荻野洋一 映画等覚書ブログ

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村山知義の宇宙《すべての僕が沸騰する》

2012-04-08 21:13:48 | アート
 徹夜仕事あけの気だるい身体に鞭打って、仕事先からそのまま早朝の新橋駅で横須賀線に乗り、逗子に行った。神奈川県立近代美術館・葉山館でやっている《村山知義の宇宙 すべての僕が沸騰する》を見るためである。村山知義についてはことあるごとに拙ブログで言及してきたが、ついにこのたび初の本格的な回顧展が開かれたことになる。「村山、村山…」と低い声でつぶやいてきた者としては、まことに慶賀に堪えない。と同時に、この手の戦前左翼、プロレタリア芸術家の企画展に、読売新聞社のようないわゆる “商業右翼” のメディアが嬉々として(かどうかは知らないが)協力参加しているのだから、世の文化事業の実態はわれわれのような素人には皆目見当がつかない。

 今回の展示はその総合性、網羅性に舌を巻く。必ずしも作品の現存がじゅうぶんだとは言えないにもかかわらず、これまで解説的知識でしかなかったものが、物質的実体として鑑賞者の五感を過激に撃ちつづける。村山が1922年、21歳でベルリンに留学し、ヴァイマール共和国の構成主義、表現主義、ダダイズムの息吹をいっぱいに吸い込んできた際、彼がすっかり惚れこんだ天才少女ダンサー、ニッディー・インベコーフェンの舞踏姿を写した短編フィルムまで館内で見られた。これにはすっかり感激した。
 帰朝後の1924年、舞台美術家としてのデビュー作となった、結成まもない築地小劇場の公演『朝から夜中まで』(作:ゲオルク・カイザー 演出:土方与志)における装置の全体写真、部分写真、そして模型までが展示され、ダダイズムのなんたるかが手に取るようにして分かる。また、彼が建築の設計を手がけた吉行あぐりのための「山の手美容院」(1929)は、NHKドラマ『あぐり』で登場した店とかなりそっくりな印象をもった。ドラマのセットはかなり頑張っていたということになる。
 村山知義は、その後に綿々とつづくマルチ・アーティストの走りのような存在であり、ジャンルのダイナミックな横断性もさることながら、あくまで私見だが、各ジャンルにおける質の高さは他の追随を許さないように思う。1930年代にP.C.L.=東宝で『戀愛の責任』『初戀』という2本の映画を監督しているが、なんとも泰然とした、洒落た味わいのある映画をつくる人でもある。村山について書かれた本で近年もっとも秀逸なのが、マルク・ダシー、松浦寿夫、田中純等共著『村山知義とクルト・シュヴィッタース』(水声社)という本で、これはドイツ、スイスのダダイズム・シーンとその日本的発展である村山らの「マヴォ」の運動のかかわりについて詳細に述べていて、きわめて有用な本である。
 いつぞやまた再会したい作品の数々であったが、本展は葉山での会期をすでに終了。その後は京都、高松、東京・世田谷と巡回する。

P.S.
 逗子駅に着いた時、このまま会場に行っても開館時間には早すぎるため、駅構内の立ち食いそばを啜って暖をとった。そして、海岸回りの京急バスに揺られていると、まだまだ全身真っ白な雪化粧に覆われた富士山が車窓から偉容を見せている。その巨大な白さが、今冬の厳しい寒さを改めて思い起こさせた。
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番組のお知らせ

2012-04-06 03:54:30 | 記録・連絡・消息
 レギュラーもの以外にちょこまか構成演出の仕事をして食べている私ですが、いま、WOWOW《ノンフィクションW》の一本を作っています。『バスク 〜なぜ彼らは掟を貫くのか〜』という題名で、アスレティック・ビルバオの密着を中心に、イベリア半島北部に住むバスク人の異色な民族文化、ゲルニカ爆撃、ファシスト独裁による弾圧、ビエルサ戦術の分析、バスク語、独立要求デモ、ETAのテロなどが扱われ、幾人かの老人、子どもが出てきます。
 5月18日(金)よる10時よりWOWOWプライムで放送です。


番組ホームページ
http://www.wowow.co.jp/documentary/nfw/
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『ポエトリー アグネスの詩』 イ・チャンドン

2012-04-02 00:47:29 | 映画
 イ・チャンドン(李滄東)監督作の主人公はたいがいの場合、孤立した身体を持て余し、彷徨い出た路上の霊魂のごときものとなる。ペシミスティックな傑作『ペパーミント・キャンディ』(1999)および『オアシス』(2002)のソル・ギョングしかり、よりリアリズムに舵を切った『シークレット・サンシャイン』(2007)のチョン・ドヨンしかり。監督の出身地である慶尚道は、かつての新羅王朝の故地であり、朝鮮時代は王家の次に権勢をふるった両班、金氏の本拠地である。そういうどこか、やんごとなき貴種流離の気風を漂わせつつ孤立した身体は、都市郊外の場末、農村の街道筋から容赦なくどこかもっと酷い場へと追い立てられていくだろう。遠くない死地への甘美な予感に守られながら。
 イの新作『ポエトリー アグネスの詩』においても、ひとりの初老女性(ユン・ジョンヒ)がアルツハイマーの進行に怯えながらも、偶然目にした広告がきっかけで詩作教室へ日参する。その姿は、彷徨い出た路上の霊魂そのものとして映るだろう。「襤褸(ぼろ)は纏えど心は錦」などと世間ではけなげに言うが、むしろ彼女のばあいはその逆で、メルヘン的な身だしなみとは裏腹に、その精神は内憂外患によって滅茶滅茶に追いつめられている。
 講師の指導にしたがってノートに詩作メモをいろいろと書きこむ彼女だが、一篇の詩だって詠むことができない。原題で『詩』と名付けられているのだから、いつかはとっておきの詩が紡ぎ出されるだろうことはすべての観客があらかじめ知っているが、それがいつ、どのようにして生み出されていくか、その未回答が静かなサスペンスとなって画面を揺るがせ続ける。
 『ペパーミント・キャンディ』における列車走行は、主人公の人生を遡行するために感動的に逆回転していったが、今作は現在時制に頑迷に留まる。監督は彼女の退路をすっぱりと断ちたかったのだろう。


全国各劇場で順次公開
http://poetry-shi.jp/
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中原昌也|個展

2012-03-30 02:31:43 | アート
 東京深川・清澄町のギャラリー、スプラウト・キュレーションで中原昌也の個展が開かれている。わが街・日本橋中洲から清洲橋を渡るだけという至近距離に、この毒性と呪詛が塗り込まれた小世界があることが奇妙で不可思議な感じを受ける。もちろんこれはあまりにも極私的な感覚に過ぎないが、中原がかねてから賞讃している『母のおもかげ』(1959)で主人公少年の父(根上淳)が運転手をつとめる水上バスの航路上に奇しくも展示会場が位置し、あの清水宏の遺作のみごとなパースペクティヴを形成したのが、清洲橋を水上バスでくぐり抜ける際の中洲や浜町の移動ショットなのである。そのことを思いめぐらすなら、根上淳の再婚相手として少年の継母になる女を演じた淡島千景が亡くなった今年に、中原がその清洲橋のたもとに降臨することもまた、まるで縁なきこととも言いきれまい。
 『無題』と称する比較的大きめの絵、それからHair Stylisticsのためのジャケット用アートワーク、モノクロームのシリーズ『悲惨すぎる家なき子の死』。on Sundaysの壁一面に粗暴に張りめぐらされた一昨年の前回個展《IQ84以下!》からさらに不敵な進化を続ける中原昌也の厳密なる夜明けを見るために、清澄白河の駅に降り立つべきだろう。

P.S.
 本来なら、そのあとに歩いて数分の「伊せ㐂」に立ち寄って、どじょうの丸鍋か、まだ寒さの抜けない今ならナマズ鍋を食べることができたら完璧なのだけれど、「伊せ㐂」が昨年に惜しくも休業してしまった以上、そうした贅沢な時間の使い方も永遠にできなくなってしまった。ちょっと北上し森下に出るか、いっそのこと清洲橋を渡って人形町・水天宮界隈で一献傾けるがよいでしょう。人形町駅、和菓子の「玉英堂」前。モクレンの清楚な白い花が咲き誇っていた。


スプラウト・キュレーション(清澄3号倉庫内)で4月14日(土)まで
http://sprout-curation.com
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山口晃 新作展《望郷──TOKIORE(I)MIX》

2012-03-29 01:43:19 | アート
 現代美術のエースのひとり、山口晃の新作展《望郷──TOKIORE(I)MIX》はわずか3点の展示だが、心憎い刺激に満ちている。
 最初の作品『忘れじの電柱』は黒炭色に塗装された電柱が数本、メゾンエルメス(東京・銀座晴海通り)の高い天井にむかってまっすぐに直立している。電柱だけでなく、送電基盤や電線、プラスティックの樋も黒く塗装されている。真下に立って電柱を見上げると、その黒さが禍々しく増幅され、なにやら大災害後の荒漠たる視覚イメージを喚起する。黒沢清監督の映画『回路』(2000)が終盤で提示した、人類絶滅寸前の銀座の街路はまったく見るに忍びないイメージだったが、あれを想起させる。
 2つめの作品『正しい、しかし間違えている』は、入れ子状のギャラリー内ギャラリーで、中に入ると、山口の絵画作品が数点展示され、打ちあわせ用ソファ、スケジュールがメモされたカレンダーなどが揃っており、清楚な空間を形成している。しかし、床が斜めに傾いており、鑑賞者の平衡感覚を根底から損なおうとする。
 3つめの作品は、洛中洛外図から着想を得たもっとも山口らしい作品で、『Tokio山水(東京画2012)』という俯瞰による大パノラマである。東京23区がほぼカバーされ、「東京画2012」というサブタイトルから分かるように、ヴェンダースの『ベルリン 天使の詩』『ファラウェイ・ソー・クロース』の天使たちの視点が回帰している。
 山口による大和絵の現代美術への接ぎ木は非常に刺激的で、一見してふざけているが、たとえば横山大観のような近代の大御所をいくら大真面目にたくさん眺めても理解できない日本美術の本質への近道であると思えてならない。ちょうどジャチント・シェルシやグバイドゥーリナを聴くことのほうが、19世紀のクラシック音楽よりもはるかにバッハ体験に近いのと同じように。
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『悲しみの青春』 ヴィットリオ・デ・シーカ

2012-03-27 00:22:28 | 映画
 紀伊國屋レーベルからDVDでリリースされたヴィットリオ・デ・シーカの『悲しみの青春』(1971)が見る者の涙腺にもたらす緩みは、どちらかというと、怠惰な感性の持ち主どうしが交わしあう憐憫の風土に属するだろう。冒頭のタイトルバックで、純白のテニスウェア姿で自転車にまたがった一群の若い男女が、名家の広大な庭園内をなめらかに走り抜けていくとき──そこには美しすぎる陽光が、青すぎる木々の茂みが、穏やかすぎる真昼の風が、監督の息子マヌエル・デ・シーカの音楽に乗って通りすぎていくのである。まさに春風駘蕩の境地であり、こうした掛け値なしの幸福の瞬間を描ける映画作家は、ジャン・ルノワールは別格として、ほかにあと幾人も残っていまい。
 しかし、この春風駘蕩というものは案外いつも脆弱なガラス細工なのであって、強靱なるストイックな映画学徒にとっては、あまり肌の合わない作品かもしれない。なまじベルリン映画祭で金熊賞を受賞したばかりに名作扱いされてはいるけれど、むしろ「押し」が効くのは前年の『ひまわり』のほうだろう(そういえば、デ・シーカと名コンビの脚本家チェーザレ・ザヴァッティーニを助けて『ひまわり』を共同で書いたトニーノ・グエッラが、21日に亡くなってしまった…合掌)。

 1930年代、北イタリア。ファシスト勢力の台頭にもかかわらず、まもなく零落するだろう自分たちの未来にまったく頓着していないユダヤ系の名家がある。美貌の令嬢(ドミニク・サンダ)、その病弱な兄(ヘルムート・バーガー)、そしてこの家に出入りし、令嬢を愛してやまぬ文学青年(リーノ・カポリッキオ)。この3人の男女は三角関係を形成する時間さえも持たぬまま、ファシズムの荒波に飲まれ、生を消尽していく。まったくイタリア人らしくない容貌であるブロンドヘアの彼ら(おそらく東欧から流れてきたユダヤ教徒の末裔という設定か?)は、自分たちのことを「黒人」と呼ぶ。この無責任な自嘲によっては当然、何も救われないことを彼らはどこまで理解していたのか。
 ところで私見的解釈だが、ドミニク・サンダがカポリッキオを捨てた理由は、カポリッキオに同性愛的思慕を寄せている自分の兄を思いやってのことだろう。映画史上もっとも美貌の「おこげ」だ。
 同じような時代を扱った最近のイタリア映画に『愛の勝利を』(2009)がある。マルコ・ベロッキオによるこの傑作悲劇を、むせ返る芳香を放つアルコール度数の高いグラッパに喩えるならば、デ・シーカ晩年の傑作は、かき混ぜぬ砂糖がコッパの底でたっぷりと滞留したエスプレッソといったところ。パッケージ・デザインも作品の格調を物語っていて秀逸である。
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キューブリックの青の時代

2012-03-24 06:59:46 | ラジオ・テレビ
 巨匠たちの無名時代にスポットを当て、飛躍の瞬間をさぐるという趣旨のドキュメンタリー・シリーズ《巨匠たちの青の時代》というものがNHKで何回か放送されて、ここまでココ・シャネルやマイルス・デイヴィスなどが取り上げられたようである。スタンリー・キューブリックの回『俺の眼を見つけた!』を見たら、珍しいものをたくさん見せてもらった。キューブリックが高校生の時に「ルック」誌に掲載してもらったルーズヴェルト死去翌日のキオスクの売り子の写真であるとか、「ルック」でボツになり現在はNY市立博物館アーカイヴにひっそりと保管される地下鉄での乗客居眠り写真シリーズなど。
 極めつけは、長編デビュー作『恐れと欲望』より以前、22才の時に作られた短編ドキュメンタリー『拳闘試合の日(Day of the Fight)』(1951)のフッテージのかなりの部分を見られたこと。助監督は高校の同級生、製作費は自分の貯金および親戚筋から借金して調達した。「今回、所在不明と思われていた貴重なフィルムを入手することができた」と述べるNHKアナのナレーションが、番組スタッフの昂揚を物語って微笑ましい。
 『拳闘試合の日』を見ると、キューブリックという映画作家がどのようにして、初期に試みられたスチール写真の連続実験から、やがて遠大な移動撮影への嗜好に至ったのかがよくわかる。また、この4年後に監督し、ユナイテッド・アーティスツによって買い上げられたフィルム・ノワールのなかなか出来のいい長編第2作『非情の罠』(1955)の前半で見られるボクシング・シーンの原型がここにあったか、と納得した。

 ちなみに、東京都内にあるニュースリールの貸出をおこなう某社のフッテージの中に、リアルではあるが妙になめらかな横移動撮影を伴う戦場シーンが紛れ込んでいる。あれがニュースリールでないのは一目瞭然だから大丈夫だとは思うが、世のテレビスタッフは気をつけられたし。それにしてもなぜ『突撃』の1シーンが、あの会社のアーカイヴに紛れ込んでしまったのだろう?
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『さのさ』(序文 石田民三)

2012-03-21 00:06:43 | 
 3月も後半の声を聞けば、各地の花街が競うように「〜をどり」というようなものの開催を告知しはじめるが、たとえば京都・上七軒だと「北野をどり」の季節ということになる。貧乏暇なしの身上ゆえ、こういうものへ首尾よく出かけて行く日が到来するのかは甚だ心許ないが、その埋め合わせか、このたび珍しい『さのさ』なる296ページの和綴じ本に出会った。「さのさ」とは、明治から大正、昭和の長い期間にわたって、比較的気楽なお座敷で好んでつま弾かれた俗曲のジャンル名である。小唄、端唄をもっと通俗的にしたものと考えればよい。
 本書はそんな「さのさ節」の歌詞を美しい行書体で集成した和綴じ本であるが、特筆すべきは、序文を元・映画監督の石田民三が書いていることである。石田民三は『むかしの歌』(1939)、『花散りぬ』(1939)、『花火の街』(1937)など、J.O.スタジオおよびその後身の東宝初期に日本情緒を前面に押し出した作風で知られた戦前の名匠。1947年に45才の若さで引退し、以後は京都花街のひとつ上七軒の御茶屋「万文」主人の座に収まり、悠々自適の粋人生活を死ぬまで送った人である。
 あまり世間で見られる本でなし、やや冗漫なる振舞いながら、石田による序文全文をここに転記するとともに、興に乗って「さのさ節」の中からいくつか、佳さげなものを挙げておきたいと思う。


さのさ談義    石田民三

 明治二十五年頃。法界屋と呼ばれる男女連れの芸人が月琴の伴奏で流し歩いた法界節──日清戦争の頃は時勢をもじって砲界ぶしなどとも書いたが──その月琴が三味線に代って歌詞もすこぶる情緒的になり節調も江戸前に洗練されて唄い出された物がさのさぶし──
 三十二年頃から流行し出してまたゝく間に全国を風靡したが日露戦争の頃には更に隆盛を極め爾来、大正昭和と曲節に多少の変化はあっても江利チエミの今日迄、実に四分の三世紀をすたることなく脈々と唄い継がれて来た──
 淡雪のように消えて行く流行歌の世界では実に稀有に属することである。
 江戸趣味と云うよりむしろ日本趣味とも云うべきその節調が庶民の胸をうつせいもあるだろうが多少の例外は別としてそのほとんどの歌詞に唄いあげられた義理人情の世界とか花街に生きる女人の哀歓とかに大衆は少なからず共感を持つせいであろうと思われる。
 併し、時勢は移る── この共感も我々年輩迄のこと、次の世代には当然他の流行歌と同じように消えて行く運命を辿るだろう。今の我々は「さのさ」の挽歌を奏でゝいるといえるのである──
   ○
 古賀一男、辻ます子、市村進の諸氏がこの消え行くものゝ情緒を惜んでこゝに二百に余る歌詞を採録した。同好の士として欣快の一語に尽きる。まだ若いこの人達が滅ぶるものゝ美しさをいつ迄も残そうと希うひたむきな努力は只の道楽などゝは云えぬものがある。上梓に当って心からなる歓びと敬意を捧げたい。
 丙午新春
 上七軒茅屋に於て──


♪四畳半
かけた三味線
しみじみ眺め
一でゆるめて二でしめて
三であなたの
気を引いて
しまひにゃ互に本調子

♪後朝(きぬぎぬ)に
主を送つて雨戸をあけて
アレ見やしゃんせ朝顔は
庭の枝折戸(しおりど)へ
からみつく
帰すまいとの
辻占(つじうら)か

♪今だから
意見するのぢゃ
ないけれど
こゝらが思案の仕所さ
水の深瀬と色恋は
深くなる程
身が立たぬ

♪紅帯(べにおび)を
解くもはづかし旅の宿
結ぶえにしの
幸せが
燃へてつぼみの
開く夜
恋の望みの乱れ髪

♪なんとなく
只なんとなく好きな人
逢へば互に知らぬ顔
仇な月日が
たつうちに
いつか逢へない
人となる

♪泉水に
泳いで居るのはありゃ金魚
あなたの心によく似てる
上辺はきれいに
見ゆれども
煮ても焼いても
食べられぬ

♪園に咲き
深山の奥に匂ふのも
同じ桜の色なれば
いづれ盛(さかり)も
一時の
散るも恨めし
夜半(よは)の風
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夕闇せまる上野駅にかぶさる機関助士のモノローグ

2012-03-18 01:19:58 | 映画
 『ヒューゴの不思議な発明』を見たら、先日テレビで見たある1963年の作品のことが頭に浮かんだ。
 映画の発明が列車の走行とともにあった事実をそっけなく脇へ追いやり、蒸気機関車C62の運転士と助士がたがいに点検の号令を叫びながら、ものすごい速度で走り抜けていく。ここでひたすら問題とされるのは「安全」への飽くなき追究であり、鉄道員は研修所で、「一生のうちで一度として安全を怠ることは許されない」と叩きこまれる。今を生きる私たちはこの「安全」という言葉を聞いたとき、なにやら無力感と救いようのない悔悟の念を抱かざるを得ない。「安全」は取り返しのつかぬレベルでこの列島から喪失してしまった。
 記録映画作家・土本典昭の名高い監督デビュー作『ある機関助士』。この作品はたしかに、前年に発生した常磐線の鉄道事故を受け、国鉄が罪滅ぼしで企画したPR映画ではある。しかしそれでも、緊張した運行業務が終わり、助士の安逸を表したようなラストの夕闇せまる上野駅の静けさは、せつないほど美しい。ひるがえって私たちは、たとえば今年の春も桜の開花を愛でることはできるが、それは以前のように無条件にではなく、あくまで注釈付きの観照であることから逃れることはできない。安直なる無責任組織である東電が『ある機関助士』の現代版をつくることは許されない行為だ。
 闇の中の上野駅にかぶさる機関助士による最後のモノローグの簡潔さが、なぜか無性に胸を打つ。「私たちは、この日も機関部の当直助役に、帰りの点呼をしました。それはまったく短く済みました。“ 列車、上野定時到着。とくに異常ありません ”」
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細江英公 写真展『おとこと女』『抱擁』『ルナ・ロッサ』

2012-03-15 02:17:49 | アート
 巨匠・細江英公の写真展が、東京・銀座のBLD GALLERYで6期に分けておこなわれている。現在展示されているのは第3期『おとこと女』『抱擁』『ルナ・ロッサ』の各シリーズ。黒が硬く締まったモノクロームの画面の中に、女の白い裸体と男の浅黒い裸体がほとんど鉱物の一歩手前にまでその物質性が強調され、煤けたスモーキーなコントラストを形成し、また騒々しい音楽のリズムが奏でられている。それでいて強烈なる性的刺激が、見るこちら側の腹部のあたりにズンと圧力をかけてくる。「増村保造の『盲獣』は、これからインスパイアを受けているな」と思った。
 『おとこと女』は、1961年当時の復刻版写真集が会場の売店で入手できる。しかし面白くて購入したのはそれではなく、やはり復刻版で、土方巽の舞踏公演「Dance Experienceの会」(1960年7月)および同2(1961年9月)に併せて発行されたパンフレットの合冊(Akio Nagasawa Publishing)であり、すべての写真は細江英公によるものだ。三島由紀夫、大野一雄が寄稿しているほか、当時の広告もそのまま楽しめる。「都心のムードで しゃれたお買物 有楽町そごう」「堂々待望の新館完成 八芳園」「洗練された洋菓子と珈琲の店 パウリスタ」などといった具合で、愛らしいイラストやマークが施されている。当然限定版なので、この機会の入手をお薦めしたい。


BLD GALLERY(東京・銀座二丁目 サラが入居しているビル)
http://bld-gallery.jp/
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NHK-BS《伊丹十三 こだわり男とマルサの女》

2012-03-13 01:09:25 | ラジオ・テレビ
 今年が没後15年にあたるためか、伊丹十三(1933-1997)関連の催事がちょこちょこと組まれている。NHK-BSもシリーズ特集《こだわり男とマルサの女》と題し、2つの番組──ドキュドラマ『宮本信子 天才との日々』、そしてドキュメンタリー『伊丹十三「お葬式」への旅』──を2夜連続で放送した。
 前者は、未亡人であり伊丹映画の主演女優でもあった宮本信子による、亡夫とともに湯河原で送った別荘生活についての回想と、この別荘を舞台に伊丹夫妻役を平岳大と近衛はなが演じたドラマを交互に構成したもの。今大流行のCANON EOS 5D的な映像がこれでもかと頻出する。後者は、器用なマルチクリエイター伊丹が、無為な時間ののちに映画監督という天職を51才にしてようやく見つけていくまでのポートレートである。伊丹はファーザー・コンプレックスを抱いており、戦後まもなく逝った父・伊丹万作をその死後も畏れていた。しかし、父がシナリオを書いた名作『無法松の一生』(1943)における人力車夫・松五郎と軍人の息子の愛情関係は、自分たち父子の鏡像であり、『無法松〜』という作品が亡き父から息子へ宛てた遺書代わりのシークレット・メッセージであるという解釈がやがて息子の中でひらめき、コンプレックスが解かれてゆく。このあたりのいきさつは、なかなかドラマティックに語られている。

 しかしながら、両番組を見終えての感想としては、いかんともしがたい不審点が3点も残ってしまった。
 まず第一に、最高傑作とも(伊丹の全盛時作品への揶揄を交えて)時に評される『ゴムデッポウ』(1962)について、無視を決めこんでいる点である。ただし『ゴムデッポウ』が前妻・川喜多和子との共同製作の自主映画であって、いっぽうでNHKの当企画が「宮本ありき」で成立しているため、これはしかたのないところか。
 第二に、『お葬式』(1984)でデビューするまでの雌伏の期間がやたらと特権化された扱いとなっており、デビュー後の毀誉褒貶ないしは、マルチクリエイター時代のスマートな高踏性をあっさり捨て、油っこいエンタメへ傾斜していった、同時代におけるあの違和感はいったい何だったのか、この重要な問題に切り込んでいない。ヒット連発だったため当時は「勝てば官軍」の趨勢だったが、正直言って伊丹映画13年間は、若い映画ファンにとってはきわめて奇妙なものだった。
 ちなみに、伊丹との訣別を経てもっぱらVシネを主戦場としていた黒沢清が、伊丹との訣別の直接的原因となった『スウィートホーム』(1989)に対するセルフ・アンチテーゼと言っても過言ではない『CURE』の発表をもって世界的な評価を得はじめた1997年、まさにその年の暮れに伊丹は突然不慮の死を遂げてしまったのである。
 昼ワイドショーの伊丹追悼に大島渚と山根貞男がスタジオゲストとして出演し、大島はこう言っていた。「結局ね、彼は映画監督という職業に向いてなかったんだな。」 なんとも苛烈極まりない追悼の辞ではないか。私の耳には今もなお、テレビ画面の中の大島渚の甲高く憮然たる声がこびりついて離れないのである。
 最後の不審点は、誰もがまだなまなましく覚えている彼の自殺の謎について、NHKがnon-ditを貫いていることである。自殺理由として「週刊誌の不倫報道に対して、死をもって潔白を証明した」とされていることに大島渚はすでにあの時点で疑義を呈し、「不倫報道くらいで、あいつが死ぬわけがない」と述べている。「不倫相手」と報じられた「慶応大生の美女」がどこの誰だかわからないし、そもそもそんな女が実在したのかさえわからない今となっては、すべてが霧の中であるし、とにかくNHKとしては大震災後に重点化させている夫婦愛、家族愛の大物語の中に伊丹の生を位置づけたいかのようである。
 大島渚といえば、そもそも伊丹十三と宮本信子が出会ったのは、大島映画のロケ現場であった。『日本春歌考』(1967)で宮本は受験生役、伊丹は恩師の元教師役だった。そしてその中で、伊丹十三は自殺とも事故ともとれる不審な死を遂げる。そういえば、藤田敏八の『妹』(1974)でも、伊丹はガス自殺らしき奇妙な死体姿を見せていたが、あれもなにやら謎めいている。
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『ヒューゴの不思議な発明』 マーティン・スコセッシ

2012-03-10 04:40:47 | 映画
 壁の向こう側に誰かがいる。壁の中に住むという幻想的なイメージは、両大戦間期のリヨン駅(パリ南東部のターミナル駅)を小宇宙に見立てることによって、この時期に大輪の花を咲かせたスタジオシステム下のフランス映画の香しさを醸し出す。主人公たちの置かれたただならぬ状況をイメージとコンテクストの万華鏡によって化粧させ、変形させていくとき、スコセッシの手腕が異様なほど精気を帯びるのは、これまでのフィルモグラフィが雄弁に語るとおりだ。前作『シャッター アイランド』でも、孤島にしつらえられた巨大な精神科病棟が、「HUAC(非米活動委員会)の後ろ盾で設立された」とレオナルド・ディカプリオがすっぱ抜いた(ディカプリオの妄想だったとは必ずしも言えない)ために、映画はあらぬ方向へと活気を増していった。
 リヨン駅の構内で売店をほそぼそと営みつつ近くのアパルトマンで古女房と隠棲する頑固爺が、ほかならぬ映画黎明期のパイオニア、ジョルジュ・メリエスであることが判明するまでに、さして労力は要しない。両大戦間期のパリは作家主義をいまだ生んでいないが、その萌芽は確実に見られるからである。現実のメリエスも落ちぶれて、『月世界旅行』(1902)などの主演女優だったジャンヌ・ダルシーと共にモンパルナス駅でおもちゃ屋兼ボンボン売りをしていることを、クロード・オータン=ララが1925年のエッセーに書いて、その後よく知られる史実となった。この映画の原作者が舞台を史実のモンパルナス駅ではなくリヨン駅としたことは、単に建築デザイン上の理由だろう。あるいは、あくまで推測だが、到着早々に暴走し、プラットフォームをそのまま突き抜けていってしまう列車は、南仏のラ・シオタ駅からではなくリヨン方面からやって来た(リヨンは映画の発明者リュミエール兄弟の本拠地であり、現在もリュミエール協会がある)という暗喩的事情を含んでいるということなのだろう。

 「呪われた巨匠」に対してそれにふさわしい光を当てるオマージュ作業へと駆り立てる欲望は、堰を切ったように湧出する。少年の機械愛好、壁の向こう側からのフレーム内への覗き趣味、映画館への無賃入場など、シネクラブ運動に参画した若き情熱家のパターンを、少年は本能的に体現したことを知らねばならない。
 そして、その体現の行き先がもはや宛先不明であるらしいことも。壁の向こう側の孤独な少年を物心両面で助けた少女のモノローグが、その顛末を遠慮がちに示唆しているのではないか。「私は、ある少年と出会ったことがある」と過去形で語られるモノローグは、それらがすでにかつて在ったもの、過ぎ去った過去の事柄であることを、事後報告的に小さな声で白状しているのである。


TOHOシネマズ有楽座(ニュートーキョービル)ほか、全国で公開中
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『グッバイ・マイ・ファーストラヴ』 ミア・ハンセン=ラヴ

2012-03-07 23:55:13 | 映画
 物事というものは具体と抽象のどちらが先なのであろうか。事物はまずそこに在る。だから物事はおおかた具体的に先んじて在って、または起こって、それから抽象的観念が生じると見ていいだろう。
 フランスの女性映画作家ミア・ハンセン=ラヴの『あの夏の子供たち』に続く新作『グッバイ・マイ・ファーストラヴ』でも、物事はすでに起こってしまっている。15歳のヒロイン(ローラ・クレトン)とその彼氏の恋愛はすでに、この物語が始まった時点ですでに成就していて、しかも倦怠期ですらある。パリの生活に辟易としていた彼氏は、彼女の制止も聞かずに南米への自分探しの旅に出かけてしまう。ようするにこのふたりは価値観といい、趣味といい愛情観といい(おそらく学力偏差値も)、何もかも馬が合わないのである。

 それでも少女はこの愛の延命に躍起になっている。これは不治の病のように少女を蝕んで、根拠不明の妄念(観客には彼氏の魅力がわからない)となっていく。愛が抽象的観念として凝固したのだ。彼氏と別れた4年後、彼女は大学へ進学し、苦しみの軽減と復活への待機のため、建築学に打ち込む。彼女には自分の頑固な観念の容れ物が必要で、チロチロと小さく燃えている愛をやすらかに収納するための建築が必要なのである(まるで井上靖の小説のようだが)。
 彼女の指導教官で北欧出身のバツイチ建築家が、授業の中で安藤忠雄のテクストを配布しながら「微光」の重要性を説く。「微光」とは何か、先生は生徒たちからその定義を次々に引き出してまわる。「闇に灯される微かな光」「生と死」など。先生は「微光」という観念は西欧であまりに軽んじられてきたと述べ、それは「記憶」に結びつくものだと説く。先生と生徒たちは、研修旅行でバウハウスだけでなく、デンマーク・ユトラン半島の突端まで訪れるだろう。ミア・ハンセン=ラヴのルーツも北欧にある。

 微光が記憶に結びつくというアイデアは、ガストン・バシュラールが晩年に書いた美しすぎる『蝋燭の焔』(1961)の中の主張と同じものである。バシュラールは書いている。「蝋燭の焔は記憶の夢想を呼び寄せる。それはわれわれのはるかな思い出を通じて、孤独な目覚めの夜々の情景をわれわれに返してくれる。」
 私がこのバシュラールのテクストと出会ったのは、彼女が建築学に打ち込む年齢と同じくらいだった。微光とは蝋燭が灯す小さな種火であり、愛はほそぼそとだが燃え尽きない。そのころ、薄明についてのすばらしい定義をもたらしたエリック・ロメールの『満月の夜』が日本公開された(1987)。ヒロインのパスカル・オジェがラズロ・サボと出会う未明のカフェ。あれこそ薄明であり微光ではないだろうか。『グッバイ・マイ・ファーストラヴ』の原題を直訳すると「青春の恋」というようなものになる。「青春」とは人生の真昼では決してなく、薄明/微光であるのではないか。いっぽうで『グッバイ・マイ・ファーストラヴ』は、成熟した作家による惜春の一代記ではなく、いまだ青春の只中で人を愛し、または愛を裏切るひとりの女による経過報告的心情吐露のなまなましさを隠そうとしていない。


東京日仏学院(東京・市ヶ谷船河原町)の特集《フランス女性監督特集》内で上映予定
http://www.institut.jp/
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河原宏先生追悼

2012-03-04 20:32:20 | 
 政治学者の河原宏(日本政治思想史)が2月28日に亡くなった(朝日新聞の死亡記事)。83歳だった。私の大学時代、ゼミ指導教授としてたいへんお世話になった恩師である。恥ずかしながら、私が提出したゼミ論文をそこそこ気に入ってくれ、その後もお手紙を頂戴するなど、社会人としてまったく頼りない私の身の上を心配していただいた。
 著書に『日本人の「戦争」 古典と死生の間で』(1995)、『「自在」に生きた日本人』『日本思想の地平と水脈』(1998)、『日本人はなんのために働いてきたのか』(2006)など多数。このうち『日本思想の地平と水脈』は一般の出版社ではなく、「古稀記念論文集刊行会」から発刊されたもの。こういうものが出るというのは、河原先生を慕う立派な方々が弟子をみずから任じているからこそであって、凄いことだと改めて思う。私などは単にゼミ卒業生というだけで、OB会のたぐいにも出席したためしのない木っ端にすぎない。

 4年生の時、ゼミ合宿で伊豆へお伴したこともある。宿ではたしか、優等生の発表を申し訳程度に聴いたのち、さっさと飲み会となった気がする。飲み会を途中、浴衣姿で抜け出し、友人Hと連れだって温泉街を夜の散歩としゃれ込んだりした。土産物屋や射的屋の灯りが非常にまぶしかったのを覚えている。
 またゼミの時、第二次世界大戦終戦直後の混乱期の話となり、「ヒロポンを打つと、いつまでも寝なくて大丈夫となる。三日三晩めちゃくちゃに働いて、そのうえ野球にも張りきって興じていた。そのあと寝だめをするのだ」などといった思い出を語っておられた。これが思い出なのかはさておき、私自身にとっては案外こういう些末な話が、大学時代のもっとも鮮明な思い出として結晶化していたりするのである。
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『ニーチェの馬』 タル・ベーラ

2012-03-03 05:21:28 | 映画
 キャリア最終作と銘打って発表された、ハンガリーのベテラン映画作家タル・ベーラの新作『ニーチェの馬』の上映時間2時間半のうちに写っているものといえば、一軒の農家と納屋、そこの家の主人で右半身不随の初老男、その一人娘、彼らの飼い馬一頭、とごく最小限のものでしかない。あとは、点景の範囲を出ない若干名の脇役連中といったところ。19世紀末、哲学者ニーチェが発狂する直前にトリノの街頭でめぐり逢った老馬(ニーチェは馬に頬ずりしながら号泣したらしい)の、その後の暮らしを描いたなどと、もっともらしく解説されているが、はたしてこの映画で描かれているのはそもそも19世紀末の光景なのか。だいいち、写っている土地はフェラーリを生んだ北イタリアのデザイン都市トリノではまったくなく、どうやらハンガリーのどことも知れぬ寒村らしいのだ。タルは最後の最後までタルだった、と言うしかないだろう。
 『サタンタンゴ』『ヴェルクマイスター・ハーモニー』で現出された鈍重なるでたらめさは毀誉褒貶を巻き起こしたが、初めてタルを見たとき、こういう作り手がどんどん狂っていけば相当面白くなると思った。実を言うと、前作『倫敦から来た男』(2007)は見そびれてしまったのであるが、今回久しぶりにタルの映画に接していると、むしろ彼は「自分が現代映画で唯一まともな映画を作っている」と手前勝手に考えているようにしか思えなくなってくる。
 『ニーチェの馬』が刺激的に提示するのは、人や動物といった生き物以上に、ゴーゴーと恐ろしげに唸りを上げる暴風であり、舞い上がる塵芥であり、その渦中で娘が汲みに行く井戸の水であり、その水で茹でられた巨大なジャガイモ、そして、二人が起きがけにあおるパーリンカ(ハンガリー産の焼酎)の鋭く光るボトルであり、これらの圧倒的な物質的現前である。そしてこれらが否応にも、画面とサウンドトラックを支配する。ドイツの映画作家フレッド・ケレメンが撮影を担当し、音楽はタル映画の常連ヴィーグ・ミハーイが例によってじつに大袈裟なスコアをリフレインさせる。


シアター・イメージフォーラム(東京渋谷・金王坂上)ほか、全国順次公開
http://bitters.co.jp/uma/
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