久々にEF58のエントリです。(^^ゞ
WEBでの情報や鉄道ダイヤ情報誌3月号で、EF58150が昨年の10月31日付けで廃車になっていた事を知りました。
最後まで残っていた原形小窓のEF58でしたが...残念でした。
EF58150は活躍の場が関西中心だったため、あまり撮影するチャンスがありませんでしたが、それでも何度か友人のH氏とともに関西方面に遠征しています。
その中から何枚か拾って、今日からアップして行きたいと思います。
最初は2003年に紀勢本線で運転された電化開業25周年記念号を牽く姿です。
10月11日の夜に埼玉を出発、夜通し運転しての紀勢本線入りで12日~13日と、回送を含めてこの25周年記念号を追いかけ回した2日間でした。
写真はお天気の悪かった13日、岩代海岸を下る9113レです。
(この写真は大きくなります)
紀勢本線 岩代~南部 2003年10月13日撮影
WEBでの情報や鉄道ダイヤ情報誌3月号で、EF58150が昨年の10月31日付けで廃車になっていた事を知りました。
最後まで残っていた原形小窓のEF58でしたが...残念でした。
EF58150は活躍の場が関西中心だったため、あまり撮影するチャンスがありませんでしたが、それでも何度か友人のH氏とともに関西方面に遠征しています。
その中から何枚か拾って、今日からアップして行きたいと思います。
最初は2003年に紀勢本線で運転された電化開業25周年記念号を牽く姿です。
10月11日の夜に埼玉を出発、夜通し運転しての紀勢本線入りで12日~13日と、回送を含めてこの25周年記念号を追いかけ回した2日間でした。
写真はお天気の悪かった13日、岩代海岸を下る9113レです。
(この写真は大きくなります)
紀勢本線 岩代~南部 2003年10月13日撮影
崖の向こうから下ってくるC57、C58 否、 EF58ですか(笑)見たかったなぁ!
イベントとはいえこの線も58が走っていたのですか?
電化されてからは全く興味なしで、鉄から離れていた頃です。
40年前この崖の線路が複線化された頃にD51や等々を撮りに行ってました。
この崖の上からも。
荒れた潮騒の画から国鉄時代のEFが時代とともに消えていく、寂しさが伝わってきます。
鉄から遠ざかっていて知らなかった時期だけにUP楽しみにしています^^
ですので、写真もあまり見たことなかったので、とても新鮮な印象です。
EF58も随分色々なところで頑張っていたんですね。
紀勢本線はこの時が初めての訪問で,今のところたった1回だけの訪問です。
満潮だったかどうかは分かりませんが,お天気悪くて...
でも,穏やかな海よりはこうして少し荒れていた方が絵になりますね。
紀勢本線はゴハチも活躍していましたが,蒸機の時代はおろかゴハチが活躍していた頃にも訪問出来ませんでした。
撮り逃した線区は多いです...
J西の虎の子とばかり思っていたのに・・・。
最後にもう一度客車を牽く雄姿が見たかったです。
実は、数多くのゴハチコレクションの中で150号機は
撮ってないのです。
一輌くらい動体保存があっても良いと思いますが...残念です。
聞けば、手動進段のゴッパーはEF65などとは扱いが違うそうで、このカマを運転できる人材がもう殆ど残っていないとのこと(ゴッパーの全盛期に乗っていた人々は多くは定年退職。当時の最若手ですら定年間近だったり異動でカマを下りたりしている由)。
技術伝承してC57と共に看板スターにしてほしいのは山々ですが…12系6連程度は荷にならないとしても、京阪神地区では流石に223系から逃げ切るのは至難でしょうし、広島以西では集客力に弱くそのくせ沿線警備に金がかかります。東日本でさえ61号機の車籍を諦めた位ですから西日本に多くを望むのは酷なのかも知れません(協力は惜しみませんが…)。
終生関西方面で活躍し、車籍復帰してからは梅小路となっていた様ですね。
ゴハチの運転に関しては、踊り子の運転でもやはり伊豆急の運転士には61は運転し辛いと不評だったと聞いたことがあります。
蒸気機関車では早くから同体保存の実績があるJR西ですが、電機に関しては残念ですね。
岩代~南部ってブタ目のゴハチのイメージが強くて
すらっとした端正なゴハチは違和感ありましたね。
最後まで残っていた宮原の3機はどれも綺麗で手入れが行き届いていた記憶があります。
ゴハチがあった時代は長かったですね。
これで又一つの時代が幕を閉じたって感じで寂しさを覚えます。
ゴハチが新製されたのは私が生まれる少し前でしたが、小学生の頃に絵はがきで初めて見た新しい車体のEF58は実にスマートで、強烈に印象に残っています。
半世紀以上も活躍してきた大好きだった機関車が消滅してしまい、本当に寂しいですね。