郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

土方歳三はアラビア馬に乗ったか?vol2

2007年02月23日 | 日仏関係
昨日の土方歳三はアラビア馬に乗ったか? 、の続きです。
昂奮のあまり、肝心の部分がけっこうぬけたか、と思いまして。

昨日は筆がすべってしまいまして、4月13日の時点で、「小金牧に一度は全頭収容」と書いてしまったのですが、2頭、足りないようです。
細かなまちがいは他にもあるんですが(えーと、略奪の日にちも12日としておりましたですね)、4月13日略奪の確かな証拠はあるのか、といえば、書簡などで、確かにアラビア馬が捕られた、と書いたものがあるかどうかは、はっきりしないようなんです。ただ、この日、小金牧の役場や詰め所で、大規模な略奪があったことは確かで、取られたものの目録には、洋式馬具も含まれているそうです。
岡先生は、記録に残らない小金牧被害の可能性として、4月13日以前の流山もあげておられます。小金牧には、三カ所の牧があって、そのうちの上野牧は、流山にごく近いんだそうです。

私、土方歳三については、土方歳三と伝習隊などで書きましたけれども、今なお、4月12日以前の土方と伝習隊との関係に、あまり言及されることがないのを、不思議に思っているんです。
たしかに、資料がないといえば、それまでなんですけれども、脱走幕府陸軍で、土方が参謀だった伝習第一大隊の隊長って、会津の秋月登之助(江上太郎)ですよね。この人って何もの??? と、以前から思っていたのですが、なにか詳しい本とか、ご存じの方がおられましたら、どうぞ、ご教授のほどを。
つまり、江戸で幕府のフランス伝習を受けていたりしたのかな、ということなんですが。

ふう、びっくりしたー白虎隊 で、パリへ行っていた横山常守と海老名季昌のことを書きましたが、この二人についても、あんまり資料がないんですよねえ。で、検索をかけてみましたら、海老名の方は日記があるみたいで、近年出版されていて、古書店で見つけたんですが、横山常守は戦死していますしねえ。
しかし、この二人、まったくフランス語を習わないでパリへ行ったのだろうか、と、それも不思議で、幕府のフランス陸軍伝習と会津藩の関係を、ご存じの方、これもぜひご教授を。
昨日書きました小栗上野介の家族がですね、会津へ逃れて訪ねたのが、横山常守の家だそうなんです。小栗は幕府の親フランス 政策の中心でしたし、もともと横山家は、小栗と親しかったのかな、と。

って、なんだかお話がアラビア馬と離れてしまいましたね。
小金牧の牧士とアラビア馬についてきたフランス人たちとの交流なども、書きたかったのですが、なんだかまた、まちがいばかり書いてしまいそうでして、もっとちゃんと読んでからにします。

なお、今回の土方の写真も含め、ですね、最近使っておりますモノクロの肖像写真は、昭和初期に出版されました本からのスキャンでして、著作権にはまったく触れないものと、考えております。


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