郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

水原華城と李朝大奥実録

2005年12月29日 | 韓国旅行
今年の夏は、念願の韓国旅行に行ってきました。
かなり若いころから、一度行きたいと思いつつ行ってなかったのですが、友人がペ氏にはまりまして、連れはできましたし、今のうちに板門店を見ておかなくてはと、決意した次第です。
見たかったのはまず板門店ではあったのですが、世界遺産の水原華城(スウォンファソン)に一日を費やしたんです。

水原華城は李王朝の後期、1794年に築城を開始して3年足らずで完成、といいますから、維新の70年ほど前で、将軍家斉のころです。城といっても、城壁と言った方がいいでしょうか。華城行宮という宮殿を中心とする市街地を、およそ5.7キロの城壁が取り巻き、その各所に、城門や見張り台などがあるんですね。
宮殿を行宮というのは、当時、ソウルから遷都するつもりがあったそうなのですが、結局とりやめになり、王が常に住まわれたことがないから、のようです。
遷都がなかったため、水原華城は長く放っておかれて自然に崩れた上に、朝鮮戦争で完全に破壊されたのですが、詳しい図面が残っていて、1974年、朴正熙大統領の時代に、再建されたものです。
華城行宮はつい先年に再建がなったところで、NHKで放映されている韓国大河ドラマ『チャングムの誓い』のロケにも使われました。

韓国へ行くというので、それならばと、半年ほど買うのを迷っていた本を買って読みました。

梅山秀幸編訳『朝鮮宮廷女流小説集 恨(ハン)のものがたり』(総和社発行)

日本でも、平安時代、ひらがなによって王朝文学が生まれたように、時代は大きく下るのですが、ハングルという表音文字が作られたことによって、李王朝に女流文学が生まれた、というんですね。いったいどんなものだろう、と、読んでみたかったんですが、五千円というけっこうなお値段でして。
読んだ感想ですか? うーん。
小説といっても実録で、フィクションじゃないんです。三編が収録されているのですが、どれも、王妃や王太子妃といった高貴な女人が政争に巻き込まれて、いかにひどい目にあったか、いかに競争相手が不正で邪悪で、自分たちは行い正しかったかを、恨みをこめて延々書き連ねてあるんですね。政治的な主張の書、でもあり、ちょうど、日本がいかに邪悪で、正しくりっぱな自分たちが悲惨な目にあわされたかを、延々書き連ねている韓国の歴史教科書に、気分が似てます。

三編とも著者は、高貴な女人その人か、あるいはその周辺の高級女官か、といわれているそうです。
ともかく、『源氏物語』や『枕草子』、『更級日記』などなどを期待すると、文学的な趣がなさすぎて……、ちょっとげんなりしてくる代物です。
清少納言が、自分の仕えた定子中宮がいかに貞節かつ親孝行で、にもかかわらず一族もろともどれほど悲惨な目にあったか、藤原道長側がいかに邪悪で、やることがきたなかったか、ということばかりを、恨みを込めて書き連ねているようなものなのです。
しかし、文学じゃなくて実録、と思い定めれば、興味深く読めまして、まあ、李王朝大奥独白録、という感じでしょうか。
やはり、時代が下るにつれ、ハングル文がこなれてくるのでしょうか、三編のうち一番読み応えがあり、記述に客観性が出てくるのが、荘献世子の正妃で、正祖の実母だった恵慶宮洪氏本人が綴ったといわれる『閑中録』です。

実は、水原華城を作ったのは、この正祖なんです。
若くして米櫃に閉じこめられて餓死させられた父、荘献世子の遺骸をこの水源に祀り、亡父のそばに遷都したい、ということだったんですね。
荘献世子を餓死させたのは、その父の英祖で、恵慶宮洪氏は、夫の無惨な死を間近で見守るとともに、陰惨な権力闘争にもまきこまれ、自分の息子が世継ぎになったにもかかわらず、長らく閉塞をよぎなくされます。
成長した正祖は、亡き父への追慕の念深く、日陰の身のままで年老いた実母にも孝心を持ち、完成した水原華城へ母を伴い、大宴を催します。
写真は、現在、華城行宮に人形で再現されている、そのときの恵慶宮洪氏と女官です。

ともかく、『閑中録』を読んで間もなく歩いた水原華城には、恵慶宮洪氏の恨みの念が……、恨(ハン)二百年、漂っているような気がいたしました。

あー、ご参考になるかどうかわかりませんが、水原へは、ソウルから車を雇って、日本語ガイドさんつきで行きました。個人一日ツアーというやつですね。
水原の名物はカルビなんですが、食べあきましたので、昼食はカルグクス(うどん)と饅頭(餃子と肉マンのあいのこみたいなもの)が食べたい、とリクエストしましたところ、華城行宮の近くで、ガイドさんが店をさがしてくれました。
大衆食堂といった感じの地味な店で、ハングルのメニュー書き以外なにも表示がなく、ガイドさんがいなければ、そこがカルグクスと饅頭の専門店だとは、とてもわからなかった店です。実に美味、かつ安価でした。

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2 コメント

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TBありがとうございました! (らば~そうる)
2005-12-31 15:40:08
個人サイトの方へもお邪魔させていただきます。
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ご訪問ありがとうございます。 (郎女)
2005-12-31 23:48:38
個人サイトの半島ネタは、「極東のローマ」くらいですが、よろしかったら、どうぞ見てやってくださいませ。
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