荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『黒衣の刺客』 侯孝賢

2015-10-03 07:48:22 | 映画
 私たちが同時代に生きていることのこの上ない僥倖を真剣に受け止めねばならない存在は、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)ではないか。最初に侯孝賢が登場したとき、彼はいい映画を撮る人だった。いまはそれを完全に通り越して、訳の分からぬほどすごいものを提示する、規格外の存在になっている。
 新作『黒衣の刺客』が見せつけるのは、侯孝賢の上手さであり、しかも彼がおのれの上手さを、あたかもそれが恥ずべきことととらえているかのように、ひた隠しにする、その倒錯的な隠匿ぶりである。たとえば、旧作『海上花(フラワーズ・オブ・シャンハイ)』(1998)を撮った時点でじつはコスチューム・プレイが得意であることはバレバレだった。並みの監督なら、コスチューム・プレイで一旗揚げたら、一生食い扶持に困らぬよう案配するところだ。ところが侯孝賢の場合、それを手柄にしたくないという態度で20年近くが経過している。清末(辛亥革命の直前)の上海の妓楼で起こる些末事──お茶を飲む、痴話喧嘩をする、泥酔して居眠りする、じゃんけん大会を繰りかえす、など──が、あたかもいまここで生起する事柄のような生々しさをもって迫ってくるのである。
 100年前の清末ならまだしも、今回の『黒衣の刺客』は、なんと1200年前の唐末である。しかも唐の朝廷ですらなく、「魏博(ウェイボー)」(現在の河北省あたり)なる地方の有力な節度使が王朝のような構えを持っているのを描写する。そのなんという興味深さ。侯孝賢のディテールへのこだわりは怖ろしい。
 唐(618-907)は中華文明の粋のように思われているけれど、じつは漢民族の王朝ではなく、外の遊牧民族が初めて中国大陸を統一した王朝で、唐代の絵画を見れば分かるように、椅子にテーブルという西方の生活様式が定着していった時代だった。しかし『黒衣の刺客』における節度使の宮殿は、床に座布団を敷いてベタ座りである。これはつまり、張震(チャン・チェン)扮する田氏一族が漢民族の節度使であり、唐の宮廷よりも古い伝統を墨守していることが、それとなく示されているのである。靴を脱いで廊下を歩くなどという、もう中国では見られぬ描写もある。唐代以降の中国では、床にベタ座りする生活様式は完全に失われ、椅子にテーブルである。ベタ座りの生活様式は、朝鮮、日本、越南(ベトナム)など周辺国で残った。
 『黒衣の刺客』は、現代的なアレンジが若干過剰に施されているものの、絹のカーテンや黒陶の茶碗、青銅器の香炉や手鑑、男女の衣服など、唐代の時代考証が、おそらく映画史上もっともきちんと守られたケースとなった(もちろん、私は溝口健二の『楊貴妃』における唐代の時代考証がでたらめだとしても、あの作品の価値が下がるということはないと考えているけれども)。畳のような小上がりにしろ、和服に似た着物にしろ、仏教の教えや寺院の建築様式にしろ、唐の文化は日本文化のルーツと言われる。そしてそれはその後の中国大陸で喪失していったものであり、本作の多くのシーンが京都、奈良の古寺でロケされたことが象徴的である。唐の記憶は中国本土よりもむしろ、東夷たる日本で再現可能なわけである。これは日本が偉いとかそういうことではなく、傍流が案外と本筋を護持しているという、よくあるケースである。
 この時ならぬオーセンティシティが、中国本土の映画作家ではなく、台湾の作家によって実現したことに、映画という賤しい素性の表現形式の、他のジャンルに真似のできない本領があるのだ。


9/12(土)より渋谷TOEI、新宿ピカデリーほか全国で上映中
http://kokui-movie.com


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