郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

中西輝政と半藤一利の幕末史観

2012年11月25日 | 幕末雑話

 えーと、ですね。
 ユニオン号に帰るはずだったのですが、その前に、ちょっと書いておきたいことがありまして。

 最初のきっかけは、張作霖爆殺事件でした。
 夏ころ、だったでしょうか。 勝之丞さまと電話でお話をしていて、「中西輝政氏が張作霖爆殺事件コミンテルン陰謀説を唱え、それに秦郁彦が反論している」というようなことをうかがいました。「中西氏のコミンテルン陰謀説ってどんなものなんだろう?」と、これに載っているかな? とめぼしをつけて、秦郁彦氏の「陰謀史観」を読んでみました。

陰謀史観 (新潮新書)
秦 郁彦
新潮社


 これで見ます限りにおいて、なのですけれども、中西氏が直接、張作霖爆殺事件コミンテルン陰謀説を唱えているわけではなく、秦郁彦氏は、田母神史観批判のついでに、対談などで中西氏がコミンテルン陰謀説に共感をよせておられるのを、批判しているだけのようなのです。
 しかし、その秦郁彦氏の批判に、私がさっぱり説得力を感じませんでしたのは、先に「謎解き 張作霖爆殺事件」を読んでいたからでしょう。

謎解き「張作霖爆殺事件」 (PHP新書)
加藤 康男
PHP研究所


 私、この件の資料につきましては、まったく読んでおりませんので、単なる気分の話にすぎませんが、けっこうこの本に説得力を感じておりまして、「まあ、謎は残るんじゃないの」、程度のことですが、秦郁彦氏のおっしゃる「通説」を、鵜呑みにできてはおりません。

 それで、秦氏です。
 私、ふと、「そういえば秦郁彦氏って、尼港事件をどう書いているのだろう?」と思い、検索をかけたんですね。で、出てまいりましたのが、「法華狼の日記 2012-09-28 尼港事件についての秦郁彦見解」です。
 「2000年に出版された文春新書『昭和史を点検する』に秦郁彦の見解が載っている」と、法華狼氏は書いておられるのですが、捜しても文春新書にそんな題名の本はなく、「座談会形式で、坂本多加雄が参加」と注釈にありますことから、「昭和史の論点」だろう、と見当をつけました。

昭和史の論点 (文春新書)
坂本 多加雄,半藤 一利,秦 郁彦,保阪 正康
文藝春秋


 どうやら、この本でよかったらしいのですが、ここでまた、法華狼氏がまちがえておられます。
 狼氏がおっしゃるところの「休戦していたパルチザンを日本軍部隊が勝手に攻撃して敗北し、その際に日本人が虐殺された無意味な戦闘という見解。加えて、そのような経緯を無視してソ連への憎悪を煽る世論形成に利用されたと指摘していた」人物とは、秦郁彦氏ではなく半藤一利氏だったんです。

 「ああ、あの半藤一利ねえ」 と、私が思わず鼻で笑ってしまいました理由は、後述します。
 この場合、文脈としては、ですね。
 まず坂本多加雄氏が「シベリア出兵の大失敗が陸軍の威信を貶め、国内政局での発言力の低下を招いたこともありませんか」と、しごくまっとうなことを述べておられるのに反論して、半藤一利氏が次のように言っているんです。

「政府内部ではかなり影響力が低下したと思いますが、それが国民意識にまで広がっていたかどうかは疑問です。というのも、1920(大正9年)にニコライエフスクつまり尼港事件が起きますが、陸軍はこれをソ連の残虐行為として大々的に宣伝するんです。当時の新聞を読むと、ソ連に対する国民の憎悪がものすごい。実は尼港事件は、本来やらなくていい攻撃を陸軍がしかけ、結局、大失敗したものなんですが、その汚点を巧みにごまかし、残虐なるソ連というイメージづくりに成功した。それでシベリア出兵の失敗もうやむやになったところがあります」

 私、思わず「頭大丈夫???」と失笑してしまいました。
 詳しくはwiki-尼港事件を見ていただきたいのですが、逮捕・拷問しまくり、掠奪やり放題の赤軍の暴政が、治安維持にあたっていました日本軍にとって、見逃せるものだったとでも、半藤氏はおっしゃるのでしょうか?
 相手は、チェコ軍団に対してもそうでしたように、てのひら返しの嘘はあたりまえ。「武装解除だ! 従わなければ銃殺」なんぞと平気で叫ぶボルシェビキなんです(チェコ軍団に関しましてはトロツキーの命令書が残っております)。

 wikiにも書きましたが、井竿富雄氏の『尼港事件と日本社会、一九二〇年』をご覧下さい。尼港事件に対します国民感情を言いますならば、「政治の場で出てきた不可抗力論は、社会的には見殺しとして受けとめられた」わけでして、新聞はけっして、軍の命令で事件の残虐性を書き立てたわけではありません。

 軍の方は、なんとか勇ましい戦いに話をもっていきたいと談話を発表するのですが、報道されましたのは凄惨ななぶり殺しが中心でして、しかもそういう事態になったにつきましては、ろくに現地事情がわかっておりませんでした陸軍上層部の、二度に渡ります停戦命令があったのだと、明白に伝えられているんです。

 強姦、拷問の凄惨な様子がセンセーショナルに書き立てられますほど、国民は「なんで徴兵された国民軍兵士と在留邦人を、そんなキチガイ狼の前に、無防備で差し出したんだ? なんのための陸軍なんだ? なんのためのシベリア出兵なんだ?」と、陸軍上層部と政府への不信を強め、シベリア出兵の失敗を痛感することとなったんです。

 半藤一利氏の馬鹿げた発言に続きまして、秦郁彦氏が、次のようにシベリア出兵に言及しておられます。
 「シベリア出兵では、何ら利権に類するものは手に入らず、赤色政権樹立を妨害するという目的も達成できなかった」

「なにをおっしゃいますやら。尼港事件の賠償問題を棚上げにしたあげくに、北樺太の石油利権を得てるでしょうがっ!!!」です。
 井竿富雄氏の『尼港事件・オホーツク事件損害に対する再救恤、一九二六年』に、その経緯は出てまいります。
 海軍も尼港事件で多くの犠牲を払っておりますが、北樺太の石油利権を欲しがっていた中心は海軍でして、半藤一利氏のおっしゃっておられますこととは逆に、ソ連憎しといいます国民感情は、軍にとりましてはやっかいなものだったんです。
 秦郁彦氏にしましても半藤一利氏にしましても、「ろくに史料を読んでないんじゃないの?」という私の疑いを、濃くした発言でした。

 半藤一利氏といえば、これです。

 
幕末史 (新潮文庫)
半藤 一利
新潮社


 この「幕末史」、実は私、読んでいません。
 なぜ読んでいないかといえば、以前にも確か、ご紹介したことがあると思うのですが、東善寺さんの小栗上野介随想「咸臨丸病の日本人」におきまして、次のように批判されておりました。

「ブルック大尉の『咸臨丸日記』が『遣米使節史料集成第5巻』(1961昭和36年)として公刊されて半世紀経過し、ほとんどの学者・作家が周知の史実を、こうして根拠もなく否定して語る作家(半藤一利氏)がいることに驚く。この本巻末の参考文献に『遣米使節史料集成』が見当たらないから、基本資料を見ないまま幕末史を語っているのだろうか。ふつうの読者は『幕末史』を読んで『福沢諭吉は厭味な男』と解釈することだろう。歴史は『(勝海舟が)船酔いして使いものにならないなんてことはない筈』『船酔いする海軍の父(勝海舟)なんておかしい』などと感情で語ってはいけないと、つくづく思う」

「うへーっ!!! 基本資料にあたらないで書いたような本、絶対に読みたくない」と、買わなかったんです。

 したがいまして、勝海舟と咸臨丸に関します以外で、半藤 一利氏がどういうでたらめを並べ立てておられるのか、私は存じません。しかし、アマゾンのレビューを読みましても、「勝手な想像ばかりを並べたものが幕末史??? というレベルの本みたい」としか、思えません。
 今にはじまったことではありませんけれども、こういうとんでも本に近そうな類の幕末史がベストセラーになるって、幕末ファンとしましては、実に悲しいことです。

 そして今回、こうして、一応「保守派」と呼ばれます方々の近代史に関します発言をとばし読みしました結果、なんですが、張作霖爆殺事件ではないのですが、幕末史に関して、ついに「中西輝政氏よ、あんたもかいっ!!!」とあきれるしかない著作に、つきあたりました。
 中西輝政氏と言えば、以前に『大英帝国衰亡史』 を読みまして、これ一冊しか読んでだことはなかったのですが、参考になります記述が多く、けっこう尊敬申し上げていたんですけれども。

大英帝国衰亡史
中西 輝政
PHP研究所


 うろ覚えで書いてしまいますが、「クリミア戦争時、イギリスと敵対するロシアの戦費がロンドンの金融市場で調達されていた。イギリスの自由貿易とは、それほどに徹底したものだった」というようなことを書かれていまして、なるほどねえ、と感心した覚えがあります。
 といいますのも、モンブラン伯と「海軍」をめぐる欧州の暗闘vol3に書いておりますが、薩摩は薩英戦争のためにアームストロング砲をイギリスから購入しようとし、さすがにこれは、直前にイギリスで輸出手続きが差し止められますが、このとき在日イギリス商人は、薩摩に大量の武器を売り、気前よく薩摩が買ってくれますので、藩主に金時計をプレゼントしたりしているんですね。
 
 また、リーズデイル卿とジャパニズム vol3 イートン校の、これはコメントの方で触れているのですが、第一次世界大戦とイギリスにつきましては、ほんとうに勉強させていただきました。
 ところが。

日本人が知らない世界と日本の見方
中西 輝政
PHP研究所


 この「日本人が知らない世界と日本の見方」、まえがきによりますと、「私が京都大学で2008年の前期に『現代国際政治』という名称で行った講義をまとめたもの」だそうでして、「この年くらいから『ゆとり世代』の学生が多くなり、大切な歴史を学んでこなかった若者を強く意識し、『現代』国際政治と銘打っているのに歴史の話題をとりわけ多く盛り込んで話すことにしました」ということなんです。

 結果、「これが京大の講義なの??? 勘弁してっ!!!」と、嘆息、です。来年、甥が京大受けるらしいんですけど……、中西教授!!!
 いや、「お願いですから、史料を読みもしないで、いいかげんなことをおっしゃらないでくださいっ!!!」と、声をふりしぼって叫びたくなってしまいました。
 幕末、イギリスの対日外交なんですけれども。

 「西郷隆盛や坂本龍馬に賄賂を渡し、『鉄砲を渡すから、これで幕府を倒せ。開国して自由貿易のマーケットをつくれ』と指示した。その指示に従い、イギリスの飼い犬のように動いたのが坂本龍馬だったというのは、よくいわれることです」

 「はあああああっ??? だれがそんなこと言っているんですか、教授???」
 賄賂って、なあ。馬鹿馬鹿しいにもほどというものがあります。
 幕末イギリスの対日外交につきましては、私、いろいろと書き散らしているのですが、一番まとまっておりますのが、アーネスト・サトウ  vol1でしょうか。

 あげくに、中西教授がおっしゃられることには。

「薩摩藩あるいは長州藩にとって邪魔だったのは龍馬で、もしかしたら西郷や大久保が命令を下していたかもしれません。蓋然性、利害関係だけでいえば『薩摩説』というのは合理的です」

 誰の俗説を読まれて、こういうことを信じ込んでおられるのでしょう。
 「教授、お願いですから幕末でたらめ史の講義はおやめになってくださいっ!!!」

 こんな幕末史を読んでしまいますと、教授が語られるイギリス近代史まで、信じられなくなってしまうんですよねえ。
 私、甥の受験を、とめるべきでしょうかしらん(笑)

 次回こそは、近藤長次郎とユニオン号事件です。

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