霊界物語 第五巻 霊主体従 辰の巻 第六篇 聖地の憧憬
祝部神(ハフリベノカミ)は車上鷹住別(タカスミワケ)が
さめざめと男泣きに泣き出づる姿を見て、眉をしかめ、
『吾々は男子のくせに吠面(ホエヅラ)かわく奴(ヤツ)は、
大大大(ダイダイダイ)の大嫌(ダイキラ)ひでござる』
と事もなげにいつて退(ノ)け、
かつ心中には鷹住別の今日の窮状に満腔(マンコウ)の同情を寄せながら、
わざと潔(イサギヨ)く彼が心を引き立てむとして、
またもや面白き歌をつくり、杉高彦(スギタカヒコ)、祝彦(ハフリヒコ)とともに
手を取りあふて巴(トモエ)のごとく渦(ウヅ)をつくりて、
くるくると左旋(サセン)しはじめた。
その歌、
『鮒(フナ)や諸子(モロコ)は止めても止まる
止めて止まらぬ鯉(コヒ)の道(ミチ)
どつこいしよ、どつこいしよ
鯉(コヒ)に上下(ジヤウゲ)の隔(ヘダ)てはなかろ
隔てがあれば鯉ならず
たれも好くのは色の鱶鮫(フカサメ)
腰(コシ)は鮒々(フナフナ)女(ヲンナ)の刺身(サシミ)で
鮒(エヒブナ)とようがり嬉(ウレ)しがり
れこの赤貝(アカガヒ)に夜昼蛤(ヨルヒルハマグリ)
この世(ヨ)のせと貝(ガヒ)は鰆々(サハラサハラ)
さらさらかますで
穴子(アナゴ)にうちこみ
他神(タシン)に意見(イケン)を鰯(イワシ)ておいて
鯔(イナ)ともいかなごともさつぱり
飯蛸(イヒダコ)やなまくら海鼠(ナマコ)に
ちやらくら口(クチ)さいら
口(クチ)にまかして鰤々(ブリブリ)怒(オコ)るな
目白(メジロ)もむかずに
つばすを呑(ノ)み込(コ)み
鯉(コヒ)のためならいかなごの
辛抱(シンボウ)も寿留女(スルメ)がやくだよ
赤(アカエヒ)年(トシ)でもない身(ミ)でゐながら
かざみに理屈(リクツ)は鼈(スツポン)の
間(マ)には鮎(アユ)ない屁理屈(ヘリクツ)よ
鰐(ワニ)が悪(ワル)けりや
尼鯛(アマダヒ)鱒(マス)から蟹(カニ)して下(クダ)さい
黄頴(ギギ)しいらねば泥溝貝(ドブガヒ)なとしたがよい
お前(マヘ)に油女(アブラメ)頭(アタマ)の数(カズ)の子(コ)
探(サガ)そとままだよ
一度死(イチドシ)んだら二度(ニド)とは死(シ)なない
一(イツ)そう茅渟鯛(チヌダヒ)
小鮒(コフナ)浮世(ウキヨ)に生蝦(ナマエビ)したとて
針魚(サヨリ)がないから命(イノチ)は鰆(サハラ)に
惜(ヲ)しみはせないよ
黄螺(バイニシ)、黄螺(バイニシ)
白魚(シラウヲ)もやして海豚(イルカ)より鱒(マス)だが
塩魚(シホウヲ)ぐしには戸(ト)が立(タ)てられない
乾海鼠(キンコ)となりの手前(テマヘ)も恥(ハヅ)かし
ぷんぷん香(ニホ)ふた腐(クサ)つた魚(ウヲ)の
腐(クサ)つた鯉(コヒ)に鼻(ハナ)ぴこつかせて
春日(カスガ)の狐(キツネ)、油揚(アブラゲ)さらへた鷹住別(タカスミワケ)の
やつれた姿(スガタ)のかます面(ヅラ)
鯉(コヒ)に上下(ジヤウゲ)の隔(ヘダ)てはないと
エラソにエラソに小塩鯛(コシホダヒ)いふ故(ユエ)に
このしろものは六ケ敷(ムツカシキ)と神々(カミガミ)にいやがられ
こちからより付(ツ)かぬが鰆(サハラ)ぬ神(カミ)に
祟(タタ)りなしと逃腰(ニゲゴシ)さごしに
平家蟹(ヘイケガニ)見(ミ)たよな鱚(キス)ごい顔付(カホツキ)
烏賊(イカ)にさごしが鯖(サバ)けてゐたとて
ごまめの仕打(シウ)ちがこのしろないゆゑ
鯉(コヒ)ことばも言(イ)はねばならない
さすれば栄螺(サザエ)に散子(ハララゴ)太刀魚(タチウヲ)
春日(カスガ)は刺身(サシミ)よ鷹住(タカスミ)は好(ス)き身(ミ)よ
祝部神(ハフリベノカミ)が今(イマ)かます
鼬(イタチ)の最後屁(サイゴペ)くらつて見(ミ)よ
臭(クサ)いくさいと夕月夜(ユフヅキヨ)
月夜(ツキヨ)を呪(ノロ)ふ恋仲(コヒナカ)の
臭(クサ)い仲(ナカ)ではなかつたか
あゝ邪魔(ジヤマ)くさい邪魔(ジヤマ)くさい
四十九才(シジフクサイ)の尻(ケツ)の穴(アナ)』
と滑稽諧謔とめどもなく、歌をうたつて踊り狂ふた。
車上の鷹住別はこの面白き歌に霊魂(タマシヒ)を抜かれて、
奇怪なる身ぶり足ぶりに感染してか、
足萎の身もうち忘れ、車上にたちまち立ち上り、
共に手をうち足踏(アシフ)みとどろかせ踊りくるふ。
春日姫(カスガヒメ)はこの光景を見てうれし泣きに泣き伏した。
鷹住別ははじめて吾が足の立ちしに気がつき、
またもや声をはなつて嬉し泣きに泣きだした。
祝部神(ハフリベノカミ)は又もや、
『泣く奴は大大大(ダイダイダイ)の大嫌(ダイキラ)ひ』
と謡ひかけた。
『ちよつと待つて』
と春日姫はあわてて口を押へた。
祝部神は鼻の上に拳(コブシ)をのせ、
またその上に左の手の拳をかさね、
漸次代るがはる抜いては重ね、抜いては重ね、
鼻高神(ハナダカガミ)の真似をしながら、
『躄が立(タ)つた、足立(アシタ)つた
立(タ)つた、立(タ)つたはたつた今(イマ)
さあさあこの場(バ)を逸早(イチハヤ)く
聖地(セイチ)を指(サ)して立(タ)つて行(イ)かう』
と元気さうにまたもや踊り狂ひ、
傍(カタハラ)の細溝(ホソミゾ)に足踏みはづし、
『アイタタツタ、アイタアイタノタツタ』
とまたもや気楽さうに溝の中に落ちたまま踊りくるふと、
五柱(イツハシラ)の神司(カミガミ)は一時にどつと笑ひこけた。
いよいよここに心の岩戸(イハト)は開(ア)け初(ソ)めて、
さしも難病の躄の足の立つたのも、笑ひと勇みの効果である。
神諭(シンユ)にも、
『勇(イサ)んで笑ふて暮せ』
と示されてある。
笑ふ門(カド)には福きたる。
泣いて鬱(フサ)いで悔んで暮すも一生なら、
笑ふて勇(イサ)んで神を崇(アガ)めてこの世を楽しみ暮すも一生である。
天地の間はすべて言霊(コトタマ)によつて左右さるるものである以上は、
仮にも万物の霊長として生れ出でたる人間は、
この世を呪(ノロ)ひあるひは悲しみ、
あるひは怒り憂(ウレ)ひ艱(ナヤ)みの禍津(マガツ)の心を取りなほし、
いかなる大難に遇(ア)ふも迫害に会(クワイ)するも、
決して悔み悲しむべきものでない。
勇(イサ)めば勇(イサ)むだけの神徳が備はるべき人間と
生れさせられてをるのである。
(大正十一年一月十二日、旧大正十年十二月十五日、加藤明子録
祝部神(ハフリベノカミ)は車上鷹住別(タカスミワケ)が
さめざめと男泣きに泣き出づる姿を見て、眉をしかめ、
『吾々は男子のくせに吠面(ホエヅラ)かわく奴(ヤツ)は、
大大大(ダイダイダイ)の大嫌(ダイキラ)ひでござる』
と事もなげにいつて退(ノ)け、
かつ心中には鷹住別の今日の窮状に満腔(マンコウ)の同情を寄せながら、
わざと潔(イサギヨ)く彼が心を引き立てむとして、
またもや面白き歌をつくり、杉高彦(スギタカヒコ)、祝彦(ハフリヒコ)とともに
手を取りあふて巴(トモエ)のごとく渦(ウヅ)をつくりて、
くるくると左旋(サセン)しはじめた。
その歌、
『鮒(フナ)や諸子(モロコ)は止めても止まる
止めて止まらぬ鯉(コヒ)の道(ミチ)
どつこいしよ、どつこいしよ
鯉(コヒ)に上下(ジヤウゲ)の隔(ヘダ)てはなかろ
隔てがあれば鯉ならず
たれも好くのは色の鱶鮫(フカサメ)
腰(コシ)は鮒々(フナフナ)女(ヲンナ)の刺身(サシミ)で
鮒(エヒブナ)とようがり嬉(ウレ)しがり
れこの赤貝(アカガヒ)に夜昼蛤(ヨルヒルハマグリ)
この世(ヨ)のせと貝(ガヒ)は鰆々(サハラサハラ)
さらさらかますで
穴子(アナゴ)にうちこみ
他神(タシン)に意見(イケン)を鰯(イワシ)ておいて
鯔(イナ)ともいかなごともさつぱり
飯蛸(イヒダコ)やなまくら海鼠(ナマコ)に
ちやらくら口(クチ)さいら
口(クチ)にまかして鰤々(ブリブリ)怒(オコ)るな
目白(メジロ)もむかずに
つばすを呑(ノ)み込(コ)み
鯉(コヒ)のためならいかなごの
辛抱(シンボウ)も寿留女(スルメ)がやくだよ
赤(アカエヒ)年(トシ)でもない身(ミ)でゐながら
かざみに理屈(リクツ)は鼈(スツポン)の
間(マ)には鮎(アユ)ない屁理屈(ヘリクツ)よ
鰐(ワニ)が悪(ワル)けりや
尼鯛(アマダヒ)鱒(マス)から蟹(カニ)して下(クダ)さい
黄頴(ギギ)しいらねば泥溝貝(ドブガヒ)なとしたがよい
お前(マヘ)に油女(アブラメ)頭(アタマ)の数(カズ)の子(コ)
探(サガ)そとままだよ
一度死(イチドシ)んだら二度(ニド)とは死(シ)なない
一(イツ)そう茅渟鯛(チヌダヒ)
小鮒(コフナ)浮世(ウキヨ)に生蝦(ナマエビ)したとて
針魚(サヨリ)がないから命(イノチ)は鰆(サハラ)に
惜(ヲ)しみはせないよ
黄螺(バイニシ)、黄螺(バイニシ)
白魚(シラウヲ)もやして海豚(イルカ)より鱒(マス)だが
塩魚(シホウヲ)ぐしには戸(ト)が立(タ)てられない
乾海鼠(キンコ)となりの手前(テマヘ)も恥(ハヅ)かし
ぷんぷん香(ニホ)ふた腐(クサ)つた魚(ウヲ)の
腐(クサ)つた鯉(コヒ)に鼻(ハナ)ぴこつかせて
春日(カスガ)の狐(キツネ)、油揚(アブラゲ)さらへた鷹住別(タカスミワケ)の
やつれた姿(スガタ)のかます面(ヅラ)
鯉(コヒ)に上下(ジヤウゲ)の隔(ヘダ)てはないと
エラソにエラソに小塩鯛(コシホダヒ)いふ故(ユエ)に
このしろものは六ケ敷(ムツカシキ)と神々(カミガミ)にいやがられ
こちからより付(ツ)かぬが鰆(サハラ)ぬ神(カミ)に
祟(タタ)りなしと逃腰(ニゲゴシ)さごしに
平家蟹(ヘイケガニ)見(ミ)たよな鱚(キス)ごい顔付(カホツキ)
烏賊(イカ)にさごしが鯖(サバ)けてゐたとて
ごまめの仕打(シウ)ちがこのしろないゆゑ
鯉(コヒ)ことばも言(イ)はねばならない
さすれば栄螺(サザエ)に散子(ハララゴ)太刀魚(タチウヲ)
春日(カスガ)は刺身(サシミ)よ鷹住(タカスミ)は好(ス)き身(ミ)よ
祝部神(ハフリベノカミ)が今(イマ)かます
鼬(イタチ)の最後屁(サイゴペ)くらつて見(ミ)よ
臭(クサ)いくさいと夕月夜(ユフヅキヨ)
月夜(ツキヨ)を呪(ノロ)ふ恋仲(コヒナカ)の
臭(クサ)い仲(ナカ)ではなかつたか
あゝ邪魔(ジヤマ)くさい邪魔(ジヤマ)くさい
四十九才(シジフクサイ)の尻(ケツ)の穴(アナ)』
と滑稽諧謔とめどもなく、歌をうたつて踊り狂ふた。
車上の鷹住別はこの面白き歌に霊魂(タマシヒ)を抜かれて、
奇怪なる身ぶり足ぶりに感染してか、
足萎の身もうち忘れ、車上にたちまち立ち上り、
共に手をうち足踏(アシフ)みとどろかせ踊りくるふ。
春日姫(カスガヒメ)はこの光景を見てうれし泣きに泣き伏した。
鷹住別ははじめて吾が足の立ちしに気がつき、
またもや声をはなつて嬉し泣きに泣きだした。
祝部神(ハフリベノカミ)は又もや、
『泣く奴は大大大(ダイダイダイ)の大嫌(ダイキラ)ひ』
と謡ひかけた。
『ちよつと待つて』
と春日姫はあわてて口を押へた。
祝部神は鼻の上に拳(コブシ)をのせ、
またその上に左の手の拳をかさね、
漸次代るがはる抜いては重ね、抜いては重ね、
鼻高神(ハナダカガミ)の真似をしながら、
『躄が立(タ)つた、足立(アシタ)つた
立(タ)つた、立(タ)つたはたつた今(イマ)
さあさあこの場(バ)を逸早(イチハヤ)く
聖地(セイチ)を指(サ)して立(タ)つて行(イ)かう』
と元気さうにまたもや踊り狂ひ、
傍(カタハラ)の細溝(ホソミゾ)に足踏みはづし、
『アイタタツタ、アイタアイタノタツタ』
とまたもや気楽さうに溝の中に落ちたまま踊りくるふと、
五柱(イツハシラ)の神司(カミガミ)は一時にどつと笑ひこけた。
いよいよここに心の岩戸(イハト)は開(ア)け初(ソ)めて、
さしも難病の躄の足の立つたのも、笑ひと勇みの効果である。
神諭(シンユ)にも、
『勇(イサ)んで笑ふて暮せ』
と示されてある。
笑ふ門(カド)には福きたる。
泣いて鬱(フサ)いで悔んで暮すも一生なら、
笑ふて勇(イサ)んで神を崇(アガ)めてこの世を楽しみ暮すも一生である。
天地の間はすべて言霊(コトタマ)によつて左右さるるものである以上は、
仮にも万物の霊長として生れ出でたる人間は、
この世を呪(ノロ)ひあるひは悲しみ、
あるひは怒り憂(ウレ)ひ艱(ナヤ)みの禍津(マガツ)の心を取りなほし、
いかなる大難に遇(ア)ふも迫害に会(クワイ)するも、
決して悔み悲しむべきものでない。
勇(イサ)めば勇(イサ)むだけの神徳が備はるべき人間と
生れさせられてをるのである。
(大正十一年一月十二日、旧大正十年十二月十五日、加藤明子録