-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

ユキツバキかなあ(その11) 六沢地区と原田地区

2023-09-27 15:05:07 | 自然

 「ユキツバキかなあ」シリーズも、ようやく終盤になってきました。今回は尾花沢市六沢地区とそのすぐ近くの原田地区の椿です。

Ⅰ 六沢地区 繋沢観音堂跡地の椿

 先ずは六沢地区の繋沢観音堂跡地の椿です。この場所は同地区の円照寺住職から教えていただきました。尾花沢市内の雪椿の調査に関して、最も期待する場所です。尾花沢市史編纂委員会が昭和60年に編集した「延沢軍記」には、1540年代終わりごろに野邊澤城が建設された概要が幾種類もの文献として 収められています。それらの書の中に、城の馬場の周辺に「花木」が植えられたとの次のような記述があります。

二ノ丸ノ階ニ馬場アリ、幅七間、長サ百間也、四方ノ土手高ク築キ花木ヲ植タリ

 私は、「花木は椿」であろう推測しています。現代で花木と言えば、いの一番に桜が挙げられますが、椿はかなり前から神社や寺などの大事な場所に植えられていることから、野邊澤城の馬場の周囲にも椿が植えられたと考えました。その根拠を深く尋ねられれば、自信がありません。何はともあれ、馬場跡を調査して2015年10月に「延沢城跡に「ユキツバキ」はありませんでした。残念」と題してこのブログに投稿しました。

 しかし、令和5年4月11日、円照寺住職から「椿」の話を聞き、馬場周辺にはなくなっても、城の裏門とも思われる繋沢観音堂跡地には、まだ残されているかもしれないと期待しました。繋沢観音堂跡地への入り口から奥へ向かって真っすぐな一本道(参道)があります。すると、直ぐに銀杏の大木が見え、その根元にも灌木があります。地面に這いつくばるような姿は、直ぐに雪椿の特徴を思い出させました。そして、椿の枝は雪に押しつぶされていて、これも雪椿を想像させます。

 

 近づいて花を探しましたが、まだ開花期にはかなり早いようです。花の蕾は大分、膨らんでいますが、まだまだ時間がかかります。でも、雪椿の特徴である「葉柄の短さ」を思わせる姿を確認できました。

 

 開花を待って令和5年4月29日、2回目の繋沢観音堂跡地です。雪が消えて、椿の全体が姿を現していました。

 

 枝に沢山の花が咲いていました。花びらは平たく開いて雪椿らしい雰囲気です。ただ、花びらの色が特徴的です。これまで見てきた雪椿や藪椿のどれよりも濃い紅です。円照寺住職が褒めていたのは、この色のことだったのかもしれません。真紅というべきか、どのように表現すべきかは分かりませんが、私は神々しい色に感じました。

 

 雪椿の特徴として最も挙げられるのが、雌しべの基部です。藪椿(ヤブツバキ)は全ての雌しべの基部が隣接する雌しべの基部と融合しているようにぴったりと繋がっていますが、雪椿は基部も全て独立しています。繋沢観音堂跡の椿の雌しべの基部は独立しているようです。

 

 開花と新葉の時期は、一か月以上の開きがあります。令和5年6月11日、3回目の繋沢観音堂跡地です。十分に待ったかいがありました。遠目にも新葉が出ていて、木に活気が漲っています。周囲の緑も元気そうです。

 

 新葉の出現を待ったのは、葉柄に「毛」が生えているかどうかです。古い葉では確認できません。肉眼では新葉でも毛の存在を確認できませんでしたが、自宅で写真の像を拡大して、毛の存在が分かりました。私は両目の白内障手術をしてから、近いものが見なくなって、葉柄の毛を肉眼で確認できなくなりました。老眼を持参すればよいのですが、いつも忘れます。これで、繋沢観音堂跡地に昔から存在していた椿が、雪椿に限りなく近い椿であることが分かりました。山形市大平地区にある雪椿との違いは、花の色だけのように思いました。ただ、私には、これが雪椿であると断定できる力量がありません。もっと雪椿に詳しい方々も、その判断は難しいそうです。雪椿と藪椿のハイブリッド(雑種)は、両種の中間的な形質を持っているそうですが、一株ごとに千差万別で雪椿に限りなく近いものから藪椿の特徴が多いものまであるそうです。こういう時は、今、流行っているDNA分析をすべきかと思いますが、どうも雪椿の研究では下火のようです。

 繋沢観音堂跡地の椿が、延沢軍記に書かれている馬場周囲の花木であったかは明らかにできませんが、畑沢で見てきた椿とも異なり真紅の花びらが神秘の雰囲気を醸し、戦国時代から400年以上も生き延びてきたのかもしれないと、どこか浪漫を感じさせます。

 

 Ⅱ 六沢地区 湯殿山石仏の脇の椿

 昨年の6月1日にたまたま湯殿山石仏の近くで、椿を見つけました。神社仏閣、墓地などに雪椿が植えられている例が多いとのことから、この湯殿山石仏の椿も雪椿の可能性があると興味を持ちました。落ちていた枯れた花と新葉の観察から、雪椿に近いであろうことが分かりました。「雌しべの基部が独立している」ように見えたこと、「新葉の葉柄に毛があつた」ことが理由です。その内容は令和4年8月23日に「ユキツバキかなあ(その6)六沢の椿」として投稿しました。

 しかし、生の花は見ていませんので、今年にあらためて花を確認しました。繋沢観音堂跡地を調査した令和5年4月29日に湯殿山石仏の場所へ回りました。実に見事に豪華さを感じさせる花が咲き誇っていました。これなら一目瞭然、野生種の雪椿ではありません。八重咲で、十分に改良された園芸品種です。

 しかし、雪椿の血統であるようです。昨年の葉柄の毛の存在だけでなく、雌しべの基部が融合しがちながらも藪椿と比べるとかなり独立しています。雪椿は花びらを広げるからなのかは分かりませんが、園芸品種としても好まれる遺伝子を持っているようです。

 

Ⅲ 原田地区の椿

 昨年の冬、たまたま上原田地区墓地の脇を通ったら椿がありましたので、葉を眺めると葉柄が短いような気がしました。心に何か思うところがあると、どんなものでも関係づけてしまいます。花や葉柄などを観察するの時期ではなかったので、今年の開花期まで待っていました。今年、六沢の湯殿山石仏の近くを観察した後(令和5年4月29日)で、こちらにも回ってきました。

 

 花を見て、こちらも直ぐに園芸品種と分かりました。六沢地区の湯殿山石仏の所にあった椿と同様に、八重咲で豪華な花です。この地区では、この園芸品種が流行っていたのかもしれません。

 

 雌しべの基部も湯殿山石仏脇の椿と同じで、藪椿と雪椿との中間型です。雪椿と藪椿の両方の遺伝子が入っています。

 

 葉は古いままです。葉柄の毛は確認できませんが、見るまでもなく新葉が出れば葉柄に毛があるでしょう。

 



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