-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

石の祠に詳しい方 教えてください。

2017-01-01 17:53:21 | 歴史

 山楯の楯跡を調査していた12月のある日、楯跡の直ぐ近くにある稲荷神社へ行ってみました。稲荷神社の脇に高さ60cm程度の石の祠があります。前も何を祀ったものであるかが分かりませんでしたし、今回も分かりませんでしたが、今まで何とも思わなかったあることについて、不思議な気持ちを抱きました。それは、祠の屋根にあたる部分です。自然石が造形もされずにそのまま置かれている雰囲気です。しかもこの屋根の石は、畑沢で産しません。石は火山岩と思われ、表面にガスがはじけたような小さな窪みが沢山あります。どこかから畑沢へ運ばれてきたものではないかと思われます。

 次の写真は、畑沢のあるお宅の守り神です。通常、石の祠の屋根はこのように屋根の形に整形されています。自然石そのままではありません。

 ところが、自然石のままと見られる石の祠は、次の写真のように畑沢の複数のお宅の守り神でも見られました。どちらも石の下の部分だけは平らにしてあるようですが、その他の部分は自然石そのままにしてあります。そして、この石の種類も稲荷神社脇にある石の祠と同じように見えます。

 畑沢のほかの地域では、たった一つだけこのような自然石を使った石の灯篭がありました。林崎の石仏群と一緒にありました。やはり同じような石が用いられています。

 これらの祠などに共通するのは、石材が特殊なものであることです。表面がぼこぼこと小さな窪みがあるということは、マグマが地表に出て来ることによって圧力が下がり、マグマの中のガスが気化したことを物語っています。畑沢とその周囲には、マグマが噴出した地形は見られませんので、ある程度離れた場所から人為的に持ち込まれたか、または火山活動時、特異的に火砕流が遠くから運び込んだとも考えられます。いずれにしても、大変珍しいことが霊力を感じさせ、石の祠に用いられたのかもしれません。とまあ、私のあてずっぽうな推察をしてみましたが、どうかちゃんとした方々へお願いします。本当のことを教えてください。



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4 コメント

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Unknown (通りすがり)
2020-11-19 03:48:33
石祠について検索していて記事を拝読致しました。石祠の石材は作られた当時に一般的に流通していた石材を用いることが多いです。江戸時代くらいまで遡るとほぼローカル石材が使われていると思います。お調べしたところ、畑沢の近辺に新第三紀のデイサイトまたは流紋岩といった火山岩体が分布していますので、これらの古い火山活動でできた比較的加工しやすい凝灰岩や凝灰角礫岩などが石材として使われたのではないでしょうか。
通りすがりさんへ (スビタレ)
2020-11-25 17:58:43
 コメントありがとうございます。大分前にコメントしていただいていたようです。最近、ブログの更新を怠っていましたので、見過ごしていました。申し訳ありませんでした。
 さて、私が投稿した穴だらけの石仏の石材についてですが、アドバイスしていただいたように凝灰岩か凝灰角礫岩ではないかと思うようになっています。この石材は畑沢では全く産出しませんでしたので、当初、他の地域で産した玄武岩か安山岩が風化して穴だらけになったとも考えていました。最近、隣の大倉地区のフットパスに参加した時にも、穴だらけの石仏が幾つも見られ、それらは楯岡石(楯山などから産出する凝灰岩)のようでした。
 畑沢は昔から楯岡とその途中にある大倉地区とは深い関りがあり、頻繁に出かけていました。その際に調達した石材である可能性があります。畑沢は背中炙り峠越え街道が通る要所でしたので、「穴だらけの石仏」以外にも他の地区で産した石材での石仏が幾つも存在しています。
Unknown (高野竜)
2022-09-16 21:28:00
関東には「富士講」という信仰があり、講の共同貯金で代表者に富士登山をさせ、持ち帰った溶岩をてっぺんに据えて「富士塚」という小さなジオラマ富士山を作ることが、江戸期に流行しました。ですので現地にない岩石が載せられているのは何らかの山岳信仰であることは想像がつきます。
高野竜さんへ (スビタレ)
2022-09-19 13:36:04
 コメントありがとうございます。
 富士講の事例は大変、参考になりました。畑沢では昔、甑岳参りが盛んだったそうですので、その地域に由来する石かもしれないとも想像できます。その地域には、凝灰岩が石材として産出されていました。

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