釜石の日々

日本人

「日本人とは何か」と言うテーマに多くの人が取り組んで来た。加藤周一もその一人であった。現実を直視せず、戦争へと突き進んだ日本を体験して、そんな日本人とは何だろうと考えたのかも知れない。平安の時代の文芸から芸術作品までよく理解し、その理解を元に「雑種文化」なる結論を導いた。確かに日本人の一面を表しているだろうと思う。しかし、江戸の長い武家政権下で培われた「お上」意識のようなものも現在の日本人の深層には潜んでいるように思われる。社会全体に上意下達が背景となり、下のものが異を唱えることが基本的に許されない。下のものへの情報もフィルターを通して流される。「お上」の意に反することであれば、たとえ科学的な内容であっても排除され、社会的に抹殺されてしまう。こうしたことは巧妙に仕組まれているために、簡単には見抜かれない。原発の再稼働や福島の放射線被曝、考古学的な発掘と歴史解釈の矛盾など、科学者、研究者と名乗る人々にそこには何も問題がないと言わせる。こうした社会のあり方は基本的に江戸から明治に変わっても何も変化がないまま現在に至っているように思う。江戸時代も現在も実質的な「お上」は官僚だろう。ただ現代は社会の劣化とその官僚の劣化が共に起きている。それらは相互に影響しあっているだろう。日本人とは何か、切り口によって、複数の見方があるだろう。
公園の秋
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