守護したまへ。
  吾はこれより、寄せくる数万の敵軍にむかひ、
  六韜三略(リクトウサンリヤク)の兵法をもつて敵軍を千変万化にかけ悩まし、
  一柱(ヒトハシラ)ものこさず濠の藻屑(モクヅ)となし、
  御神慮を慰め奉(タテマツ)らむ。
  諸神将は吾にしたがひ防禦に従事せよ』

と言葉おごそかに令を下し、みづから東門に向ひぬ。

 東門には大足彦、足世彦とともに侵入せむとする真最中なりき。

言代別は大足彦にむかひ、

 『吾は言霊別命の従者言代別なり。
  国(クニ)の真澄(マスミ)の鏡(カガミ)を出してロツキー城を照させたまへ』

と呼ばはりぬ。

このとき城内の諸神将は、
言代別の指揮のもとに残らず東門に集まりゐたるが、
大足彦は、国の真澄の鏡を取り出し、敵軍に向つて射照したるに、
城内の神軍の六分までは、邪鬼、悪狐、悪蛇の正体をあらはし、
鏡の威徳に照されて、旭に霜の消ゆるがごとく煙散霧消したり。

言代別は大足彦の先頭に立ち、常熊彦、醜玉姫の奥殿に進みいり、
戸の外より大音声(オンジヨウ)にて、

 『吾いま如意宝珠の玉を取りいだし敵軍を照すやいなや、
  敵は玉の威徳にちぢみあがり、
  蜘蛛(クモ)の子を散らすがごとく四方に散乱して、
  もはや城内には敵の片影をも認めず、
  かくなる上はいつまでも奥殿に忍ばせたまふに及ばず、
  この戸を早く開かせたまへ』

と呼ばはりぬ。

国治立命、国直姫命の偽神(ニセガミ)は
言代別の言葉を聞きおほいに安堵し、
たちまち内より戸を開きたるを、
大足彦はただちに奥殿に進入し、
国の真澄の鏡を懐中より取りいだし、
二人に向つて射照しはじむるや、
たちまち六面八臂の邪鬼と変じ、
金毛九尾の悪狐と化し、魔神の正体をあらはし、
常世城(トコヨジヤウ)目がけて黒雲に乗じ雲を霞と逃げ去りぬ。

幸(サイハヒ)にロツキー山の紺色(コンイロ)の玉は、
魔軍に汚(ケガ)されず、厳粛に鎮祭せられありける。

 ここに大足彦は言代別の忠勇義烈を賞し、
言代別(コトシロワケ)に命(ミコト)の名を与へて
言代別命(コトシロワケノミコト)と称せしめロツキー山の主権者となし、
八王神(ヤツワウガミ)の列に加へられける。

つぎに東門の武将足世彦(タルヨヒコ)に命(ミコト)の名を与へ
足世彦命(タルヨヒコノミコト)と称せしめ八頭(ヤツガシラ)の列に加へたまひ、
つぎに足永彦(タルナガヒコ)、大照彦(オホテルヒコ)、大嶋別(オホシマワケ)をのこし、
ロツキー城の部将として留めおき、
みづからは少数の神軍とともに天(アマ)の磐船(イハブネ)に乗り、
無事高天原(タカアマハラ)に凱旋せられたり、
と思ふとたんに、冷たき水の一二滴、
襟首(エリクビ)に何処(イヅコ)からともなく落ちきたり、
驚いて正気に復(カヘ)れば、
身は高熊(タカクマ)の霊窟の入口に両手を組み端坐したまま、
鎮魂(チンコン)の姿勢を取りて居たりける。

 (大正十年十一月十四日、旧十月十五日、加藤明子録)

『音惚花活気好@kakky』的『第8章 従神司の殊勲 (108)』分解

2007年07月22日 23時15分35秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第三篇 ロツキー山

平成十九(2007)年七月二十二日 旧六月九日(日)

 望(モチ)の夜(ヨ)の月影とともに、
言霊別命(コトタマワケノミコト)の姿は牢獄より消え去りにけり。

されど言代別(コトシロワケ)の監守する獄舎にあらざれば、
言代別には何の咎(トガメ)もなかりき。

言代別は漸次重用されて、
つひには国直姫命(クニナホヒメノミコト)の参謀となりぬ。

これよりロツキー山の城内はほとんど言代別の意志のままに
一切の事物は処理さるることとなりける。

--------------------------------------------------------------

『望の夜の月影』というのは、十五夜お月様のことである。

今、筆者が他で運営している『地上天国建設委員会の日記』で、
ちょうど『新月の光』上巻の、
第一次大本事件についてのことを話題にしているところで、
物凄くタイムリーなことになったので、ここに書き留めておこう。
 
  *********************************************

      『大審院判決(第一次)の予言』

   これより前、聖師が出発なさる前、
  二代様は「十五日の晩の月が立派であれば無罪」
  と申し告げられた。

  昭和二年五月十五日に、
  聖師様は旧四月十五日夜の月を仰ぎつつ東上された。

  五月十七日十時半、大審院に出頭されて

  「七年に わたりし大本 教事件 
    けりがつきにけり 無事にすみけり」

  の歌となった。

  **********************************************

この『霊界物語』が口述されたのは、
まさに大本事件の真っ最中で、数々の大本施設が、
官憲によって破壊される音を聞きながらの時だったので、
もし、この言霊別命が、
第一次大本事件で拘留中の王仁三郎聖師のことだとしたら、
これは立派な予言であるといえるだろう。

もっとも、予言というよりは、『霊界物語』には、
大本のことも、日本のことも、世界のことも、
一切の因縁になっていることが記されているのだから、
こういう一致があっても、まったく不思議ではあるまい。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 話はかはりて地(チ)の高天原(タカアマハラ)においては、
大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)以下の諸神将は、
言霊別命の帰還により一切の情勢を知悉し、
このままに放任せば国治立命(クニハルタチノミコト)と偽称する常熊彦(ツネクマヒコ)、
および国直姫命と偽称する醜玉姫(シコタマヒメ)らの、
いかなる奸策をめぐらし、
つひには各地の八王八頭神司(ヤツワウヤツガシラガミ)を籠絡し、
地(チ)の高天原(タカアマハラ)の神政を転覆せむとするやも計りがたし、
躊躇していたづらに時日を移さば、
遂に斧鉞(フエツ)を用ふるも及ばざるにいたらむ、
よろしく二葉の内に刈りとるに如(シ)かずと、
ここに天使大足彦(オホダルヒコ)をして
諸神将卒を引率しロツキー山に向はしめ、
東西南北の各門より一挙にこれを攻め落とし、
邪神を膺懲(ヨウチヨウ)し、天地の律法を説き諭(サト)し、
心底(シンテイ)より悔悟せしめむと、衆議一決したりければ、
ここに大足彦は諸神将卒を引率し、
天(アマ)の磐樟船(イハクスブネ)を連ねて、天空を翔(カケ)り、
ロツキー山にむかひ勇ましく進発したりける。

--------------------------------------------------------------

ロッキー山というのは、世界では北アメリカのことだけれども、
日本では北海道のことになる。

またロッキー山脈は、カナダからアメリカのコロラドまで、
およそ4800kmもあるということだが、
ちなみに第二次世界大戦で敗戦するまでの日本の領土も、
北方領土から台湾の南端までの距離は、
だいたいこれくらいになる筈だ。

ちゃんと測ってないから正確な距離がわからないのだが、
もしかすると千島列島の北端から、フィリピンの南端くらいまでが、
ロッキー山脈と同じ距離なのかも…

ちなみに東京からカナダのバンクーバーまでの距離も、
だいたいこれくらいだそうだが、
これを西方に反転すると、
昔、源頼朝の追手を逃れて北路をとって蒙古に入り、
チンギス・ハーンとなったといわれる源義経が活躍したのも、
アフガニスタンくらいまでいったというけれど、
国祖が穏退する以前にはトルコの辺りにいたというから、
この距離もだいたいそのくらいだろう…

つまり、ロッキー山の因縁は戦前の日本領土の因縁でもあり、
ユーラシア大陸の因縁でもあるといえるから、
単純に日米対決論に結び付けるのはドジな解釈であろうと思う。

そういう解釈をすると、第二次世界大戦につながってしまうのだが、
それもまた間違いではなく、王仁三郎聖師にあたる言霊別命の出獄が、
正しい神と悪い神との決戦を誘発するわけだから、
日米だけの因縁ではなく、
世界中の因縁が説かれているということになる。

だから、ロッキー山は、
偽神に乗っ取られた戦前の日本や世界各国の因縁でもあるのだ。

第二次世界大戦当時はドイツやイタリアも、
偽国常立命や偽国直姫命の様な、
独裁者に支配される悪い状況だったのだから…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 大足彦の部将、足世彦(タルヨヒコ)は東門(ヒガシモン)より、
足永彦(タルナガヒコ)は西門(ニシモン)より、
大照彦(オホテルヒコ)は南門(ミナミモン)より、
大嶋別(オホシマワケ)は北門(キタモン)より、
一斉に鬨(トキ)をつくつてロツキー城に攻めよせたる。

時しもあれや一天墨を流せしごとく、月の光も星の輝きもなく、
咫尺(シセキ)を弁ぜざるにいたりたり。

--------------------------------------------------------------

もっとも、このロッキー山の様に、
日本が東西南北から取り囲まれたという状況になるのは、
第二次大戦直前の事で、
即ち東と南からはアメリカ軍が、
西からは中国軍が、北からはロシア軍が日本帝国を取り囲み、
偽国常立命と偽国直姫命をやっつけに来たわけである。

そういう状況に陥ることを、当時の日本の国内事情としては、
とても真正面から予言することは出来ないから、
この『霊界物語』では、ロッキー山脈を通じて、
判る者にだけ判る様に説いておかれたのかもしれない。

これも筆者が、ここに記してしまったから、
少なくとも、この『霊界物語学の日記』に目を通す皆さんは、
その真相の一部に通じたことになるのだが…

勿論、他にもちゃんと意味がある。

要は、世界中の本物と偽者の対立の因縁であるから、
日本だけのことを書いていると思うのも間違いなのだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

にはかに騒ぐ鶏(トリ)の羽音(ハオト)に国直姫命は驚き目をさまし、

 『言代別は何れにあるや、敵軍にはかに押しよせたり。
  諸神司(シヨシン)はすみやかに各門の守備につけよ』

と大声に呼ばはりけるにぞ、魔軍の諸神将は、
国直姫命の声を目あてに、大広前にかけ集まりぬ。

城内の参謀兼総指揮官たる言代別は、
何故かすこしも姿を現はさざりき。

諸神将は統率者を失ひ周章狼狽なすところを知らず。

大足彦の率ゐる神将は濠(ホリ)を越え、壁を破り、門戸を破壊し、
破竹の勢(イキホヒ)をもつて本城に進撃せり。

--------------------------------------------------------------

つまり、こういう時に、何もしない事で、
自動的にロッキー山はかきまわされることになるわけだ。

もしも、ここで言代別が、
積極的に何かをして城内をかきまわすなら、
言代別も、後にはその罪を問われることになるのだが、
各自が勝手に騒いでいるのだから、しょうがない。

ちょうど第二次大本事件で、王仁三郎聖師等大本関係者が、
官憲に捕らえられている間に、
大東亜戦争や大平洋戦争が勃発したので、
王仁三郎聖師が、今回の戦争には神様は無関係である、
と主張したのと同じである。

筆者も、この一週間はADSLの接続が不安定になったり、
私事がドタバタして各サイトの日記の書き込みが出来ず、
日記を楽しみにしてらっしゃる皆さんが、
各自にいろいろ騒いだ様子だが、
そういうことになったわけである。

これだって、別に筆者が何かしかけて起ったことではない。
諸事情あって何も出来ないでいるうちに、
まわりで勝手に起ったことである。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 このとき言代別は血相かへて何処(イヅク)よりともなく走りきたり、

 『事態容易ならず、
  国直姫命は奥殿に入り国治立命の身辺を守護したまへ。
  吾はこれより、寄せくる数万の敵軍にむかひ、
  六韜三略(リクトウサンリヤク)の兵法をもつて敵軍を千変万化にかけ悩まし、
  一柱(ヒトハシラ)ものこさず濠の藻屑(モクヅ)となし、
  御神慮を慰め奉(タテマツ)らむ。
  諸神将は吾にしたがひ防禦に従事せよ』

と言葉おごそかに令を下し、みづから東門に向ひぬ。

--------------------------------------------------------------

この言代別のコトバは、
本物の国直姫命と、本物の国常立命に向って発せられているのだ。

だから、偽者や、敵軍は一柱も残さず、この言葉の通りになる。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 東門には大足彦、足世彦とともに侵入せむとする真最中なりき。

言代別は大足彦にむかひ、

 『吾は言霊別命の従者言代別なり。
  国(クニ)の真澄(マスミ)の鏡(カガミ)を出してロツキー城を照させたまへ』

と呼ばはりぬ。

--------------------------------------------------------------

一人の人間の中にも、本物と偽者が共存している。

つまり本物のその人は神の子だけれども、
偽者のその者が、その人の肉体を乗っ取っているのだ。

これを『霊界物語』の真澄の鏡に照らすと、
偽者は全部正体を現わされて、その肉体にいられなくなり、
その人の本性である神の子が表に出て来ることになる。

要するに、自ら神の子であることを否定する心、
これが、ここでいうところの偽ものと敵軍である。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

このとき城内の諸神将は、
言代別の指揮のもとに残らず東門に集まりゐたるが、
大足彦は、国の真澄の鏡を取り出し、敵軍に向つて射照したるに、
城内の神軍の六分までは、邪鬼、悪狐、悪蛇の正体をあらはし、
鏡の威徳に照されて、旭に霜の消ゆるがごとく煙散霧消したり。

--------------------------------------------------------------

人間の霊的な浄化も、こういう風に行われるのだ。

肉体的な病魔も、精神的な病魔も、神智学でいうところの、
肉体とエーテル体の中間にあるレコード体、
またはメモリー体ともいうべき幽体に棲みついた間違った想念が、
全てその原因になっているのだ。

たとえていうならば、
音楽レコードに処理ミスで残った雑音の様なものだ。

これを原盤か、コピーテープか、マスターテープまで遡って、
再生して確認して消去する様な作業で浄化するのと同じだ。

今夜、テレビの大河ドラマでも『人は城』
という風に言っていたけれど、まったくその通りである。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

言代別は大足彦の先頭に立ち、常熊彦、醜玉姫の奥殿に進みいり、
戸の外より大音声(オンジヨウ)にて、

 『吾いま如意宝珠の玉を取りいだし敵軍を照すやいなや、
  敵は玉の威徳にちぢみあがり、
  蜘蛛(クモ)の子を散らすがごとく四方に散乱して、
  もはや城内には敵の片影をも認めず、
  かくなる上はいつまでも奥殿に忍ばせたまふに及ばず、
  この戸を早く開かせたまへ』

と呼ばはりぬ。

--------------------------------------------------------------

これも言代別は、本物の国常立命や、
本物の国直姫命に向って言っているのだ。

つまり、日本男児たるものかくあるべし!
日本婦女子たるものかくあるべし!
と、正論を堂々と宣言する様なものである。

真の天皇陛下たるものかくあるべし!
真の総理大臣たるものかくあるべし!
真の社長たるものかくあるべし!
真の管理職たるものかくあるべし!
真の社員たるものかくあるべし!
真の労働者たるものかくあるへし!

と、徹底的に美しい理想論を宣言すると、
これによって良心が触発されれば、
誰だって改心が始まることになるというわけである。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

国治立命、国直姫命の偽神(ニセガミ)は
言代別の言葉を聞きおほいに安堵し、
たちまち内より戸を開きたるを、
大足彦はただちに奥殿に進入し、
国の真澄の鏡を懐中より取りいだし、
二人に向つて射照しはじむるや、
たちまち六面八臂の邪鬼と変じ、
金毛九尾の悪狐と化し、魔神の正体をあらはし、
常世城(トコヨジヤウ)目がけて黒雲に乗じ雲を霞と逃げ去りぬ。

幸(サイハヒ)にロツキー山の紺色(コンイロ)の玉は、
魔軍に汚(ケガ)されず、厳粛に鎮祭せられありける。

--------------------------------------------------------------

人間はぬるま湯につかりっぱなしだと、
そこが自分の安住の地だと思い込む。

逆に貧乏や苦労に慣れ過ぎてしまうと、
それが正しいことだと思い込んでしまう。

けれどもそれは人の本来あるべき姿ではない。

逆境にあれば、これを改善しようとし、
正しいことならば永遠に継続し、
ある程度極められたものごとから、
更に向上するべく努力をするのが、
真の生命の活力に満ちた人のあるべき姿なのだ。

醜ければ美しくなろうとする。
偽りならば、真を現わそうとする。

故に、偽者が本物に化けていれば、
本性を暴かれ、その本性が醜ければ、
以上の様に、その醜さを退けるのが正しい道である。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 ここに大足彦は言代別の忠勇義烈を賞し、
言代別(コトシロワケ)に命(ミコト)の名を与へて
言代別命(コトシロワケノミコト)と称せしめロツキー山の主権者となし、
八王神(ヤツワウガミ)の列に加へられける。

--------------------------------------------------------------

つまり国祖が選んだ元々の主権者である貴治彦に替って、
天使である大足彦(神素盞嗚大神の荒魂)が、
新たに言代別命にロッキーの主権を命じ、八王神にしたわけである。

これが出雲朝廷の因縁だとすると、
この言代別命は、古事記の事代主命の様に、
やがて天津神にその主権を返上することになるということか…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

つぎに東門の武将足世彦(タルヨヒコ)に命(ミコト)の名を与へ
足世彦命(タルヨヒコノミコト)と称せしめ八頭(ヤツガシラ)の列に加へたまひ、
つぎに足永彦(タルナガヒコ)、大照彦(オホテルヒコ)、大嶋別(オホシマワケ)をのこし、
ロツキー城の部将として留めおき、
みづからは少数の神軍とともに天(アマ)の磐船(イハブネ)に乗り、
無事高天原(タカアマハラ)に凱旋せられたり、
と思ふとたんに、冷たき水の一二滴、
襟首(エリクビ)に何処(イヅコ)からともなく落ちきたり、
驚いて正気に復(カヘ)れば、
身は高熊(タカクマ)の霊窟の入口に両手を組み端坐したまま、
鎮魂(チンコン)の姿勢を取りて居たりける。

 (大正十年十一月十四日、旧十月十五日、加藤明子録)

--------------------------------------------------------------

そして同じく、
国祖に八頭神を任ぜられながら逃亡した靖国別夫婦に替り、
足世彦命が大足彦命によって八頭神に任命された。

この興味深い御神縁を霊山修行中に学んだ王仁三郎聖師が、
襟首に水滴を受けて目が覚めたというわけだ。

はたして夢を見た後に、
ここまで詳細に夢の内容を覚えていられる人は、
この世の中に、いったいどれだけいるのだろうか?

それもちょっと気になるところである。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------  

第7章 諷詩(フウシ)の徳 (107)

2007年07月16日 02時41分50秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第三篇 ロツキー山

 大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は、
ロツキー山は悪神(アクガミ)のために根底より覆へされ、
貴治彦(タカハルヒコ)、靖国別(ヤスクニワケ)夫妻のいづこともなく逃亡し、
かつ言霊別命(コトタマワケノミコト)は敵のために捕はれ、
牢獄につながれ呻吟せることを知り、
ここに諸神司(シヨシン)を集めて、ロツキー山を回復し、
言霊別命を救ひ出さむことを協議したまひぬ。

諸神司は鳩首(キウシユ)謀議の結果、
神軍をおこしてロツキー山を一挙に奪還するは、
さまで難事にあらざれども、
言霊別命の身辺にかへつて危険の迫らむことをおもむぱかり、
表面これを攻撃することを躊躇したまひぬ。

 ここに言霊別命の侍者に、
忠勇義烈の誉(ホマレ)高き言代別(コトシロワケ)といふ者ありき。

言代別は恐るおそる諸神将の前へ出で、

 『吾つらつら考ふるに、ロツキー山の攻撃に先だち、
  言霊別命を救ひださざれば、命(ミコト)は人質同様なれば、
  魔軍は危急におちいりたる場合、
  命を殺害したてまつるは必定なり。
  吾は「偽(イツハ)るなかれ」
  の厳しき律法を破りみづから犠牲となりて、
  吾が主を救ひたてまつらむとす。
  幸(サイハヒ)にこの大任を吾に許したまへ』

と誠心(マゴコロ)おもてに表はして嘆願したりければ、
大八洲彦命は打ちうなづき、

 『汝(ナンヂ)は主を救はむとして敵を偽らむとする行為は、
  元来忠良の真情(マゴコロ)よりいでたるものなれば
  決して罪とならざるべし。
  すみやかにロツキー山にいたりて言霊別命を救ひだせよ』

と命じたまひぬ。

言代別はおほいに悦び天にも昇る心地して、
ただちにロツキー山にむかひける。

言代別は円(マル)き石に金鍍金(メツキ)をほどこし、
如意宝珠(ニヨイホツシユ)の珠(タマ)を偽造して懐中に深く秘蔵し、
ロツキー山の南門(ナンモン)に現はれ、

 『国直姫命に奉(タテマツ)るべき珍宝あり。
  拝謁を乞ひたし。
  願はくば貴下(キカ)らの斡旋によりこの由を奏上されむことを』

と、言葉たくみに頼みこみけるを、番卒はいふ。

 『果して貴下が如意宝珠の珠を所持さるるならば、
  吾らに一目拝観せしめよ。
  珠の有無をたしかめざるにおいては、
  軽々しく奏上することを得ず』

とてやや難色ありければ、言代別は、

 『貴下の仰(オホ)せ実(ゲ)に尤(モツト)もなり』

とて懐(フトコロ)をひらき、
金色燦然(キンシヨクサンゼン)たる珠の一部を現はし見せたるに、
番卒はこれを上級の神司(カミ)に伝へ、
漸次国直姫命にこの次第を奏上したりける。

国直姫命は、

 『ロツキー山にはいまだ如意宝珠の珠なきを憾(ウラ)みとす。
  しかるに天運循環してここに珍宝の手に入るは、
  いよいよ願望成就の時期到来せしならむ。
  すみやかに言代別を吾が前によびきたれ』

といそいそとして命令したり。

かくて言代別はしばらくして城内の神司(カミガミ)にみちびかれ、
国直姫命の前に現はれ一礼の後(ノチ)、
懐中より珠を取出し八足(ヤタリ)の机上にうやうやしく安置し、

 『吾こそは高白山(カウハクザン)の麓(フモト)に住む言代別といふ者なり。
  いまや当山に国治立大神(クニハルタチノオホカミ)現はれたまふと聞きて
  歓喜にたへず。
  吾は往古より家に伝はる如意宝珠の珠を持参し、
  これを大神に奉(タテマツ)り、もつて神業に参加せむと欲し、
  遠き山河を越えてここに参のぼりたり』

と言葉をつくして奏上したるに、国直姫命はおほいに悦び、
その珠を手にとり熟視して満面笑(エミ)を含み、

 『実(ゲ)に稀代(キタイ)の珍宝なり。
  汝はこの珠を奉りし功により、
  いかなる望みなりとも叶へつかはさむ』

と宣言せり。

言代別は頓首(トンシユ)再拝、喜色満面にあふれ、

 『実に有難き大神の御仰(オンオホ)せ、御恩は海山に代へがたし。
  願はくば卑(イヤ)しき吾をして牢獄の番卒たらしめたまへ、
  これに過ぎたるよろこびはなし』

と願ひけるに、国直姫命は少しく首(カウベ)をかたむけ、

 『心得ぬ汝が望み、
  かかる麗(ウルハ)しき世界の珍宝を奉りたる功労者でありながら、
  何を苦しみてかかる卑しき職を求むるや』

と反問するを、言代別はただちに言葉を反していふ。

 『諺(コトワザ)にも喬木(ケウボク)よく風にあたり、出る杭は打たれ、
  高きに昇る者は、地に落つることありと聞きおよぶ。
  吾は役目の高下を望まず、ただ誠心誠意大神に仕へ、
  神業の一端に加へたまはばこれに過ぎたる幸(サイハヒ)なし。
  それとも吾が技倆を大神において認めたまはば、
  其のとき相当の地位を与へたまふべし。
  急に上職をたまはるより、漸次に重く用いさせたまはば、
  吾が一身にとりてもつとも安全ならむ』

との言に、国直姫命は言代別の名利を求めず、
寡慾恬淡(クワヨクテンタン)なるに感激し、
ただちにその乞ひを容(イ)れて牢獄の番卒仲間に加へけり。

言代別は日夜番卒として忠実に奉務し、
心ひそかに言霊別命の繋がれたる牢獄を探りゐたりける。

言霊別命は頭髪長く背後に伸び、髯(ヒゲ)は胸先に垂れ、
顔色憔悴(セウスイ)して、
ほとんど見擬(ミマガ)ふばかりの姿と変じゐたまへば、
言代別は命の御姿を認めること容易ならざりける。

 あるとき国治立命(クニハルタチノミコト)出現の祝ひとして、
ロツキー山の城内に祝宴をはられ、
また獄卒一般は獄前において祝意を表するため酒宴を催(モヨホ)しける。

獄卒は珍しき酒肴に酔ひ、あるひは舞ひ、あるひはうたひ、
踊りて立騒ぎけり。

中に言代別(コトシロワケ)は立ちて歌をうたひ、踊りはじめたり。

その歌は、

 昔の昔のさる昔
 猿が三疋(ビキ)飛んできて
 鬼におはれて二疋は逃げた
 残りの一疋捕(トラ)まへられて
 いまは鬼らの玩弄(オモチヤ)とせられ
 暗い穴へとほりこまれ
 消息(タヨリ)せうにも言伝(コトヅテ)しよにも
 いまは詮(セン)なしただ一言の
 言霊別(コトタマワケ)の神代(カミシロ)と
 現はれいでし言代別(コトシロワケ)の
 わけて苦しき暗の夜半(ヨハ)
 高天原(タカアマハラ)より降りきて
 お猿の命(イノチ)を助けむと
 思ふ手段(テダテ)は有明(アリアケ)の
 十五の月のまんまるい
 光をあてに飛んで出よ
 猿が餅搗(モチツ)きや、兎がまぜる
 まぜる兎が言代別よ
 今年や豊年満作ぢや
 心もちよき望月(モチヅキ)の
 光とともに飛んで出よ
 光とともに飛んで出よ
 よいとさのよいとさ
 さつさとぬけ出て東へ走れ
 東に羊が千疋をつて
 猿をかかへて飛んでゆく
 よいとさのよいとさ

と節(フシ)面白くみづから謡(ウタ)ひみづから踊り狂ふにぞ、
あまたの番卒は何の意味なるやを知らず、
ただ面白き歌とのみ思ひて笑ふばかりなりける。

言霊別命はこの歌を聞きて言代別の吾を救ひ出さむために番卒となり、
合図の歌をうたひしものと大いによろこび、
十五夜の月を待ちゐたまひぬ。
昼きたり夜去りて、つひには仲秋(チユウシウ)の月の夜となりぬ。

国直姫命以下の曲人(マガビト)は、高台に昇り月見の宴を催しゐたれば、
番卒もまた一所に集まりて月見の宴を開き、
酒に酔ひくるひ面白き歌をうたひて余念なくたわむれゐたりけり。

このとき言代別は、ふたたび以前の歌をうたひ牢獄を見廻りぬ。
ある牢獄の中より小声にて、

 『言代別』

と呼ぶ声あり。

疑ひもなく聞きおぼえたる主の声なるに、
言代別は大いによろこび、ただちに戸をひらき縛(イマシメ)を解き、
やつれたる言霊別命を背におひ、東門(トウモン)指して逃げ出したり。

 外には言霊別命の部下の神卒あまた現はれきたり、
命(ミコト)を天(アマ)の磐船(イハフネ)に乗せ天空高くロツキー山を後に、
地(チ)の高天原(タカアマハラ)へ無事帰還したりける。

言代別は何喰はぬ顔にて牢獄の戸を閉ぢ、
もとのごとく酒宴の場に現はれ、
あまたの番卒とともに酒に酔ひ踊り狂ひゐたり。

後に残りし言代別は後日いかなる活動をなすか、
趣味ある問題と云ふべし。

 (大正十年十一月十四日、旧十月十五日、土井靖都録)

『音惚花活気好@kakky』的『第7章 諷詩の徳 (107)』分解

2007年07月16日 02時40分38秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第三篇 ロツキー山

平成十九(2007)年七月十六日 旧六月三日(月)

 大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は、
ロツキー山は悪神(アクガミ)のために根底より覆へされ、
貴治彦(タカハルヒコ)、靖国別(ヤスクニワケ)夫妻のいづこともなく逃亡し、
かつ言霊別命(コトタマワケノミコト)は敵のために捕はれ、
牢獄につながれ呻吟せることを知り、
ここに諸神司(シヨシン)を集めて、ロツキー山を回復し、
言霊別命を救ひ出さむことを協議したまひぬ。

諸神司は鳩首(キウシユ)謀議の結果、
神軍をおこしてロツキー山を一挙に奪還するは、
さまで難事にあらざれども、
言霊別命の身辺にかへつて危険の迫らむことをおもむぱかり、
表面これを攻撃することを躊躇したまひぬ。

--------------------------------------------------------------

イスラエルの場合は、ナザレのイエスをメシアとして受け入れず、
ローマのピラト提督と共に、彼を十字架に架けてしまったから、
その後、イスラエルもローマも崩壊させられることになるけれど、
ロッキー山の言霊別命は殺されずに投獄されていたから、
これが丁度人質の役になって、高天原の神々も、
容易にロッキー山に攻め入る事が出来なくなってしまったわけだ。

こういうのを『怪我の功名』とでもいうのだろうか?

つまり、また、それほどに言霊別命には存在価値があったのだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 ここに言霊別命の侍者に、
忠勇義烈の誉(ホマレ)高き言代別(コトシロワケ)といふ者ありき。

言代別は恐るおそる諸神将の前へ出で、

 『吾つらつら考ふるに、ロツキー山の攻撃に先だち、
  言霊別命を救ひださざれば、命(ミコト)は人質同様なれば、
  魔軍は危急におちいりたる場合、
  命を殺害したてまつるは必定なり。
  吾は「偽(イツハ)るなかれ」
  の厳しき律法を破りみづから犠牲となりて、
  吾が主を救ひたてまつらむとす。
  幸(サイハヒ)にこの大任を吾に許したまへ』

と誠心(マゴコロ)おもてに表はして嘆願したりければ、
大八洲彦命は打ちうなづき、

 『汝(ナンヂ)は主を救はむとして敵を偽らむとする行為は、
  元来忠良の真情(マゴコロ)よりいでたるものなれば
  決して罪とならざるべし。
  すみやかにロツキー山にいたりて言霊別命を救ひだせよ』

と命じたまひぬ。

--------------------------------------------------------------

もとより『律法』というものは、善なる者に対する戒めであるから、
まるきりの悪に対しては、流用すべきものではなかろう。

相手が既に『律法』を犯して、ロッキー山を乗っ取っている以上、
これに対して正道を用いるというのも口幅ったい話である。

…とはいえ、神軍を率いて攻め入るということだって、

『怒る勿れ、殺す勿れ』

の戒律を破っているのだから、戦をしかけることもままならぬ。

それで『霊界物語』には、後に、『怒る』というのは悪だけれども、

「『公憤』は罪にはならぬ。」

という風に、うまいことを説いてある。

もっとも、この頃の神々は、怒りと公憤の区別もついていないから、
こんな風に苦悩しているわけだが…

似た様なことで、筆者は『偽る勿れ』に対して、

『黙して語る勿れ』

という『沈黙』をもって金とする道を見い出したのだけれども、
要するに多くを語らないことは偽りにはならないのだ。

王仁三郎聖師は、こんな時、

「さあ、神様のことはわかりまへんなぁ…」

といって、うまくぼかしておられたらしい…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

言代別はおほいに悦び天にも昇る心地して、
ただちにロツキー山にむかひける。

言代別は円(マル)き石に金鍍金(メツキ)をほどこし、
如意宝珠(ニヨイホツシユ)の珠(タマ)を偽造して懐中に深く秘蔵し、
ロツキー山の南門(ナンモン)に現はれ、

 『国直姫命に奉(タテマツ)るべき珍宝あり。
  拝謁を乞ひたし。
  願はくば貴下(キカ)らの斡旋によりこの由を奏上されむことを』

と、言葉たくみに頼みこみけるを、番卒はいふ。

 『果して貴下が如意宝珠の珠を所持さるるならば、
  吾らに一目拝観せしめよ。
  珠の有無をたしかめざるにおいては、
  軽々しく奏上することを得ず』

とてやや難色ありければ、言代別は、

 『貴下の仰(オホ)せ実(ゲ)に尤(モツト)もなり』

とて懐(フトコロ)をひらき、
金色燦然(キンシヨクサンゼン)たる珠の一部を現はし見せたるに、
番卒はこれを上級の神司(カミ)に伝へ、
漸次国直姫命にこの次第を奏上したりける。

--------------------------------------------------------------

さて、この言代別は、古事記や日本書紀に出て来る、
出雲神話の神の一柱である事代主命(コトシロヌシノミコト)と、
なんらかの繋がりがありそうだ。

いや、むしろ、同じ神様のことなのかもしれない。

出雲神話の事代主命は、
素盞嗚尊、大国主命に続く出雲のリーダーで、
天津神に出雲の国を譲った神様である。

江戸時代なら、大政奉還した徳川慶喜の様な働きをし、
日本帝国時代なら、昭和天皇の様な働きをした神である。

…さて、ここでの言代別は、いったいどんな働きをするのだろうか?

とりあえず、この段階では、一応、金メッキの玉について、
如意宝珠とは言わずに『珍宝』と言うに留めていて、
番卒が勝手に『如意宝珠』と決めつけているから、
まだ言代別が偽りを言ったわけではないようだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

国直姫命は、

 『ロツキー山にはいまだ如意宝珠の珠なきを憾(ウラ)みとす。
  しかるに天運循環してここに珍宝の手に入るは、
  いよいよ願望成就の時期到来せしならむ。
  すみやかに言代別を吾が前によびきたれ』

といそいそとして命令したり。

かくて言代別はしばらくして城内の神司(カミガミ)にみちびかれ、
国直姫命の前に現はれ一礼の後(ノチ)、
懐中より珠を取出し八足(ヤタリ)の机上にうやうやしく安置し、

 『吾こそは高白山(カウハクザン)の麓(フモト)に住む言代別といふ者なり。
  いまや当山に国治立大神(クニハルタチノオホカミ)現はれたまふと聞きて
  歓喜にたへず。
  吾は往古より家に伝はる如意宝珠の珠を持参し、
  これを大神に奉(タテマツ)り、もつて神業に参加せむと欲し、
  遠き山河を越えてここに参のぼりたり』

と言葉をつくして奏上したるに、国直姫命はおほいに悦び、
その珠を手にとり熟視して満面笑(エミ)を含み、

 『実(ゲ)に稀代(キタイ)の珍宝なり。
  汝はこの珠を奉りし功により、
  いかなる望みなりとも叶へつかはさむ』

と宣言せり。

--------------------------------------------------------------

これは苦しい弁護に過ぎないかもしれないのだが、
一応、『如意宝珠』にもいろいろある様で、
ここで言代別が差し出したのは『家伝の如意宝珠』であるが、
この『霊界物語』で重要な宝珠は、
『金剛不壊(コンゴウフエ)の如意宝珠(ニョイホッシュ)』というのだ。

この宝珠の体は、悪役の高姫に呑み込まれてしまうのだが、
その精こそは『霊界物語』であるから、
正しい道を求める者は、形在る珠ではなく、
その珠の精である『霊界物語』に記されていることを呑み込めばよい。

さて、これはまた、竹内文書を世に現わした竹内巨麿が所持したという、
三種の神器にもつながる話しなのだが、
王仁三郎聖師は、これは竹内家に伝わった三種の神器であって、
皇位継承に影響する様な代物ではないことを素っ破抜いている。

さらに皇室に伝わる三種の神器についても、
何か含んでいるところがあるようであるが、
要するに真の三種の神器は、
やはり、この『霊界物語』から得る霊的なものであると説いている。

つまり、それも、瑞の御霊の『火の洗礼』なのである。

そういう意味からも、言代別は、
ぎりぎりのところで偽りは言ってはいないということになる。

つまり、金メッキを施した石を、家伝に聞く如意宝珠に偽した宝珠を、
偽国直姫命に奏上したのだ。

まあ、かなり苦しい筆者流の弁護だけれども、国直姫命も本物ならば、
すぐにこれを金メッキの偽物だと気付きそうなものだが、
それに気付かないのも、互いに偽者同志で波長が合うからなのである。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

言代別は頓首(トンシユ)再拝、喜色満面にあふれ、

 『実に有難き大神の御仰(オンオホ)せ、御恩は海山に代へがたし。
  願はくば卑(イヤ)しき吾をして牢獄の番卒たらしめたまへ、
  これに過ぎたるよろこびはなし』

と願ひけるに、国直姫命は少しく首(カウベ)をかたむけ、

 『心得ぬ汝が望み、
  かかる麗(ウルハ)しき世界の珍宝を奉りたる功労者でありながら、
  何を苦しみてかかる卑しき職を求むるや』

と反問するを、言代別はただちに言葉を反していふ。

 『諺(コトワザ)にも喬木(ケウボク)よく風にあたり、出る杭は打たれ、
  高きに昇る者は、地に落つることありと聞きおよぶ。
  吾は役目の高下を望まず、ただ誠心誠意大神に仕へ、
  神業の一端に加へたまはばこれに過ぎたる幸(サイハヒ)なし。
  それとも吾が技倆を大神において認めたまはば、
  其のとき相当の地位を与へたまふべし。
  急に上職をたまはるより、漸次に重く用いさせたまはば、
  吾が一身にとりてもつとも安全ならむ』

との言に、国直姫命は言代別の名利を求めず、
寡慾恬淡(クワヨクテンタン)なるに感激し、
ただちにその乞ひを容(イ)れて牢獄の番卒仲間に加へけり。

--------------------------------------------------------------

…まあ、いたずらに出世を望まないということには、
それにはそれでいろいろと理由があるものだが、
世の中、上に行くほど大衆的な自由が効かなくなるものだから、
遊びや趣味に打ち込みたい者は、
社会的には目立たない方がいいかもしれない…

もっとも、ここでの言代別は、
はじめから牢獄の言霊別命に近づくのが目的だから、
本当に偽国直姫命の傘下で上職に就くよりは、
牢番になった方が、神業に仕えるためには最も安全なのだから、
これもまったく、御神業上は嘘にはならない。

ただ、御神業に背いている偽国直姫命の勝手な事情によって、
偽られた様な気分になるだけのことである。

けれども、厳の御霊は、なかなかこういう解釈が出来ないので、
話がややこしくなってゆくのである。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

言代別は日夜番卒として忠実に奉務し、
心ひそかに言霊別命の繋がれたる牢獄を探りゐたりける。

言霊別命は頭髪長く背後に伸び、髯(ヒゲ)は胸先に垂れ、
顔色憔悴(セウスイ)して、
ほとんど見擬(ミマガ)ふばかりの姿と変じゐたまへば、
言代別は命の御姿を認めること容易ならざりける。

--------------------------------------------------------------

髪型というのは人相を大きく変える力を持っている。

鬚も然りであるが、投獄中ではお日様にも当らなくなるから、
青白くもなり、また扱いによっては頬も痩せこけるだろうから、
人相も大きく変わるに違いない。

現代なら、ダイエット成功ということで、
まず大喜びの部類に入るだろうけれども、
昔は肥えている人の方が高貴であると尊ばれた様だから、
痩せるのは貧相なので、あまり好まれなかったらしい…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 あるとき国治立命(クニハルタチノミコト)出現の祝ひとして、
ロツキー山の城内に祝宴をはられ、
また獄卒一般は獄前において祝意を表するため酒宴を催(モヨホ)しける。

獄卒は珍しき酒肴に酔ひ、あるひは舞ひ、あるひはうたひ、
踊りて立騒ぎけり。

--------------------------------------------------------------

本物の国祖の神は、とてもストイックで禁欲的であるのに、
ここでは、その国祖が現れたといって、飲めや踊れの大騒ぎ、
というのだから、ちょっと笑ってしまうのだけれども、
筆者だってパーティーで大騒ぎして盛り上がるのは好きだから、
その行為そのものを否定したいという気持ちはない。

…だが、厳の御霊の神である国祖の出現を祝うにしては、
ちょっと似つかわしくない祝宴であろう…

もっともっと、厳粛な祭事として、行われて然るべきだろう。

その祭事の後で、個々が酒宴を催し、盛り上がるのは、
直会(ナオライ)といって結構なものなのである。

そこで飲めば飲むほど、神を讃えて盛り上がるのが、
魂の清い者達の姿でもある。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

中に言代別(コトシロワケ)は立ちて歌をうたひ、踊りはじめたり。

その歌は、

 昔の昔のさる昔
 猿が三疋(ビキ)飛んできて
 鬼におはれて二疋は逃げた
 残りの一疋捕(トラ)まへられて
 いまは鬼らの玩弄(オモチヤ)とせられ
 暗い穴へとほりこまれ
 消息(タヨリ)せうにも言伝(コトヅテ)しよにも
 いまは詮(セン)なしただ一言の
 言霊別(コトタマワケ)の神代(カミシロ)と
 現はれいでし言代別(コトシロワケ)の
 わけて苦しき暗の夜半(ヨハ)
 高天原(タカアマハラ)より降りきて
 お猿の命(イノチ)を助けむと
 思ふ手段(テダテ)は有明(アリアケ)の
 十五の月のまんまるい
 光をあてに飛んで出よ
 猿が餅搗(モチツ)きや、兎がまぜる
 まぜる兎が言代別よ
 今年や豊年満作ぢや
 心もちよき望月(モチヅキ)の
 光とともに飛んで出よ
 光とともに飛んで出よ
 よいとさのよいとさ
 さつさとぬけ出て東へ走れ
 東に羊が千疋をつて
 猿をかかへて飛んでゆく
 よいとさのよいとさ

と節(フシ)面白くみづから謡(ウタ)ひみづから踊り狂ふにぞ、
あまたの番卒は何の意味なるやを知らず、
ただ面白き歌とのみ思ひて笑ふばかりなりける。

--------------------------------------------------------------

逃げた二疋の猿は、貴治彦(タカハルヒコ)、靖国別(ヤスクニワケ)夫妻で、
捕らえられた一疋の猿は、言霊別命のことである。

この言霊別命に対して、宵闇の中、十五夜の月の光をあてに、
東に向って飛んで逃げれば、羊、つまり味方の神軍が待っていて、
言霊別命を無事に連れ帰ってくれる。

言霊別命が逃げるまでの間、
この言代別が、敵軍を混ぜ返しておきます。

…ということを歌っているのだ。

なんだか、これに似た様な出来事が、
他にたくさんある様な気がするが、それについては今は語るまい。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

言霊別命はこの歌を聞きて言代別の吾を救ひ出さむために番卒となり、
合図の歌をうたひしものと大いによろこび、
十五夜の月を待ちゐたまひぬ。
昼きたり夜去りて、つひには仲秋(チユウシウ)の月の夜となりぬ。

国直姫命以下の曲人(マガビト)は、高台に昇り月見の宴を催しゐたれば、
番卒もまた一所に集まりて月見の宴を開き、
酒に酔ひくるひ面白き歌をうたひて余念なくたわむれゐたりけり。

このとき言代別は、ふたたび以前の歌をうたひ牢獄を見廻りぬ。
ある牢獄の中より小声にて、

 『言代別』

と呼ぶ声あり。

疑ひもなく聞きおぼえたる主の声なるに、
言代別は大いによろこび、ただちに戸をひらき縛(イマシメ)を解き、
やつれたる言霊別命を背におひ、東門(トウモン)指して逃げ出したり。

--------------------------------------------------------------

わが日本でも、御公家さんの時代から、
風流な御月見というのが楽しまれたらしいが、
筆者の記憶では、バブル景気が騒がれるちょっと前くらいまで、
民間でも、十五夜お月様を肴に酒を飲んで、
楽しむ風習があった様な気がする。

そうやって偽国直姫命等が酒宴を開いて楽しんでいるうちに、
言霊別命は言代別によって無事救出されるわけだが、
なんだか、この光景、本物の孝霊天皇だか、明治天皇だかが、
なんとかいう相撲取りに背負われて、
何処かから命からがら逃げ出した…という話をちょと思い出す。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 外には言霊別命の部下の神卒あまた現はれきたり、
命(ミコト)を天(アマ)の磐船(イハフネ)に乗せ天空高くロツキー山を後に、
地(チ)の高天原(タカアマハラ)へ無事帰還したりける。

言代別は何喰はぬ顔にて牢獄の戸を閉ぢ、
もとのごとく酒宴の場に現はれ、
あまたの番卒とともに酒に酔ひ踊り狂ひゐたり。

後に残りし言代別は後日いかなる活動をなすか、
趣味ある問題と云ふべし。

 (大正十年十一月十四日、旧十月十五日、土井靖都録)

--------------------------------------------------------------

この酒を飲ませて、言霊別命を救出する展開は、
なんとなく素盞嗚尊の八岐大蛇退治の様だが、
そうすると、言霊別命は、八岐大蛇の尾から取り出された、
『草薙(クサナギ)の剣(ツルギ)』ということになるのだろうか?

つまり、本当の『草薙の剣』は『舌の剣…言霊』なのだ。

…さて、この『草薙の剣』は、
源平の壇の浦の合戦の時に、
平家の舟から海中に紛失されたという、
三種の神器のうちの一つであるが、
その本当の意味が、この言霊別命にあるとすれば、
海中に失われた草薙の剣も、あまり勿体無いものでもないのかも…

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------  

第6章 籠(カゴ)の鳥 (106)

2007年07月09日 00時12分23秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第三篇 ロツキー山

 国直姫命(クニナホヒメノミコト)は靖国姫(ヤスクニヒメ)とともに
ロツキー山の諸神将卒を集め、高天原(タカアマハラ)の惨状を物語り、
かつ、

「吾は天の御三体(ゴサンタイ)の大神(オホカミ)の命を奉じ、
 ロツキー山に地の高天原を建設し、
 国治立命(クニハルタチノミコト)を迎へたてまつり、天地の律法を厳守し、
 もつて至善至美なるミロクの神政を布(シ)かむとす。
 汝(ナンヂ)ら諸神将卒心を合せ、吾が命を奉じ力を一にして、
 もつて神政成就のために努力せよ」

と宣示したり。

 諸神将卒は一点の疑ひもなく、この宣示を遵守し、
ますます結束を固くし、各城門には勇猛なる神将を配置し、
固くこれを守らしめたり。

このとき東天(トウテン)をとどろかし、
天(アマ)の磐船(イハブネ)に乗りてきたる神司(カミ)あり。

靖国別に面談せむと、
眉目清秀威厳犯すべからざる言霊別命(コトタマワケノミコト)が
この場に現はれたまひける。

東門(ヒガシモン)の神将玉国別(タマクニワケ)は、
この旨を国直姫命に奏上しければ、
命(ミコト)はただちに大広間に諸神将を集め、
列座せる中央に言霊別命を招き、その来意を尋ねける。

 ここに言霊別命は、

 『貴治彦(タカハルヒコ)の使者国彦(クニヒコ)の進言によれば、
  高天原は混乱状態に陥り、国直姫命は身をもつて免(マヌガ)れ、
  大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は昇天し、
  国治立命(クニハルタチノミコト)は行衛不明となりたまひたり
  との密使ロツキー山に来れりと聞き、
  不審にたへず、事の実否を調査せむために、
  吾は大八洲彦命の使神として出向せり。
  今日の地の高天原はきはめて平穏無事なり。
  したがつて国治立命をはじめ、国直姫命、
  大八洲彦命はすこぶる健全にして神務に鞅掌(オウシヤウ)せられ、
  天地の律法は完全に行はれつつあり。
  しかるに何者の奸策にや、
  当城にむけ虚偽の密告をなし当山を攪乱せむとはする、
  貴下(キカ)は何者なるぞ』

と国直姫命にむかつて詰問せり。

このとき国直姫命は容色をあらため威儀を正し、

 『汝(ナンヂ)言霊別命と自称するも吾はこれを信ぜず。
  現に国直姫命は吾なるぞ。
  しかるに国直姫命高天原にあり、
  大八洲彦命も健全に神務に従事せりとは
  虚偽もまた甚だしからずや、
  汝は「詐(イツハ)るなかれ」といふ天地の律法を破りたる邪神なり。
  国直姫命あに二柱(フタハシラ)あらむや』

と色をなして言ひ放ちけるにぞ、ここに諸神将は、

「吾らをいつはる不届至極の邪神、贋(ニセ)言霊別命を厳罰に処せむ」

と、いふより早く目と目を見合せ、
ただちに立つて命を後手(ウシロデ)に縛(シバ)りあげ、
口に猿轡(サルグツワ)をはませ、
神卒をして泥深き濠(ホリ)の中に投棄せしめ、
凱歌を奏しふたたび国直姫命の御前に出で
鼻高々とこの顛末を奏上したり。

国直姫命は賞詞を賜はるかと思ひきや、

「汝らは『殺すなかれ』との天則に違反せり。
すみやかに根(ネ)の国(クニ)に退去を命ず」

と、厳(オゴソ)かに言ひわたしければ、
案に相違の神司(カミガミ)らは
梟(フクロ)の夜食に外(ハヅ)れたるごとき不平面にて、
神将に引立てられ牢獄に投げ込まれける。

一方言霊別命は辛(カラ)うじて泥中より這(ハ)ひ上りしところを
番卒に見つけられ、高手小手(タカテコテ)に縛(イマシ)められて
牢獄に投げこまれ、無限の苦痛をなめたまひける。

 折しもどこともなく微妙の音楽聞え、
紺碧の蒼空より五色の雲に乗り、あまたの神将をしたがへ
十曜(トエウ)の神旗を幾十ともなく押したてて、
ロツキー山にむかつて下りきたる、
栄光と権威の具(ソナ)はれる大神(オホカミ)現はれましぬ。

国直姫命は恭敬礼拝拍手してこれを迎へ、

「……国治立命様御苦労に存じ奉(タテマツ)る……」

と大声に奏上したれば、あまたの神司(カミガミ)は命の声を聞くと、
ひとしく恭敬礼拝低頭平身、礼の限りをつくして奉迎し、
歓喜の涙にくれにける。

 ここに国直姫命は国治立命を奥殿に案内し奉り、
かつ諸神司(シヨシン)を集めて地(チ)の高天原(タカアマハラ)を
天(テン)の大神(オホカミ)の命により、
ロツキー山に遷(ウツ)されしことを宣示しける。

諸神将卒は欣喜雀躍(キンキジヤクヤク)
手の舞ひ足の踏むところを知らざりし。

時しも天(アマ)の鳥船(トリブネ)に乗りて、
地の高天原より八王神(ヤツワウジン)なる貴治彦(タカハルヒコ)、
八頭神(ヤツガシラガミ)なる靖国別(ヤスクニワケ)帰りきたり、
東門(ヒガシモン)に降下し、番卒にむかつて開門を命じたり。

番卒はおほいに驚き、
唯々(イイ)として門を開き二神将を通したり。

二神将はただちに奥殿に気色をかへて進み入り、
靖国姫を一間に招き、高天原の実況を物語り、
かつ、当山に逃げきたりしといふ国治立命は、
その実常世姫(トコヨヒメ)の部下の邪神なりと語れば、
靖国姫はおほいに驚き、かつ、
その真偽に迷はざるを得ざりける。

 ここに貴治彦(タカハルヒコ)、
靖国別(ヤスクニワケ)は城内の諸神司(シヨシン)を集め、
地の高天原の実況を伝達せむとし城内一般に令を発したるに、
偽(ニセ)国直姫命は陰謀の露見せむことを恐れ、
みづからも諸神将に令を発し、大広前に集まらしめける。

諸神将卒は一柱(ヒトハシラ)として国直姫命を偽神と信ずる者なく、
かつ偽の国治立命を一層深く信頼しゐたりける。

このとき貴治彦、靖国別は正座になほり、
偽の国直姫にむかつて、貴治彦は、

 『汝(ナンヂ)はいづれより来りし邪神なるか、
  有体(アリテイ)に白状せよ。返答次第によりては容赦はならじ』

と双方より詰めかけけるを、国直姫命はカラカラとうち笑ひ、

 『汝は主にむかつて無礼の雑言、
 「長上を敬へ」との律法を破る反逆者ならずや。
  また汝は地の高天原にいたりて
  その惨状を見きはめ帰りしにもかかはらず、
  吾にむかつて何れの邪神ぞと口をきはめて罵(ノノシ)るは、
  これはまた律法違反に非ずや。
  吾はただちに奥殿に入り、
  国治立命に汝が無礼の次第を逐一奏上し奉(タテマツ)らむ。
  しばらく控へよ』

と、足音荒く奥殿に急ぎ進入したりしが、
城内の諸神将はこの光景を見てやや不審の雲に包まれゐたり。

貴治彦、靖国別は怒り心頭に達し、
二神司(ニシン)は共に刀の柄(ツカ)に手をかけ、
国直姫命を一刀の下に切り付けむと決心したりしが、
たちまち天地の律法を思ひ出し……

「怒(イカ)る勿(ナカ)れ、殺す勿れ」

いま吾短慮を起しなばみづから天則を破る者なり、
ああ如何(イカ)にせむ……と思案にくるるをりしも、
奥殿より国治立命あまたの侍神を従へ、悠然と立ち現はれ、

 『国治立命これに在(ア)り。
  汝何ゆゑなれば天地の大命を拝持する国直姫命にむかつて
  暴言を吐くや。汝は天地の律法を破壊する邪神なり。
  一時も早くこの場を立去れ。
  万一吾が言に違背せば、やむを得ず汝ら二人を、
  根(ネ)の国(クニ)に退去を命ず』

と、言辞(コトバ)おごそかに伝へければ、
城内の諸神将卒はいづれも真正(シンセイ)の国治立命と信じ、
この二人を天則違反者となして、
ロツキー山を退去せしめたりける。

ここに貴治彦はモスコーに逃れ、
蟄居(チツキヨ)して時期を待つこととなりぬ。
また靖国別夫婦は何処(イヅク)ともなく落ちのび、
行衛不明となれり。

 【附言】

この国治立命といふは六面八臂(ロクメンハツピ)の邪鬼の変化にして、
国直姫命は常世姫の部下醜玉姫(シコタマヒメ)なり。

かくしてロツキー山は悪魔の手におちいり、
諸神将卒は、その邪神たることを覚る者なく、
ここに偽(ニセ)高天原はある時期まで、建設されゐたりしなり。

 (大正十年十一月十四日、旧十月十五日、河津雄録)f

『音惚花活気好@kakky』的『第6章 籠の鳥 (106)』分解

2007年07月09日 00時11分19秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第三篇 ロツキー山

平成十九(2007)年七月九日 旧五月二十五日(月)

 国直姫命(クニナホヒメノミコト)は靖国姫(ヤスクニヒメ)とともに
ロツキー山の諸神将卒を集め、高天原(タカアマハラ)の惨状を物語り、
かつ、

「吾は天の御三体(ゴサンタイ)の大神(オホカミ)の命を奉じ、
 ロツキー山に地の高天原を建設し、
 国治立命(クニハルタチノミコト)を迎へたてまつり、天地の律法を厳守し、
 もつて至善至美なるミロクの神政を布(シ)かむとす。
 汝(ナンヂ)ら諸神将卒心を合せ、吾が命を奉じ力を一にして、
 もつて神政成就のために努力せよ」

と宣示したり。

--------------------------------------------------------------

つまり、ロッキー山の因縁は、正神に化けた偽神が、
あたかも正神の様に、
それなりに素晴らしい地上天国を建設したという、
ちょっと奇妙なものなのだ。

…偽神だろうと何だろうと、理想的な平和世界を建設したい、
という崇高な目的を持っているという点においては平等だ。

ただ、悪神側は、その理想を実現する為なら、
手段を選ばず、嘘でも何でもつくというのに対して、
本物の正神達は、誠一筋、一切嘘無しで、
最も難しいこだわりを貫き通して、
真の地上天国を建設しようとしているわけである。

だから、偽神達の理想は、確かに実現するのも早いけれども、
滅亡するのも早いが、誠一筋を貫いて、
どこまでもこだわり続けて建設した真の地上天国は、
絶対に滅亡すること無く、永遠無窮に繁栄して行くのである、
ということを、ここに示してあるのだ。

けれども、これは国治立命の理想論であって、
神素盞嗚大神のやり方は、もう少し違うものだが、
それについては、また後に明らかにしてみたい。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 諸神将卒は一点の疑ひもなく、この宣示を遵守し、
ますます結束を固くし、各城門には勇猛なる神将を配置し、
固くこれを守らしめたり。

このとき東天(トウテン)をとどろかし、
天(アマ)の磐船(イハブネ)に乗りてきたる神司(カミ)あり。

靖国別に面談せむと、
眉目清秀威厳犯すべからざる言霊別命(コトタマワケノミコト)が
この場に現はれたまひける。

東門(ヒガシモン)の神将玉国別(タマクニワケ)は、
この旨を国直姫命に奏上しければ、
命(ミコト)はただちに大広間に諸神将を集め、
列座せる中央に言霊別命を招き、その来意を尋ねける。

--------------------------------------------------------------

新約聖書の中で、ナザレのイエスが、弟子達に天国について、
こんな譬え話しをしている。

「来るべき天国ってやつは、そうだな…、
 たとえばある大牧場の主人が大仕事をする為に、
 大牧場の経営を召し使い達に任せて、
 主人夫婦と子供達を連れて諸国外遊にお出かけになった。
 しばらくすると大牧場の経営を任された召し使い達は、
 主人一家がなかなか帰らないので、段々と辺り一帯に対して、
 随分とデカイ顔をする様になっちまった。
 そんな有り様を風の噂で主人は聞き付け、
 ちょっと注意を促そうと使いをよこしたが、
 召し使い達は、派遣されて来るその使い達を、
 こっそり抱え込んだり、場合によっては殺しちまったり、
 無茶苦茶な事をやって、
 主人から預かった大牧場で得る利益をほしいままにするばかり。
 それでも主人は、直接の警察行動や、法的手段にうったえず、
 実の息子をつかわせば、少しは聞く耳を持つだろうと、
 息子を大牧場に派遣したが、
 経営を任された召し使い達は、その息子を本物と認めないで、
 とうとうこの息子まで捕らえて殺しちまったんだ。
 これには流石の主人も呆れ返り、遂に法的手段に訴えて、
 諸国の善良な人々を味方につけて、遂にこの大牧場を、
 この悪い召し使い達から取り戻す事に決めたんだ。
 来るべき天国ってやつは…まあ、ざっとこんな感じさ。」

だいぶ言い方は違うけれど、だいたいこんなことを言った。

これは、ナザレのイエスが、神の一人子とか言われながらも、
遂には捕らえられて十字架に架けられることについての予言だが、
この息子と、ここでの言霊別命は、割とよく似ていると言える。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 ここに言霊別命は、

 『貴治彦(タカハルヒコ)の使者国彦(クニヒコ)の進言によれば、
  高天原は混乱状態に陥り、国直姫命は身をもつて免(マヌガ)れ、
  大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は昇天し、
  国治立命(クニハルタチノミコト)は行衛不明となりたまひたり
  との密使ロツキー山に来れりと聞き、
  不審にたへず、事の実否を調査せむために、
  吾は大八洲彦命の使神として出向せり。
  今日の地の高天原はきはめて平穏無事なり。
  したがつて国治立命をはじめ、国直姫命、
  大八洲彦命はすこぶる健全にして神務に鞅掌(オウシヤウ)せられ、
  天地の律法は完全に行はれつつあり。
  しかるに何者の奸策にや、
  当城にむけ虚偽の密告をなし当山を攪乱せむとはする、
  貴下(キカ)は何者なるぞ』

と国直姫命にむかつて詰問せり。

--------------------------------------------------------------

要するに、こんな悪神達の嘘が通用してしまうほど、
ロッキー山に対する高天原の影響力は小さかったのだ。

勿論、言霊別命がやって来て、これを正そうとするのだが…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

このとき国直姫命は容色をあらため威儀を正し、

 『汝(ナンヂ)言霊別命と自称するも吾はこれを信ぜず。
  現に国直姫命は吾なるぞ。
  しかるに国直姫命高天原にあり、
  大八洲彦命も健全に神務に従事せりとは
  虚偽もまた甚だしからずや、
  汝は「詐(イツハ)るなかれ」といふ天地の律法を破りたる邪神なり。
  国直姫命あに二柱(フタハシラ)あらむや』

と色をなして言ひ放ちけるにぞ、ここに諸神将は、

「吾らをいつはる不届至極の邪神、贋(ニセ)言霊別命を厳罰に処せむ」

と、いふより早く目と目を見合せ、
ただちに立つて命を後手(ウシロデ)に縛(シバ)りあげ、
口に猿轡(サルグツワ)をはませ、
神卒をして泥深き濠(ホリ)の中に投棄せしめ、
凱歌を奏しふたたび国直姫命の御前に出で
鼻高々とこの顛末を奏上したり。

--------------------------------------------------------------

これはつまり、民主主義の中核をなす多数決が力を発しているのだ。

『赤信号みんなで渡れば恐くない』

というやつである。

それにしても、正しい神々が、たとえ相手が贋物であったとしても、
いきなりこんな風に後手に縛り上げ、猿轡をはまして、
壕に投げ棄てる様な非道な真似をするわけがない。

やっぱり、善の仮面を被ってはいても、所詮は悪神だけに、
やることがえげつない。

これではまるでギャングである。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

国直姫命は賞詞を賜はるかと思ひきや、

「汝らは『殺すなかれ』との天則に違反せり。
すみやかに根(ネ)の国(クニ)に退去を命ず」

と、厳(オゴソ)かに言ひわたしければ、
案に相違の神司(カミガミ)らは
梟(フクロ)の夜食に外(ハヅ)れたるごとき不平面にて、
神将に引立てられ牢獄に投げ込まれける。

一方言霊別命は辛(カラ)うじて泥中より這(ハ)ひ上りしところを
番卒に見つけられ、高手小手(タカテコテ)に縛(イマシ)められて
牢獄に投げこまれ、無限の苦痛をなめたまひける。

--------------------------------------------------------------

この偽国直姫命のやり方は、実に憎たらしいくらいに巧妙だ。

身内に手を汚させて、用が済んだら法で裁いて、
ロッキー山の神々からの信用を得て、
完全にロッキー山を乗っ取ってしまおうというわけである。

一方、正しい神の言霊別命は踏んだり蹴ったりで、
まるでいい所無し。

これだけ悪が強い所では、流石の正義も出る幕無しである。
やっぱり悪が強い相手には、そこそこ機転が必要なのだろう…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 折しもどこともなく微妙の音楽聞え、
紺碧の蒼空より五色の雲に乗り、あまたの神将をしたがへ
十曜(トエウ)の神旗を幾十ともなく押したてて、
ロツキー山にむかつて下りきたる、
栄光と権威の具(ソナ)はれる大神(オホカミ)現はれましぬ。

国直姫命は恭敬礼拝拍手してこれを迎へ、

「……国治立命様御苦労に存じ奉(タテマツ)る……」

と大声に奏上したれば、あまたの神司(カミガミ)は命の声を聞くと、
ひとしく恭敬礼拝低頭平身、礼の限りをつくして奉迎し、
歓喜の涙にくれにける。

--------------------------------------------------------------

偽の国直姫命に迎えられて、これをすぐに偽と見抜けないのでは、
やっぱりこの国治立命も偽物ということになるのだが、
嘘で固めた神の因縁であるから、
腹立たしくても読んでおくしかない。

そして、ここでの言霊別命の失態からよく学んで、
明らかに怪しい連中が力を発揮している所に出向く時には、
もう少し、用心して、せめて頼りになる護衛でも引き連れて来るか、
言霊別命の身分を隠して、敵状をよく調べてから高天原に報告し、
高天原軍対偽国直姫軍として決着をつけるように
するべきだろう…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 ここに国直姫命は国治立命を奥殿に案内し奉り、
かつ諸神司(シヨシン)を集めて地(チ)の高天原(タカアマハラ)を
天(テン)の大神(オホカミ)の命により、
ロツキー山に遷(ウツ)されしことを宣示しける。

諸神将卒は欣喜雀躍(キンキジヤクヤク)
手の舞ひ足の踏むところを知らざりし。

時しも天(アマ)の鳥船(トリブネ)に乗りて、
地の高天原より八王神(ヤツワウジン)なる貴治彦(タカハルヒコ)、
八頭神(ヤツガシラガミ)なる靖国別(ヤスクニワケ)帰りきたり、
東門(ヒガシモン)に降下し、番卒にむかつて開門を命じたり。

番卒はおほいに驚き、
唯々(イイ)として門を開き二神将を通したり。

二神将はただちに奥殿に気色をかへて進み入り、
靖国姫を一間に招き、高天原の実況を物語り、
かつ、当山に逃げきたりしといふ国治立命は、
その実常世姫(トコヨヒメ)の部下の邪神なりと語れば、
靖国姫はおほいに驚き、かつ、
その真偽に迷はざるを得ざりける。

--------------------------------------------------------------

正神達は正しいことをするのにも、
ちょっと天降り的過ぎて、大衆心理に疎過ぎる様だ。

如何に正義の真相を握っていようとも、
その切り札を出すタイミングが悪すぎて、
かえって身に危険を招いているわけである。

迷信、盲信がはびこっている社会では、
どんなに正しい情報も敵視されるものだ。

だから真相をつかんでいても、
そう軽率に口外するものではない。

黙秘しているということは決して虚偽ではないのだから…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 ここに貴治彦(タカハルヒコ)、
靖国別(ヤスクニワケ)は城内の諸神司(シヨシン)を集め、
地の高天原の実況を伝達せむとし城内一般に令を発したるに、
偽(ニセ)国直姫命は陰謀の露見せむことを恐れ、
みづからも諸神将に令を発し、大広前に集まらしめける。

諸神将卒は一柱(ヒトハシラ)として国直姫命を偽神と信ずる者なく、
かつ偽の国治立命を一層深く信頼しゐたりける。

このとき貴治彦、靖国別は正座になほり、
偽の国直姫にむかつて、貴治彦は、

 『汝(ナンヂ)はいづれより来りし邪神なるか、
  有体(アリテイ)に白状せよ。返答次第によりては容赦はならじ』

と双方より詰めかけけるを、国直姫命はカラカラとうち笑ひ、

 『汝は主にむかつて無礼の雑言、
 「長上を敬へ」との律法を破る反逆者ならずや。
  また汝は地の高天原にいたりて
  その惨状を見きはめ帰りしにもかかはらず、
  吾にむかつて何れの邪神ぞと口をきはめて罵(ノノシ)るは、
  これはまた律法違反に非ずや。
  吾はただちに奥殿に入り、
  国治立命に汝が無礼の次第を逐一奏上し奉(タテマツ)らむ。
  しばらく控へよ』

と、足音荒く奥殿に急ぎ進入したりしが、
城内の諸神将はこの光景を見てやや不審の雲に包まれゐたり。

--------------------------------------------------------------

この場面では既に大衆心理が、
偽国直姫命の方に傾いてしまっている。

そういう状況下で、
中途の神々である貴治彦、靖国別が何を言っても、
もう後の祭りであるから、やはりここは前の言霊別命同様、
しばらく黙秘して、数に対しては数をもって、
圧力をかける準備をする為に、高天原に事情を報告して、
援軍を要請するべきであったろう。

それをしないで血気にはやって勇み足をしてしまったのが、
第一の失敗のもとである。

やはり相手が偽物であっても、
仮にも身分が高い国直姫命を名乗っているのだから、
これに正しく応戦する為には、真の国直姫命以上の神と共に、
援軍を率いて相対さねば、
圧倒的に不利になってしまうのは当然だ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

貴治彦、靖国別は怒り心頭に達し、
二神司(ニシン)は共に刀の柄(ツカ)に手をかけ、
国直姫命を一刀の下に切り付けむと決心したりしが、
たちまち天地の律法を思ひ出し……

「怒(イカ)る勿(ナカ)れ、殺す勿れ」

いま吾短慮を起しなばみづから天則を破る者なり、
ああ如何(イカ)にせむ……と思案にくるるをりしも、
奥殿より国治立命あまたの侍神を従へ、悠然と立ち現はれ、

 『国治立命これに在(ア)り。
  汝何ゆゑなれば天地の大命を拝持する国直姫命にむかつて
  暴言を吐くや。汝は天地の律法を破壊する邪神なり。
  一時も早くこの場を立去れ。
  万一吾が言に違背せば、やむを得ず汝ら二人を、
  根(ネ)の国(クニ)に退去を命ず』

と、言辞(コトバ)おごそかに伝へければ、
城内の諸神将卒はいづれも真正(シンセイ)の国治立命と信じ、
この二人を天則違反者となして、
ロツキー山を退去せしめたりける。

--------------------------------------------------------------

貴治彦、靖国別は、この時になって遅ればせながら、

「怒(イカ)る勿(ナカ)れ、殺す勿れ」

を思い出しているのだが、
血気にはやって偽国直姫命を問い詰めた時に、
既に「怒る勿れ」の戒めを破ってしまっていたのだ。

だからやることなすこと、結局、後手々々にまわることになる。

相手の正体を見破ったとしても、軽率な行動を慎まないと、
つまり単独行動に走ってしまうと、思わぬ苦渋をなめるのだ。

たとえば、一人の巡査が現行犯を発見したとしても、
本部に報告しないで単独行動をとったがために、
現行犯に発砲されて一命を落としてしまう、
という悲劇と同じで、一国の乗っ取りを企むほどの悪を相手に、
こんな直線的で真っ正直なことばかりをやっていたのでは、
ここでの悪神達の様に律法を悪用されて、
逆にやりこめられてしまうことにもなるのだ。

しっかりと証拠を固めて、しかるべき手段でもって、
それを裁判にかける様に慎重に用いないと、
いくらでも揚げ足をとられて、逆にやられてしまうから、
悪でも大物と対戦する時は、よほど用心しないとならないのだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

ここに貴治彦はモスコーに逃れ、
蟄居(チツキヨ)して時期を待つこととなりぬ。
また靖国別夫婦は何処(イヅク)ともなく落ちのび、
行衛不明となれり。

 【附言】

この国治立命といふは六面八臂(ロクメンハツピ)の邪鬼の変化にして、
国直姫命は常世姫の部下醜玉姫(シコタマヒメ)なり。

かくしてロツキー山は悪魔の手におちいり、
諸神将卒は、その邪神たることを覚る者なく、
ここに偽(ニセ)高天原はある時期まで、建設されゐたりしなり。

 (大正十年十一月十四日、旧十月十五日、河津雄録)


--------------------------------------------------------------

ここに記されたことを、明確に表現するのも、
また、とても難しい問題であるから、
筆者はその理解を読者の判断能力に頼る他はない。

そして判った者は、軽率な暴走に走らず、
よほど慎重に用心して、この問題に取りかからねばならい。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------  

第5章 不審の使神 (105)

2007年07月03日 01時03分00秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第三篇 ロツキー山

 ロツキー山は紺色(コンイロ)の玉を、
荘厳なる神殿を建立して鎮祭され、
貴治彦(タカハルヒコ)八王神(ヤツワウジン)となり、
靖国別(ヤスクニワケ)八頭神(ヤツガシラガミ)となり、律法を遵守して、
きはめて平穏に神事、神政はおこなはれけり。

 ある時、靖国姫(ヤスクニヒメ)の居間の扉(ト)をひそかに叩(タタ)く者あり。
靖国姫は侍女とともに扉を開き、

 『かかる深夜に戸を叩くは何者ぞ』

と問ひただせば、声に応じて、

 『私は地(チ)の高天原(タカアマハラ)なる国直姫命(クニナホヒメノミコト)の密使にして、
  小島彦(ヲジマヒコ)と申す者なり』

 【附言】

小島彦と称するは実は偽名にて、常世彦(トコヨヒコ)の間者(カンジヤ)、
玉醜別(タマシコワケ)といふ曲者(クセモノ)なりける。

 靖国姫は小島彦に一面識もなければその真偽を知らず、
国直姫命の急使と聞きて大いに驚き、

 『かかる夜陰にひそかに来りたまふは、
  地の高天原に何事か急変おこりしならむ。まづわが居間に』

と小島彦を引入れ、その用務をあわただしく息をはづませ問ひかくれば、
小島彦は声を低うし四辺(アタリ)に眼を配り、かつ畏(オソ)れながら、

 『隣人を遠ざけたまへ』

と仔細ありげなり。

 靖国姫はその言のごとく隣人を遠ざけ、小島彦としづかに対座したり。
小島彦は声を低うしていふ、

 『地の高天原には大変事出来し、
  天使長(テンシチヤウ)大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は、
  八王大神(ヤツワウダイジン)部下の神の悪辣なる計略におちいり、
  つひに上天(シヨウテン)せり。
  その他の天使は善後策につき協議中にして、
  一歩も外出することを得ず。
  上を下への大騒ぎなれば、吾をして天使代理として遣(ツカ)はしたまふ。
  ゆゑに吾が言は国直姫命の神言にして、天使の言も同様なり。
  一時も早く靖国別に貴下(キカ)より伝言せられたし』

と顔色を変じていひければ、靖国姫はそのまま使者をわが居間に待たせおき、
靖国別の寝殿にいたり、密使の次第を逐一進言したりけり。

靖国別は大いに驚きしばらく双手(モロテ)を組んで思案の体なりしが、
たちまち座を立つて、貴治彦(タカハルヒコ)の御殿に参向し、
密使の次第を逐一奏上したりける。

 貴治彦はこれを聞きて大いに訝(イブ)かり、

 『国直姫命の密使ならば、第一着に吾に伝へらるべきはずなり。
  しかるに如何(イカ)なる変事ありとて吾を差しおき、
  しかも女性(ヂヨセイ)の居間をたたき、
  かかる一大事を報告すべき理由なし。
  想ふに反逆を企つる者の奸手段(カンシユダン)なるべし。
  汝(ナンヂ)らはすみやかに、その密使を吾が前にともなひ来れ。
  吾は彼に会ひ実否を調査せむ』

と言葉を残して殿中に進み入りける。

 靖国別は命を奉じ、小島彦を伴なひひそかに殿中に伺候(シコウ)し、
貴治彦にむかつて謁(エツ)を乞(コ)ひしに、
命は小島彦にむかつて密使の次第を詳細に訊問したりける。

小島彦は低頭平身して言葉たくみに、前述の次第を奏上し、
一時もはやく貴治彦の地の高天原へのぼられることを懇請し、
かついふ。

 『いたづらに躊躇逡巡して時を移さば一層大事変を惹起(ジヤクキ)し、
  つひには国直姫命の御身辺も危からむ。
  大神(オホカミ)の一大事、早くこの場を立つて、
  吾らとともに地の高天原へ参向されたし』

と進言せる。

 折からたちまち城下におこる鬨(トキ)の声。
貴治彦は急ぎ勾欄(コウラン)にのぼり山下はるかに見渡せば、
夜陰のため確かにそれと判別はつかざれども、
立ちならぶ無数の高張(タカハリ)は、十曜(トエウ)の神紋記されありき。
ただごとならじと元の座にかへり、
靖国別に何事か耳語(ジゴ)したまひける。
矢叫(ヤサケ)びの声、鬨の声、次第に近づききたる。

そのとき地の高天原の従神司(ジユウシン)豊彦(トヨヒコ)
〈実は常世姫(トコヨヒメ)の間者(カンジヤ)〉は
軽装のまま走りきたり階下に平伏し、

 『恐れながら八王(ヤツワウ)の神(カミ)に注進し奉(タテマツ)る。
  地の高天原はほとんど破壊の運命に逢着し、
  国治立命(クニハルタチノミコト)は行衛不明となり、
  大混乱状態におちいり、収拾すべからざる惨状なり。
  国直姫命は従者をしたがへ小島彦の跡を追ひ、
  ただ今(イマ)出御相(シユツギヨアヒ)なりたり。
  相当の礼をつくして諸神司(シヨシン)をして城門に奉迎せしめたまへ』

とあはただしく奏上したるにぞ、
貴治彦は寝耳に水の注進にしばし茫然としてゐたりしが、
ただちに靖国別に命じて城内の諸神司(シヨシン)に非常召集を命じ、
国直姫命を城門に迎へたてまつるの準備に着手されたりける。

 貴治彦の命令一下とともに、
諸神司は各自礼装をととのへ、城門に奉迎したり。

 ここに国直姫命は諸神司とともに悠然として入りきたり、
慇懃(インギン)に挨拶を述べ、地の高天原の惨状を物語られける。

ここに国直姫命の命令を奉じて貴治彦、靖国別は少数の神軍をひきゐ、
地の高天原へ応援のため参向(サンカウ)することに決したり。

 あまたの諸神将卒は靖国姫を守護し、ロツキー山の城中にとどまり、
しばらく形勢を観望することとはなりける。

 これよりさきに貴治彦は、国彦をひそかに地の高天原につかはし、
実否を糺(タダ)さしめ、
かつ小島彦の密使の真偽を調査せしめゐたりしなり。

 大八洲彦命は国彦の言を聞いておほいに驚き、

 『地の高天原はかくのごとく平穏無事なるに、
  かかる密使をだすべき理由なし。
  察するところ邪神の奸策ならむ。
  このままに捨ておかば、ロツキー山は、
  いかなる運命に逢着するや計りがたし』

と、言霊別命に国彦をそへ、
あまたの従神司(ジユウシン)とともに
ロツキー山に急ぎ出発せしめられたるぞ畏(カシ)こけれ。

 (大正十年十一月十四日、旧十月十五日、栗原七蔵録)

『音惚花活気好@kakky』的『第5章 不審の使神 (105)』分解

2007年07月03日 01時02分05秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第三篇 ロツキー山

平成十九(2007)年七月三日 旧五月十九日(火)

 ロツキー山は紺色(コンイロ)の玉を、
荘厳なる神殿を建立して鎮祭され、
貴治彦(タカハルヒコ)八王神(ヤツワウジン)となり、
靖国別(ヤスクニワケ)八頭神(ヤツガシラガミ)となり、律法を遵守して、
きはめて平穏に神事、神政はおこなはれけり。

--------------------------------------------------------------

そういえば、このあいだテレビでロッキー山脈沿いにある
『コロラド川』の川下りを特集したクイズ番組がやっていた。
なんだかとってもタイムリーな感じだが、
このコロラド川添いに、
昔、ネイティブ・アメリカンのホピ族が生活していたそうだ。

ホピ族には、とても正確な予言が伝わっているそうだが、
これは世界の終末が予言されていて、とても恐れられているとか…

このホピ族の御先祖様は、
『X-File』でもよく出て来た『アナサジ』だそうだ。

『アナサジ』というと、
この『霊界物語』にも出て来る『あななひ教』を即連想するのだが、
吾々日本人と同じモンゴロイドだというから、
きっと遺伝的に繋がっているに違いない。

そんなロッキー山の靖国別という名前が、
またちょっと気になるのだが、
我国の靖国神社と関連づけることが出来るかどうか?
そのへんを探ってみたい気もする…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 ある時、靖国姫(ヤスクニヒメ)の居間の扉(ト)をひそかに叩(タタ)く者あり。
靖国姫は侍女とともに扉を開き、

 『かかる深夜に戸を叩くは何者ぞ』

と問ひただせば、声に応じて、

 『私は地(チ)の高天原(タカアマハラ)なる国直姫命(クニナホヒメノミコト)の密使にして、
  小島彦(ヲジマヒコ)と申す者なり』

 【附言】

小島彦と称するは実は偽名にて、常世彦(トコヨヒコ)の間者(カンジヤ)、
玉醜別(タマシコワケ)といふ曲者(クセモノ)なりける。

--------------------------------------------------------------

気高い神職にある者の居間の扉をひそかに叩くなどという者は、
それだけでも既に怪しいのだが、
靖国姫がそれを怪しまないというのは、
なんというか…純粋培養というか…
きっとお嬢様育ちで、こんなスリリングな展開を、
何処か待ち焦がれているところがあったのかもしれない…

毎日が、あまり平穏無事だと、危険な遊び心が出て、
こんな怪しい訪問者に、ついつい心を許してしまうものだ。

そう考えると、ロッキー山脈沿いのスリリングな川下りと、
なんとなく通じるものがある気もして来るが、
国を治める偉い方が、こういうスリリングな遊びに熱中する様では、
ちょっと困るかも知れないけれど、
平凡な一般人が、スリリングな川下りを楽しんでも、
特に問題はあるまい。

だいたい日本人に比べると、アメリカ人はスリル好きな印象があるが、
もしかしたら、この靖国姫の霊の影響を受けているのかも…

そういえば、ロッキーと聞いただけで、なんとなくスリリングだ。

アメリカを代表するド根性ボクシング映画も『ロッキー』だし、
こんなスリリングなロッキーはアメリカの魂なのかもしれない…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 靖国姫は小島彦に一面識もなければその真偽を知らず、
国直姫命の急使と聞きて大いに驚き、

 『かかる夜陰にひそかに来りたまふは、
  地の高天原に何事か急変おこりしならむ。まづわが居間に』

と小島彦を引入れ、その用務をあわただしく息をはづませ問ひかくれば、
小島彦は声を低うし四辺(アタリ)に眼を配り、かつ畏(オソ)れながら、

 『隣人を遠ざけたまへ』

と仔細ありげなり。

--------------------------------------------------------------

もし、それが本当に一大事ならば、
靖国姫は先ず夫である靖国別に連絡を取るべきなのに、
流石は女性上位といわれるアメリカの御先祖様だけあって、
なかなかのお転婆さんである。

そういう姫のスリルを求める心を知ってか知らずか…
偽小島別の玉醜別の話法は、なかなか小癪である。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 靖国姫はその言のごとく隣人を遠ざけ、小島彦としづかに対座したり。
小島彦は声を低うしていふ、

 『地の高天原には大変事出来し、
  天使長(テンシチヤウ)大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は、
  八王大神(ヤツワウダイジン)部下の神の悪辣なる計略におちいり、
  つひに上天(シヨウン)せり。
  その他の天使は善後策につき協議中にして、
  一歩も外出することを得ず。
  上を下への大騒ぎなれば、吾をして天使代理として遣(ツカ)はしたまふ。
  ゆゑに吾が言は国直姫命の神言にして、天使の言も同様なり。
  一時も早く靖国別に貴下(キカ)より伝言せられたし』

と顔色を変じていひければ、靖国姫はそのまま使者をわが居間に待たせおき、
靖国別の寝殿にいたり、密使の次第を逐一進言したりけり。

--------------------------------------------------------------

それこそ、こんな一大事ならば、
先ずは八王神の貴治彦に連絡すべきものを、
もっとも下位にある靖国姫に密かに耳打ちするというのが、
怪しいことこの上ない。

あまり、こういうことをいうと、
女権拡張運動に敵対する様に誤解されかねないので、
筆者も慎みたいのだが、だからこそ悪は、
そんなお転婆姫の心を悪用するわけだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

靖国別は大いに驚きしばらく双手(モロテ)を組んで思案の体なりしが、
たちまち座を立つて、貴治彦(タカハルヒコ)の御殿に参向し、
密使の次第を逐一奏上したりける。

 貴治彦はこれを聞きて大いに訝(イブ)かり、

 『国直姫命の密使ならば、第一着に吾に伝へらるべきはずなり。
  しかるに如何(イカ)なる変事ありとて吾を差しおき、
  しかも女性(ヂヨセイ)の居間をたたき、
  かかる一大事を報告すべき理由なし。
  想ふに反逆を企つる者の奸手段(カンシユダン)なるべし。
  汝(ナンヂ)らはすみやかに、その密使を吾が前にともなひ来れ。
  吾は彼に会ひ実否を調査せむ』

と言葉を残して殿中に進み入りける。

--------------------------------------------------------------

今回は、一読しないで、上から順に書き込んで来たのだが、
こんなに早く、筆者の考え通りのことを貴治彦が言っていると、
なんだか霊界物語が、しっかり骨肉になっている自分が嬉しい。

とにかく神は順序である。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 靖国別は命を奉じ、小島彦を伴なひひそかに殿中に伺候(シコウ)し、
貴治彦にむかつて謁(エツ)を乞(コ)ひしに、
命は小島彦にむかつて密使の次第を詳細に訊問したりける。

小島彦は低頭平身して言葉たくみに、前述の次第を奏上し、
一時もはやく貴治彦の地の高天原へのぼられることを懇請し、
かついふ。

 『いたづらに躊躇逡巡して時を移さば一層大事変を惹起(ジヤクキ)し、
  つひには国直姫命の御身辺も危からむ。
  大神(オホカミ)の一大事、早くこの場を立つて、
  吾らとともに地の高天原へ参向されたし』

と進言せる。

--------------------------------------------------------------

太古の神々は、こういう時に、電話電報、FAX、メール、
無線とかを使う事をしなかったのだろうか?

いやいや、それより先に、神というからは、
高天原の神々とテレパシーでも使って通じ合いそうなものなのに、
これでは科学未発達時代の戦国時代と大差ない。

偽情報を確認する為に合い言葉を用意しておくとか、
そういう用心すら無かったのだろうか?

『霊界物語』では、散々、悪神の狡猾いことが描かれているのに、
あまりに正直過ぎる様な気がする。

…とはいえ、勿論、こういう用心が要らない世界を完成させる為に、
正しい神々も努力しているのだから、
敢えて、そういう用心を排していると言えないでもないのだが…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 折からたちまち城下におこる鬨(トキ)の声。
貴治彦は急ぎ勾欄(コウラン)にのぼり山下はるかに見渡せば、
夜陰のため確かにそれと判別はつかざれども、
立ちならぶ無数の高張(タカハリ)は、十曜(トエウ)の神紋記されありき。
ただごとならじと元の座にかへり、
靖国別に何事か耳語(ジゴ)したまひける。
矢叫(ヤサケ)びの声、鬨の声、次第に近づききたる。

--------------------------------------------------------------

一方、悪神は用意周到である。

はたして夜陰に乗じての策だから、これがダミーであっても、
暗くて見抜くことは難しかったろうけれど、
そういえば、昔、源義経も、
こんなこけおどしで平家勢を騙し討ちしたが、
戦上手は悪知恵が働く方である…ということになるのだろうか?

もっとも戦では、策でもって相手を退け、
流血を避けることが出来たなら、
それはそれで敵味方から英雄扱いされることになる。

敵味方、双方の犠牲者を減らす為の策ならば、
それはそれで場合によっては必要なのかもしれないが、
ここでは騙そうとする側が悪神で、
騙されそうになっているのが正神であるから、
それが上策であっても、とても悪いことの様に見えるのだ。

しかし、悪神にしてみれば、そちらが善なのであるから、
立場が変わると見方も変わって、なかなかややこしい…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

そのとき地の高天原の従神司(ジユウシン)豊彦(トヨヒコ)
〈実は常世姫(トコヨヒメ)の間者(カンジヤ)〉は
軽装のまま走りきたり階下に平伏し、

 『恐れながら八王(ヤツワウ)の神(カミ)に注進し奉(タテマツ)る。
  地の高天原はほとんど破壊の運命に逢着し、
  国治立命(クニハルタチノミコト)は行衛不明となり、
  大混乱状態におちいり、収拾すべからざる惨状なり。
  国直姫命は従者をしたがへ小島彦の跡を追ひ、
  ただ今(イマ)出御相(シユツギヨアヒ)なりたり。
  相当の礼をつくして諸神司(シヨシン)をして城門に奉迎せしめたまへ』

とあはただしく奏上したるにぞ、
貴治彦は寝耳に水の注進にしばし茫然としてゐたりしが、
ただちに靖国別に命じて城内の諸神司(シヨシン)に非常召集を命じ、
国直姫命を城門に迎へたてまつるの準備に着手されたりける。

--------------------------------------------------------------

戦況緊張状態盛ん也、という時に、軽装でやって来る豊彦というのは、
わざと尻尾を見せているのだろうか?
それとも狡猾いようで抜けているのか…?

小島彦が偽者で、豊彦も偽者ということになれば、
当然、この国直姫命も偽者なのだが、
貴治彦は国直姫命に一面識も無かったというわけか…

…まあ、万が一ということもあろうから、
歓迎の準備をするのも用心の一つといえば一つ、
真偽を確かめる為に、敵の策に一時乗ってみる必要がある場合も、
無い事は無いのだから、これを一方的に責めるわけにもいかない。

つまり、神様にだって力量の差があるのだ。

神と名がつくからといって、すぐに信仰の対象にしてはいけない、
という、これも一つの教訓である。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 貴治彦の命令一下とともに、
諸神司は各自礼装をととのへ、城門に奉迎したり。

 ここに国直姫命は諸神司とともに悠然として入りきたり、
慇懃(インギン)に挨拶を述べ、地の高天原の惨状を物語られける。

ここに国直姫命の命令を奉じて貴治彦、靖国別は少数の神軍をひきゐ、
地の高天原へ応援のため参向(サンカウ)することに決したり。

 あまたの諸神将卒は靖国姫を守護し、ロツキー山の城中にとどまり、
しばらく形勢を観望することとはなりける。

--------------------------------------------------------------

これは『霊界物語』の後半に出て来る話なのだが、
例え偽者であっても、正しい神の名を名乗るのには、
それなりの御縁があるのだ。

宣伝使と呼ばれる神々が、七福神に扮する話でも、
そう名乗れば、名乗った神になれる、
という様なことが記されている。

それから、何とかいう元悪神が改心して、
正しい神の名の元に盛んに活動するのだが、
不思議とおかげがあって人集りがして人気が上がる。

それを正直な神の一人が批判すると、格上の神が、
まあよいから、そのままにしておけ、と、その批判を制する。

もっとわかり易くいえば、
筆者が坂本竜馬の生まれ変わりである、と、本気でいえば、
そういう働きが出来て来るし、
筆者が出口王仁三郎聖師の分身である、と、本気でいえば、
そういう働きが出来て来るのだ。

更に分かりやすくいえば、
この『霊界物語学の日記』だって、
批判する者は盛んに批判するかもしれないが、
熱心に有り難がって読み漁っている人だって出て来るのと同じだ。

それは筆者自身は頼りないかもしれないけれど、
『霊界物語』という看板があるから、
読者は、いつの間にか、筆者を飛び越えて、
『霊界物語』からおかげを頂くのである。

他の宗教だって、開祖の念仏や題目でなくても、
信者が南無阿弥陀仏と念仏し、南無妙法蓮華経と題目をあげれば、
皆、救われると説いているが、それと同じ理屈である。

だから、それが例え悪神が化けた偽者であっても、
その名を名乗る以上は、ここでの貴治彦の様に礼節を尽くすのは、
むしろ正しい行為であるということが出来るのだ。

肉体を観たら、騙されたことになるかもしれないが、
霊を観たら、その神の名に従うのだから、
それはそれで美しい信仰心の現れなのである。

だから、もし、ここで貴治彦等がまんまと騙されたとしても、
正しい神は、これをお許しになられるのだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 これよりさきに貴治彦は、国彦をひそかに地の高天原につかはし、
実否を糺(タダ)さしめ、
かつ小島彦の密使の真偽を調査せしめゐたりしなり。

 大八洲彦命は国彦の言を聞いておほいに驚き、

 『地の高天原はかくのごとく平穏無事なるに、
  かかる密使をだすべき理由なし。
  察するところ邪神の奸策ならむ。
  このままに捨ておかば、ロツキー山は、
  いかなる運命に逢着するや計りがたし』

と、言霊別命に国彦をそへ、
あまたの従神司(ジユウシン)とともに
ロツキー山に急ぎ出発せしめられたるぞ畏(カシ)こけれ。

 (大正十年十一月十四日、旧十月十五日、栗原七蔵録)

--------------------------------------------------------------

ちょうどテレビの『水戸黄門』で、
偽の黄門様御一行が弱いけれども正しい事をしようとして、
ピンチに陥っている所へ、本物が現われて、
偽者の尻拭きをやってやるという様なことが、
信仰の世界ではよく起るのだ。

もっとも、本物の名を汚すのが目的だと、
これはちょっと違うわけである。

新約聖書にも、真のキリストに対して、
偽キリストと反キリストが出て来るけれど、
この関係を理解するのにも、今回の物語は適材であるといえよう。

ただし、偽でも反でも、キリストを名乗る以上は、
やっぱり最後にはキリストに救われるのだ。

筆者にだって、真の筆者、偽の筆者、反筆者の三様が同居している。

偽や反が現れるのは、それだけ真が輝いているからである。

また筆者にも、真の王仁三郎聖師に対する憧れがあるから、
毎週大変なのに、この『霊界物語学の日記』を書き込んでいるわけだ。

こうすることで、聖師から僅かでも御内流が頂ければ、
それがまた筆者を介して支流となって読者に流れていく。

その読者に目覚めた者が出て来れば、その支流を辿って、
やがて本流に辿り着くことにだってなるのだ。

表面上は、川と同じで、激しく波打ち流れる時もあるかもしれないが、
流れを遡れば、必ず本流に辿り着き、下れば大海に到着する。

そして究極、源泉の水も、本流の水も、支流の水も、大海の水も、
皆、等しく水であるという大悟に徹底する時が来るのだから、
表面上の出来事に翻弄されてばかりもいられないのである。

必ず、本当のことが明確に判る様になるのだ。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------