庭に植えたマムシ草や浦島草が数を増やして細い筍のように伸びて来た。思ったより植物たちは元気そうだ。あれだけ平年より厳しかった冬の寒さの中でもう駄目なのではないかと思ったのだが。釜石は海も山も豊かだ。暖流と寒流が交差するため魚種も多い。リアス式海岸はさらに魚たちに絶好のえさ場を与える。落葉樹の多い山は肥沃な土壌を植物に提供して山菜や野草を育む。これほど自然豊かな東北に大陸からやって来た古代の人たちが住着き、荒覇吐王国が栄えたという話もうなずける気がする。生まれた四国や、その後仕事で住んだ関西、関東などにいた時はこの東北の自然の豊かさなど知りもしなかった。実際に釜石へ住んでみてはじめて知った。恐らく一観光者として訪れただけでは分からなかっただろう。しかし釜石の自然の豊かさの半分が今回の震災で破壊された。海が回復するには相当の時間がかかるだろう。青森県の十三湖のあるところもかっては安東水軍が栄えた十三湊(とさみなと)があった。海外からの商人たちが行き交い、たくさんの立派なお寺が建ち並んだ大都市だった。それが津波で一瞬のうちに水没してしまった。何万人もの犠牲者が出たのだ。残念ながらこの歴史的な事実も東北で起きたことの故に歴史家たちにも重要視されていない。東北は自然が豊かなだけに自然からの脅威にもさらされて来た。三陸の津波の歴史も地元ではよく強調されている。避難地区の標識が以前から記されていたことに最初は物珍しくさえ感じられた。今回の津波はその標識に書かれた避難地域をも越えてしまった。自然にとっては人の勝手な「想定」など何も関係がない。自然の脅威は常に「想定外」と心得ていた方がいい、と言うことだろう。4月に入って余震の揺れの回数は変わらないが揺れの強さが一時弱まったいたのだが、ここ2~3日また揺れが強くなって来た。たいていは地震の前に独特の地鳴りがするが、時には地鳴りがしないでいきなり強く縦に揺れたりすることもある。家の中ではちゃんと片付けても、何度も落ちるのでもう下に置いてしまった物もある。塀のブロックも二カ所が崩れた。灯籠も崩れたままにしてある。いつ余震が治まるのか予想もつかない。予定では職場のインフラは来月一杯でおおよそ機能しそうなので、従来通りの仕事が可能になるのは6月からということになる。ただ心配なのはそのインフラの重要部分がまた建物の1階部分に設置されることだ。再び津波が来る可能性がまだある。しかし、職場のある建物が市の建物であるため基本的に口出しが出来ない。どうしてももどかしさが残ってしまう。
噴き出す枝垂れ桜 染井吉野より少し遅れて咲く