-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

金華山講

2013-09-18 21:54:46 | 歴史

 先日、石仏「金華山黄金山神社」を紹介しました。その石仏は、「金華山参り」をした記念に建てられたものでした。その金華山参りは、村の中で「講」という組織を作って行動していました。昭和時代における畑沢の講に関する資料がありました。それも、何ということか私の家にありました。

 私の家では、様々な神仏が頭上に鎮座していました。その一つに何とも得体の知れない箱がありました。普通の神棚は、小さな神社のように屋根や出入り口があるミニチュアのような家の形をしています。ところが、謎の箱は箱の中にさらに箱があるだけで、神棚の体を成していません。観音開きの扉を開くと、丸金印のキンキラキンの丸い金具が沢山付いています。その他にもキンキラキンの金具で装飾されています。まだ幼かった私はただただ薄気味が悪く感じていました。それでも罰当たり(ばちあたり)の行動をとっております。誰も叱る人がいない状態の部屋で、一人で分解しながら箱の中を探っていました。それでも結局、何であるかが分からずじまいでした。

  内容が分かったのは、つい先日です。初めて箱をいじってから50年以上の年月が経っています。かの石仏「金華山黄金山神社」に彫ってあった金と同じものが、あの謎の箱にあったことを思い出し、あらためて箱を調べてみました。箱の中には「金華山講中牒」という書き物がありました。それは、昭和15年7月10日から始まった畑沢村の講に関する会計帳です。金華山の「華」が「萃」になっていますが、異体字というものだそうです。本来は全く異なる字ですが、昔は結構、使われていたようです。書き物のページをめくっていくと、講は37人で構成され、世話人が7人であることが分かります。

 昭和15年7月10日 2人

 昭和16年2月21日 8人

 昭和17年8月30日 3人

 昭和18年2月25日 11人

 昭和20年5月24日 15人

 毎年のように代表と思われる村人がお参りに行き、お金を治めた領収書が綴られています。昭和18年と昭和20年は参詣者が極端に多くなっています。参詣者の名簿を見ると、息子が太平戦争で戦っている親の名が見られます。苦しい戦況にもかかわらず、軍は本当の情報は隠していますが、親心には子が苦しんでいることが伝わってきていたのでしょう、無事を祈って大勢の村人が参詣していたと思われます。しかし、そのことを口に出せず、黙って必死に祈っている何とも切ない姿が浮かんできます。太平洋戦争が終わっても、畑沢に戻ることができなかった人は、11人もいます。

 結局、この箱は「金華山講」の記録帳と携帯型神棚のセットだったようです。記録帳を出し入れする時には、携帯型神棚にお参りするようになっています。江戸時代に金華山黄金神社は信者を増やすために、各地に営業拡大を図ったそうです。以前に紹介しました「巳待供養塔」で説明しました巳待講を、金華山講に衣替えさせる戦略で信者を獲得し、さらには現世利益を前面に出しています。「神様」は中々、商売熱心です。

 ところで、この箱の中の箱の最も奥には、「金毘羅宮御戸開祈祷神冊」が入っていました。どうして金華山なのに金毘羅さんのお札が入っているのか、しかも一番奥に入っているというのは、私以上に罰当たりのように思われますが、不思議なものです。間違ったのか、「神様は皆な一緒」というおおらかさでしょうか。少なくとも私のような罰当たりが、開いて見る」などということを想像していなかったと思います。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
金華山講について (あがりこ)
2023-01-04 12:17:13
金華山講について調べている宮城県女川の野澤と申します。いろいろ教えていただきたく、ご連絡が取れれば幸いです。
金華山講について (あがりこ)
2023-05-30 14:51:11
かつて金華山講の資料の拝見を願いしたものです。雪も解け、行きやすくなっております。拝見できる可能な日、現地あるいはご指定の場所お知らせください。よろしくお願いいたします。
あがりこさんへ (スビタレ)
2023-05-31 19:10:21
 今年の1月にコメントしていただいたので、直ぐに連絡いただけるように私の個人情報をコメント欄に掲載したのですが、長期間の掲載は危険だと思い一週間で削除しました。
 ところで、私が保有している金華山の資料は、ブログにほぼ全てを投稿いたしました。さらに関心を持って頂いて有難いのですが、連絡のために再び私の個人情報を掲載することは控えたいと思います。
 しかし、お尋ねしたいことがありましたら、可能な限りお答えいたします。この「金華山講」のパート2とすることもできます。

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