霊界物語 第六巻 霊主体従 巳の巻 第八篇 五伴緒神(イツトモノヲノカミ)
平成二十四(2012)年三月五日 旧二月十三日(月)
東や西に立つ雲の、
雲路(クモヂ)を分けて進みくる、
三五教(アナナヒケウ)の宣伝使、
黄金山(ワウゴンザン)を立ち出でて、
久方彦(ヒサカタヒコ)のまたの御名、
雲路別(クモヂワケ)の天使(カミ)は、
夜を日についではるばると、
宣伝歌を謡(ウタ)ひながら、
進み来たるはローマの都、
心も清き元照別(モトテルワケ)の守ります、
イタリアさして進みける。
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筆者もこの三五教の久方彦同様、
久方ぶりのブログ更新に取り掛かるのだが、
今「こうしん」と入力して変換したら「降神」になったので、
少々笑わして頂いた。
夢の中では霊界物語について語る事が何度かあった気がする。
筆者がここのところずっと、
この「霊界物語学の日記」の更新間隔が伸びたのには、
筆者なりに理由が二つある。
それは当初の様に週刊で更新すると、
その分、寿命が縮むような気がしたので、
筆者の勝手な解釈によって延命策として月に一~二度の更新にしたのと、
もう一つは、閲覧する皆さんが自分で先読みして、
自分でどんどん先に進んで行ってくれるといいなあ…という期待をしたのだ。
もう筆者としては「皇道經濟」という地上天国建設の土台に到達したので、
今後はこの「霊界物語学の日記」も水戸黄門の御印籠の様に、
「控えおろう!」と一言決めて「皇道經濟」で全て解決なので、
このブログをご覧いただいておられる皆さんも、
同じ心で先に読み進んでくだされば、
それで解決する筈だと考える様になったからである。
同時に「皇道經濟」を世界に向けて堂々と宣言する場合の、
その鉄の杖になるであろう「日本は世界の型」という価値観も、
筆者のこの「霊界物語学の日記」の中では、
西アジアとヨーロッパのとらえ方が一般的な価値観とはかなり違うので、
そうした事の咀嚼期間もかねて世界の動向と筆者の型観が顕幽一致する時節を
惟神に測りながら、筆者周辺の諸事情も見詰めつつ、
着実な足取りで進めているからである。
…さて、この辺で本編の分解に戻りたい。
筆者の価値観では黄金山はエルサレムという事になる。
アダムの子孫であるヘブライの神がアブラハムに約束したカナンの地に、
イスラエル・ヤコブの子孫であるダビデと、
ソロモンが建てたエルサレム神殿の再建を、
ソロモンの神殿崩壊後のユダヤ教徒に変質したスファラディー猶太と、
外国からの侵略の隠れ蓑としてユダヤ教を取り入れた
アシュケナージ・ユダヤが企て、
ソロモンの神殿には遠く及ばぬまま再建されたエルサレムに遣わされた
神の子イエスをアシュケナージ・ユダヤ達が十字架に架けて殺し、
その後、偽イスラエルの国は神罰を受けたかの様にローマ軍によって滅ぼされた。
真のイスラエル民族は約束の地を極東に求め、長い年月を経て段階的に、
ロシアから北海道沿いに入った支族と、
インドネシアから台湾、沖縄を介して日出島に入った支族と、
朝鮮半島から九州に上陸し東征して奈良に都を築いた支族に分かれた。
この久方彦はおそらく神の子イエスの弟子になった真イスラエルの系統の一人か?
真の信仰を見失った偽イスラエルと信仰的ユダヤ人の国は滅亡し、
イタリアのローマがキリスト教の聖地になってゆく裏の物語なのかもしれない。
雲路別の名前から連想出来るのは出雲路という事になるが、
筆者の型解釈ではシナイ半島からイタリアに続く道は、
まさに日本日出島の出雲路に当たるので、筆者としては興味深い。
更に元照彦の名前から連想出来るのは、
おそらく照彦というのがアダムの様な気がするので、
第二アダムである神の子イエスが守護するイタリア
という事になるのではなかろうか?
筆者の型解釈では、イタリアのローマは亀岡になるかもしれないのだし…?
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路傍の石に腰打ちかけ、
空を眺めて行く雲の、
変る姿を見るにつけ、
変り果てたる吾が身の姿、
可憐(イト)しき妻子を振り捨てて、
何処(イヅコ)をあてとも長の旅、
長き吐息を漏(モ)らす折柄(ヲリカラ)に、
『この世を造りし神直日(カムナホヒ)
御魂(ミタマ)も広き大直日(オホナホヒ)
ただ何事も人の世は
直日(ナホヒ)に見直(ミナホ)せ聞直(キキナホ)せ
身の過(アヤマチ)は宣(ノ)り直(ナホ)せ』
と声も涼(スズ)しく謡ひくる宣伝使ありけり。
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原始キリスト教の昔なら、
今ほど国境とかパスポートの管理は厳重ではなかったろうから、
江戸幕府以前の日本国内の様に街道を比較的自由に往来できた筈だ。
江戸幕府になってからも東海道を往来すると土埃だらけになった様だが、
その辺は今年の大河「平清盛」でも侍達が泥臭く汚れていたり、
一昨年の「龍馬伝」の旅の志士達の汚れっぷりなどでも描写されているし、
「おーい!竜馬」「あずみ」などのコミックでも描写されているから、
もしかすると参考になるかもしれない。
古い日本映画だと「隠し砦の三悪人」の冒頭部分なども参考になるだろう。
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雲路別の天使(カミ)は耳をそばだて、
その声を懐かしげに聞き入りぬ。
『天教山(テンケウザン)に現はれて
撞(ツキ)の御柱(ミハシラ)廻(メグ)り合(ア)ひ
天(アメ)の御柱大御神(ミハシラオホミカミ)
国(クニ)の御柱大御神(ミハシラオホミカミ)
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霊界物語では、
天教山 = 富士山
撞の御柱 = 伊吹山
天の御柱大御神 = 伊邪那岐命
国の御柱大御神 = 伊邪那美命
…であり、
撞の御柱の神 = 天照大神
…である。
霊界物語 第六巻 霊主体従 巳の巻 第四篇 立花(タチハナ)の小戸(ヲド)
伊弉諾大神(イザナギノオホカミ)の又の御名を、
天(アメ)の御柱(ミハシラ)の神(カミ)といひ、
伊弉冊大神(イザナミノオホカミ)の又の御名を、
国(クニ)の御柱(ミハシラ)の神(カミ)といひ、
天照大神(アマテラスオホカミ)の又の御名を、
撞(ツキ)の御柱(ミハシラ)の神(カミ)といふ。
~後略~
霊界物語 第六巻 霊主体従 巳の巻 第四篇 立花(タチハナ)の小戸(ヲド)
二柱(フタハシラ)はここに撞(ツキ)の御柱(ミハシラ)を廻(メグ)り合ひ、
八尋殿(ヤヒロドノ)を見立てたまひ、
美斗能麻具波比(ミトノマグハヒ)の神業を開かせたまひぬ。
美斗能麻具波比とは、
火(ヒ)と水(ミヅ)との息(イキ)を調節して、
宇宙万有一切に対し、
活(クワツ)生命を賦与したまふ尊(タフト)き神業(カムワザ)なり。
撞の御柱の根に清き水を湛(タタ)へたまひぬ。
これを天(アメ)の真奈井(マナイ)といひ、
また後世琵琶湖(ビハコ)といふ。
撞の御柱の又の御名を伊吹(イブキ)の御山(ミヤマ)といふ。
天(アメ)の御柱の神(カミ)は九山八海(ハチス)の山を御柱とし、
国(クニ)の御柱の神は塩(シホ)の八百路(ヤホヂ)の八塩路(ヤシホヂ)の
泡立(アハダ)つ海(ウミ)の鳴戸灘(ナルトナダ)をもつて胞衣(エナ)となしたまひ、
地の世界の守護を営ませたまふ。
また鳴り鳴りて鳴りあまれる、
九山八海(ツクシ)の火燃輝(ヒムカ)のアオウエイ(タチバナ)の緒所(ヲド)
といはれをるは不二山(フジサン)にして、
また鳴り鳴りて鳴り合はざるは、
阿波(アハ)の鳴戸(ナルト)なり。
「富士(フジ)と鳴戸(ナルト)の経綸(シグミ)」
と神諭(シンユ)に示したまふは、
陰陽合致、採長補短の天地経綸(ケイリン)の
微妙なる御神業(オンカムワザ)の現はれをいふなり。
~後略~
要するに、
『天教山(テンケウザン)に現はれて
撞(ツキ)の御柱(ミハシラ)廻(メグ)り合(ア)ひ
天(アメ)の御柱大御神(ミハシラオホミカミ)
国(クニ)の御柱大御神(ミハシラオホミカミ)』
…とは「富士と鳴戸の経綸」の事である様だ。
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この世の闇(ヤミ)を照らさむと
思ひは胸に三(ミ)つ栗(グリ)の
中津御国(ナカツミクニ)を胞衣(エナ)として
国土造(クニツチツク)り神を生(ウ)み
青人草(アヲヒトグサ)や草や木や
万(ヨロヅ)の物に御恵(ミメグ)みの
乳房(チブサ)を哺(フク)ませ永久(トコシヘ)に
照らさせたまふ三柱(ミハシラ)の
神の御稜威(ミイヅ)は天(アメ)が下(シタ)
四万(ヨモ)の国々(クニグニ)三葉彦(ミツバヒコ)
神の御勅(ミコト)を畏(カシコ)みて
三五教(アナナヒケウ)を開かむと
心筑紫(ココロツクシ)の蓑笠(ミノカサ)や
草鞋脚絆(ワラヂキヤハン)の扮装(イデタチ)に
広道別(ヒロミチワケ)と改(アラタ)めて
神の教(ヲシヘ)の道(ミチ)広(ヒロ)く
塩(シホ)の八百路(ヤホヂ)の八塩路(ヤシホヂ)を
渡り難(ナヤ)みて白雲(シラクモ)の
向伏(ムカフ)す限り青雲(アヲクモ)の
靉靆(タナビ)く極(キハ)み雲路別(クモヂワケ)
貴(ウヅ)の御勅(ミコト)の宣伝使
今は何処(イヅコ)に流離(サスラヒ)の
旅を続(ツヅ)かせ玉(タマ)ふらむ
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要するにこれも「富士と鳴戸の経綸」を詳細に歌っている。
国祖御退隠後、乱れ堕落し混乱し、災いの種を撒き続けている
地上の一切を救おうと、
天の御柱の神と国の御柱の神は、中津国=日出島の我が日本国に、
三葉彦命を遣わして三五教を開き、世界救済の宣伝活動を開始した。
先ずは船に乗り、飛行機に乗って海を渡り、
電信電話通信網を駆使して、福音宣伝使達を世界各地に派遣して、
天地人の順序入り乱れる混沌の世の中を立て直すべく活動を開始し、
青雲清らかに晴れ渡る世界を実現しようと張り切っている。
…という事になるのではなかろうか?
しかしながら、天地の祖神の御心を地上に実現するには、
金勝要之神である四柱の神の水の洗礼と、
皇道經濟を土台にした経済界の根本的な立直しが必要である。
…という流れになるのが、この「霊界物語学の日記」の方針だ。
まずは精神上の道義的統一を実現するべく、
三五教の宣伝活動が盛んになるが、
地上世界の混乱の根本的原因は経済にあり、
その経済混乱の根本問題は真偽ユダヤ問題にあるというのが、
筆者の現在の見識である。
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ここはイタリアの国境(クニザカヒ)
ローマの都も近づけど
元照別(モトテルワケ)の神司(カムツカサ)
ウラルの神に服従(マツラ)ふと
聞きし日よりも村肝(ムラキモ)の
心の空(ソラ)は掻(カ)き曇(クモ)る
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筆者の感覚では、
元照別 = アダム亦は第二アダム
という事になる。
要するにペテロとサウロ・パウロを開祖とするローマン・カトリックも、
偽エルサレム同様、ウラル教式拝金主義に陥ってしまったので、
三五教の宣伝使の心も流石に掻き曇る。
…という事を歌っているのではなかろうか?
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雨の繁(シゲ)しげ降(フ)る中(ナカ)を
広道別(ヒロミチワケ)の今日の旅
神と国との其(ソノ)ために
黄金山(ワウゴンザン)を立ち出でて
歩みも慣(ナ)れぬ長旅(ナガタビ)に
疲れ果てたる吾(ワ)が姿(スガタ)
疲れ果てたる吾(ワ)が姿(スガタ)
空行(ソラユ)く鳥を眺(ナガ)むれば
各々(オノオノ)家路(イヘヂ)に帰り行く
空飛(ソラト)ぶ鳥も繁(シゲ)りたる
梢(コズエ)に宿(ヤド)を求(モト)めつつ
親子諸共(オヤコモロトモ)睦(ムツ)び合(ア)ひ
心も安(ヤス)く楽(タノ)しまむ
頼(タノ)みがたきは人の世の
明日(アス)をも知れぬ吾(ワ)が命(イノチ)
故郷(コキヤウ)に捨てし妻や子の
心を思ひ廻(メグ)らせば
進むも知(シ)らに退(シリゾ)くも
知(シ)られぬ国の暮(クレ)の空(ソラ)
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早い話、神の国たる日出島から、世界救済宣伝の為に、
心も勇んでいそいそと出て来てみれば、
この世は金に支配されていて、表面上は善人ぶっていても、
裏では全く手におえない悪人の世ばかりだ。
第二アダムのイエス様の云うように、
空行く鳥ですら、可愛い家族の待つ帰る巣もあるというのに、
人間という奴は、国に愛しい肉親家族を置いて勇んで出て来ても、
世の中何でも金、金、金、で、どうにもこうにも拉致があかない。
真理の上では鳥にも優る霊長類である人間様という奴は、
どんなに志が高くても金が無ければ身動きできない淋しい生き物だ。
これはまったくどういう事なんだろう?
…という弘道別宣伝使の心の声が聞こえて来る様な歌である。
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あゝさりながらさりながら
神の恵(メグミ)に生(オ)ひ立(タ)てる
吾(ワレ)らは尊(タフト)き神の御子(ミコ)
神はわが父わが母ぞ
夕暮淋(ユフグレサビ)しき独身(ヒトリミ)の
旅にはあらで御恵(ミメグミ)の
いとも厚(アツ)けき大神(オホカミ)の
御魂(ミタマ)と共(トモ)に進(スス)むなる
尊(タフト)き聖(キヨ)き宣伝使
過(ス)ぎにしかたの罪咎(ツミトガ)を
直日(ナホヒ)に見直(ミナホ)し聞(キ)き直(ナホ)し
宣(ノ)り直(ナホ)します埴安(ハニヤス)の
彦(ヒコ)の命(ミコト)ぞ尊(タフト)けれ
彦(ヒコ)の命(ミコト)ぞ尊(タフト)けれ』
と謡(ウタ)ひながら黄昏(タソガレ)の空を、
とぼとぼと進みきたる。
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経済の壁にはばまれ、肉親とも遠く生き別れ情態ではあるが、
信仰上の本当の父母は尊き天地の親神様である。
何のこれしきの事で落ちぶれ悔やんでいられるものか。
…と、一所懸命に自己を奮い立たせモチベーションを上げようと、
教組、教主を思い浮かべて自分を励ましているわけだ。
とりあえず、自分ひとり食いつなぐだけの気骨だけなら、
まだまだ誰にも負けんぞ。…と勇んでいるわけであろう。
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雲路別天使(クモヂワケノカミ)は
広道別天使(ヒロミチワケノカミ)の姿を見ておほいに喜び、
『ヤア、広道別天使よ』
と声をかくれば、
宣伝使は藪(ヤブ)から棒(ボウ)のこの言葉に驚き、
つらつら眺(ナガ)むれば、
雲路別の宣伝使なりき。
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志は如何に立派でも、経済という現実問題にぶち当たれば、
流石に強気の三五教の宣伝使広道別でも、故郷の肉親を思い出し、
なんとなく心細くなるわけだが、そんな時に同胞の雲路別に声かけられ、
とりあえず見栄も働いて、さっきまでの心細さも何処へやら、
とにかく元気を振り絞り面に表わす事が出来たわけだ。
筆者も時々「愛善苑東京豊玉分苑」に出かけて仲間の顔を観たくなるので、
たぶんそれと似た様な心境なのではなかろうかと思う。
一応、公衆の面前では見栄を張れるものだ。
そういう裏事情を健やかに解決するのは皇道經濟を置いて他にないと、
筆者は強く確信するものである。
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二神司(ニシン)はここに相携(アヒタヅサ)へてローマに入り、
元照別天使(モトテルワケノカミ)を帰順せしめ、
伊弉諾命(イザナギノミコト)の神政に奉仕せしめたりける。
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故郷の日出島である日本国内では、
もしかしたら心を一つにして行動を共にするのは難しかったかもしれないが、
旅をして苦労すると、出先で出会った同志が家族以上に深い絆がある様な、
そんな不思議な頼り甲斐を感じるものだ。
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広道別天使は、
天照大御神(アマテラスオホミカミ)、
天(アマ)の岩戸(イハト)に隠れたまひ、
六合(リクガフ)暗黒となりしとき、
岩戸(イハト)の前に太玉串(フトタマグシ)を捧(ササ)げ、
神慮を慰(ナグサ)めたる太玉命(フトタマノミコト)の前身なり。
(大正十一年一月二十三日、旧大正十年十二月二十六日、加藤明子録)
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はたしてこのままの展開だと、これから天の岩戸隠れがあり、
世界は真っ暗闇にならないといけないのだが、
王仁三郎聖師も、霊界で目撃した事は、必ずしも目撃した順序通りには、
現れてこないと仰っておられたそうであるから、
現世では太玉命が先で、広道別天使が後に出て来る
という事も充分にあり得るであろう。
今の所、愛善苑東京豊玉分苑では、
参加者は皆、お松を玉串として御神前に献上するが、
入り口で寸志のお札を包んで、火打ち石でお祓いしてから献上するわけで、
やはり、現世ではお金というものは有難いものだ。
要するに、皇道經濟を実施すれば、太玉串を捧げて、
天照大神を騙して岩戸から出す様な姑息な真似をする必要がなくなり、
皆、晴れ晴れとして堂々と神様をお祭りする事が出来る様になるわけだ。
…と、筆者はそう思うのだが、どうだろうか?
嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)
北欧と欧州
亜弗利加の砂漠と日本の鳥取砂丘
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