釜石の日々

繁栄は内部から崩されて行く

庭ではサツキが終わって、今ツツジが遅まきながら咲き始めた。杏の木にも青い実がついている。釜石は今がちょうどいい季節なのかも知れない。暑くもなく、寒くもない。気持ちのいい風も吹く。昨夜は娘は新潟研修でお世話になった方々が釜石へ来られているので、その方々と懇親会があり、遅く帰って来た。帰宅後はさらに遅くまで息子と話をしていたようだ。今朝は遅刻をしないよう無事に起きていた。東北で各所で今も残されている史跡をかって築いた安倍氏や奥州藤原氏はいずれも内に潜んでいた綻びによって滅んで行った。安倍氏は姻戚関係にあった清原氏の裏切りで、奥州藤原氏は第4代当主である藤原泰衡自身の手で源義経をかくまった父親である藤原秀衡の意向に反したことで源頼朝に対して隙をつくってしまった。本人たちもまたその報いを受けている。繁栄が失われて行くのは内部の綻びからだ。広島と長崎で被爆を受けた日本は表向きは非核三原則を掲げて、核保有を放棄している。しかし、戦後世界情勢が変わり、共産国が次々に生まれて来ると米国の世界戦略も変更を余儀なくされて、日本をアジアの砦の一つと看做すようになり、被爆国の核アレルギーをなくす目的で核の「平和利用」という原発の導入を目論んだ。潜在的な核保有の魅力に惹かれた日本の政治家・官僚と原発導入により巨額の富が得られることを知った電力業界が飛びついた。以後、政財官はひたすら原発を拡大推進して来た。その妨げになるものは大学とメディアを巻き込んで徹底的に排除した。原発推進の負の側面は無視、軽視することで対処して来た。「危険性」などはあってはならないものであり、それを考慮すること自体がタブーであった。従って、公文書の偽造などは日常的なものとなった。事実の隠蔽も当たり前になってしまった。こうした状況では当然十分な安全対策など施されるはずもない。3.11原発事故は起きるべくして起きた。事故後のすべての処理や対策も事故以前からの同じ人たちの手で行われている。事故があってもなくても変わらず、推進ありきである。電力不足も原発が安価であることもすべては偽りであることが明らかとなっても、尚、推進しなければ自分たちの存在そのものが危うくなる。しかし、世界の情勢は、特に、米国の情勢は日本が原発を導入した頃とは大きく変わってしまった。これまで頼みとして来た米国はもはや日本に原発推進を望まなくなってしまった。今米国は福島第一原発4号機使用済み燃料プールの危険性を重要視している。そこには日本での原発推進を抑止する意図も含まれているのかもしれないが。いずれにしろ安全に関してはずさんな対処しかしてこなかったし、現在もその姿勢は変わっていない。東北沖で巨大な地震と津波が起きなければその事実は表へはこれほどまでに出て来なかっただろう。しかし、まさにそうした推進側の姿勢こそがいずれ推進の妨げとなり、内部からの崩壊をもたらすことになるのだ。歴史はそのことを明らかに教えてくれている。ただ、それまでに今回の事故による犠牲以上の犠牲が増えなければいいのだが。
川辺の独逸菖蒲(どいつあやめ)
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