郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

ナショナリズムと中国空軍病院

2005年12月28日 | 時事感想
ここのところ、雑誌を買ってきたり、ネットでニュースを見たりで、中国関係のニュースにふれることが多く、去年、中国情報機関の脅迫で、上海総領事館職員が首をつっていた、というニュースが目にとまりました。
かなり前から日本は、スパイ天国といわれはおりましたし、スパイ防止法さえない現状では仕方のないことですが、外務省の脇の甘さも、指摘はされておりましたけどねえ。
まあ、なぜいまごろになって、という疑問もないではないのですが、スパイ防止法でも制定する気運が出てきているのでしょうか。だとすれば、喜ばしいことですが。

ちょっと話がとびます。
仕事で、地方史を調べる機会が多かったのですが、昭和初期というのは、地方にとって、ほんとうにやってられない時期だったのだなあ、と、思ったものです。
よく、農村の惨状といわれ、東北の農家が食べていけないで娘を売った、という話が出てきて、凶作と米価の下落が語られるのですが、私の住んでいる四国では、同じ農村の話でも、ちょっとちがうような感じを受けるのです。
明治以来、殖産興業が叫ばれて、農村においても、輸出できるものの生産が、盛んにすすめられていたわけですよね。うちの県では、絹糸、磁器、蝋、手漉き和紙といったものが主な産物でした。
これらの輸出が、たとえば絹糸は化学繊維の普及でだめになりますし、蝋は蝋燭の需要が減ったことが大きかたのでしょうし、紙は工場生産の洋紙にとってかわられ、磁器は中国や東南アジアへの輸出が、中国の反日政策や宗主国の施策で激減し、ともかく、すべて売れなくなってしまったんですね。

私は別に、地場産業全体の歴史を調べていたわけではなく、伝統産業の歴史を、それぞれに調べる必要がでてきて、後で思い合わせてみると、みんなそうだったわけなのです。
ただ一つ、ちがうものがありました。
私が住んでいる市は、県庁所在地ですが、平成の大合併で吸収した隣の市(現在は郊外の通勤通学圏ですが、農村地帯ではあります)に、明治から続いた製薬会社があるんですね。
必要があって、その会社の歴史を調べましたところが、この会社が大きく発展したのは、昭和初期なんです。満州に販路がひろがったんです。

中国大陸への日本軍の侵攻は、学校教育では、軍部の暴走と教わるのですが、民衆の支持がなければ暴走もできないわけでして、それも、ナショナリズムの高まりだけでは説明できないことでしょう。経済的要因が大きかったのです。

よく、現在の日中関係で、メディアなどは、日本側のナショナリズムを危惧する、というような論調を載せたりしましが、私がそれをばかばかしく思うのは、現在の日本には、他国を攻める軍備はまったくありませんし、そんな軍備を整えることは不可能だから、です。
まあ、あれですね。メディアの論調も経済ゆえ、なんでしょう。
現在の日本では、経済的利益とナショナリズムが大きく乖離していて、ナショナリズムの暴走の心配がない点は喜ばしいのですが、むしろ逆に、乖離しすぎなところに、心配の種が転がっているように思えます。

つい先日、母が病院へ行き、偶然、知り合いに出会いました。
その方は、肺癌が再発なさったそうなのですが、一年前とくらべたら、とても元気そうだったとのことなんです。聞くところによれば、一千万だか三千万だか払って、中国空軍の病院で特別な治療を受け、すっかりよくなったといいます。
なにそれ? と思って、ぐぐってみたら、ありました。
北京空軍総医院というところで、京大に留学していた夏医師という方が、ボディ型ガンマナイフという放射線治療の一種の特許を持っていて、どうも、ここでしか治療が受けられないらしいんですね。日本で入院の斡旋をしているのは、元通産省のお役人だか、という話です。
母が聞いてきたところでは、その空軍病院の広いワンフロア全部が、外国人専用となっていて、入院患者は日本人だけではなく、アメリカ人もいればフランス人、スイス人と、国籍もさまざま、なのだそうです。賄賂の額によって待遇もかわってくるので、医師や看護婦長から賄い人まで、お金をばらまく必要があるだとか。
なお、そこに外国人患者がいることは、中国国内では秘密なので、回復期になっても、その病院のそのフロアから外へ出ることは、いっさい禁じられているという話でして。

で、その病院の膨大な儲けが、中国空軍の軍備の足しになるのかと思うと、なんとも複雑な気分です。儲けの元の夏医師を育てたのは、国立の、つまり日本の国税で成り立っている、京大ですしねえ。

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2 コメント

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上海に始まり (へいたらう)
2005-12-29 11:50:59
北京で終わりましたか・・・。

まあ、上海の事件はありがちな話でしょうから、驚きはしませんが、北京の病院の話は初めて聞きました。

他の諸々の問題と相まって、何とも複雑な気がします。

で、ちょっと違うかもしれませんが、TBを二つほど入れ置かせてください。
いつもTBありがとうございます。 (郎女)
2005-12-29 23:53:12
他県で医者をしている妹は、母から電話で話を聞いて、中国のすることはインチキくさいと、怒りまくってます(笑) 

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