釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

敦盛草(あつもりそう)の分布

2015-04-30 19:23:40 | 自然
今朝はやはり山背のせいで、気温は8度しかなかった。昼に近づくにつれて気温はかなり上がって来て、午後には22度まで上がった。昼休みに八幡神社近くの空き家に行ってみると、ツツジが咲き、椿や八重桜もまだ咲いていた。ここの庭は人が住んでいなくともたくさんの花が次々に咲いて来る。近くの道端には白い山吹も咲いていた。職場の裏山では山藤も葉を茂らせて来た。周辺の山はすっかり新緑で覆われるようになった。朴(ほう)の木の大きな葉も見られるようになった。 時間が過ぎ去っていくのは早いもので、4月も今日が最後になる。来月には庭の敦盛草(あつもりそう)が咲いてくれる。敦盛草は日本固有のものが何種かあるが、調べてみると、中国などのユーラシア大陸と北米大陸に分布する。46億年前に地球が出来て、45億5000万年前には地球に他の天体が衝突することで、月が形成された。地球の中心は364万気圧、5500°Cという超高圧高温状態で、地球の存在する宇宙は絶対0度、-273度であるため、地球は中心から外に向かって熱を発散している。それがマントル対流を引き起こし、地球表面で大陸の移動を繰り返している。6億年前に南半球から赤道にかけてゴンドワナ超大陸が出現した。そのゴンドワナ超大陸もその後再び分裂し、2億年前に分裂していた大陸が集まりパンゲア超大陸が形成された。パンゲア超大陸はその後1億8,000万年前頃にさらに現在のユーラシア大陸と北米大陸を合わせたローラシア大陸と、現在のアフリカ大陸、南米大陸、インド亜大陸、南極大陸、オーストラリア大陸や、アラビア半島、マダガスカル島を含んだゴンドワナ大陸 に分かれる。ローラシア大陸は8,300万年前にはユーラシア大陸と北米大陸に分かれていた。こうして地球の歴史を振り返ると、ユーラシア大陸と北米大陸がかっては一つの大陸であったことが分かる。敦盛草の分布はまさにその事実を証明しているものとも言えるのではないだろうか。ユーラシア大陸では西欧(イギリス、フランス、スイス)、北欧、ロシア、中国やチベットに分布し、中国には様々の敦盛草の品種がある。北米大陸には純白と黄色の敦盛草が原種として分布している。日本では中部地方以北に分布すると言われる。寒冷地に育つため、緯度の高いところでは平地でも育つ。岩手では山地に自生していたが、花の可愛いさもあって、乱獲され、自生するものが少なくなり、住田町のように町をあげて保護にあたるところもある。敦盛草は野生蘭の中では花が大きく綺麗な花を咲かせることから野生蘭の女王とも呼ばれる。花びらの一部が大きく袋状に膨らんだ花姿が、源平合戦の時に平敦盛が背後からの矢を防ぐために、鎧の上から背中に大きく膨らんだ袋を背負った、その袋に似て入るところから名付けられたと言う。日本原産の敦盛草には岩手にも咲く通常の敦盛草を入れて6種類の敦盛草がある。中でも礼文島にのみ見られる礼文敦盛草は希少で、やはり礼文島では保護活動が盛んに行われている。(敦盛草の写真は当ブログ昨年5月24日を参照ください)
2色のツツジ

白の山吹

チューリップ

山背が流れた日

2015-04-29 20:49:18 | 自然
今朝はよく晴れて、春霞がかかっていたが、昨日とは違って、風が冷たかった。もう駄目かも知れないと思いながらも、遠野の樹齢400年になる喜清院の枝垂れ桜を見に行った。釜石の市街地を走っていて、職場のある海岸付近に霧が流れているのが見えた。山背が出ている。釜石自動車道へ入ると、気温が17度と表示されていた。しかし、遠野に入ると気温は24度になっていた。昼には26度まで上がった。山背のせいで今日は内陸の方が気温が高い。結局釜石の市街地での日中の最高気温は12度であった。昨日とは極端に違っている。喜清院に着いてみると、毎年のように人は誰も来ておらず、枝垂れ桜も終わりかかっていた。しかし、ここの枝垂れ桜はいつ見ても見事だ。やはり樹齢の古い桜は存在感がある。風の丘に立ち寄ろうとしたが、今日はさすがに車が多く、引き返すことにした。青笹の夢産直へも立ち寄らず、そのまま釜石へ引き返した。釜石自動車道を降りてすぐの位置に最近出来た道の駅釜石仙人峠へ立ち寄った。店は小さく、置かれている品物も数が少ない。駐車場だけは広いが。やはり、遠野の風の丘や山田町の道の駅と比べても規模が小さく、内容も貧弱だ。何か中途半端な感じを受けた。これではしばらくすると人は立ち寄らなくなってしまうだろう。早々に引き上げて、家の庭の山野草たちをゆっくり眺めることにした。
喜清院の枝垂れ桜

庭で咲く山芍薬(やましゃくやく)

もう咲いて来た藤の花

鳴子百合(なるこゆり)

日本国債の格下げ

2015-04-28 19:14:25 | 経済
昨日は釜石は29.9度まで上がっていたようだ。今日はそれをさらに若干上回る30.6度まで上がった。昼休みに職場から少し離れた住宅街を歩くと汗が流れて来た。3月の平均気温が高く、一旦今月初めに逆に天候が悪く、気温も低めになったが、ここのところの異常な気温に桜は早く散り、山桜も例年より早く終わりかけている。4月にライラックが咲くのを見るのは釜石では初めてだ。家の庭でもやはり初めて4月に藤の花が咲くのを見た。山野草も明らかに例年より早く咲いて来ている。 今日も日経平均株価は2万円を超えており、1ドル119円台の円安が続いている。そんな中で欧州系格付け会社フィッチ・レーティングスは昨日、日本国債の格付けを2012年に引き下げていた「シングルAプラス」から、さらに上から6番目になる「シングルA」に一段階引き下げた。韓国より二段階、中国よりも一段階それぞれ格付けが低くなった。政府の財政再建策の不透明感が増大しているためとされる。異次元の金融緩和で政府は日本銀行の総裁を財務省出身者に交代させてまでも強引に中央銀行である日本銀行に市中銀行が保有する日本国債を高値で大量に買い上げさせた。これにより金利は異常なまでに低下させたが、景気が回復したわけではないので、日本銀行から回って来た資金を市中銀行から借り入れる企業はなく、資金は市中へは流れていない。日本を外から眺めた現在の状況は経済が明らかに縮小している。ドル建ての輸出は2011年のピークを境にその後は継続して減少している。2014年は2011年より15.4%も少なくなっている。売り上げと人件費が減少する中で、企業利益がわずかに増になっており、人件費の減少で利益がわずかに維持されている構造だ。名目GDPはドルで見ると2012年がピークで、以後は大きく低下を続けており、IMFによる2015年の推計値は、29.3%の低下となっている。要するに日本の実体経済は回復出来ていないにもかかわらず、株だけがリーマンショク以前の高値を超えるほどの異常な高値になっている。いずれ株価は急落し、かえって経済に混乱を招くだろう。何故こうした事態になるのか。日本は戦後工業国として急成長して、経済大国となったが、今や中国を筆頭に新興国がそうした工業化をさらに急速に進め、日本の工業に追い付き、もはや先進国として、旧来の産業では太刀打ち出来なくなって来ている。にもかかわらず、産業構造の転換を行わないばかりか、旧来の産業を保護する愚策に出ている。米国アップル社は製造業であるにもかかわらず、工場を一切持たない。中国や台湾などに発注して、自らは開発研究、販売のみを行うことで多大の利益を得ている。それでもトヨタよりずっと多い従業員を抱えている。日本の10年後、20年後を見据えた産業構造の転換を急がなければ、確実に少子高齢化による勤労者不足も手伝って、日本の経済は悲惨な状態に陥ってしまうだろう。新興国にはまだまだ安い賃金で働ける勤労者を多数抱えた中国やインド、ブラジル、その他のアジア諸国が控えている。ドイツのようにより付加価値の高いものを国内で生産するか、米国のように生産を他国に発注するか、何らかの転換を行わなければ、日本の製造業は衰退の道を辿らざるを得ない。それはとりもなおさず、日本経済の衰退でもある。
ボケの花

満開の八重桜

咲き始めて来たライラック

タンポポがあちこちで咲く

釜石駅近くの甲子川畔にも咲く八重桜

ネパールの地震

2015-04-27 19:21:13 | 科学
今日も朝から晴天で、紅葉の若葉が目にとても気持ちいい。やはり今年は気温が高いようでもう庭の藤の花が開いて来た。クリーム色の山芍薬(やましゃくやくも)までも開き始めていた。今年は同じ山芍薬の会津紅いが咲いてくれるかが気になる。鉢の中で礼文敦盛草(れぶんあつもりそう)も大きく育って来ているが、去年のように花を開かせてくれるか、やはり心配だ。昼には27度にもなり、スーツ姿の人も上着を脱いで歩いていた。被災した海沿いの地域に行ってみると、被害を免れた高い位置の家には花蘇芳(はなずおう)が咲いていた。その近くで山吹や八重の桜も日に照らされて咲いていた。 25日、ネパールでM7.8の地震があり、近隣国を合わせて3000人を超える犠牲者が出そうだ。山岳部の農村部は通信が途絶え、交通も遮断されているところがある。世界最高峰エベレストでも雪崩によって日本人が犠牲になっている。すでに18人の犠牲が出ておりエベレストとしては最悪の悲劇になる。米国地質調査所(United States Geological Survey、USGS)によると、震源はネパールの首都カトマンズ(Kathmandu)の北西81Km、震源の深さは15Kmとなっている。ネパールでは1934年にM8.4の地震で8000人を超える犠牲者を出しており、2011年のインド北東部のM6.9の地震でも110人の犠牲者を出している。6億年前に現在の太平洋地域のやや南半球寄りにあった超大陸ロディニア大陸が分裂し、ゴンドワナ大陸と呼ばれるかなり大きな大陸と、シベリア大陸、ローレンシア大陸、バルティカ大陸が出現した。その後ゴンドワナ大陸はは現在のアフリカ大陸、南アメリカ大陸などを含む西ゴンドワナ大陸と、南極大陸、インド亜大陸、オーストラリア大陸を含む東ゴンドワナ大陸へと分裂し、さらにインド亜大陸は急速に北上を開始し、南極大陸からはオーストラリア大陸が分裂し、やはり北上し始めた。インドとオーストラリアが載るインド・オーストラリアプレートは7000万年前にユーラシアプレートに衝突し、ユーラシアプレートの下に潜り込み始めた。それにより衝突の境界部に隆起を生じ、これがヒマラヤ山脈となった。エベレスト頂上では4億6000万年前の三葉虫などの海生生物の化石が見つかっている。3,000 万年~2,500万年前になると、北上し続けるインド・オーストラリアプレートの圧力で、ユーラシアプレートが大きく変形し、ユーラシア大陸の東南部が分離し、日本列島の原型が出現した。現在もインド・オーストラリアプレートは北上を続けているために、年間で5.5cmユーラシアプレートのしたに潜り込んでいると言われ、このためにプレート境界には歪みが生まれ、地震が多発することになる。エベレストも毎年1cm高くなっていると言われる。日本は世界でも珍しい4つのプレートに取り巻かれている。海洋プレートである太平洋プレートとフィリピン海プレート、大陸プレートであるユーラシアプレートと北米プレートの4つだが、海洋プレートは密度が高く、強固なため大陸プレートの下に潜り込んでしまう。地下の世界ではこうしてプレートと呼ばれるが岩板が動きぶつかり合っており、歪みが形成され、それを解消するために地震が発生している。しかも隣接するプレート同士はかならず相互に影響し合っている。遠いネパールの地震は日本列島周辺のプレートの動きと無関係ではないのだ。
花蘇芳(はなずおう)の咲く家

八重の山吹

彼岸系の八重桜が咲く

若葉と山桜

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2015-04-26 20:04:38 | 科学
今日もとてもよく晴れた気持ちのいい春の日だった。気温は21度まで上がり、少し歩くと汗ばむほどだった。明日から二三日はさらに25度くらいまで上がり、晴れた日が続くようだ。桜が満開の遠野を走るSL銀河を撮りに出かけたいところだったが、仕事の関係で釜石を離れることが出来なかった。家の近くを走るSLを見て満足することにした。庭の高く伸びた紅葉の木に今日もウグイスが何度もやって来て鳴いてくれた。桜や山野草も庭で咲いていて、ほんとうに今日は春らしい一日を過ごすことが出来た。
家の近くを走るSL銀河

線路近くの周囲の山には山桜が咲く

ウグイスのやって来る庭の紅葉の木も若葉で気持ちがいい

八重咲きの延齢草

松月桜

錨草

アネモネ

八重のイチゲ

おさば草

二輪草

タイツリソウ

紅の菊桃が咲く庭

満開の遠野の桜

2015-04-25 20:39:41 | 自然
今日も朝から良く晴れて、最高気温は19度まで上がった。釜石の市街地ではもう桜は終わって周辺の山々に山桜が咲いている。淡い緑の中で桜の淡い色もほどよく溶け合っている。相変わらず庭には何度もウグイスがやって来て鳴いてくれる。今日はリビングの窓の外にカワラヒワもやって来た。最近は日課になった朝の花たちの育ち具合をまた楽しんだ。岩手ではもう最後になる遠野の桜を見に行った。ちょうど遠野は満開で、広い遠野平野のあちこちで桜が咲いていた。遠野はほんとうに桜が多く、またその風景に馴染んでいる。梅も桜も桃も山桜もみんな遠野では同じ時に咲く。遠野は猿ヶ石川沿いに長い桜並木があり、同じ北上の展勝地の桜並木と対比されるが、遠野の並木の方がずっと趣がある。遠野の風景によく合っている。この時期の遠野はほんとうに日本の原風景と言っていい景色を見せてくれる。
雪の残る早池峰山

猿ヶ石川沿いの桜並木

その対岸の桜並木

リビングから見たカワラヒワ

始まったクマの出没

2015-04-24 19:21:00 | 自然
今日も朝は春霞のいい天気で、また庭にウグイスがやって来て、綺麗な声を聴かせてくれた。最近は毎朝、花木や山野草の目が出て来ているか見るのが楽しみだ。海に近い市街地付近でクマが出たようだ。18度まで上がった昼休みに八幡神社横へ出かけた。今年は海沿いの地域の桜は開きが悪く、醤油工場裏の桜などほとんど花が見られなかった。鳥のせいなのか気温のせいなのか定かではないが、とても残念だ。 岩手県は山間地が多く、釜石も人が住める平地面積は狭く、市街地には山や海が近い。春になり気温が上がって来たため、今朝は今年になって初めて市街地近くへのクマの出没が報じられた。冬眠から覚めたクマは冬眠中に何も食べていないので、これからの活動のために餌を求めて活発に動き始めている。世界には8種類のクマがいると言われるが、そのうち日本には2種類のクマがいる。エゾヒグマとツキノワグマだ。前者は北海道だけに生息し、後者は本州以南に生息する。氷河期に日本列島がアジア大陸とつながっていた時代に列島へ渡って来たクマがそのそのつながりがなくなるととともに孤立して、日本固有の進化を始めた。本州のツキノワグマは大陸のものより個体が小さくなった。クマは2000万年前にライオンやトラなどの大型のネコ科動物などを含めた食肉類から分化した。発達した犬歯と、鋭いかぎ爪を持ち本来は肉食であったが、分化したクマの祖先は植物を含め雑食化し、様々な環境に対応することで、生息域を広げて行った。現在日本に生息するツキノワグマは遺伝子的に、大きく3つのグループに分かれ、琵琶湖以東の東日本グループ、以西の西日本グループ、そして紀伊半島と四国のグループとなる。九州ではほとんど絶滅に近い状態になっており、四国でも徳島県にのみ生息する状況になっている。しかし、過去10年ほどの間に各地でクマの大量出没が報告され、年に2000~4000頭ものツキノワグマが捕殺される一方で人身事故も年間100件を超えている。日本クマネットワークが3年間かけて調査した昨年3月の報告書では、ニホンジカやイノシシ同様に全国のほぼすべての地域で分布の拡大を確認している。同ネットワークでは、「戦後から高度経済成長期にかけて,多くの野生動物がその 分布や個体数を減らしてきた時代から,バブル崩壊とその後の景気低迷期にかけて,野生動物が分布も 個体数も拡大させる時代に入ったといえるのかもしれない」としている。2013年の総務省の統計によると、全国の空き家は820万戸あり、5年前より63万戸増えていると言う。山間の過疎化が急速に進んでおり、その上、経済の長い低迷により、開発も鈍化が続き、本来、ツキノワグマの分布は、ブナやミズナラなどのブナ科の落葉広葉樹林(紀伊半島では照葉樹林)の分布域と重なるが、スギやヒノキなどの人工林の拡大造林により個体数が増えるとともに餌を求めて市街地近辺にまで出没するようになったのだろう。従来、下北半島、九州、紀伊半島、東中国地方、西中国地方、四国の6地域のクマの個体群は孤立していた。しかし、同ネットワークの調査の結果、下北半島個体群と青森県南部から岩手県にかけての分布が連続的になり、津軽半島でも分布 が確認されている。北海道のエゾヒグマについても同じように分布の拡大が確認されており、やはり人の被害も増加している。東北の植生の豊かさと野生動物の豊かさは相互に依存しあっている。増えている動物の駆除にあたる猟銃会のメンバーの老齢化と減少も野生動物の増加に拍車をかけているだろう。動物たちの生息域を確保した上で、いかに人や作物の被害を減らし行くか、難しい問題だが、早急に対策が講じられる必要があるだろう。
八幡神社横の枝垂れ桜

八幡神社鳥居横の山吹

紅葉の大樹も若葉を付けて来た

覆されて行く原発裁判

2015-04-23 19:21:20 | 社会
九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)の再稼動に対し、住民が再稼働差し止めを求めた仮処分申請につき鹿児島地方裁判所は昨日、「原発の新規制基準は不合理とまでは言えない」として申請を却下した。原発の規制基準は、半径160Km圏内の火山の危険性を検討対象にしているが、川内原発の周辺には巨大噴火の痕跡を残すカルデラが5つもある日本一危険な原発と言われている。昨年5月鹿児島県は川内原発で重大事故が起きた際の30Km圏内の21万5千人の9割が圏外に避難するための所要時間を、最も時間がかかるケースは、車1台に2人が乗り合わせ、南九州道が通行止めの場合で28時間45分とした試算結果を発表している。東京大地震研究所の中田節也教授は川内原発について「地震対策で活断層を13万年前までさかのぼって調べるなら、1万年に1回という頻度の巨大噴火対策はより厳しくないといけない」と指摘していた。日本での最後のカルデラ噴火は7300年前の川内原発から160Km圏内にある鬼界カルデラ噴火である。南九州の縄文人は壊滅状態となった。福井地方・家庭裁判所は今月14日、関西電力高浜原発3・4号機の再稼働差し止め仮処分申請を認める決定を下している。この時の決定では裁判所は「10年足らずの間に各地の原発で5回にわたって想定を超える地震が起きたのに、高浜原発では起きないというのは楽観的な見通しに過ぎない」とし、新規制基準を「緩やかすぎる」とまで指摘している。しかし、今回の川内原発では裁判所は「原発の新規制基準は不合理とまでは言えない」とした上で、火山噴火についても「カルデラ噴火の可能性は小さいと考える学者の方が多い」として九州電力の主張を認めている。むしろ火山学者はカルデラ噴火のリスクを指摘しているにもかかわらずだ。福井地方・家庭裁判所で裁判官を務めた樋口英明裁判官は昨年5月にも関西電力大飯原発3・4号機の運転差し止めを命じる判決を下しており、原発再稼動の推進を図る政府や電力会社から批判を浴び、4月1日付けで左遷されてしまった。自民党の情報通信戦略調査会は17日、番組で「やらせ」が指摘されていたNHKと、コメンテーターが番組中に菅義偉官房長官を名指ししながら官邸批判をしたテレビ朝日の幹部を事情聴取している。要するに事情聴取の名目で圧力をかけている。かってのメディアはこうした呼び出しには抵抗して来た。原子力規制委員会も厳しい審査姿勢をしていた地震・津波担当の島崎邦彦委員長代理を再任せず、国が決めた委員の要件にも抵触し、これまで原子力推進の中心人物であった日本原子力学会元会長の田中知東京大学教授を任用した。裁判、メディア、原発審査などいずれもが現政府による圧力で、歪められている。与党が多数を占める国会は実質的な審議がなされず、閣議で決定される状態であり、民主主義的な手続きはすでに崩壊してしまっている。元経済産業省の官僚であった古賀茂明氏は『国家の暴走』で衆議院選挙での与党大勝により、官僚達がいっせいに利権拡大に動き始め、特に経済産業省と防衛省の動きが活発だと指摘した。形骸化した民主主義下では交代のある政治家よりもこうした交代も責任もない官僚の暴走へと繋がって行く。暴走が明らかな姿を見せた時にはすでに手遅れなのだが。
花水木

タンポポ

著莪(しゃが)

雪柳と山吹

すみれ

加齢ゆえに思うこと

2015-04-22 19:12:11 | 文化
今日は朝から春霞の晴れた日となった。昨夜はそらに星がたくさん出ていた。最高気温は20度まで上がり、庭の花たちもたくさん咲いて来た。去年は花が咲かなかった御衣黄(ぎょいこう)桜も今年は咲いてくれた。吉野垂れや楊貴妃も咲いている。八重桜は一般に染井吉野より少し遅れて咲いてくる。 年を重ねて来ると、年とともに時間の過ぎて行くのが早く感じられるようになって来た。後どれだけ生きていられるのかと言う意識がどこかにあるのか、岩手に来てからはとても自然に惹かれるようになった。特に花木の芽吹くこの時期が好きになった。新しい生命を感じるためだろうろうか。今朝ももうだめだと諦めていた蝋梅(ろうばい)や大山蓮華の木に小さな芽を見つけて嬉しくなった。毎年春に咲く花たちも同じ花ではない。それがまた楽しみでもある。この自然の豊かな地で暮らしていると、自分が育って来た過去や、日本と言う国の過去を思うことが多くなった。考えてみると、これまでは日本の過去にはほとんど関心なく暮らして来た。しかし、釜石にやって来て、隣り街の遠野祭りを見ているうちに、遠野の歴史から始まって、東北の歴史も知りたくなって来た。その歴史を辿ると、「蝦夷(えみし)」で止まってしまう。これほど自然豊かな地で、人がただ野生的な生活だけに明け暮れていたとは思えない。すでに北部九州に次いで古い弥生前期末には水田跡である青森県の砂沢遺跡があった。日本の古代史を辿る中で、古田武彦氏の九州王朝説や和田家文書に出会った。遺跡と日本と中国の古文書を照合して導き出された日本の古代は古事記や日本書紀はむろん現代の歴史学や考古学とさえ異なっていた。古代には日本各地に王国と呼べるものが存在した。しかし、古事記や日本書紀はそれらを抹消して、縄文末期から現代まで唯一近畿の、後には東京に続く天皇家のみによって統一されて来た国であるとしている。弥生時代の遺跡を見るだけでも古田氏の言われるように北部九州に圧倒的に三種の神器の出土する遺跡が集中している。3世紀の卑弥呼(ひみか)のいた邪馬壱国は大和などではなくやはり北部九州にあった。東北各地や関東、伊勢や出雲にも祀られている荒脛巾(あらはばき)神や荒神には和田家文書に載る荒覇吐王国の存在の名残である。その末裔であった奥州安部氏や奥州藤原氏が所蔵していた史書も抹殺されてしまったのだ。東北は豊かな産金産馬に加えて、独自に西アジアまで広く交易し、それらの地域の人々も住み着いていた。その富が東北には文化をもたらしてもいて、奥州藤原氏などは京都に匹敵する栄華を築いていた。自分が生まれ育った日本と言う四季のある国は素晴らしい国だと思う。しかし、その古代の歴史はあまりにも欺瞞に満ちている。
御衣黄(ぎょいこう)桜

楊貴妃(ようきひ)桜

吉野枝垂れ桜

最古の地震記録

2015-04-21 19:12:40 | 歴史
今朝まで昨日の雨が続いたが、午前中から青空が広がり、昼には久しぶりのいい天気となった。しかし、午後には再び高い雲が流れるようになり、日射しが遮られて来た。ちょうど昼休みの青空の広がった時に、職場から少し離れたところに毎年咲いてくれる枝垂れ桜の小さな並木のところへ出かけた。高齢の女性二人が日傘をさしながらそのそばで話し込んでいた。近くの山からはウグイスの声が聴こえて来て、わずかな時間だが春を満喫させてもらった。 日本列島は太古からその列島の成り立ち故に、地震や火山噴火の極めて多い地域であった。文献上に登場する地震は日本書紀巻第13に記された416年8月22日の允恭(いんぎょう)地震が最初である。「地震(なゐふる)」の字が書かれているが、地震そのものの状況は書かれていない。その次に登場する地震は書紀巻第22に書かれた599年5月26日の推古地震で建造物の倒壊が触れられている。書紀巻第29には679年に北部九州で発生した震源域の書かれた最古の筑紫地震が記されている。同じく巻第29の684年には西日本太平洋沿岸の大地震と伊豆諸島噴火のあった、記録の残る南海トラフ巨大地震と推定される最古の白鳳地震が詳述されている。『日本書紀』は神代に始まり、697年の持統天皇の譲位で終わっている。1975年に古田武彦氏は『盗まれた神話-記・紀の秘密-』と題する著作を出され、古事記や日本書紀の「神話」部分を中心にそれらが九州王朝の史書からの盗用であることを詳述された。京都産業大学の森博達教授は1991年の『古代の音韻と日本書紀の成立』、2011年の『日本書紀 成立の真実 書き換えの主導者は誰か』で、日本書紀の漢文の用法から、α群(巻14-21、24-27)とβ群(巻1-13、22・23、28・29)、最後の巻30の三群に日本書紀の記述を分けられた。同教授によればα群は渡来唐人が正音により正格漢文で述作したもので、β群は日本人が倭音により和化漢文でやはり述作したものと判断されている。巻30は後になって別の日本人が著述したとされる。同教授は大阪外国語大学の中国語学科で中国音韻学を学び、万葉仮名が使われている『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』の中で特に『日本書紀』に興味を持たれ、万葉仮名の漢字と昔の隋唐の時代の中国音とを比較対照して、それを中国音韻学の資料にしようとされた。通説では、万葉仮名の基礎になった漢字の音は倭音(日本漢字音)であって中国語の原音ではない、とされていたが、『日本書紀』の万葉仮名を調べられていて、この通説の論拠が当てはまらないグループを見出されたのだ。上記の地震について書かれた『日本書紀』の部分はすべてβ群、つまり倭音による和化漢文で書かれた部分だ。古田武彦氏が明らかにされたように701年以前は九州王朝の時代であり、まさに九州王朝は倭音による和化漢文で史書を綴っていたはずである。神話部分が九州王朝の史書から盗用されたばかりではなく、こうした地震や噴火の事実の記された部分もやはり九州王朝の史書からの盗用である。森博達教授も指摘されているが、『日本書紀』は文体的にもかなりの修飾が行われており、後から繕おうとしたことは明らかだ。701年以前は九州王朝が自らの正史を持っていたが、王朝が白村江の戦い以後衰退し、701年からは近畿の王朝にとって代わられ、九州王朝の正史もまた奪われて、盗用後にはなかったものとされたのだ。九州王朝は唐と敵たし、白村江の戦いで敗れたため、唐の進駐軍は九州王朝の首都であった太宰府に駐屯した。近畿の新王朝は唐と協力的であったため、進駐軍は近畿へは至っていない。
枝垂れ桜の小並木

後ろでは山吹も咲いて来た

八重の小さな花がたくさん付く